もぢり百人一首(28) アップデート版

28 山里は 夏ぞわびしき 茂る草 人目気にして 抜きに抜くかな


(通釈)ありがたいことにこの山里の管理を任されている私ですが、春夏秋冬、一年中で一番つらく切ない季節というのは、もちろん夏なのですよ。もちろん、高貴な身分の末裔として私にもいくばくかの矜持がございますけれども、次から次と生えては伸びる草の勢いには勝てず、山里は見る見るジャングルでございますが、まるで廃屋のようではまれに偉い人が訪ねて来て困るのであります。やむなく朝となく昼となく、涼しくなった夜となく、草を抜きまくっております。人を雇う余裕はございませんので。


(語釈)〇山里……現代であれば鄙びた田舎の一軒家からの景色を思い浮かべるが、これはしばしば身分ある人の別荘をしゃれて言う言葉。もちろん身分ある人が使う分には別荘だが、しばしば身分ある人の末裔などが渋々住むということがあったはずである。〇わびしき……形容詞の「わびし」は、当たり前のことながら「さびし」とはニュアンスが異なる。たとえば、「さびし」は必要な物が欠けていて孤独や不自由を感じることだが、欠けたものを何らかの手段で補えるかもしれない状態でもある。しかし、「わびし」の場合は欠けたものを補える可能性がなく、絶望感や虚無感にさいなまされる状態である。


(本歌)山ざとは ふゆぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬとおもへば

    (『古今集』巻第六・冬・315番・源宗于朝臣「冬の歌とてよめる」)


非常に有名な歌であります。掛詞の例として度々使われますから、記憶している方もいるだろうと思うのであります。毎日一首ずつ取り上げるんですが、何の準備もしませんので、いろいろと驚いたり、発見したり、考え直したりしているわけです。注釈書も、きちんと比較対照するわけではありませんから、いい加減でありますが、大人の智恵、そこそこの常識を働かせて、眺めているわけです。それでも、毎回何らかの突っ込みどころがあるという点で、ひょっとして世間が思っているよりも、実は研究が脆弱ではないのか、いい加減な解説が流布してはいないかと危惧したりするんですね。


世間には、宮内庁書陵部蔵、堯孝筆『百人一首』という本がありまして、影印本が笠間書院から出ております。非常に達筆ではありますが、冒頭の「秋の田の」から始まるあたりは丁寧に書かれておりますが、この「山ざとは」のあたりに参りますと、筆勢に変化がありまして、最初の頃の落ち着いた感じに対して、少し雑な感じがして参ります。このあと和泉式部の歌のあたりで致命的な書き損じもあるんですが、それでも見事なものには違いありませんから、手に入れれば鑑賞して楽しんでいただけると思います。


宮内庁の書陵部と言うところには、実は一度だけ入ったことがありまして、記憶は薄れていますが、皇居のお濠の向こうに行ったことがあるのです。何か調べ物をするためにどうしても必要で、どう連絡を取ったのかは忘れましたが、入る時にどきどきしたのを覚えております。地下鉄東西線の竹橋で降りまして、徒歩でお濠をめぐり、橋を渡って北桔橋門の警察派出所に「頼もう」と名乗りを上げるわけです。そうすると、番号札をいただきまして、何とまあ大きな門の片隅にある潜り戸を指示されます。その潜り戸を開けまして中に入ります。そこは東御苑でありまして、観光客も出入りできるところなのでありますが、北から入る人は稀なのです。


つまり、自分で扉を開けまして、皇居の内部に入ることができると言う、わくわく体験なのであります。


書陵部というのは、その門からすぐの所でありまして、普通の図書館と同じような扱いですが、係の方はごく普通に応対をしてくれましたので、むしろ落ち着いて本を借り出し、閲覧いたしました。帰りは、どこから出ても構わないという説明を受けていましたので、中を気楽に散歩して、大手門から出まして、例の札を入ったところとは別ですがやはり警察の派出所に出してお終いです。皇居と言うよりも江戸城の遺跡を歩いた感じがいたしまして、石垣の石のサイズの大きさなどに圧倒されますが、手入れは行き届いておりまして、さっぱりとしていたんであります。30年も前のことですから、今も同じシステムなのかどうか分かりません。ひょっとすると、どなたか偉い先生の紹介だったのかも知れませんから、普通に入れるとは言えないでしょうけれど、案外平常心で出入りできたという印象なのであります。 


冬になると草も枯れて人目も離れるから、山里は寂しさがまさるというのが、もとの源宗于朝臣の歌でありまして、じゃあ夏はどうなのかと言うことで、俳句にして、さらに下の句まで付けてみました。「人目も離れぬ」というのが、現代語ではないわけで、それを除けば非常に分かりやすい歌なのであります。歌が有名であるのに対して、作者の方はエピソードが乏しいようで、あまり印象に残る話がないのであります。光孝天皇の孫に当たる人で、「源」姓でもわかるように皇籍から臣籍に下った人でありますが、三十六歌仙の一人と言われてもピンと来ないのであります。本居宣長や香川景樹が、この歌の末尾の「思へば」が不要であると噛み付いているらしいのですが、そう言われてみると、冗長な感じがするから不思議ですね。「かれぬとおもへば」ではなくて、「かれにけるかな」とでも言えばいいと宣長先生や景樹先生は思ったのでしょう。ただ、『古今集』の冬の部では二首目に位置していまして、まだ、草が枯れていない頃の感慨だとすれば、「思へば」も無駄ではないのであります。寂しくなる前に、冬の寂しさを予感していることこそが歌の主眼でありましょう。


「かれぬ」の「ぬ」という助動詞は、現在使われないものですから、これのニュアンスが大事なんでありますね。普通は完了の助動詞として説明するんですが、実は完了を表さない用法があるのであります。これから起こることを意識させる用法なんですね。「もうすぐ、起きちまうぞ、どうする、どうする」というような語法でありまして、こいつの一番有名な例は、『伊勢物語』にございますね。第9段の東下りと呼ばれるところに、隅田川を渡るところがあるんであります。ひょっとすると今の矢切の渡しの可能性もあるわけですが、そこで渡し守に、こうせかされるんであります。


    「はや船に乗れ。日も暮れぬ」


この、「日も暮れぬ」というのは、真に受けていてはいけないので、たぶんちっとも日没の時刻ではないわけです。午前中だったり、真っ昼間に「日が暮れちまうぞ」とせかしているわけで、この「ぬ」はもちろん打消の助動詞ではなくて、完了の助動詞なんですが、終わってしまったことを示しているわけではないわけです。基本的には、天気予報などの未来予測に使われるものなのでありますね。ぐずぐずしていると日が暮れちまうよ、というわけです。おっと、日付が変わってしまいそうでありますね。「夜も更けぬ。日付も変わりぬべし。はや、公開すべし」と、そう言うことでありますから、今日の所はお開きであります。おやすみなさい。 


ところで、『大和物語』という説話を並べた作品がありまして、それは一般には歌物語と称するんですが、そこにいくつかこの作者のエピソードが出て参ります。取り立てて面白いものもありませんから、なるほど印象に残らないわけであります。取り立てて好色と言うこともなく、やんちゃをして人目を引いたわけでもないようでありまして、おそらくは上品で自己主張の少ない元皇族のお坊ちゃまのようであります。右京の大夫だった時期があるようでありますが、たいした重要な職でもなかったようで、本人はもうちょっと出世したかったようであります。宇多天皇に愁訴した述懐の歌が残っているんですが、あんまり修辞が効き過ぎて、宇多天皇は意味が分からんとかなんとか言って、誰かに相談したんだそうです。たぶん、相談に乗った人が、源宗于本人に帝が分からないって言ってるよと伝えたんでしょうね、本人ががっかりしたというエピソードが載っております。たぶん、歌だけ贈ったんですね。今も昔も何か実のあるものをついでに贈らないと、そう言うことになってしまいます。昔の人だって、修辞技巧を使われたら分からなかったんでありますね。そんなものなのであります。 




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