もぢり百人一首(41) アップデート版
41 敗れても 我が名立ちけり 恋の歌 天気は右と 誰伝へけむ
(通釈)天徳内裏の歌合では負けてしまった。負けてしまったけれども私の恋の歌も名歌であると評判になったよ。それにしても、帝のご裁定は右の兼盛の歌であると、誰が取り次いだのだろう。本当は左の私の歌が帝のお気に入りってことはないのか?
(語釈)〇名……ここは、評判もしくは話題の意。「名立つ」で「噂になる」「取沙汰される」ということ。〇天気……天皇のご意向、ご機嫌などの意。〇右……歌合は歌人を左と右の二群に分けて、歌の優劣を競わせる遊びだが、組み合わせの歌人二人は固定されることが多い。よって、歌の力量の同等と認められる人を組み合わせるのが普通。〇けむ……過去の出来事に対する推量を表す助動詞。
(本歌)恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか
(『拾遺集』巻第十一・恋一 621番 壬生忠見「天暦の御時の歌合」)
天徳四年の内裏歌合で、平兼盛の歌とつがえられまして負けてしまった歌であります。たしかに、負けはしたんですけれども、こうして『百人一首』に並んで入るぐらいですから、この二首の歌というのは、歌合史上最高の組み合わせだったわけでありまして、この二首に優劣を付けるのは大変なことだと、当時の歌合の関係者も気付いていたようなのであります。どうも主催者の村上天皇が右の歌を密かに口ずさんでおられる、というような指摘がありまして、右の歌すなわち平兼盛の歌が勝ったと言うことなのです。このあたり、判詞には、
「少臣頻候天気、未給判勅、令密詠右方歌、源朝臣密語云、天気若在右歟者、因之遂以右為勝」(『新編国歌大観』第五巻)
(書き下し)しばらく臣しきりに天気をうかがう。いまだ判のみことのりを給はず、密かに右方の歌を詠ましむ、源の朝臣密かに語りていはく、天気もしくは右にありか、これによりてつひに以つて右勝ちと為す
とありまして、「天気」というのは帝の嗜好というか、天皇のお好みということですね。遊びなんだけど、みんな真剣なんであります。根回しなんてないわけで、帝が勝敗を決めなさいと言うと、みんな狼狽していたんであります。ひょっとしてどちらか勝たせたい方があるのか? なんて判者は思いまして、そうするとひそひそアドバイスするしっかり者もいるのであります。和歌の本質は遊びなんですが、それでも本気でありますから、右往左往するんでありますね。
内裏和歌合 天徳四年三月卅日於清涼殿有此事
廿番 左 忠見
こひすてふ わがなはまだき たちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか
右勝 兼盛
しのぶれど いろにいでにけり わがこひは ものやおもふと 人のとふまで
判者は左大臣の藤原実頼という人だったのでありますが、この人は謹厳実直な人物だったようですが、判詞のなかで左の歌もいい歌だとコメントしておりまして、和歌を理解し、批評も出来るなかなかの人物であります。藤原定家は『百人秀歌』や『百人一首』に採用するに当たって、この二首を引き離さないように留意したのでありましょう。現在、解釈が紛れることはないだろうと思うのですが、ひとつ揺すぶってみるなら、二首の歌のなかの「人」というのを一般には三人称の「他人」の意味で取るのが普通でしょうけれども、これを和歌を解釈する際の基本に立ち返って二人称、すなわち「あなた」と見なしたらどうなるのかということです。従来の解釈だと、それぞれの歌は、言ってみれば独詠として理解するわけですが、それは近代的な解釈であって、たとえば恋愛の場面の贈答歌として使うことを前提に置き、「人」を和歌の受け手と設定すると、成り立つで有りましょうか?
古注釈も含め、分からなくなったら注釈するんであります。ということは、注釈者は分かっていない人?
そうしますと、忠見の歌の方は、「恋をしているという私の評判は早くもあなたのお耳に達したことです。あなたに人知れぬ思いを抱き始めたばかりなのに」という、あわてて告白する緊迫感が生じます。また、兼盛の歌の方はどうなるかというと、「私の恋心は、隠しておりましたが、表情に出てしまったことです。何かお悩みですかと、あなたが尋ねるまでに」となるのであります。帝のお使いなどで、后の許に出入りするような機会が有れば、女房などと接することもありますから、恋愛を前提としない交際もあるわけですね。それなのに恋に落ちてしまったというような場合を想定すると、それとなく相手に告白することになるわけでありまして、案外すてきではございませんか?
本来、そういう自由恋愛の告白の歌ではないのか。独詠の歌って古典にあるんですかね?
従来通りに「人」を「他人」とするような独詠とすると、詠作主体が男であっても女であっても、ちょっと頭の固い人物像になることでしょう。恋愛の評判を気にする風情なんでありますね。恋の初心者、もしくは洗練にほど遠いウブな人であります。しかし、「人」を「あなた」とすると、自然に高まる恋愛の風情がありまして、人柄に惚れているという自由恋愛の気分が楽しめるわけです。洗練された宮廷人の歌になるはずです。いかがでありましょう。「人」を「あなた」とするのは、恋の歌では基本原則だと思うのですが、従来検討されていないようでありまして、さてさて、きっと思いつく私が変なのでありましょう。へそ曲がりな人間なんです。昨日思いついただけのことですから、私も信じておりませんが、大手柄の可能性はあります。
2011年に思いついたことを2022年に検討しても、十分冴えております。というか、この二首とも「人」を二人称「あなた」と解したほうが断然いい歌であります。ちなみに、『百人一首』第38番歌の右近の歌では、みんな「人」を二人称で解いているんであります。「人知れず」の「人」に、意中の人が含まれないと言い切れるんでしょうか。それから「人の問ふまで」の「人」は断然、意中の人がいいですよね。
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