もぢり百人一首(31) アップデート版

 31 朝ぼらけ 月みる指に 触るる雪 疑ふらくは またや来るかと


(通釈)季節も冬に向かって夜明けの遅いこと。ようやく明けた頃に空を見ると有明の月がほらあんなところにまだあるのよ、と指さした指先にはらはらと落ちかかる雪の一片が触れて解けた。この殿方が冬の寒さと積もる雪のうっとうしさを乗り越えて再び来て下さるのか、いえいえもう二度と来ないかもしれないと、ふと疑念がわいたことよ。


(語釈)〇朝ぼらけ……夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態。また、その頃。多く秋や冬に使う。春は多くアケボノという。(『岩波古語辞典』補訂版)〇触るる……「触る」は下二段活用の動詞で、その連体形。〇疑うらくは……~と疑うことだよ。



(本歌) 朝ぼらけ 有明の 月と見るまでに 吉野の里に 降れる白雪    

    (『古今集』巻第六・冬 332番 坂上是則

     「大和の国にまかれりける時に雪の降りけるを見てよめる」)


分からないのは「朝ぼらけ」という言葉でありますね。私はおっちょこちょいですから、うっかり「あけぼの」と「朝ぼらけ」の違いなどと言うものを学習してきていないのであります。何かありそうだな、と思ったことはあるのですが、似たような言葉があると、どう違うのか、こう違うのだというようなことは、かまびすしく言いつのりまして、知ったかぶりをする人に答えてもらったりする番組がよくありました。違う違うと言いますのは、同じもの似たものを言うわけでありまして、違うものについては似ている似ている、同じだ同じだと唱えるものなのです。日本語の場合は、万葉集・古事記・日本書紀以前の姿が分かりませんから、何かを究明するのは無理がありまして、だから大野晋博士はインドの言葉に語源を求めて晩年を過ごしたんではなかったでしょうか。大野晋博士の『岩波古語辞典』を見ると、「朝ぼらけ」は秋や冬、「あけぼの」を春に使う言葉ではないかとしてありまして、機知ある解説になっているんですね。定説になっているのかどうか、よくわかりません。


夜明けというのは、今と違って別れの時間帯。


夜明け前の暁に、男は女のもとから帰って行くという当時の習慣を踏まえると、解けそうであります。よくできた大人の女性なら、恋人や夫を起こしまして、仕度をととのえて送り出すんであります。春などはどんどん夜明けが早くなりますから、あらもう明けているわとみるのが「あけぼの」なんでありましょう。これに対して秋から冬にかけては夜明けが遅くなりまして、朝を待つわけですから、「朝ぼらけ」というような別の言葉が必要だったのでありましょう。男なら女の家を辞そうとして白雪に気が付きます。女なら男を送り出しまして、後ろ姿を見つめているうちに、有明ではなくて白雪だと気が付くわけであります。雪を押して通うには、吉野というのは京からは遠い土地でありますね。悲恋の匂いがするところでありますが、それを冒頭のパロディにしてみました


解釈のほころび、というようなものは、一箇所突っ込みどころが見付かると、ぼろぼろと見付かります。結婚生活、というものもその類でありまして、結婚に向けて頑張ります時には、相手のいいところを探しまくりますので、嫌が応にも惚れざるを得なくなるわけです。あばたもえくぼなんてことも申しまして、目が好き、鼻が好き、耳が好き、髪の毛が好き、髪型が好き、ついでにあなたの両親も、あなたの生まれ故郷も大好きです、なんてことをのたまうわけであります。サルスベリが好きとなれば、幹が好き、枝が好き、葉っぱが好き、花が好き、というのと同じであります。ところが、一つ嫌いなところが見付かりますと、すべてが反転しまして、今までの美点が欠点になるものなんですね。あなたの親も、あなたの出身地も大嫌い。サルスベリってずっと咲いていてつまらない、というように。


書物というものも、理解しよう、学習しよう、知識を得ようと頑張る時は、どの本も立派なことをおっしゃっているように感じるわけです。つまり、私たちというのは、文脈を読み取ろう、合理的に全体を理解しようとしますから、理性に蓋をして、ちょっと違和感があっても、それは自分の非力のせいである、勉強が足りないのだ、と思いがちなんでありますね。しかし世の中に完璧はありませんので、医者のセカンドオピニオンを聞きに行くように、いろんな本を比較するのも有効であります。


家電品などを買い換えるように、本も買い換えているのであります。先ほど届きました。といっても、2011年のことですが。


昨日注文して、今日届くんですから、何だか夢を見ているような具合なのであります。買い求めたのは『古今和歌集』の文庫本でありますが、古いものが表紙カバーが破れ、紙質が悪いのか茶色く変色しておりますので、同じ著者の同じタイトルの文庫本を取り寄せました。著者は小町谷照彦先生でありますが、昭和11年(1936)長野県お生まれの東京学芸大名誉教授の方であります。手元にあったものについて言うと、旺文社文庫の『古今和歌集』の初版が出ましたのが昭和57年(1982)6月25日のことでありまして、私の持っているのが翌年昭和58年(1983)の重版であります。『古今集』で分からないことがあると、まずこれを見て見当を付けることにしておりまして、ずっとお世話になっているわけです。同じものがちくま学芸文庫に入って、平成22年(2010)3月10日に出たということを知りまして、買い求めたのが2011年。届いたのをみると初版と言うことであります。参考文献が付き、さらに「四季の景物一覧」という工夫が新たに加わっております。


これはこれは、大変便利なものをわざわざ付けていただきまして、ほんとうにありがとうございました。


それを見ると、例の「心当てに」の歌だけが、「霜と白菊との紛れ」と別の項目になっておりまして、突出しておかしいという印象をもたらします。凡河内躬恒のこの歌は、『古今集』では巻第五・秋歌下の277番でありますが、秋の後半の前から三分の一のあたりに出て来るわけで、秋全体なら中盤のお終いくらい、月で言うと八月の月末くらいと考えていいわけです。旧暦では、七月八月九月が秋に当たりまして、だから八月十五夜を中秋の名月と称するわけですが、学校でこれを教えないのは、じつは陰暦では三年にいっぺん閏月というのが加わりまして、昔は三年で37ヶ月あったんですね。このために、太陽暦のようには月の名前と季節が一致しないのであります。季節は二十四節気を使わないとうまくないために、菊の季節は何月とは言いにくいわけです。しかし、不思議なことに九月九日は菊の節句と固定されていまして、これを重陽の節句ともいうのであります。旧暦のその頃が、大まかに平均すると菊の花の盛りと考えてよいわけですが、実際は毎年ぶれます。それに対して、二十四節気の霜降(そうこう)というのは、太陽暦ではこの10年くらい10月23日みたいですが、陰暦なら平均して9月の13日前後(相当毎年前後しますよ)ですから、菊の節句を迎えたと思ったら霜に当たるのを覚悟するんです。霜が降りるのは自然現象だから、そっちも毎年ぶれるのは当然であります。

     白菊の花をよめる    凡河内躬恒
  心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる しらぎくの花

小町谷照彦先生の訳を引用してみると、こんな風に書いてあります。「当て推量で、もし折るということならば、折ってみようか。初霜が置いてまぎらわしくさせている、白菊の花を」とありますから、焦点は「まどはせる」を「まぎらわしくさせている」と訳すところでありまして、これが妥当かどうか、ということです。倒置法ですから、最後に「を」を補って上の句に戻るところは指摘されていますし、「こころあてに」を「当て推量で」とするのも、従来通りの訳を踏襲されているわけです。


これに対して、「まどはす」を補助動詞として、「激しく~作用を及ぼす・ひどく影響を与える・花を枯れさせる」というような補助動詞と考えて修正し、「心あて」も本来の「めあて・目的・どうせならいいものを」ととれば、次のような解釈になるわけです。

かねて思っていたように、もし折るなら折ってみよう。初霜が置いて枯れさせようと迷わしている白菊の花を。

「まどはせる」を訳してないぞ、とお怒りの方がいたら、まあまあとおなだめいたしましょう。こうして見ると分かるように、霜が及ぼす迷惑な作用を、人事・恋愛に使う「惑はす」という動詞で表現したんですね。これは別に擬人法というほどのものではないわけです。もしこれを擬人法だというなら、「雨が降り注ぐ」も「雪が降りしきる」も「風が吹きつのる」も、そして「日が暮れ惑う」も、擬人法になってしまいますよ。「惑はす」を「紛らす」と訳したところから、誤解が発生するなら、一度「紛らす」を使った解釈を捨てて、「混乱させる・困らせる」などとすればいいのです。そして、霜が菊に及ぼす影響がここには表現されているだけで、見ている人間の方では、なんら紛らわしくなんかないと言うことを断言しておきたいと思うのです。急激な冷え込みによって霜が降りた朝に、意中の白菊の花を手折ろうとする、シンプルな解釈の方がこの歌の内容は数倍まさるでしょう。

従来の解釈のままでも、私は痛くもかゆくもないのであります。自分の考えって言ったって、2011年のブログの記事を書く3日前に思っただけですから。でも、「心あて」がここで「当て推量」という意味で、「まよはせる」がここで「人の目にまぎらわしくさせている」という意味というのはおそらく勘違いの類なんでしょう。初霜こそが白菊を惑わしているのだと断言致します。


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