もぢり百人一首(26) アップデート版

 26 小倉山 またのお越しを 待つ紅葉 散るなと言つて 聞かせやせう


(通釈)上皇様からご用命を受けたからには、臣下の中の臣下である私めが一肌脱ぐのは当然でございます。小倉山の紅葉を賞美召された上皇さまが、その風情を帝にもお目に掛けたいと、ありがたい仰せであるよ。上皇様に加えて帝のお越しを待つ間、散るなどというのはもってのほか。忠平、もろ肌脱いで背中の紅葉時雨を披露して、ええい散るな散るなと、小倉山の紅葉どもによくよく言って聞かせることにいたしましょう。


(語釈)〇小倉山……京都市左京区嵯峨亀山町にある標高296mの山。藤原定家の別荘があり、それにちなんで『百人一首』を『小倉百人一首』と呼ぶ。〇お越し……貴人の来訪を言う言葉。古語では「みゆき」である。帝の場合は「行幸」、上皇の場合は「御幸」と表記するのが通例。〇~と言つて聞かせやせう……歌舞伎「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ)、通称「白波五人男」の第三幕、浜松屋店先の場で、弁天小僧が居直って正体を明かす長台詞の冒頭が、「知らざあ言って聞かせやしょう」。江戸の盗人の台詞を、ここでは平安時代の太政大臣に言わせてみた。


(本歌)をぐら山 峰の紅葉ば こころあらば 今ひとたびの みゆきまたなん

     (『拾遺集』巻第十七・雑秋・1128番・小一条太政大臣貞信公

                  「亭子の院の、大井川に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりと仰せ給ふに、

                  ことのよし奏せむと申して」


さすがに、もう問題がなさそうであります。宇多上皇が紅葉の名所である大井川にお出ましになって、息子の醍醐天皇に見せたいというものですから、藤原忠平(貞信公)が醍醐天皇に奏上したという歌でありまして、紛れるところはありません。「みゆき」というのは、上皇の「御幸」やら天皇の「行幸」を指す言葉でありまして、要するに天皇のお出ましを待って散らずにいて欲しいと言うこと何でありますね。この、最後の「なん(なむ)」というのは、願望の終助詞などと言うものでありまして、成就しがたい無理な願いを希望するものでありまして、大概は止めることの出来ない自然の流れなどに対して、強引な要求をするものなのです。だから、待って欲しいとは言っていても、無理を承知している表現なのです。だとすれば、小倉山のもみじ葉は、まもなく散ってしまいますから、お早めにお出まし下さいというようなお誘いが裏に存在するわけです。行かないと散りますよと、醍醐天皇をせかしているわけで、なかなか人心掌握術に長けた機知の勝った歌なのであります。

なお、このもとの歌を擬人法とする説明があるんですが、不思議でありますね。「心あらば」と表現してしまうと、素直に擬人化しているとは思われないわけでありまして、説明の角度が違うのではないでしょうか。微妙すぎて、自分でも何が言いたいか分かりませんが、「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらん」なら、素直に擬人法でいいと思うんですが、どうも貞信公のばあいは、「心なきもみぢ葉」という認識がちらついて、落ち着かないのであります。まあ、仕方ありませんね、擬人法かも知れません。しかし、そのレトリックは指摘するまでもない。レトリックの本を眺めて考えてみることにいたします。

この作者の貞信公というのは、藤原忠平という人でありますが、藤原基経という人の子供であります。例の、陽成院が退位した時に光孝天皇を立てたのがこの基経でありまして、その後の天皇の即位にはこの基経の子孫が大きく関わるようになるわけです。だから、宇多上皇のお伴をして紅葉を見てから、醍醐天皇に紅葉を見ませんかと声を掛ける気安さと言いますか、君臣和楽の精神はなかなか楽しいものでもあるわけです。江戸時代の尾崎雅嘉という人がしたためた『百人一首一夕話』というのは、楽しい読み物になっているんですが、この藤原忠平について、子供時代の楽しいエピソードが書いてあります。基経お父さんと車に乗っている時に、「パパ、お寺を建てるのにこの辺がいいよ」なんて幼い頃の忠平が言うんであります。お父さんがどれどれと見てみると、確かにいい感じで、じゃあ大人になったらどうぞ、と言ったんであります。


この話は、『大鏡』に由来するんでありますが、それを見ると、もっと感動的であります。


つまり、この時の基経お父さんは何のために車に乗っていたのかというと、基経さんの子供時代が関わるんですね。仁明天皇という方のお出かけに同行した、幼少のみぎりの基経少年なんですが、仁明天皇が琴の演奏のためのつけ爪を紛失するんであります。昔の牛車のことですから、要するに密室空間ではありませんから、どうやら道中、琴を弾いているうちに車から落ちてしまったと言うんですね。そこで、仁明天皇が幼い基経に探してこいと頼むんであります。そんな小さなもの、普通は見付かりませんよ。どうして基経に頼んだのか、そのこのところも理由は分からないんですね。おそらく、ただ何となく依頼したのでしょう。しかし、運命とはそういうものなのです。

とても見付からないと思った基経少年は、仏様に祈ります。見付かったらお寺を建てます。仏様!そうしたら、見付かったんですね。その、琴のつけ爪が見付かったところにお寺を建てに行ったのが、大人になってからのことで、その車中に息子の忠平がいたわけです。そうしたら、息子はお父さんのために、ここがいいと思うよ、ってアドバイスしますから、この息子はお父さん思いの利発な子供ですよね。お父さんは、昔の発願に従って建てる場所があるから、お前が大人になったら建てるといいよ、というようなことで、親も親なら子供も子供、人柄もいいし、それなりの出世も遂げてしまうわけです。

私もね、子供の頃に父親に、ここの土地を買ってと頼んだところがあるんです。そこは、のちのち新幹線の駅前になりまして、地価は100倍くらいになったのでありますが、私の父は凡人でありますから、おおそうか、買ってあげよう、などとは言いませんでしたし、私も父以下の凡人ですから、そこを手に入れる力も知恵もなかったのであります。


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