もぢり百人一首(15) アップデート版
15 我が為に 若菜摘む君 袖に雪 あたためてあげる あとでその手を
(通釈)愛する私のために、わざわざ自分で庭におりて若菜を摘んでくれるあなたのやさしさが大好きよ。その袖に雪がちらついているけれど、(老いたあなたの頭も白髪で真白、まるで雪が降り積むみたい)庭からお部屋に戻ったら、そのあとで冷たくなったその手をそっと私の両手で温めてあげる。老婆となった私のしわくちゃの手で申し訳ないけれど。あとで料理もお願いね。
(語釈)○若菜……春の初めに芽を出した蔬菜。蔬菜(そさい)と言うのは青物のことで、近ごろの言葉では葉物、すなわち葉っぱを食べる野菜のこと。後の時代に七草として定着するが、平安時代に七草粥の習慣はなかったようだ。ここで摘んだ若菜も、ゆがいて食べたりお粥に混ぜたり、煮ものに加えたりして食べたものと考えるとよい。
(本歌)君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ
(『古今集』巻第一・春歌上・21番・光孝天皇
「仁和帝、親王におましましける時に、人に若菜賜ひける御歌」)
(参考)『徒然草』第176段
黒戸は、小松御門、位に即かせ給ひて、昔、ただ人にておはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常に営ませ給ひける間なり。御薪に煤けたれば、黒戸と言ふとぞ。
光孝天皇は55歳まで親王だった人で、いとこに当たる藤原基経の推挙によって天皇に即位した。『古今集』では「仁和帝」と呼んでいるが、『大鏡』などでは「小松帝」であり、親王時代は時康親王であった。即位したのは元慶8年(884)2月1日で、亡くなったのは仁和3年(887)8月26日であるから、在位期間は3年半、崩御したのは58歳の時である。この帝には、親王時代から連れ添った班子女王という女御がいて仲良く暮らしていたらしい。気ままな親王暮らしがよかったようで、班子女王が市場にでかけて買い物をしていたなどと言う話がある。よって、パロディはその班子女王の立場の歌である。即位する寸前、元慶8年の正月の歌と考えてもらえればいいだろう。時康親王も老い先短く、自分もいつ天に召されるか分からないという、老夫婦のいたわりの歌である。庭からは若菜を摘み、袖には雪が積み、夫の頭には白髪の雪が積んでいる。班子女王は、帝の崩御後も生き、昌泰3年(900)まで生きたという。『徒然草』の「まさな事」は、炊事のことだとされていて、おそらくは煮炊きを買って出て料理を班子女王などにふるまっていたのだろう。だとしたら、若菜を摘むのも自分で、料理するのも自分であったということか。
いろんな帝がいて、いろんな夫婦愛があるものであります。くれぐれも親王だから若者だと思い込まない配慮が必要ということです。
人生は何があるか分からないのでありまして、若い時の試験や試合ですべてを決めてしまってよいものかと言うと、おそらくまったくそうではないのであります。世の中にはIQテストと言うものがあって、おそらく大概の人が体験しているわけでありますけれども、あれで頭がいいとかどうのこうのと評価を下しまして、そういうものが何となく後々も付いて回ったりするのであります。知能指数と言ったりしますが、いつだったか、週刊誌の『AERA』を読んでいたら、子供時代にIQ180以上だった人を追跡してみたら、そりゃあ大学生にはなっていたそうですが、とびぬけて優秀なわけでもなくて、普通の子だったそうであります。同じことは大学入試にも言えまして、その後の活躍と別にものすごく連動するわけではないのでありましょう。
凡庸な親王が晩年に皇位を継承するんですが、実は優秀だったようで。
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