もぢり百人一首(14) アップデート版

 14 しのぶ恋 乱れさせたは そなたなり われこそとほる 奥の細道


(通釈)人目を忍ぶ大人の恋だったのに、いつの間にか私はそなたのとりこになってしまった。いやはや、手練手管にたけている私の方が恋に落ちて、今や夢中ではないか。ここまで私を乱れさせたのは、悪女と呼ぶにふさわしいそなたであるよ。我輩は嵯峨源氏の中でも誰もがご存じ源融であるが、恋の細道を通って奥へ奥へと深入りすることだ。もう戻れない。


(語釈)○とほる……「しのぶ」「奥」「細道」の縁語で「通る」であるが、ここに左大臣であった源融を掛けてみた。源融は、京の六条に河原院という大邸宅を営み、陸奥塩釜を模した海水の池を造営して、塩焼きをして見せたという。『土佐日記』には、帰郷した国守の一行が京都に着いたことを象徴するように河原の院が描写されている。


(本歌)みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れ初めにし 我ならなくに

    (『百人一首』14番・河原左大臣)

  みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれむと思ふ 我ならなくに    

    (『古今集』恋四・724・河原左大臣)


本歌は皇子様だった人の歌である。源氏と言うのはこの人あたりから始まり、嵯峨天皇は蔵人制度を作ったり、皇子たちを貴族にしたり、いろいろなアイディアを持っていたようだ。左大臣に上り詰めた融というのは、なかなか手ごわい政治家で、藤原氏を困らせていたらしく、陽成天皇が廃帝となった際には、自ら天皇になりたいという意志を表明し、そうなる可能性は高かった。藤原基経がそれを阻止したが、その言い分は臣下に下ったものが皇位に就いた例はないというもので、それはそれで当時説得力があったようだ。その結果、老皇族だった光孝天皇が即位したが、後継ぎは源氏になっていたので慌てて皇族に戻ったのである。それが次の宇多天皇であるが、それなら融が天皇になっていてもよかったのである。あれほど恋慕した国王の地位なのに、その場しのぎの藤原氏の言い分が通ってしまったということ。

政治なんてそんなものでありまして、舌の根も乾かぬと言います。



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