もじり百人一首(27) アップデート版

 27 いつか見し すうらんみきが 恋しかろ その後もアイドル 湧きて流るる


(通釈)かつて見た「普通の女の子に戻りたい」という名言を残して解散したキャンディーズのサヨナラ公演の雄姿がさぞや(団塊谷間のモラトリアム世代には)恋しいことだろう。その後も次から次とアイドルが生まれては消え生まれては消えしたことよ。


(語釈)〇すうらんみき……1970年代に人気のあった「キャンディーズ」というアイドルグループの構成メンバー。「すう」は田中好子、「らん」は伊藤蘭、「みき」は藤村美樹。引退宣言をしたところ、人気が爆発したという印象がある。〇アイドル……芸能界の人気者を指す言葉。それまで「スター」と称されてファンからは近寄りがたかった若い芸能人だったが、1970年代から親しみを込めて「アイドル」と呼ばれるようになった。「キャンディーズ」は、女性アイドルグループの先駆け。


(本歌)みかの原 分きて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

    (『新古今集』巻第11・恋一・996番 中納言兼輔「題知らず」)


「みかの原」というのは、忘れ去られた古都で、奈良の手前にある小さな盆地に位置していたという。前にも取り上げたが、どこにあるのと言うような忘れられた場所である。「分きて」のところは「湧きて」が掛けてあり、「泉」と縁語になっている。それから「いつ見」のところに、「泉」が隠れていて、同音反復であり、上三句つまり五七五の部分が、序詞になっている、なかなか修辞技巧のきいた歌と言えよう。最後の所は修辞疑問であり、「見たわけではないが恋しい」ということを言っている。これでも問題は山積していて、この歌は『新古今集』になって勅撰集に姿を現すが、兼輔の歌ではないことが指摘されている。そこには、恋の一に入れてあるので、「未だ逢わざる恋」をモチーフとした歌だと撰者は理解していたと思われるが、主題をめぐってもめるため、解釈も揺れる可能性が高い。 


誰も指摘しないんですが、よくあることですけれども、「流るる」のところには「泣かるる」が掛かっていると言っても差し支えないかも知れません。修辞があると言ったり、ないと言ったり、気まぐれでありますが、そんなものでありましょう。本当のことは、歌を作った本人にだってわかりゃしないので有ります。「泣かるる」というのは、自然と泣けてくるというようなことですね。


『百人一首』というのは、実は輪番で詠むような授業が大学でありまして、もう少し後の所を担当した記憶があるのであります。調べ方が分からず、途方に暮れたような気がいたしました。2011年の初夏の頃、最初の10首くらいを気ままに取り上げてみても、なかなか波乱含みであるということが分かりまして、素人考えでどうにかなるものではないのでありますね。それでも、俳句などをひねって、自分なりの理解を深めてから眺めると、従来の注釈書のやっつけ仕事が見えて参りました。注釈書という体裁を取りながらも、実は和歌そのものを解釈しないで、注釈史を要約し、説明している物が圧倒的に多いような感じだったのです。


書店に行きましたら、案外『百人一首』は人気なのであります。あの作家、例の研究者、高名な大家、いかにもな企画は花盛りでありますが、なんとなく企画倒れな物ばかりな気もしまして、見なきゃよかったとまで思いました。もちろん、そんな毒舌を吐く私のブログだって、見なきゃよかった物の一つでありますけれども、私は私のためにメモしたのであって、正しいこと、熟慮の結果をアピールしたつもりはありません。正しいことを言おうとして、闇鍋のようになっている注釈書があるのには驚愕しますけれども、まあ、それはそれ、それぞれに何か目的や、出版社の目論見があってのことですから、目くじらを立てても仕方ないものです。歌も秀歌撰も、そして注釈書も、それぞれが時代を象徴しているものでありまして、何らかの意味があるのでしょう。


この50年くらいはアイドルの時代が長く続きまして、それは以前のスターと呼ばれた芸能人よりは身近な存在と言うことでしょうけれども、その中でキャンディーズのインパクトは確かに大きかったのであります。引退宣言をしてからのめざましい人気、最後の引け際の光芒はまばゆい物がありました。あの辞め方は、きっと山口百恵さんなんかにも影響があったのかと思うのです。また、惜しくも2011年に亡くなった田中好子さんの遺言は大震災とからんで記憶されるに値するすばらしい物でありました。



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