もぢり百人一首(12) アップデート版

 12 吹かぬなら 我こそ乙女 とどめばや しばし忘れよ 天の羽衣


(通釈)五節の舞姫を返さぬように雲を閉じる風が吹かないなら、この私めが自らその舞姫たちをとどめようではありませんか。天女のような舞姫たちよ、天女が天の羽衣を忘れて天に戻れないように、そなたたちも家路をたどるすべを忘れて、もうしばらく舞う姿をとどめてくだされ。


(語釈)天の羽衣……天人が着たという鳥の羽でできた衣。これを奪うと天人は天に戻れなくなるという。


(本歌)天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

  (『古今集』巻第17・雑歌上・872番

         僧正遍昭=良岑宗貞「五節の舞姫を見てよめる」)


五節の舞姫と言うのは、旧暦の十一月に行われる豊明節会で舞を披露する乙女たちだが、それを天女に見立てたのが本歌の手柄であろう。よって、天女の帰り道である雲の通路を閉じる必要があるのである。これに対して、天女であるなら天の羽衣を着ているはずであるから、その羽衣を隠してしまえばいいのである。羽衣伝説では、羽衣を隠された天女は男の妻となって、子供を産むという展開になる。中国の『捜神記』では天女が羽衣を取り返して天に帰り、さらにあとで子供たちを迎えに来るという結末がある。僧正遍昭は、六歌仙のひとりとして有名であるが、晩年七十の賀を朝廷で祝ってもらっている。

12月のクリスマスイブの大雪のようですね。

40年くらい前だと、たぶん電気炬燵一つあれば冬はしのげたのでありまして、やはりあの頃は冬が穏やかで暖かだったのであります。銭湯に行った帰りにのんびりと夜風に吹かれて真冬の街を歩けたのでありますから、どれだけ暖かかったのか分かるというものであります。だからと言って半袖短パンで歩いていたわけでもないのであります。銭湯の行き帰りは、おそらくはジャージ姿、あるいはトレーナーと称する厚手の綿シャツを着ていたはずなのであります。トレーナーが流行ったおかげで、着るものには不自由しなかったのでありますが、それでも一着が5000円はしていたはずで、業者は儲かっていたはずなのであります。今ならユニクロで2000円くらいで提供できるはずの代物でありましたが、あれでも流行の服だったので高かったのかもしれません。


大学に入った時に、近所の仕立て屋を呼びまして、寸法を取りまして背広をあつらえてもらったのを覚えております。仮縫いで再び採寸しまして、仕上がったものは一応ぴったりしていたのであります。入学式で着ましたけれども、それからほとんど袖を通す必要がありませんでしたので、宝の持ち腐れとなりました。街角の仕立て屋が隣近所の晴れ着を作るなんてことはもう死滅しまして、今こういう話をすると何だかえらく贅沢のようでありますけれども、よく考えるとご近所の範囲で床屋を利用し、背広を仕立てていたのであります。豆腐屋などと言うのもそんなものでありまして、スーパーができ、デパートが進出し、やがて巨大モールが出来て、株式会社が用意した背広を買い、豆腐を買うわけであります。事は大げさになったけれども、人が縫った背広でありますし、誰かが作った豆腐でありましょう。もちろんあらかた機械化されていて、豆腐なんかはパックに注入していることでしょうけれども、さてそれで幸福になったのかどうか。なっていないのであります。

うっかりすると子供も工場で生産し、よさげなのを通販で買う時代が来るね。

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