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もぢり百人一首(42) 追加 アップデート版

君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 浪も越えなむ    (『古今集』巻第二十・東歌 1093番 詠み人知らず「陸奥歌」) 有名な恋の歌がありまして、絶対浮気なんかしない、愛しているんだよ、と誓いを立てた歌なんでありますが、これがどうも津波の歌のようなんですね。私には津波の歌にしか見えないんですが、片桐洋一先生もそうは言わないのであります。誰か言っているのかも知れませんが、いままで津波の歌であるよ、三陸海岸の歌だよとは誰も言っていないのであります。三陸海岸の範囲がどの辺かという問題はあるんですが、南を牡鹿半島までに留めると具合が悪いので、塩竃くらいまでを含めると都合がいいのであります。つまり、文字通り、陸前・陸中・陸奥の海に面したところと考えるとよいでしょう。 末の松山という歌枕(名所)については諸説があるが、どうも多賀城の宝国寺のことらしい。 もう一つの有力な候補地は、岩手県の二戸市と一戸町の間にある浪打峠でありますが、こちらはかなりの内陸地なんです。よって、松尾芭蕉も訪ねたという宮城県多賀城市の宝国寺が、なかなか有力だと言うことなんです。何せ、このお寺は山号が「末松山(まっしょうざん)」でありますから、和歌に由来しているのは疑いようもないとも言えましょうね。歌の意味は、片桐洋一先生の訳で紹介すると、「あなたをさしおいて、他のひとに心を移すようなことを私がしたら、あの末の松山を浪が越えるというような、あり得ないことが起こるでしょう。だからそのようなことはありません」と言うのですけれども、古代の津波の記憶をバックにして、巨大津波でも越えないところを言ってみたのではないでしょうか。それくらい、数十年の時を隔てて生じる津波の破壊力を脅威に感じていた共同記憶があるのではないか、ということです。忘れたころにやってくるものなのです。 末松山宝国寺には、比翼連理の喩え通りの松があったのだというのだが、いつから? 比翼連理というのは、これまた白楽天の『長恨歌』からくる故事であります。『長恨歌』の成立は唐の時代の806年であります。紫式部が『源氏物語』桐壷の巻でこれを下敷きにして物語を書いたくらいですから、普通にお勉強すると話題として出てきてしまうんですが、要するに玄宗皇帝と楊貴妃が七夕の日にベッドでいちゃいちゃして睦言を言ったというなかにでてくる物なんでありますね。詩人で...

もぢり百人一首(42) アップデート版

42 波越えて 袖しぼりつつ 干す涙 かたみを拾う 末の松山 (通釈)末の松山をついに津波の波が越えて、被害の大きさに涙で濡れた袖を絞って干すことよ。波が引いた後で形見を拾うこの切なさよ。 (語釈)〇袖しぼり……涙は袖で拭うものなので、ひどく泣いたことを袖をしぼるという言い方で誇張したもの。〇かたみ……形見は、古くは生きている人を偲ぶもの。死者から生前にもらった物や死者を偲ぶものというのは新しい。本歌の「かたみに」は、お互いにという意味。〇末の松山……陸奥の歌枕。国守の屋形があった多賀城付近の丘陵で、海からは距離があったが、貞観年間の津波が押し寄せて波に浸ったか。 (本歌)契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは     (『後拾遺集』巻第十四・恋四 770番・清原元輔      「心変はりける女に、人に代はりて」) 「契りきな~とは」という表現は初句切れによる倒置法。「き」は直接体験の過去を表す助動詞。古典の助動詞は、自分が直接体験したのか、それとも伝承伝聞などによる間接体験なのかについて、異常に区別を試みるところがある。このばあい、共有体験した事柄について相手に確認しようという強い意識を表明している。「絶対、あの時、こう言ったよね、約束したよね、私たち」というような言い方である。恋に落ちた時に、互いに燃え上がって浮気しないと約束したというのである。なお、詞書から代作だとわかる。 前に出てきた清原深養父さんのご子息の歌であります。「末の松山」に関しては、3月の大震災・大津波の後であれこれ考えましたので、もう蒸し返すことはしませんが(蒸し返して、追加として次に出します)、これだけの被害がありますと、やはり貞観地震を前提とした歌枕であった可能性は大きいのではないかと思うのです。今問題になるのは、「かたみに」が古語でありまして、「互いに」の意味の副詞なんですが、つい誤解してしまいそうですね。3ヶ月たちましたが、この歌を冷静に分析する気分にはなれないのであります。作者は、『後撰集』の撰者の一人でありまして、いわゆる梨壺の五人の一人、もちろん清少納言のお父さんであります。頭がはげていた方で、それにまつわる楽しいエピソードが今昔物語集などにありましたので、明日、探しだして紹介したいと思います。 元輔さんの歌は初句切れの歌であります。ですから、初句が実は五句目...

もぢり百人一首(41) アップデート版

41 敗れても 我が名立ちけり 恋の歌 天気は右と 誰伝へけむ (通釈)天徳内裏の歌合では負けてしまった。負けてしまったけれども私の恋の歌も名歌であると評判になったよ。それにしても、帝のご裁定は右の兼盛の歌であると、誰が取り次いだのだろう。本当は左の私の歌が帝のお気に入りってことはないのか? (語釈)〇名……ここは、評判もしくは話題の意。「名立つ」で「噂になる」「取沙汰される」ということ。〇天気……天皇のご意向、ご機嫌などの意。〇右……歌合は歌人を左と右の二群に分けて、歌の優劣を競わせる遊びだが、組み合わせの歌人二人は固定されることが多い。よって、歌の力量の同等と認められる人を組み合わせるのが普通。〇けむ……過去の出来事に対する推量を表す助動詞。 (本歌)恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか     (『拾遺集』巻第十一・恋一 621番 壬生忠見「天暦の御時の歌合」) 天徳四年の内裏歌合で、平兼盛の歌とつがえられまして負けてしまった歌であります。たしかに、負けはしたんですけれども、こうして『百人一首』に並んで入るぐらいですから、この二首の歌というのは、歌合史上最高の組み合わせだったわけでありまして、この二首に優劣を付けるのは大変なことだと、当時の歌合の関係者も気付いていたようなのであります。どうも主催者の村上天皇が右の歌を密かに口ずさんでおられる、というような指摘がありまして、右の歌すなわち平兼盛の歌が勝ったと言うことなのです。このあたり、判詞には、 「少臣頻候天気、未給判勅、令密詠右方歌、源朝臣密語云、天気若在右歟者、因之遂以右為勝」(『新編国歌大観』第五巻) (書き下し)しばらく臣しきりに天気をうかがう。いまだ判のみことのりを給はず、密かに右方の歌を詠ましむ、源の朝臣密かに語りていはく、天気もしくは右にありか、これによりてつひに以つて右勝ちと為す とありまして、「天気」というのは帝の嗜好というか、天皇のお好みということですね。遊びなんだけど、みんな真剣なんであります。根回しなんてないわけで、帝が勝敗を決めなさいと言うと、みんな狼狽していたんであります。ひょっとしてどちらか勝たせたい方があるのか? なんて判者は思いまして、そうするとひそひそアドバイスするしっかり者もいるのであります。和歌の本質は遊びなんですが、それでも本気でありますから...

もぢり百人一首(40) アップデート版

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40 忍ぶれど 声に出でにけり 勝ち歌は 物も食はずに 忠見臥すまで (通釈)帝も判定に迷って勝敗を言うのをこらえたけれど、兼盛の歌が勝っていると思わず漏らすお声に出てしまったことよ。負けた忠見は物を食わなくなって死の床に臥すほどまでショックを受けたことだ。 (語釈)〇忍ぶれ……下二段活用動詞「忍ぶ」の已然形。現代語の終止形は「忍べる」となるが、現代語のように可能動詞というわけではなさそう。ここは、がまんする、こらえるの意。〇勝ち歌……歌合の判定は、「勝ち」、「負け」、引き分けの場合は「持」となる。「じ」と読むようですが、現代で言うと「行司預かり」みたいな意味かと思います。持ち越しなんてことでしょうか。天徳四年の歌合では、兼盛の歌が、天気すなわち帝の判断で勝ちとなりました。 (本歌)忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで     (『拾遺集』巻第十一・恋一 622番 平兼盛「天暦の御時の歌合」) これは説話などに出て来る有名なものでありまして、次の第41番の壬生忠見の歌とセットになるわけでありますが、『百人一首』での歌番号をご覧いただきますと、この二首は隣り合っている物の、40番と41番ではペアにならないものなのであります。四首一組でも別のグループになりますから、『百人一首』という物が、本当に完成型なのかどうか、怪しいことこの上ないのであります。これを、『百人秀歌』でみると、平兼盛が第41番、壬生忠見が第42番でありまして、奇数と偶数の組み合わせなので何の問題もなくペアなのであります。 この順番に関してはすでにご指摘の注釈もあるのかも知れませんが、準備万端に諸説を網羅して書いているブログではありませんから、ご容赦下さい。 平兼盛さんという人は、陸奥に国守として赴任したこともある人ですから、エピソードも幾つかありまして、有名な歌ももっとあるのであります。安達ヶ原の鬼婆伝説にも少し絡むわけですけれども、その人となりを充分伝える説話が無いような気がいたします。その辺のところを、少し考えてみようかと思うんですが、おや、もうこんな時間でありますね。今日は、東京国立博物館を駆け巡って、少々疲れました。立派な茶釜をいくつか拝見しまして、さらにアイヌの弓矢などを見ましたが、日頃の運動不足が露呈しました。鍛えなくちゃと思った次第です。また明日。 手塚治虫さんの『...

もぢり百人一首(39) アップデート版

 39 浅知恵で 隠せど余る 恋心 思ひあまつて 伸びる篠原 (通釈)隠せば何とかなると思ってはみたが、好きな人の前ではもじもじしてぎこちない素振りがかえって目立っているような気がする。そっけなくしようと考えてみたけれど、隠せば隠すほど目立ってしまう恋心、密集してぐんぐん伸びてまるで壁のようになっている篠原と同じで、もうもて余すほどの気持ちだよ。 (語釈)〇浅知恵……浅はかな知恵。一見利口そうに見えるが、実は計算高い心の底が見えて役に立たない考え。類義語に「猿知恵」がある。〇篠原……篠竹の生えている野原。篠竹はイネ科の多年草。竹に似ているが、茎の部分の直径が1~2センチ程度、高さは2メートルから4メートル。笛や筆の軸、行李、葦簀などの材料になる。 (本歌)浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど 余りてなどか 人の恋しき    (『後撰集』巻第九・恋一 578番 参議等「人につかはしける」) 二句目までが序詞で、同音の反復によって「忍ぶれ」を導くという点で、非常に分かりやすい歌であります。修辞技法を紹介するにはうってつけでありますが、さてそんなに簡単な歌なのかどうか、今から考え始めるんですけれども、この歌の問題点は「余りて」の部分のような気がいたします。現代語の感覚では分からないニュアンスでありまして「余って恋しい」などということは現在は言いませんよね。何かあるような気がいたします。私が無知なだけですから、それはそれでご容赦願いたいのですが、ここのところの三首の作者、文屋朝康・右近・参議等というのは、ほんとうに馴染みのない作者でありまして、そんな歌人聞いたことがないのであります。昔の不勉強がばれてしまいますし、教養のなさが露呈するんですが、それにしてもこんな歌人で百人のラインナップというのは大丈夫なんでありましょうか。有名な歌人、有名な古歌というコンセプトが、どうも揺らぐような気がいたしますね。参議等の歌には本歌が指摘されいまして、こちらの方がはるかに分かりやすい歌であります。こちらの「しのぶ」は思いを寄せる意味ですが、参議等の「忍ぶれ」は恋心をがまんするの意味です。    浅茅生の 小野の篠原 しのぶとも 人しるらめや いふ人なしに     (『古今集』巻第十一・恋一 505番 詠み人しらず「題知らず」) 参議等は嵯峨源氏でありまして、嵯峨天皇の末裔ということのよう...

もぢり百人一首(38)  It's new work.

38 忘らるる 身をば思わず 減らず口 彼を逃すは 惜しくもあるかな (通釈)振られて忘れ去られる我が身のことなんか、惜しいとも何ともないわと減らず口を言うものの、あんなにいい男を手放すのは、すごくみっともなくて、憎くて悔しくてもったいないことだわ。 (語釈)〇忘らるる身……振られて忘れ去られる我が身、の意。「忘ら」は四段活用の動詞「忘る」の未然形、「るる」が受身の助動詞「る」の連体形。現代語の「忘れる」は下一段活用型で、古典では下二段活用だった。よって、打消し表現を付けると「忘れない」とか「忘れず」となるが四段活用の「忘る」に打消しを付けると「忘らず」となる。四段活用は現代には残っていないが、おそらく「積極的に忘れる」ということで、現代語で言うなら「相手を振る・相手を捨てる」、最近なら「ブロックする」ということになるだろう。〇減らず口……少しも遠慮せず憎まれ口をたたくこと。また、負け惜しみを言うこと。(『岩波古語辞典』)古語辞典にあるくらいなので、近世以前にさかのぼる言葉。ちなみに、ネットで「減らず口」の説明を求めると、いろいろな説明がされていて面白い。減らず口のオンパレードになっている。〇も……叙述が不確実であることを表す係助詞。並列もしくは類例があることを示す。打消し表現が下に来ることを想起させる表現でもある。 (本歌)忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな     (『拾遺集』巻第十四・恋四 870番 右近「題しらず」) 問題は二句切れの歌と見るか、三句切れの歌と見るかという点に絞られるだろう。そういう紛れが生じるのは、二句目末尾の「ず」という打消の助動詞が連用形にも終止形にも取れてしまうという弱点が存在するからである。ここは、五七・五七・七というリズムの歌であったと考えることで解釈は定まるだろう。つまり、「ず」を終止形と捉えて、「忘らるる(我が)身をば(惜しくは)思はず。(我に永遠の愛を命にかけて)誓ひてし(汝と言ふ)人の命の(絶えなんとするが)惜しくもあるかな」と補えば、この歌は分かりやすい。さらに、「も」の働きを考えると、「人の命の惜しくもあらず」という本音が見える。 和歌から俳句が文芸として独立したのは、五七五七七という和歌を、連歌俳諧の盛行によって上の句・五七五と下の句・七七に分けて付け句するということが当たり前になったのが前...

もぢり百人一首(37) アップデート版

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 37 無風でも 玉と散りけり 秋の露 貫き留めよ 風の白糸 (通釈)秋の露が、風一つない穏やかな日なのに、あっけなく消えてしまった。そんなことなら、吹く風が白糸となって貫きとめるがいい。敵が襲来しなくても玉砕したことよ。それくらいなら敵の捕虜となって生き長らえなさいよ。 (語釈)〇無風……風がないこと。風速3メートル未満だと煙はなびかないそうだ。転じて、社会情勢や人間関係に影響するようなことがない状態をいう。〇玉と散り……あえなく消滅すること。戦争の際に玉砕することを「玉と散る」と表現することがある。「玉砕」は「全滅」という言葉を回避したもの。 (本歌)白露に 風のふきしく 秋の野は 貫きとめぬ 玉ぞ散りける    (『後撰集』巻第六 秋中 308番 文屋朝康「延喜の御時、歌召しければ」) 本歌の作者は文屋朝康であります。そう言えば、この方も親子で『百人一首』に入っているんですが、第22番の文屋康秀の歌が実はこちらのご子息の方の歌であるというような疑義があるんでありました。それでもって、今度はこちらの歌が『後撰集』に入ることは入っているんですが、その詞書きが間違っているらしいのであります。つまり、そこには延喜年間に詠んだというような説明があるのに、どうもこの歌は寛平年間の歌ではないかと言うことで、別に朝康の歌であることまでは疑っていないのですが、『百人一首』というものを出典のレベルまで掘り下げると、安心できないという感じが漂うのでありますね。 それだけではなくて、従来の解釈に対しても疑惑があるんであります。念のため、岩波書店刊行の新日本古典文学大系の『後撰集』から引用してみますが、片桐洋一先生が校注を施した本でありまして、凡例と言うところには、底本は、藤原定家天福二年書写本を江戸時代に透写したものを用いているそうです。透写ってどういうことか私には分かりませんが、そのままトレースしたってことなのでしょうね。へーえ。      (延喜御時、歌召しければ)  文室朝康    白露に 風の吹敷 秋のゝは つらぬきとめぬ 玉ぞちりける 注目は二句目のところの「風の吹敷」でありまして、動詞の送りがながないわけですが、これを片桐洋一先生がどう詠んでいるかというと、傍らに括弧付きの読み仮名で(ふきしく)とされているのであります。それでいいわけで、秋の野原の植物に付いた白露...

もぢり百人一首(36) 追加 アップデート版

昔のブログを見ていたら、だらだらと際限なく書いているわけで、追加で処理いたします。2011年は忙しかったんですが、よくまあ、ブログを書く時間があったものであります。     月の面白かりける夜、あかつきがたによめる                     深養父 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ (『古今集』巻第三・夏 166番 『百人一首』第36番・清原深養父) やはり、何か私が重大な見落とし、あるいは勘違い、意図的な錯誤をしているのだろうと一晩のうちに分かるかと思いましたが、やはりそんなことは無いようで、こんな有名な歌の解釈が従来間違っていたと言うことに、ほんとにびっくりしてしまうのであります。「ぬる」を完了にするのか、強意にするのかというのは、私は揺れないと思いますけれども、百歩譲って完了とするなら、「あかつきがたに」とある詞書との整合性を厳しく糾弾する必要が出て参ります。「月の面白かりける夜」というのは、ほぼ満月に近い頃か、空に雲などがなくて、月が陰っていないはずですが、そこを従来の説が見落とすのも不自然でありますね。「らむ」の問題は、辞書や文法書を見る方には、現在推量の用法も知らないで何を馬鹿げたことを主張すると嘲笑されそうでありますが、それはやむを得ないでしょう。ただし、現在推量の訳として一般に普及しているのは「~ているだろう」と言う訳ですが、この解釈が正しいかどうか検討して見たことありますか? というふうに逆襲してみたいと思います。 現在推量という文法用語は、別に現在進行推量ではないはずだが、そこのところはお分かりか? 当然のことでありますが、「らむ」というのは現代語に残らなかったわけですから、それを単一の「~しているだろう」という解釈で訳し通せると言うことの方がおかしいのであります。我々の脳内には「らむ」という助動詞は影もかたちもないわけで、それが「~ているだろう」であると確信できることの方が変なんですね。この訳の中にある「~ている」というのは、状態を表す表現であるはずですが、それがいつの間にか進行形の如く思い込まれて理解されている可能性が高いのであります。皆さん油断しすぎているんですよ。この助動詞は「今~だろう」という、他者の状態に対する語り手の推測を表明するものであって、さらに現在の状態についての原因推究であるとか、相...

もぢり百人一首(36) アップデート版

36 夏の夜は はや明けぬると 探す月 いづこの雲が 影隠すらん (通釈)明けやすい夏の夜が、もう明けてしまうことよと思うと、まだ今夜は訪れのないあの方が、一体どこのお邸でどなたに引き止められているのかしらと心当たりを胸の中で探索してしまうわ。まだ見ぬ月を、どの雲のあたりが月の光を隠しているのでしょう、と空を探すように。 (語釈)〇夏の夜……春の曙、秋の夕暮、冬のつとめてと並んで、清少納言が最も好む時間帯。月のある夏の夜は殊の外にお気に入りであることが『枕草子』という本に記されている。〇いづく……どこ、どのあたりの意。〇影……光の光源、光に照らされて可視化する物体の姿・形状、物が光に当たって生じる暗い陰影、それらをすべて指す言葉。ここは、人影の意。 (本歌)夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ     (『古今集』巻第三・夏 166番 清原深養父       「月の面白かりける夜、あかつきがたによめる」) 清原深養父とありまして、名前が結構風変わりでありますね。名前などと言うものは、言ってみれば記号でありますから、馴れてしまえば平気でありますけれども、初対面だったりすると気になるものであります。「ふかやぶ」と読むらしいのですが、どういういわれがあるのか気になりますし、三文字というのは珍しいですよ。親子三代で『百人一首』に出てるのだーれ?というような問題が作れそうだなあと思っていたら、違うのでありますね。ああ、私は間違えて覚えていたのだなと思って確認したら、やっぱり新しい説では親子三代なのでありまして、新説に従って得意そうに書いていると、事情を知らない人は馬鹿だと思うでしょうね。この辺が憂き世を生きる難しさでありますね。 念のため、『日本系譜綜覧』(講談社学術文庫) 編者は日置昌一さんでありまして、平成2年(1990)11月10日の発行ですが、手持ちのものを見ると平成14年(2002)3月20日第14刷とありまして、売れているんでありますね。厚さが4㎝ありますので、独り立ちする立派な文庫本であります。これの39ページに清原氏が載ってまして、天武天皇の子舎人親王から四代目が清原を名乗りまして、清原氏になった四代目が深養父、顕忠、元輔、その娘が清少納言となっております。ものによっては、顕忠のところが春光とあるわけです。尊卑分脈の清原氏系図だと、深養...

もぢり百人一首(35) アップデート版

35 花はいさ 心も知らず 咲くばかり 人は昔の 香ににほひける  (通釈)花なんてものは、さあどうなんでしょう、気心の知れないものでございます。だから、訪問者のために咲いているのではなく、かってに季節が来れば咲くだけでございましょう。ほれ、こうして私のようなものは昔馴染んだお香を袖に焚き締めてそなたに逢いに来たのでおじゃる。近う寄れ。 (語釈)〇花……ここは本歌と同じ梅の花。〇いさ……感動詞に分類されるが、相手の発言や態度に対して否定的にはぐらかす言葉。さあ、どうだか。〇香……貴人はお香を焚き占める。『源氏物語』宇治十帖の登場人物である薫は、どこにいても分かる程かぐわしい体臭のする人として描かれている。これに嫉妬した匂宮は、世間のお香を集めて衣服に焚きしめて対抗しようとした。 (本歌)人はいさ 心も知らず 古里は 花ぞ昔の 香ににほひける    (『古今集』巻第一・春上 42番 紀貫之)    初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程経て後に至れりければ、かの家の主、「かくさだかになむ宿はある」と言ひ出だして侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りてよめる。 これは、成立事情も明らかでありまして、前の歌が松を擬人化しそうでしないのに対して、この紀貫之の歌では、当てこすりのために咲いている花を擬人化するんでありますね。このあたりが、『古今集』という作品の時代精神を表しているわけで、実は意外とクールな一面があるような気がいたします。その上で、和歌のもらい手に対する駆け引きがあるような気がするんですね。あくまでも、人に読んでもらえて歌として成立するわけで、作者一人の感慨ではないのだと思うのです。紀貫之の歌が、具体的な場面で詠まれた歌であるように、さきほどの藤原興風の歌も、独詠ではなくて贈答歌のような場面を考えるべきでしょうね。『古今集』を見たら、藤原興風の前に「高砂の松」の歌があるのであります。  人はいさ 心も知らず 古里は 花ぞ昔の 香ににほひける  その心 我いさ知らず 貫之の 鼻ぞ昔の 香をかぎてける(粗忽) 上の句の五七のところは、要するに「人はいざ知らず」と言うことでありまして、上にあげた『古今集』春歌下・42番の詞書きによって詳しい状況が明らかでありまして、初瀬の長谷寺参詣の常宿の主人から無沙汰を咎められたのに対して、皮肉を返した歌なの...

もぢり百人一首(34) アップデート版

 34 高砂の 松も老いては 友とせむ 誰も知らない 海のイルカは (通釈)誰も知らない南の海のイルカは、誰か知らない寂しい少女のために花束を持った少年を背に乗せて出現するというのでありますが、それを信じて待ちぼうけを食った彼女はさすがに老婆になりました。それでも巡り合えたなら、喜んでイルカが友人となるでしょう。めでたしめでたし。 (語釈)〇高砂……地名としては播磨の国の歌枕。瀬戸内海に注ぐ加古川の河口ふきんの砂の丘陵地帯。転じて「高砂の」は「松」「尾上」を導く枕詞として和歌に使われた。〇松……ここは「待つ」を掛け、理想の恋人を待ち焦がれて婚期を逃した女性を暗示する。〇イルカ……哺乳類偶蹄目に属するクジラ類の内、小型のものを言う。イルカとクジラの分類は明確ではないが、英語においてもDolphinとWhaleのように区別する。日本人は蝶と蛾を区別するし、英語でもButterflyとMothのように表現に違いがあるが、明確な区分がないのと似ているだろう。なお、「イルカに乗った少年」は城みちるが歌ったアイドル歌謡で、「誰も知らない南の海からイルカに乗った少年がやって来た」という歌詞で始まる。寂しい孤独な少女の心を鷲掴みにするような秀逸な歌詞は、杉さとみによるもの。 (本歌)誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに     (『古今集』巻第十七・雑上 99番 藤原興風「題しらず」) もう、次から次と『百人一首』に突っ込みどころを見付けて興奮してしまって、鼻血が出そうでありますが、そうなる前に止めましょう。冗談もほどほどがいいのでありまして、真に受ける人が出ると困りますよね。しかし、初心者でない方は、案外的を突いていることがあるんで、びっくりなさるんじゃありませんか。準備しないでこれですから、真剣にやったら、何が出て来るんでしょうね。わかりませんよね。さて、ここで取り上げる歌は、孤独を嘆いた歌でありますが、心配には及びません。この世に産声を上げて生まれた時も、知っている人なんていなかったわけですから、本人が気付かなかっただけで、死ぬまでずっと孤独だったかも知れませんね。 角川ソフィア文庫に入っている『新版百人一首』(島津忠夫さん)をみると、異説はあるが鑑賞には問題にならないというようなまとめがしてありまして、そうかそうかと納得しようとして、まったく納得で...

もぢり百人一首(33) アップデート版

 33 散る花に のどかに差すや 日の光 久方ぶりに 心静かに (通釈)暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。冬も遠く去ってこの陽光をごらんなさい、なんとまあ暖かく明るいことよ。その陽光が久しぶりにおっとりと、散りゆく桜の花にのんびりと差していて、生きていた甲斐があるというものだ。 (語釈)〇差すや……「や」は詠嘆の終助詞。二句切れ倒置法となる。〇久方ぶり……ひさしぶり、の意。 (本歌)久方の 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ     (『古今集』巻第二・春下 84番 紀友則「さくらの花のちるをよめる) だいたい三分の一まで来てしまいまして、何だかこのまま最後まで行き着きそうでありますが、もう一度立ち位置と言いますか、コンセプトを確認する必要がありますね。もちろん、途中で狙いが変わるのも構わないんでありますが、誤解が生じてもいけませんので、了解事項は必要でありましょう。事の発端というのは、2011年東日本大震災に見舞われた後の桜の季節のことでありまして、ブログのタイトルにちょうどいい俳句を探していたわけです。松尾芭蕉の俳句がありましたので、それを使ったのですが、それが見るからに『百人一首』の歌をベースにしたものであります。これは面白いと言うことで、まねをして『百人一首』の和歌を俳句にしてみようと思いましたら、一句二句これが案外やすやすとできるものなのです。それから図に乗りまして、次から次『百人一首』の歌を引っ張り出し、分からない和歌特有の言葉を切り捨てましたり、馴染みのない歌語を言い換えましたり、下らない駄洒落にしたりしたのです。こうすることが、遠い昔の名歌を自分だけがもらい受けたプレゼントのように錯覚させまして、面白くなりました。さらに調子に乗って、あれこれふざけてもとの歌を揺さぶってみると、実り豊かと言いますか、いろんな果実がどどんと落ちてくるようでありました。そして、ぐいぐいと足りない頭に滲みこむようにもとの名歌への理解が進むような気がしたのでありました。 もちろん錯覚なんですが、ともかく親近感が増しました。 世間でよくあるように、お勉強として『百人一首』を眺めましたら、注釈書の類というのはケチの付けようがないわけです。知らないことが見事に解説されていまして、優雅な古典というものは難解なのだと思うものであります。ところが、俳句にしようとひ...

もぢり百人一首(32) アップデート版

32 しがらみは 流れぬ紅葉 春までに そりやああへなく 消えてけるかな (通釈)この清らかな流れが、誰かが設けたしがらみのために堰き止められているよと思ってよく見たら、散りに散って水面を覆い尽くした紅葉が溜まってできた何ともきれいな天然のしがらみだったよ。だとすれば、わざわざ手を掛けて撤去しなくても、春までにはあっけなく消えてしまうことだなあ。 (語釈)〇しがらみ……人間関係の中で生じたやっかいな関係で、人の気持ちや行動を制限するもの。本来は、木や竹などを組み合わせて、水の流れを抑制し、時には不要なものを留める造作。〇そりやあ……「そりゃあ」と読むが「それは」の転じた表現で、ここは「それでは・それだと」の意。〇あへなく……こらえきれず、あっけなくの意。〇てける……完了の助動詞「つ」の連用形に、過去の助動詞「けり」の連体形が付いたものだが、ここでの意味は「完了+過去」ではない。「て」は「これから起きるぞ、起きるぞ」と強調する強意・確述の用法で、「ける」は発見・気付きを表す詠嘆の用法。古典文法はむずかしい。 (本歌)山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり     (『古今集』巻第五・秋下 303番 春道列樹「志賀の山ごえにてよめる) 「しがらみ」という言葉のニュアンスが、今現在使われるものと違うところが、面白く感じる歌であります。本来はそういうものでしょうが、我々は憂き世のしがらみにがんじがらめでありまして、好きなことを言ったり、好きなことだけをしていたり出来ないのであります。好きだったものがノルマになたったら重たいわけで、遊びが遊びでない、息抜きが息抜きでないこともあるわけです。このブログは、どうなんでありましょう。好きなことを好きなようにしていたら、暴れ馬でありまして、近代短歌における正岡子規さんは、古典の和歌を蹴散らす暴れ馬であったのでしょうか。 「しがらみ」というのは、漢字で書くと「柵」でありまして、柵(さく)のことなんでありますが、水量調節のために杭を打ち込みこれに竹や柴を絡めたものであると言う説明が『日本国語大辞典』に出ておりました。さて、実際に見たことがあるかというと、とんと記憶にありませんから、グーグルで映像検索するんですが、はかばかしくないのであります。斜面などの土留めのために用意されたものが出て来るだけで、川の映像がないのであ...

もぢり百人一首(31) アップデート版

 31 朝ぼらけ 月みる指に 触るる雪 疑ふらくは またや来るかと (通釈)季節も冬に向かって夜明けの遅いこと。ようやく明けた頃に空を見ると有明の月がほらあんなところにまだあるのよ、と指さした指先にはらはらと落ちかかる雪の一片が触れて解けた。この殿方が冬の寒さと積もる雪のうっとうしさを乗り越えて再び来て下さるのか、いえいえもう二度と来ないかもしれないと、ふと疑念がわいたことよ。 (語釈)〇朝ぼらけ……夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態。また、その頃。多く秋や冬に使う。春は多くアケボノという。(『岩波古語辞典』補訂版)〇触るる……「触る」は下二段活用の動詞で、その連体形。〇疑うらくは……~と疑うことだよ。 (本歌) 朝ぼらけ 有明の 月と見るまでに 吉野の里に 降れる白雪         (『古今集』巻第六・冬 332番 坂上是則      「大和の国にまかれりける時に雪の降りけるを見てよめる」) 分からないのは「朝ぼらけ」という言葉でありますね。私はおっちょこちょいですから、うっかり「あけぼの」と「朝ぼらけ」の違いなどと言うものを学習してきていないのであります。何かありそうだな、と思ったことはあるのですが、似たような言葉があると、どう違うのか、こう違うのだというようなことは、かまびすしく言いつのりまして、知ったかぶりをする人に答えてもらったりする番組がよくありました。違う違うと言いますのは、同じもの似たものを言うわけでありまして、違うものについては似ている似ている、同じだ同じだと唱えるものなのです。日本語の場合は、万葉集・古事記・日本書紀以前の姿が分かりませんから、何かを究明するのは無理がありまして、だから大野晋博士はインドの言葉に語源を求めて晩年を過ごしたんではなかったでしょうか。大野晋博士の『岩波古語辞典』を見ると、「朝ぼらけ」は秋や冬、「あけぼの」を春に使う言葉ではないかとしてありまして、機知ある解説になっているんですね。定説になっているのかどうか、よくわかりません。 夜明けというのは、今と違って別れの時間帯。 夜明け前の暁に、男は女のもとから帰って行くという当時の習慣を踏まえると、解けそうであります。よくできた大人の女性なら、恋人や夫を起こしまして、仕度をととのえて送り出すんであります。春などはどんどん夜明けが早くなりますから、あらもう明け...

もぢり百人一首(30) アップデート版

 30 有明で 振ると乗り物 無い別れ いいわよヘリに 乗つて帰るの (通釈)東京ビッグサイトで開かれているコミックマーケットに来たけれど、一緒に来た彼と仲が悪くなって帰りは別々になってしまったわ。車に乗せられて来たので、私何で帰れば分からない。有明で男を振ると乗り物がない別れになるとは思わなかったの。いいわよヘリに乗って帰るから。パパに電話しなくっちゃ。 (語釈)〇有明……東京都江東区の町名。1931年から埋め立てられ、工業用地だったが、現在有明一丁目に9000人が住んでいる。東京臨海広域防災公園地内にヘリポートがある。なお、普通に利用ができるのは江東区新木場にある東京都東京ヘリポートである。ちなみに、現在の有明にはゆりかもめの駅が「有明」「有明テニスの森」「東京ビッグサイト」と三つあり、りんかい線の「国際展示場駅」もあるので、困ることは少ない。〇ヘリ……ヘリコプターのこと。翼を回転させることで揚力を得て空中を飛行する飛行機の一種。ウィキペディアの説明は専門的過ぎて理解不能。 有明のさき、新木場にある東京都東京ヘリポートから、ヘリコプターに乗ったことがあります。東京駅で、はとバスに予約をしまして、その日のうちに乗ることが出来たんですね。もう30年も前のことでありますが、鮮明に記憶しております。子育ての初めの頃でしたから、何でも経験させてやりたいと、発憤したんであります。ヘリコプターはうかつに近付いてはいけないのでありますね。乗車の順番が来て、わーいと近付いたら係員にものすごく叱られました。あれほど注意したのに、とお冠であります。実は、ヘリコプターの羽根は案外低い位置にありまして、普通に大人が近寄ると羽で人体が切れるらしいのであります。腰をかがめて真横からドアに近寄ること、というのが事前の注意でした。乗って見て分かったんですが、上空を飛ぶヘリコプターは、すごいスピードが出るものなのであります。乗ったことがなければ、のんびり空に浮かんでいると思うわけです。その時は、東海道新幹線と並走してくれました。知らない事は山ほど世の中にはあるわけで、ちょっとの体験が、ものすごい知識となって蓄積されるものなのであります。 (本歌) 有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし     (『古今集』巻第十三・恋三 625番 壬生忠岑「題しらず」) 有名な歌であり...

もぢり百人一首(29) アップデート版

 29 心当てに 折らばや白き 菊の花 隠岐の帝に たてまつるため (通釈)隠岐には今日のような白菊があるかしら。気の毒にも隠岐に流された後鳥羽院に差し上げるため、どうせ折るなら白い菊の花をどれでもいいからなるべくいいのを折りたいと思います。 (語釈)〇心当て……当て推量のことだと解する言葉で、現代でも使うくらい、息の長い日本語である。だが、ここでは「どれでもいいからなるべくいいのを」という意味で使った。つまり「心任せ」「好きなように」の意である。〇折らばや……「折りたい」の意。ここで切れて、倒置法となる。「白き菊の花」を「心当てに折らばや」となり、さらに下二句が倒置となる。〇菊の花……菊は中国渡来の植物である。その育成方法は秘伝とされたほどで、菊の花はどこにでもあるものではなかった。晩秋に枯れた後も平安時代には見るべき花がなかったので、枯れた白菊を紫色であると言って賞美した。菊は立ち枯れをしてドライフラワーのようになる。〇隠岐の帝……隠岐は流刑の地であり、小野篁が平安時代に流され、鎌倉時代には後鳥羽院が承久の乱後に流された。のちには後醍醐天皇も同じ憂き目にあっている。 (本歌) 心あてに 折らばや折らむ はつ霜の 置きまどはせる    しらぎくの花      (『古今集』巻第五・秋下・277番 凡河内躬恒「白菊をよめる」) そうそう、この歌を大学時代の初めての専門科目で割り当てられまして、調べても意味が分からず困り切ったのであります。ピンと来ないわけです。和歌を研究しようなどと言うことは考えたこともありませんでしたから、本当に途方に暮れた記憶があります。別にその授業をきっかけに和歌に打ち込んだなどと言う美談があるわけではありません。今でも苦い思い出があるだけで、さてその授業の結論がどの辺にたどり着いたのか、とんと記憶にないのであります。担当の教授というのは、ある意味有名な方でありまして、結婚にまつわる戦時中の話というのがあるんですが、それはそれで大昔に話題になったことがあるものらしいのですが、ここで取り上げるほどには詳しく知らないのであります。でも、ラブラブの不倫話であります。 問題は、二句目の解釈。それから、「置きまどはせる」の部分の解釈でありましょう。 何となく波乱の予感がいたしますね。つまり、『百人一首』の側からも『古今集』の側か...

もぢり百人一首(28) アップデート版

28 山里は 夏ぞわびしき 茂る草 人目気にして 抜きに抜くかな (通釈)ありがたいことにこの山里の管理を任されている私ですが、春夏秋冬、一年中で一番つらく切ない季節というのは、もちろん夏なのですよ。もちろん、高貴な身分の末裔として私にもいくばくかの矜持がございますけれども、次から次と生えては伸びる草の勢いには勝てず、山里は見る見るジャングルでございますが、まるで廃屋のようではまれに偉い人が訪ねて来て困るのであります。やむなく朝となく昼となく、涼しくなった夜となく、草を抜きまくっております。人を雇う余裕はございませんので。 (語釈)〇山里……現代であれば鄙びた田舎の一軒家からの景色を思い浮かべるが、これはしばしば身分ある人の別荘をしゃれて言う言葉。もちろん身分ある人が使う分には別荘だが、しばしば身分ある人の末裔などが渋々住むということがあったはずである。〇わびしき……形容詞の「わびし」は、当たり前のことながら「さびし」とはニュアンスが異なる。たとえば、「さびし」は必要な物が欠けていて孤独や不自由を感じることだが、欠けたものを何らかの手段で補えるかもしれない状態でもある。しかし、「わびし」の場合は欠けたものを補える可能性がなく、絶望感や虚無感にさいなまされる状態である。 (本歌)山ざとは ふゆぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬとおもへば     (『古今集』巻第六・冬・315番・源宗于朝臣「冬の歌とてよめる」) 非常に有名な歌であります。掛詞の例として度々使われますから、記憶している方もいるだろうと思うのであります。毎日一首ずつ取り上げるんですが、何の準備もしませんので、いろいろと驚いたり、発見したり、考え直したりしているわけです。注釈書も、きちんと比較対照するわけではありませんから、いい加減でありますが、大人の智恵、そこそこの常識を働かせて、眺めているわけです。それでも、毎回何らかの突っ込みどころがあるという点で、ひょっとして世間が思っているよりも、実は研究が脆弱ではないのか、いい加減な解説が流布してはいないかと危惧したりするんですね。 世間には、宮内庁書陵部蔵、堯孝筆『百人一首』という本がありまして、影印本が笠間書院から出ております。非常に達筆ではありますが、冒頭の「秋の田の」から始まるあたりは丁寧に書かれておりますが、この「山ざとは」のあたりに参りますと...

もじり百人一首(27) アップデート版

 27 いつか見し すうらんみきが 恋しかろ その後もアイドル 湧きて流るる (通釈)かつて見た「普通の女の子に戻りたい」という名言を残して解散したキャンディーズのサヨナラ公演の雄姿がさぞや(団塊谷間のモラトリアム世代には)恋しいことだろう。その後も次から次とアイドルが生まれては消え生まれては消えしたことよ。 (語釈)〇すうらんみき……1970年代に人気のあった「キャンディーズ」というアイドルグループの構成メンバー。「すう」は田中好子、「らん」は伊藤蘭、「みき」は藤村美樹。引退宣言をしたところ、人気が爆発したという印象がある。〇アイドル……芸能界の人気者を指す言葉。それまで「スター」と称されてファンからは近寄りがたかった若い芸能人だったが、1970年代から親しみを込めて「アイドル」と呼ばれるようになった。「キャンディーズ」は、女性アイドルグループの先駆け。 (本歌)みかの原 分きて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ     (『新古今集』巻第11・恋一・996番 中納言兼輔「題知らず」) 「みかの原」というのは、忘れ去られた古都で、奈良の手前にある小さな盆地に位置していたという。前にも取り上げたが、どこにあるのと言うような忘れられた場所である。「分きて」のところは「湧きて」が掛けてあり、「泉」と縁語になっている。それから「いつ見」のところに、「泉」が隠れていて、同音反復であり、上三句つまり五七五の部分が、序詞になっている、なかなか修辞技巧のきいた歌と言えよう。最後の所は修辞疑問であり、「見たわけではないが恋しい」ということを言っている。これでも問題は山積していて、この歌は『新古今集』になって勅撰集に姿を現すが、兼輔の歌ではないことが指摘されている。そこには、恋の一に入れてあるので、「未だ逢わざる恋」をモチーフとした歌だと撰者は理解していたと思われるが、主題をめぐってもめるため、解釈も揺れる可能性が高い。  誰も指摘しないんですが、よくあることですけれども、「流るる」のところには「泣かるる」が掛かっていると言っても差し支えないかも知れません。修辞があると言ったり、ないと言ったり、気まぐれでありますが、そんなものでありましょう。本当のことは、歌を作った本人にだってわかりゃしないので有ります。「泣かるる」というのは、自然と泣けてくるというようなことですね。...

もぢり百人一首(26) アップデート版

  26 小倉山 またのお越しを 待つ紅葉 散るなと言つて 聞かせやせう (通釈)上皇様からご用命を受けたからには、臣下の中の臣下である私めが一肌脱ぐのは当然でございます。小倉山の紅葉を賞美召された上皇さまが、その風情を帝にもお目に掛けたいと、ありがたい仰せであるよ。上皇様に加えて帝のお越しを待つ間、散るなどというのはもってのほか。忠平、もろ肌脱いで背中の紅葉時雨を披露して、ええい散るな散るなと、小倉山の紅葉どもによくよく言って聞かせることにいたしましょう。 (語釈) 〇小倉山……京都市左京区嵯峨亀山町にある標高296mの山。藤原定家の別荘があり、それにちなんで『百人一首』を『小倉百人一首』と呼ぶ。〇お越し……貴人の来訪を言う言葉。古語では「みゆき」である。帝の場合は「行幸」、上皇の場合は「御幸」と表記するのが通例。〇~と言つて聞かせやせう……歌舞伎「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ)、通称「白波五人男」の第三幕、浜松屋店先の場で、弁天小僧が居直って正体を明かす長台詞の冒頭が、「知らざあ言って聞かせやしょう」。江戸の盗人の台詞を、ここでは平安時代の太政大臣に言わせてみた。 (本歌)をぐら山 峰の紅葉ば こころあらば 今ひとたびの みゆきまたなん      (『拾遺集』巻第十七・雑秋・1128番・小一条太政大臣貞信公                   「亭子の院の、大井川に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりと仰せ給ふに、                   ことのよし奏せむと申して」 さすがに、もう問題がなさそうであります。宇多上皇が紅葉の名所である大井川にお出ましになって、息子の醍醐天皇に見せたいというものですから、藤原忠平(貞信公)が醍醐天皇に奏上したという歌でありまして、紛れるところはありません。「みゆき」というのは、上皇の「御幸」やら天皇の「行幸」を指す言葉でありまして、要するに天皇のお出ましを待って散らずにいて欲しいと言うこと何でありますね。この、最後の「なん(なむ)」というのは、願望の終助詞などと言うものでありまして、成就しがたい無理な願いを希望するものであ...

もぢり百人一首(25) アップデート版

 25 名にし負はば 人に知らせで 食ふもなか 餡(あん)によく合ふ 実(さね)のくるみが (通釈)人から最中をもらったよ。こいつは、よく練られたあんこの中に、ほんとに見事にマッチしたクルミの実の食感が味わえる逸品であるけれども、その名を聞けば誰もが食いたがる程に有名なら、誰にも知らせないで始末することにしよう。ということでもぐもぐ、ああ確かにうまいうまい、きっと有名なんだろうやっぱり。 (語釈)○もなか……米の粉を練って薄く延ばした生地を焼いて皮を作り、中に餡を詰めたお菓子。クルミの実をほぼそのまま入れて最中の具とする場合もあるが、練り案などの中に砕いたクルミを混ぜ込む場合もある。ここは、後者を想定している。なお、この「もなか」は、本歌の助詞「もがな」をもじったもので、「食ふ」は「くる」をもじっている。本歌の「逢坂山」の「逢ふ」を「合ふ」、「さねかづら」の「さね」をクルミの実の「さね」として、歌の中に織り込んだ。 (本歌)名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな     (『後撰集』巻第11・恋3・7005番 三条右大臣「女につかはしける」) 本歌の末尾に使われている「もがな」は、和歌では定番の助詞であるが、現代には残っていない。歌語として多用されて、やがてまったく新鮮味を失ってすたれたのかもしれない。それを「最中」ともじって歌にしてみたが、本当に面白いかと言うと、さほどのことはないだろう。「もがな」は名詞の後に使われた時は、「~があるといいなあ」というニュアンスであるようだが、言葉の成り立ちはあれこれ推定されているに過ぎない。「も」に「か」が付いたところから、「もが」が成立し、それに「な」が加わったとされるが、「も」に「がな」が付いて成立したと考えられる節もある。本歌は、「くる」が「繰る」と「来る」の掛詞なのかどうか、掛詞がないかもしれないという点で古来注釈が対立していて、よく分からないところがある。掛詞とする場合は、「逢坂山」という地名に「逢ふ」、「さねかづら」に「さ寝」を掛けるとして、修辞が満載の歌と言うことになる。ただ、掛詞を想定する解釈の弱点は、「行く」ではなくて「来る」と言っている点で、三条右大臣・藤原定方が女に贈った歌としては、解釈しにくいところがあるというものである。 修辞技法などというものは、考えていると分からなく...

もぢり百人一首(24) アップデート版

 24 この度は とりあへず芽吹く 手向山 庭の錦も 神のまにまに (通釈)秋の紅葉の時期はいざ知らず、春を迎えた今回は、何の予兆もなく芽吹いて見せる(カエデの一種の)タムケヤマ、この春の庭の素敵な錦も、秋と同様に神意に叶うように幣として手向けさせていただきます。 (語釈)○とりあへず……何はさておき。「取るものも取りあへず」の略。「とりあえずビールね」というのは、集団でお店に入った時の常套句で、思い思いのお酒の注文は後ですることにして、乾杯のためのビールを何はさておき頼んで見る時の言葉。よくあるジョークでは、ビールのネーミングを「とりあえずビール」とすると売れるビールの銘柄になるんじゃないかという、ビール会社の販売合戦を前提とした物言いがある。ビールを冷やすようになったのは冷蔵庫が普及してからだが、お店によっては冷やし過ぎて、味も香りもまったくしない状態で飲むはめになる。エアコンが普及して店内が冷えているなら、ビールは氷点下まで冷やさない方がいいはずである。千原兄弟の兄が、自動販売機などで常温の水を販売してほしいと主張したことがあるが、まさにその通り。○手向山……紅葉のタムケヤマ。カエデ科カエデ属の落葉樹。ヤマモミジの園芸品種で別名は紅枝垂れまたは羽衣。葉は羽根状に深く裂け、木綿でできた幣などに似る。春の新芽は紅色をしており、開き切ると紫色に変じる。夏に緑色に近付くが、落葉する頃にはオレンジ色となる。植物名の手向山に、動詞の「手向け」を掛ける。○神のまにまに……神意のままに。下に「手向け」を補うとわかりやすい。 (本歌)このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに     (『古今集』巻第9・羇旅歌・420番 菅家       「朱雀院の、奈良におはしましたりける時に、手向山にて、よみける) 近代の注釈は、この菅原道真の歌を二句切れとする。その結果、なぜ「幣を用意できなかったのか」という点にこだわったりする。さらに、「神のまにまに」のあとに「お受けください」を補うとするのが一般的である。果たしてそうなのか。不思議に思うのは、「手向山」に「手向け」という動詞が掛けてあるという、最も基本的なことが抜け落ちているのではないか。古注釈は掛詞として処理してあるように見受けられる。そして、この歌は三句切れと見るほうが自然で、「幣もとりあえず手向け」と理解...

もぢり百人一首(23)  アップデート版

 23 月みれば 千里ひとりが 悲しがる 燕子楼なる めんめんの夜                     (通釈)月を眺めると、万人がしんみりと思いに浸るものなのに、大江千里は自分ばかりが悲しいとばかりに歌を詠む。それもこれも、徐州の燕子楼(えんしろう)で眄眄(めんめん)という女性が、亡くなった張尚書を偲んでいる、秋の綿綿と長い夜を思い浮かべて大江千里がしたことに過ぎないが。 (語釈)○千里ひとりが……大江千里が一人だけ、または、大江千里一人だけが、の意。大江千里は、大江音人の子。阿保親王の孫にあたる。在原行平・業平の甥にあたる。歌人だが漢詩にも優れていた。○燕子楼……中華人民共和国江蘇省の徐州市にある名勝。徐州は北京と上海のほぼ中間に位置し、揚子江の北に位置する。漢の高祖劉邦の出身地でもある。徐州市は人口が市街地で170万人、全体で900万人を超える大都市である。○めんめん……眄眄のこと。徐州燕子楼で暮らしていた、張尚書の愛妓。白楽天の『白氏文集』巻15に「燕子楼三首并序」があり、友人からこの女性の話を聞いた白楽天が漢詩を作っている。「眄」は「右顧左眄」という熟語に使われているから、漢音では「べん」であるが、五音では「めん」。人名に、「綿綿」を掛ける。「綿綿」は、途切れることなく長く続く様子を言うことば。○なる……断定の助動詞の連体形だが、「~にある」という存在を表している。 (本歌)月見れば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど        (『古今集』巻第4・秋歌上・193番 大江千里               「是貞親王家の歌合によめる」) (本説)『白氏文集』巻15「燕子楼三首并序・其一」 満窓明月満簾霜  窓に満ちる明月 簾(すだれ)に満ちる霜 被冷燈残払臥床  被(ふとん)は冷たく 灯(ともしび)残して臥床を払う 燕子楼中霜月夜  燕子楼中 霜ふる月の夜 秋来只為一人長  秋来たりて 只だ一人の為に長し 大江千里は、白楽天の『白氏文集』をもとに、秋の夜長の孤独を歌にしたのである。この場合詠作主体は眄眄(めんめん・べんべん)という、妖艶で美しい愛人である。そして、彼女を心から愛した旦那はすでに故人となっている。歌合に提出した歌だから、別に大江千里の生活体験を提出するわけではなく、当時世間で大評判だった『白...

もぢり百人一首(22) アップデート版

 22 教へたらば あらしと読まむ 山風を 嘘吹くからに 我もしをるる (通釈)山風を、「嵐」と書いて「あらし」と読みますよと、そう強引に教えたなら、そりゃあ誰だって、「嵐」を「あらし」と読むでしょう。よって、ひねくれ者の私も右習えして「嵐」を「あらし」と読みましょう。しかしながら、「嵐」という中国の漢字は、山の清らかな風や靄(もや)のことでありまして、それを「あらし」と結びつけるのは嘘も嘘、全くの嘘っぱちであります。そうやってほらを吹く故に、私なんかはもはやぐったり気力も失せるというものなのです。 (語釈)○あらし……強く吹き荒れる山風。あるいは雨や雪を伴う暴風雨のこと。転じて家庭や社会、世界が戦争などで混乱状態になること。○やまかぜ……山から吹き下ろす風のこと。「おろし」または「やまおろし」という。「赤城おろし」「伊吹おろし」「比良おろし」など、各地で山と結びついた言葉がある。おろしの漢字は「颪」であるが、これは国字で、中国で使われた文字ではない。 (本歌)吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしと言ふらむ     (『古今集』巻第5・秋歌下・249番 文屋康秀             「是貞親王家の歌合の歌」) 文屋康秀の本歌は、非常に分かりやすい歌のようであるが、実は解釈に大きな問題がある。この歌は「嵐」という漢字を、「山風」と分解する言語遊戯がメインなのか、それともそうではないのか、古注釈では対立しているのである。山風が吹いて草木が枯れるので、それを「あらし」という時の「あらし」は、おそらく「荒らす」の連用形から派生した名詞の「荒らし」であろう。別にここに、漢字を分解する、中国の「離合詩」のような発想を認める必要はない、というのが昔から主張されてきたものである。これに対して、『古今集』337番の紀友則の歌などと類似の、漢字を分解した遊びであるとする説が根強い。   雪降れば木毎に花ぞ咲きにけるいづれを梅とわきて折らまし この場合は「梅」を「木」と「毎」に分けて遊んでいるが、その場合、歌の解釈には漢字の遊びの部分は関わってこない点に注意がいるだろう。なお、漢和辞典を引けばわかることだが、中国語の「嵐」という漢字には、「強く吹き荒れる山風」などという意味はなく、「山の清らかな風」とか「もや」という意味しかない。また、山風を言う言葉は「あら...

もぢり百人一首(21) アップデート版

21 今行くと 有明までも 待たせけり こは長月の 秋の夜長に (通釈)あの人ったら、すぐに行くよってLINEしてきたけれど、夜明けまで私のことを待たせるなんて、ひどいわ。それもよりによって、九月になって夕暮れが早くなり、夜明けも遅いこの秋の夜長の季節に。ああ、待ちくたびれた。 (語釈)○有明……ここは夜明けのこと。有明の月は、旧暦二十日前後の月で、十五夜に比べると月の出は遅く、二十日であれば深夜十二時くらいとなる。その結果、夜が明けてからでも月が空に架かることになり、それを有明ともいう。別に朝になって昇るわけではないことに注意がいるだろう。○長月……旧暦(太陰太陽暦)の9月のこと。平均すれば現在の10月上旬から11月上旬くらいに相当するが、年によって一か月くらい前後する場合があるので、太陽暦の9月と重なることもあれば、冬の場合もある。旧暦では9月は晩秋に相当し、9月9日は重陽の節句であり、また9月13夜は名月である。ともかく、夕暮れは早く、夜明けも遅い時節である。○秋の夜長……夜永とも記すが、夜が長いこと。 (本歌)今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな    (『古今集』巻第14・恋歌4・691番 素性法師「題知らず」) 素性法師作の本歌には、一夜だけ相手を待っていたのか、延々と待っていたのかと言う解釈の対立がある。さらに、この歌の中における、現在時刻についても、近年の注釈では混迷している。ぱっと見には簡単な歌のようであるが、解釈する人によって思いがけない様々な情景が描かれてしまう歌と言えそうである。 「待ち出づ(まちいづ)」と言う動詞は、現代語なら「待ち出る(まちでる)」という動詞となるはずであるが、『日本国語大辞典』(第二版)はその形での項目の掲示を見送ったようで、「まちいず」「まちず」として掲載している。「まちいず」については、「待ち受けていて会う・出て来るのを待つ」と言い換えているが、「いず(出ず)」に重点を置くのはかなり疑問がある。「月を待つ」という言い方は成立するが、「月をいず(出づ)」という表現は非常に問題があるだろう。おそらくそういう日本語は成立しないはずである。本歌の「出で」は月の縁語として使われていると考え、実はここは「~し始める」という補助動詞の用法と解くのがいい。「待ち出づ」で「待ち始める」とするのが自然であろう。...

もぢり百人一首(20) アップデート版

20 わびぬれば 逢はむてはずに 身を尽くし 今はた同じ 難破する船 (通釈)いい気になってナンパしたものの、逢うのは困難を極めて、切ないことこの上ない。よって、再会するための手筈を整えるのに身を削ることよ。ええい、こうなったらもうどうでもいいや、乗り掛かった舟だ。転覆しようと座礁しようと、行くところまで行くしかないのだ。 (語釈)○わび……上二段活用「わぶ」の連用形。この動詞は、形容詞の「わびし」と語源を同じくするはずで、困り切ること、切なく思うことを意味する。○てはず……事を遂行するために考えておく手順、準備のこと。○はた……類似のことを意識して、それが繰り返されたことを強調する副詞。「はたして」から派生してできたともいわれ、「はたまた」という表現からわかるように、副詞「また」と意味が重なるところが大きい。  ○難破……舟が座礁する意味の「難破」に、異性にちょっかいを出す意味の「軟派」を掛ける。「難破」は本来仏教用語で相手を論破する言葉であるが、江戸時代の末期に船の座礁の意味で使用されるようになった。「軟派」は、明治時代の政治用語で「硬派」の対であるが、それを若者の風俗を表現するのに転じたもの。詳しい考証が『日本国語大辞典』に載っている。 (本歌)わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ     (『後撰集』巻第13・恋五・960番 元良の親王      「事出で来てのちに京極御息所につかはしける」) 本歌の元良親王は、陽成院の第一皇子。陽成天皇が退位したのちの出生であるから、皇位継承が可能であったかどうかは不明だが、皇位に就くことはかなり難しかったはずである。京極御息所は宇多天皇の寵愛の后であるが、宇多天皇の父光孝天皇は陽成天皇の退位を受けて即位した天皇である。その時点で宇多天皇は源氏に降下していた人物であり、あわてて皇族に戻っている。京極御息所は、藤原時平の娘の褒子であるが、宇多天皇が退位し法皇となった後に寵愛を受け、生まれた3人の男子は醍醐天皇の子供として公表されていた。ともかく、皇位継承をめぐって因縁のある宇多天皇と元良親王の両方と関係があったということになる。本歌は、「澪標」と「身を尽くし」の掛詞になっているが、「難波なる」の部分に掛詞を指摘する注釈書はおそらくないようだ。「名にはなる」すなわち「汚名を受けることになる」という意...

もぢり百人一首(19) アップデート版

 19 難波潟 葦の丈ほど 逢ひたくて 今度の予定が 合はで悲しき (通釈)難波潟に一面に広がる葦の、伸びに伸びて長くなるだけなったその背丈のすごいことよ。その葦の丈ほど、きりも限りもなくあなたに逢いたく思っているので、次に会う日取りがうまく取れないことで辛く切ない思いを味わう私。 (語釈)○難波潟……淀川の河口付近のこと。現在の大阪市の海岸部分に当たる。「潟」というのは遠浅の海岸で、潮の満ち干によって浜辺が消えたり現れたりするところである。また、そうした地形の浜辺を指す。○葦……イネ科の植物。河川の下流域に繁殖し、丈は2メートルから6メートルに達することがある。屋根をふく茅として利用するほか、簾や葦簀を作る材料でもあり、古代の家屋や調度には不可欠なものであった。難波潟も葦が繁殖し、それを収穫する「葦苅」は重労働であった。漢字としては「葦」のほかに、「芦」「蘆」などと表記する。 (本歌)難波潟 短き葦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや    (『新古今集』巻十一・恋歌一・1049番 伊勢「題知らず」) 本歌となった伊勢の歌は、修辞技法についていくつかの対立点がある。「難波潟短き葦の」を序詞として、「ふしの間も」を掛詞と解く場合があるが、「節の間も」にはそれ以外に掛けている言葉が見当たらない。辞書の中には「節の間」で「少しの間」とするものがあるが、信用できない。むしろ、節と節が「合はで」と、あなたと私が「逢はで」を掛けたとみなし、上三句の「難波潟短き葦の節の間も」を「あはで」を導く序詞とする方がましかもしれない。「この世」は「節(よ)」の掛詞である。女流歌人伊勢の歌ではあるが、むしろ噂に聞いた女性に対して交際を迫る男の歌とみなしたほうが、『新古今集』の恋歌一での配置に納得がゆく。すなわち、初句で「難波潟」と広大な難波の葦原を想像させ、そこに背丈の高い葦には不似合いな「短き」という修飾句を持ってきて、「節の間」というふうに焦点を絞っている。葦は茎から葉が直接出るために、葉を落として加工すると節の部分のゆがみが案外目立つものである。特に、室内調度とする簾などの場合には、節のずれが案外気になるものである。それを「節の間も合はで」と言っているのである。よって、歌の主旨は、「(汝と)逢はで(我に)この世を過ぐしてよ」と言うのかと迫るだけの話であろう。 力みか...

もぢり百人一首(18) アップデート版

 18 岸に寄る 波さへ避くる 通ひ人 ひと目逢ひたや 夢の中でも (通釈)岸に打ち寄せる波、いいじゃないの濡れたって、押したり引いたり恋の駆け引きばかりしているあなたは、まるで私の恋を注意深くはぐらかすように、きっと住吉海岸の波だって上手に避けることでしょう。そういう用心深い、立身出世に抜け目のなさそうな人が、私の恋の相手、あなたなの。せっせと夜も昼も通って来るあなたと、できたら夢の中でもぜひぜひお会いしたいことよ。まだ、夢であなたをお迎えしたことがないのよ。 (語釈)○避くる……「避く」という動詞は、かつては上二段活用だったというからここは上二段活用の連体形ということになる。四段にも活用したと言うが、なぜか中世からは下二段活用に転じたという。○ひと目……本歌では「人目」であるが、ここは「一目」の意味で使っている。 (本歌)住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ      (『古今集』巻第12・恋歌2・559番 藤原敏行朝臣                     「寛平御時后宮歌合の歌」) よく分からないのであります。本歌の内容がよく分からないということもあるんですが、2011年に『百人一首』をつらつら考えた時がありまして、その時には私はどうもこの歌がよく分かっていたようなのであります。いろいろかいているんですが、その記事を読んでみても自分がどういう解釈を施していたのか、さっぱり見えてこないのであります。注釈書は、どれも分かったという立場から解説してあるんですが、古来「人目よく」の主語が対立しておりまして、注釈書はどちらかの立場に立って断言しているのであります。自分が「人目をよく」なのか、恋人が「人目をよく」なのかという対立であります。この場合の「よく」というのは「避く」でありまして、これも終止形であるのは間違いないのでありますが、上二段なのか下二段なのか、それとも四段なのか、活用が注釈者によってばらばらのようであります。そして、どの注釈書も、「避く」が「波」の縁語であるということにはまったく気が付いておりません。この歌は、あくまで「住之江の岸に寄る波」「寄る」「避く」という縁語仕立ての歌でありまして、別に実感を込めた歌ではありません。言語遊戯の最たるものですが、それは歌合に出した歌だから間違いないんですが、注釈する人は人によっては思...

もぢり百人一首(17) アップデート版

17 近ごろは から紅の 竜田川 グーグルなんて 見ずにすまさむ (通釈)神代の時代のことはともかく、近ごろは真っ赤に水が染まったという竜田川であるけれども、本当かどうか、嘘っぱちなんじゃないかなどと疑ったりせずに、素直に在原業平の言うことを信じて済まそう。もちろん、Googleなんて見ないで。 (語釈)○から紅……真紅を指す言葉。『岩波古語辞典』(大野晋)は、「韓から渡来の紅の意」とする。○竜田川……大和川の支流。生駒山地の暗峠付近に発し、平群町を流れ、斑鳩町神南付近で大和川と合流する。大和川は、奈良県貝ヶ平山の山麓から発し、大阪湾に注ぐが、上流域では初瀬川と呼ばれることが多い。○グーグル……Googleと本歌の「くぐる」を掛詞にしてもじった。Wikipediaによると、Google(グーグル)は、検索エンジン、クラウド・コンピューティング、ソフトウェア、オンライン広告といったインターネット関連のサービスと製品を提供するアメリカ合衆国の多国籍企業である。収益の多くをアドワーズ(AdWords)と呼ばれるオンライン広告から得ている。同社が提供しているインターネット上の検索エンジンのGoogleに関する詳細はGoogle検索を参照。同社の登録商標(日本第4478963号ほか)。Google マップ(グーグル マップ、英: Google Maps)は、Googleがインターネットを通して提供している地図、ローカル(地域)検索サービス。広義で「GIS」という分野のソフト・サービスであり、その中のWebGISにあたる。ここまでがWikipediaによる説明。なお、Googleマップで「竜田川」を検索すると、河川ではなく、近鉄生駒線の「竜田川駅」を表示して譲るところがない。ある意味、使えないとはこのことである。○見ず……「水」と掛詞にしてもじった。○すまさむ……「済まさむ」であるが、「澄まさむ」と掛けてもじった。「澄ます」は、「竜田川」「くくる」「水」の縁語。 (本歌)ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くぐるとは     (『古今集』巻第5・秋歌下・294番 業平朝臣)  『古今集』293番素性の歌の詞書が掛かるようでありまして、それは「二条后の、東宮の御息所と申しける時、御屏風に、竜田河にもみぢ流れたる形を書けりけるを題にて、よめる」とありまして、屏風絵...

もぢり百人一首(16) アップデート版

16 因幡の山 まつとし聞かば 立ち出でず 毎日見ねば さびしかるべし (通釈)因幡の国の国府の館から見えるという因幡の山、その因幡の国にもし行くとしたなら、因幡山の松ではないが、誰かが私の帰りを京で待つなんて聞かされたら、とてもじゃないが出かける気にもならない。何となれば、因幡山の峰ならぬ、私を慕う人を毎日そばに置いて見ないと、きっと寂しいはずだから。 (語釈)○因幡の山……因幡の国の国府の東に位置する山。稲葉山とも。因幡の国守になった人物としては、天平宝字2年(758)に任官した大伴家持、斉衡2年(855)に任官した在原行平、元暦元年(1184)に任官した大江広元などがいる。ここは、「因幡」に「往な」を掛ける。○まつ……「待つ」に「松」を掛ける。○見ね……「見ね」に「峰」を掛ける。 (本歌)立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む   (『古今集』巻第8・離別歌・365 在原行平朝臣「題知らず」) 本歌は割と調子のいい歌であって、耳にしてもすんなりと入って来るし、唱えてもすらすら読める。日本語としても安定感のある言葉で構成されていると言えよう。掛詞もさほど気にならない。行平が因幡の国守として赴任するときの歌なら、斉衡2年(855)の前年くらいの歌と言うことになるのである。行平は弘仁9年(818)に生まれ、平城天皇の第一皇子であった阿保親王の子供である。在原業平の異母兄弟ということになる。在原姓の一族の中では順調に出世した人物であり、貞観15年(873)には大宰権帥になり、元慶6年(882)には中納言に至っている。寛平5年(893)に75歳で亡くなっている。非常によくできる 官僚であったというが、須磨に流されたこともあって、この点『源氏物語』光源氏のモデルでもある。須磨で行平鍋を考案したという話もあり、また対馬を日本に帰属させたという功績もあったらしい。本歌は、通常は「因幡」と「往なば」、「松」と「待つ」の掛詞を含むものとするが、「峰」のところに「見ね」が掛かるとする注釈はない。パロディは、その「見ね」に「峰」を掛けて遊んでみた。余計なことを言うなら、「因幡」のところに「往なば」が掛けてあるとするのは疑わしく、むしろ「立ち別れ」の部分が「立ち分かれ」と言うに過ぎず、松の枝分かれの状態を言うのかもしれない。双子の松とか二本松とか言う、い...

もぢり百人一首(15) アップデート版

15 我が為に 若菜摘む君 袖に雪 あたためてあげる あとでその手を (通釈)愛する私のために、わざわざ自分で庭におりて若菜を摘んでくれるあなたのやさしさが大好きよ。その袖に雪がちらついているけれど、(老いたあなたの頭も白髪で真白、まるで雪が降り積むみたい)庭からお部屋に戻ったら、そのあとで冷たくなったその手をそっと私の両手で温めてあげる。老婆となった私のしわくちゃの手で申し訳ないけれど。あとで料理もお願いね。 (語釈)○若菜……春の初めに芽を出した蔬菜。蔬菜(そさい)と言うのは青物のことで、近ごろの言葉では葉物、すなわち葉っぱを食べる野菜のこと。後の時代に七草として定着するが、平安時代に七草粥の習慣はなかったようだ。ここで摘んだ若菜も、ゆがいて食べたりお粥に混ぜたり、煮ものに加えたりして食べたものと考えるとよい。 (本歌)君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ    (『古今集』巻第一・春歌上・21番・光孝天皇     「仁和帝、親王におましましける時に、人に若菜賜ひける御歌」) (参考)『徒然草』第176段  黒戸は、小松御門、位に即かせ給ひて、昔、ただ人にておはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常に営ませ給ひける間なり。御薪に煤けたれば、黒戸と言ふとぞ。 光孝天皇は55歳まで親王だった人で、いとこに当たる藤原基経の推挙によって天皇に即位した。『古今集』では「仁和帝」と呼んでいるが、『大鏡』などでは「小松帝」であり、親王時代は時康親王であった。即位したのは元慶8年(884)2月1日で、亡くなったのは仁和3年(887)8月26日であるから、在位期間は3年半、崩御したのは58歳の時である。この帝には、親王時代から連れ添った班子女王という女御がいて仲良く暮らしていたらしい。気ままな親王暮らしがよかったようで、班子女王が市場にでかけて買い物をしていたなどと言う話がある。よって、パロディはその班子女王の立場の歌である。即位する寸前、元慶8年の正月の歌と考えてもらえればいいだろう。時康親王も老い先短く、自分もいつ天に召されるか分からないという、老夫婦のいたわりの歌である。庭からは若菜を摘み、袖には雪が積み、夫の頭には白髪の雪が積んでいる。班子女王は、帝の崩御後も生き、昌泰3年(900)まで生きたという。『徒然草』の「まさな事」は、炊事のこと...

もぢり百人一首(14) アップデート版

 14 しのぶ恋 乱れさせたは そなたなり われこそとほる 奥の細道 (通釈)人目を忍ぶ大人の恋だったのに、いつの間にか私はそなたのとりこになってしまった。いやはや、手練手管にたけている私の方が恋に落ちて、今や夢中ではないか。ここまで私を乱れさせたのは、悪女と呼ぶにふさわしいそなたであるよ。我輩は嵯峨源氏の中でも誰もがご存じ源融であるが、恋の細道を通って奥へ奥へと深入りすることだ。もう戻れない。 (語釈)○とほる……「しのぶ」「奥」「細道」の縁語で「通る」であるが、ここに左大臣であった源融を掛けてみた。源融は、京の六条に河原院という大邸宅を営み、陸奥塩釜を模した海水の池を造営して、塩焼きをして見せたという。『土佐日記』には、帰郷した国守の一行が京都に着いたことを象徴するように河原の院が描写されている。 (本歌)みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れ初めにし 我ならなくに     (『百人一首』14番・河原左大臣)   みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれむと思ふ 我ならなくに         (『古今集』恋四・724・河原左大臣) 本歌は皇子様だった人の歌である。源氏と言うのはこの人あたりから始まり、嵯峨天皇は蔵人制度を作ったり、皇子たちを貴族にしたり、いろいろなアイディアを持っていたようだ。左大臣に上り詰めた融というのは、なかなか手ごわい政治家で、藤原氏を困らせていたらしく、陽成天皇が廃帝となった際には、自ら天皇になりたいという意志を表明し、そうなる可能性は高かった。藤原基経がそれを阻止したが、その言い分は臣下に下ったものが皇位に就いた例はないというもので、それはそれで当時説得力があったようだ。その結果、老皇族だった光孝天皇が即位したが、後継ぎは源氏になっていたので慌てて皇族に戻ったのである。それが次の宇多天皇であるが、それなら融が天皇になっていてもよかったのである。あれほど恋慕した国王の地位なのに、その場しのぎの藤原氏の言い分が通ってしまったということ。 政治なんてそんなものでありまして、舌の根も乾かぬと言います。

もぢり百人一首(13) アップデート版

13 筑波嶺は 落つるほどある 恋の山 不治の病に はまりぬるかな (通釈)筑波嶺は、男体山と女体山がラブラブで、漏れ落ちるほど愛のある恋の山である。草津の湯でも治らないという不治の病に、しっかりはまり込んだことよ。 (語釈)○筑波嶺……茨城県つくば市にある筑波山。関東平野の東部にあるが、平野部のほとんどの地域から眺めることが出来る。標高は877メートル、西の男体山の標高は871メートル、東側の女体山が877メートルである。火山ではない。かつては、東京からハイキングに行く人が多かったと言うが、ここで恋を育んで結ばれたカップルもいたということのようだ。銀座木村屋のパンの酵母菌はここで採取されていたという話が、ウィキペディアに掲載されている。 (本歌)つくばねの 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて ふちとなりぬる   (『後撰和歌集』巻第十一・恋三・776番、「釣殿の皇女につかはしける 陽成院御製」)  これが陽成院の唯一の勅撰集入集歌である。よって、『後撰集』がこれを収載していなければ、勅撰集の歌から撰ばれた『百人一首』には入らなかった可能性があった。「恋」に掛詞があるはずだと古来言われてきたが、万人が認めるような「恋」と掛ける言葉が見つかっていない。以前指摘したのは、「恋」の部分が掛詞なのではなく、「ふち」に「不治(ふぢ)」が掛けてあるということである。もちろん、そんなことを古来指摘する人もいなかったようだから、まったくの臆説に過ぎないけれども、「落つる」「川」「つもり」「ふち(淵)」という縁語に対して、「落つる」「男女(みな)」「恋」「不治(の病)」という主題がきれいに対比されているから、解釈はすんなりと落ち着くはずである。パロディの方は、「落つる」「ふち(淵)」「はまり」という縁語に対して、「落つる」「恋」「不治の病」という主題が対比する仕掛けである。 「淵」と「不治」の掛詞というと何か奇抜のようだが、大和言葉と漢語の組み合わせは不自然ではない。 筑波山に行くのには筑波鉄道と言う交通手段があったそうですが、高度経済成長時代のマイカーブームで振るわなくなりまして、廃線となったようです。ああ、それで私などは知らないわけなのであります。大学に通っていても、筑波山に行こうなんて話はみじんもきいたことがなかったわけで、行ったのは銚子・鴨川・千倉・伊豆・箱根・河口...

もぢり百人一首(12) アップデート版

 12 吹かぬなら 我こそ乙女 とどめばや しばし忘れよ 天の羽衣 (通釈)五節の舞姫を返さぬように雲を閉じる風が吹かないなら、この私めが自らその舞姫たちをとどめようではありませんか。天女のような舞姫たちよ、天女が天の羽衣を忘れて天に戻れないように、そなたたちも家路をたどるすべを忘れて、もうしばらく舞う姿をとどめてくだされ。 (語釈)天の羽衣……天人が着たという鳥の羽でできた衣。これを奪うと天人は天に戻れなくなるという。 (本歌)天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ   (『古今集』巻第17・雑歌上・872番          僧正遍昭=良岑宗貞「五節の舞姫を見てよめる」) 五節の舞姫と言うのは、旧暦の十一月に行われる豊明節会で舞を披露する乙女たちだが、それを天女に見立てたのが本歌の手柄であろう。よって、天女の帰り道である雲の通路を閉じる必要があるのである。これに対して、天女であるなら天の羽衣を着ているはずであるから、その羽衣を隠してしまえばいいのである。羽衣伝説では、羽衣を隠された天女は男の妻となって、子供を産むという展開になる。中国の『捜神記』では天女が羽衣を取り返して天に帰り、さらにあとで子供たちを迎えに来るという結末がある。僧正遍昭は、六歌仙のひとりとして有名であるが、晩年七十の賀を朝廷で祝ってもらっている。 12月のクリスマスイブの大雪のようですね。 40年くらい前だと、たぶん電気炬燵一つあれば冬はしのげたのでありまして、やはりあの頃は冬が穏やかで暖かだったのであります。銭湯に行った帰りにのんびりと夜風に吹かれて真冬の街を歩けたのでありますから、どれだけ暖かかったのか分かるというものであります。だからと言って半袖短パンで歩いていたわけでもないのであります。銭湯の行き帰りは、おそらくはジャージ姿、あるいはトレーナーと称する厚手の綿シャツを着ていたはずなのであります。トレーナーが流行ったおかげで、着るものには不自由しなかったのでありますが、それでも一着が5000円はしていたはずで、業者は儲かっていたはずなのであります。今ならユニクロで2000円くらいで提供できるはずの代物でありましたが、あれでも流行の服だったので高かったのかもしれません。 大学に入った時に、近所の仕立て屋を呼びまして、寸法を取りまして背広をあつらえてもらったのを覚...

もぢり百人一首(11) アップデート版

 11 漕ぎ出でぬは 人には告ぐな 海人の舟 ただ乗せられて 目指す隠岐国   (わたの原 もろこしかけて 漕ぎ出でずと 院には告ぐな 遣唐大使) (通釈)私は都の貴族であるからして、自分で舟を漕ぐなんてするわけもない。よって自分で漕いで舟を出していないことは、誰にも教えてくれるな。船頭の操る舟にただ乗せられて、目指すは唐ではなくて、流刑の地隠岐の国であるよ。 (語釈)○海人……漁師。ここでは、流刑の人を刑地に運ぶために雇われて、舟を漕いでいる人を言う。○隠岐国……現在は島根県。日本海に浮かぶ諸島だが、かつては山陰道の一国。小野篁はここに承和五年(838)に流されている。 (別案・通釈)えええっ、乗ろうとした船がぼろ船だから、こっちにおいらに乗れって言うんですが、藤原常嗣さま。遣唐大使のあんたがいい船に乗って、遣唐副使の俺らが沈むかもしれないぼろ船ですか。行きませんよ、私は。いやだいやだ、俺らはまっぴらだ。でもって、大海を唐を目指して出港しなかったってことは、嵯峨院には言わないでくださいまし。 (別案・語釈)○わたの原……広い海原。○院……小野篁が出航を拒否したのは昭和元年(834)のことであるが、この時の天皇は仁明天皇。小野篁とかかわりのある嵯峨天皇は上皇であった。○遣唐大使……この時は藤原常嗣。 (本歌)わたの原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ 海人の釣舟   (『古今集』巻第九・羇旅歌・407番      「隠岐国に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて、      京なる人のもとに遣はしける 小野篁朝臣」) 本歌の背景が結構難しいのであります。出航を拒否して処分されるまでに四年か五年の月日が流れておりまして、流されたと思ったら二年ほどで帰還しているようですけれども、そうした時間の妙な流れはどこから来たのか。実は遣唐大使の藤原常嗣が亡くなったり、嵯峨院が崩御したりしたようでありまして、要するに政治に翻弄されたのでありましょう。それだけ小野篁が切れ者で、何かと言動が物議をかもしたということです。よってこの本歌については、解釈がどこに落ち着くのか分からないところがあります。隠岐に流される時に船に乗ったとして、どこから乗ったのかも諸説紛々でありまして、なるほどそんなものなのでありましょう。通常は隠岐を目指している歌と言うことになっていますが、なんだか...

もぢり百人一首(10) アップデート版

10 これやこの 行くも帰るも 見当たらず 無事かどうかも 白河の関   (これやこれや 逢坂の関 知るも行く 別れて帰る さらばさらばと) (通釈)これこそが白河の関と言うものだ。みちのくの奥に行く人もなく、みちのくから大和へと帰る人もない。人っ子一人見当たらない事よ。よって、私が無事かどうかも都では知らない事だろうよ。 (語釈)○これやこの……これこそが~と言うものだ。これこそ、例の~だ。見たものの特徴を述べて、その本質を紹介することを狙いとする語法。○白河の関……福島県白河市にあったとされる関所。奈良時代に大和朝廷がみちのくを侵略した時に最初に築いた前線基地。前進するにつれて、有名無実のものとなって、名ばかりの関であったか。『今昔物語集』には関所の機能がまだあって、通過を拒否された話が出て来る。所在地は今なお不明であるが、奥州街道の道筋は限られるので、比定地が多いわけではない。白河市白坂の旧奥州街道には、栃木県と福島県の県境に二所の関があり、通常はこれを白河の関と称し、宗祇はここを目指したことが知られている。松尾芭蕉は、二所の関を訪ねた後、土地の人から旗宿の古関跡を知らされて右往左往した。のちに松平定信は白河市旗宿を白河の古関跡と断じて碑を立てた。片桐洋一氏の『歌枕歌ことば辞典増訂版』(初版)では、これを岩代の国とするが、謎である。明治時代になって陸奥を分割した時の国名なら磐城の国でなければならないはずである。なお、ここでは「白河の関」に「知らず」が掛けてある。 (別案・通釈)これはこれは驚いた、逢坂の関は人の多いこと多いこと。よく見れば中には知人も通過してゆくが、赤の他人もわんさかたくさん通ることだ。見送られて東国へと出掛ける人もいれば、見送りを終えて別れて京へと帰る人もいる。言うことはみな、さよならさよなら。ああやかましい。 (別案・語釈)○これやこれや……驚きの時に発することば。現代語なら「こりゃこりゃ」である。○逢坂の関……滋賀県大津市にある古代の関所。京都府と滋賀県の府県境にある。近江の国の歌枕。○さらば……近世から用いられた挨拶の言葉。別れの時に発するさようなら。さらばじゃ、などという言葉は老人であるとか、老練な師匠の言葉として、ゲームや漫画ではおなじみのセリフである。 (本歌)これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関     ...