もぢり百人一首(10) アップデート版

10 これやこの 行くも帰るも 見当たらず 無事かどうかも 白河の関

  (これやこれや 逢坂の関 知るも行く 別れて帰る さらばさらばと)


(通釈)これこそが白河の関と言うものだ。みちのくの奥に行く人もなく、みちのくから大和へと帰る人もない。人っ子一人見当たらない事よ。よって、私が無事かどうかも都では知らない事だろうよ。


(語釈)○これやこの……これこそが~と言うものだ。これこそ、例の~だ。見たものの特徴を述べて、その本質を紹介することを狙いとする語法。○白河の関……福島県白河市にあったとされる関所。奈良時代に大和朝廷がみちのくを侵略した時に最初に築いた前線基地。前進するにつれて、有名無実のものとなって、名ばかりの関であったか。『今昔物語集』には関所の機能がまだあって、通過を拒否された話が出て来る。所在地は今なお不明であるが、奥州街道の道筋は限られるので、比定地が多いわけではない。白河市白坂の旧奥州街道には、栃木県と福島県の県境に二所の関があり、通常はこれを白河の関と称し、宗祇はここを目指したことが知られている。松尾芭蕉は、二所の関を訪ねた後、土地の人から旗宿の古関跡を知らされて右往左往した。のちに松平定信は白河市旗宿を白河の古関跡と断じて碑を立てた。片桐洋一氏の『歌枕歌ことば辞典増訂版』(初版)では、これを岩代の国とするが、謎である。明治時代になって陸奥を分割した時の国名なら磐城の国でなければならないはずである。なお、ここでは「白河の関」に「知らず」が掛けてある。


(別案・通釈)これはこれは驚いた、逢坂の関は人の多いこと多いこと。よく見れば中には知人も通過してゆくが、赤の他人もわんさかたくさん通ることだ。見送られて東国へと出掛ける人もいれば、見送りを終えて別れて京へと帰る人もいる。言うことはみな、さよならさよなら。ああやかましい。


(別案・語釈)○これやこれや……驚きの時に発することば。現代語なら「こりゃこりゃ」である。○逢坂の関……滋賀県大津市にある古代の関所。京都府と滋賀県の府県境にある。近江の国の歌枕。○さらば……近世から用いられた挨拶の言葉。別れの時に発するさようなら。さらばじゃ、などという言葉は老人であるとか、老練な師匠の言葉として、ゲームや漫画ではおなじみのセリフである。


(本歌)これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

    (『後撰集』巻第十五・雑一・1089番、蝉丸

   「相坂の関に庵室を作りて住み侍りけるに、行き交ふ人を見て」)


対句仕立ての本歌は、軽妙で『百人一首』のなかでも分かりやす部類に入るだろうと思われる。逢坂の関もまた、関所としての機能がどの程度であったか不明なところがあり、実際には早くからターミナルとして機能していたのかもしれない。設置は大化二年(646)と古く、平安遷都の頃の延暦十四年(795)に一時廃止されたが、天安元年(857)に復活したという。蝉丸についても不明なところが多く、盲目の僧と言う伝記があるが、『後撰集』の詞書の「見て」に従うと盲目のはずがないということが指摘されている。岩波書店の新日本古典文学大系『後撰集』(片桐洋一氏)の作者解説では、解説に困って逢坂の関に住んでいたことだけは分かるとするが、これもまたやけくその解説である。それにしても、この本歌を見ると、日本語の基本的な語彙にはなんら変化がないということが分かって、言語と言うものが根本のところでは案外変化しにくい、という性質を知ることが出来るだろう。


さてさて、100首の10分の1が終了しまして、お疲れ様であります。

 

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