もぢり百人一首(20) アップデート版
20 わびぬれば 逢はむてはずに 身を尽くし 今はた同じ 難破する船
(通釈)いい気になってナンパしたものの、逢うのは困難を極めて、切ないことこの上ない。よって、再会するための手筈を整えるのに身を削ることよ。ええい、こうなったらもうどうでもいいや、乗り掛かった舟だ。転覆しようと座礁しようと、行くところまで行くしかないのだ。
(語釈)○わび……上二段活用「わぶ」の連用形。この動詞は、形容詞の「わびし」と語源を同じくするはずで、困り切ること、切なく思うことを意味する。○てはず……事を遂行するために考えておく手順、準備のこと。○はた……類似のことを意識して、それが繰り返されたことを強調する副詞。「はたして」から派生してできたともいわれ、「はたまた」という表現からわかるように、副詞「また」と意味が重なるところが大きい。 ○難破……舟が座礁する意味の「難破」に、異性にちょっかいを出す意味の「軟派」を掛ける。「難破」は本来仏教用語で相手を論破する言葉であるが、江戸時代の末期に船の座礁の意味で使用されるようになった。「軟派」は、明治時代の政治用語で「硬派」の対であるが、それを若者の風俗を表現するのに転じたもの。詳しい考証が『日本国語大辞典』に載っている。
(本歌)わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
(『後撰集』巻第13・恋五・960番 元良の親王
「事出で来てのちに京極御息所につかはしける」)
本歌の元良親王は、陽成院の第一皇子。陽成天皇が退位したのちの出生であるから、皇位継承が可能であったかどうかは不明だが、皇位に就くことはかなり難しかったはずである。京極御息所は宇多天皇の寵愛の后であるが、宇多天皇の父光孝天皇は陽成天皇の退位を受けて即位した天皇である。その時点で宇多天皇は源氏に降下していた人物であり、あわてて皇族に戻っている。京極御息所は、藤原時平の娘の褒子であるが、宇多天皇が退位し法皇となった後に寵愛を受け、生まれた3人の男子は醍醐天皇の子供として公表されていた。ともかく、皇位継承をめぐって因縁のある宇多天皇と元良親王の両方と関係があったということになる。本歌は、「澪標」と「身を尽くし」の掛詞になっているが、「難波なる」の部分に掛詞を指摘する注釈書はおそらくないようだ。「名にはなる」すなわち「汚名を受けることになる」という意味が掛かっていても構わないのではないか。掛詞を認めないと、何が「同じ」なのかと言うところで解釈が迷走する。その場合、「身を尽くす」ことが同じだと解釈するようだが、「難波」に「名には」を掛ける歌は少なくないから、評判になること、不倫だとばれることは結局同じだというほうが、正しいかもしれない。
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