もぢり百人一首(13) アップデート版

13 筑波嶺は 落つるほどある 恋の山 不治の病に はまりぬるかな


(通釈)筑波嶺は、男体山と女体山がラブラブで、漏れ落ちるほど愛のある恋の山である。草津の湯でも治らないという不治の病に、しっかりはまり込んだことよ。


(語釈)○筑波嶺……茨城県つくば市にある筑波山。関東平野の東部にあるが、平野部のほとんどの地域から眺めることが出来る。標高は877メートル、西の男体山の標高は871メートル、東側の女体山が877メートルである。火山ではない。かつては、東京からハイキングに行く人が多かったと言うが、ここで恋を育んで結ばれたカップルもいたということのようだ。銀座木村屋のパンの酵母菌はここで採取されていたという話が、ウィキペディアに掲載されている。


(本歌)つくばねの 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて ふちとなりぬる

  (『後撰和歌集』巻第十一・恋三・776番、「釣殿の皇女につかはしける 陽成院御製」)


 これが陽成院の唯一の勅撰集入集歌である。よって、『後撰集』がこれを収載していなければ、勅撰集の歌から撰ばれた『百人一首』には入らなかった可能性があった。「恋」に掛詞があるはずだと古来言われてきたが、万人が認めるような「恋」と掛ける言葉が見つかっていない。以前指摘したのは、「恋」の部分が掛詞なのではなく、「ふち」に「不治(ふぢ)」が掛けてあるということである。もちろん、そんなことを古来指摘する人もいなかったようだから、まったくの臆説に過ぎないけれども、「落つる」「川」「つもり」「ふち(淵)」という縁語に対して、「落つる」「男女(みな)」「恋」「不治(の病)」という主題がきれいに対比されているから、解釈はすんなりと落ち着くはずである。パロディの方は、「落つる」「ふち(淵)」「はまり」という縁語に対して、「落つる」「恋」「不治の病」という主題が対比する仕掛けである。


「淵」と「不治」の掛詞というと何か奇抜のようだが、大和言葉と漢語の組み合わせは不自然ではない。


筑波山に行くのには筑波鉄道と言う交通手段があったそうですが、高度経済成長時代のマイカーブームで振るわなくなりまして、廃線となったようです。ああ、それで私などは知らないわけなのであります。大学に通っていても、筑波山に行こうなんて話はみじんもきいたことがなかったわけで、行ったのは銚子・鴨川・千倉・伊豆・箱根・河口湖・奥多摩・秩父・八ヶ岳・木曽・那須・日光というあたりでありまして、スキーには黒姫高原あたりだとか、夏に避暑なら小岩井牧場でありまして、筑波山とか大洗海岸とか袋田の滝なんかまったく話題にもならなかったのであります。不思議でありまして、もしかして北東の方角は鬼門だったからでしょうか。


思い出して地名を書いていたら、記憶が戻って参りました。書いてみると結構いろんなところに出かけていたのであります。伊東だか熱海に行ったこともありましたし、例の八ッ場ダムで話題になった川原湯温泉なんかも出かけたわけで、1980年前後は学生にとっては非常に楽しい時期だったのであります。遊ぶだけ遊んで、就職は引く手あまた、より多く遊んだ人の方が使える人と言うことで、いい会社に結局入ったような印象でありました。折しも女子大生ブームでありまして、『週刊朝日』の表紙は篠山紀信さん撮りおろしの女子大生でありまして、最も評判をとったのは宮崎美子さんだったと思います。友人の中にはあの表紙をきれいに切り取って下敷きに入れて見せて歩いていましたもの。私はちっともアクティブな人間ではありませんので、人から誘われて渋々出かけた程度であります。それでも年に何回も学生さんが行楽して歩いていたんでありますから、のんきな時代だったのであります。バブル崩壊後の沈滞した時代から見ると、80年代の風俗がまぶしい限りですね。


もう地方の素人さん、それも国立大の女学生がトップアイドルになることなんて、ありえない時代でありましょう。


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