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もじり百人一首 粗忽謹製『百人一句』 アップデート版

さて、百人一首を考えていたのですが、松尾芭蕉や西山宗因のような悪戯がしたくなりました。 粗忽謹製の『百句一人』(前半)であります。句番号は、百人一首の歌番号に対応しております。 1 秋の田の わびしき庵の 泊まりかな 2 春過ぎて 天の香具山 衣替へ 3 一人寝る 山鳥の尾の 長き夜 4 田子の浦に 見れば雪降る 高嶺富士 5 奥山に 紅葉踏み分け 鹿を狩る 6 かささぎの 白き霜夜ぞ 更けにける 7 かすかなる 月は三笠の 山に出て 8 宇治山は 都のたつみ うまの刻 9 花の身を ながめする間に 振る男 10 これやこれや 逢坂の関 知るも行く 11 漕ぎ出ぬは 人には告ぐな 海人の舟 12 吹かぬなら 我こそ乙女 とどめばや 13 筑波嶺は 落つるほどある 恋の山 14 しのぶ恋 乱れさせたは そなたなり 15 我が為に 若菜摘む君 袖に雪 16 因幡の山 まつとし聞かば 立ち出でず 17 近ごろは から紅の 竜田川 18 岸に寄る 波さへ避くる 通ひ人 19 難波潟 葦の丈ほど 逢ひたくて 20 わびぬれば 逢はむてはずに 身を尽くし 21 今行くと 有明までも 待たせけり 22 山風を あらしと読まむ 教へたらば 23 月みれば 千里ひとりが 悲しがる 24 この度は 取りあえず芽吹く 手向山(既出) 25 名にし負はば 人に知らせで 食ふもなか 26 小倉山 またのお越しを 待つ紅葉 27 いつか見し すうらんみきが 恋しかろ 28 山里は 夏ぞわびしき 茂る草 29 心当てに 折らばや白き 菊の花 30 有明で 振ると乗り物 無い別れ 31 朝ぼらけ 月みる指に 触れる雪 32 しがらみは 流れぬ紅葉 春までも 33 散る花に のどかに差すや 日の光 34 高砂の 松を老いては 友とせむ 35 花はいさ 心も知らず 咲くばかり 36 夏の夜は はや明けぬると 探す月 37 無風でも 玉と散りけり 秋の露 38 忘らるる 身をば思わず 減らず口 39 浅知恵で 隠せど余る 恋心 40 忍ぶれど 声に出でにけり 勝ち歌は 41 敗れても 我が名立ちけり 恋の歌 42 波越えて 袖しぼりつつ 干す涙  43 比ぶれば 逢ひ見て後の 物思ひ 44 逢ふことの なかなかなくて 恨み言 45 覚えのない いたづら言は 削るべし 46 ゆらゆらと 行方も知らぬ 恋の...

もぢり百人一首 事の始めは芭蕉の句 アップデート版

 うかれける 人や初瀬の 山桜 (芭蕉) この芭蕉の句は、『カラー図説日本大歳時記』(講談社)から見つけて参りました。 この句を見た時、一瞬目を疑いました。言ってみれば、『太陽に吠えろ』のジーパン刑事が、腹部に手をやって、その感触を確かめた時のように、「何じゃコリャ」なのであります。あのドラマの場合は、小心者の若者が、何者かから逃げ回りまして、扱い慣れていない拳銃などを手にしておりましたから、ジーパン刑事は親切にも若者の恐怖心を和らげようと声を掛けながら近付いたのであります。「ね、君、それ危ないから、おじさんにその拳銃渡しましょうね、大丈夫、大丈夫、おいらが預かってちゃんと処理するから」というように、松田優作さん演じるジーパン刑事は近寄ったんでした。それで、馬鹿な若者に撃たれたのであります。つまり、芭蕉の句があるぞ、どんなかなと思いまして、あれれこれは和歌ではないか、それも百人一首ではないか、それにしちゃ短いね、何かの間違いでありますな、などと思ったわけなのであります。 うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを    (『百人一首』74番・源俊頼朝臣) この、割と有名な歌の上の句とほとんど同じなんであります。松尾芭蕉さんが、なんでまた剽窃まがいのことをやっているのかと思ってしまうわけでありまして、「り」を「れ」に代えて、「を」を「や」に代えまして、それでもって三句目の「山おろし」というのを「山ざくら」でありますから、「おろし」を「さくら」にしたに過ぎないのであります。なんだかそば屋に入りまして、天ぷらセットかなんかを頼んだのでありますが、「もりそば」を「ざるうどん」に代えてとか、薬味の「おろし」を「わさび」に代えたとか言うような、せこさなんでありますね。注文を受けたお姉さんは黙って伝票を付けるでしょうが、調理している店主は「またかい」というように反応するで有りましょう。そういう方いらっしゃいますね。そういうようなことで和歌を俳句にできるのならば、誰でもチャレンジできちゃいそうでありますね。ただ、元の歌の分かりにくさに比べると、松尾芭蕉師匠の俳句は分かりやすいわけで、ひょっとしてすごく有名な句なのかとさえ思いました。 芭蕉の句は、寛文七年(1667)、24才で、北村湖春編『続山井』に伊賀上野宗房として入集したもの。 ご存じとは思いますが...

もぢり百人一首(100) アップデート版

 100 ももひきや 古き軒端に 干しあまる 人目を忍ぶ 翁なりけり (通釈)ああ、寒い冬だこと。断捨離しようと思っていて、忘れて取っておいたももひきが、こんなに役に立つとは思わなかった。この佐渡の古い住居の軒端に、洗って干すのだけれど物干しざおが足りないね。目立ちたくないなあ。人目を忍ぶ都落ちの私としては。もう年だしなあ。 (語釈)〇ももひき……腰からくるぶしまで、下半身に密着したズボン型の下着。Wikipediaによると、ポルトガルから伝来したもので、江戸時代以降普及したらしい。 (本歌)ももしきや 古き軒端の 忍ぶにも なほ余りある 昔なりけり     (『続後撰集』巻第十八・雑下 1211番 順徳院御製「題知らず」) 順徳院の歌が『百人一首』のしんがりです。「しんがり」を漢字表記すると「殿」なんですが、今この表記を「しんがり」と読ませるのは無理がありそうですね。この方は、仁治三年(1242)に崩御されたのであります。佐渡院とも言いまして、後鳥羽院が隠岐に流されたように、こちらは佐渡に流されて現地で亡くなられたそうです。実は、藤原定家さんはその前年、仁治二年(1241)に亡くなっておりますが。何の根拠もなく思うのですが、『百人一首』を贈るのにふさわしいのは、この順徳院という『百人一首』の最後を飾る帝王ではないのか、という気がいたします。前にどこかで、左近の桜を藤原定家さんが伐りに行く話がありまして、その時許したのが順徳院でありまして、そういう点では巡り合わせのよい二人でありますから、この方にプレゼントするなら、『百人一首』の構成はふさわしいでありましょう。それ以外にもらって喜ぶ人の顔が浮かばないのであります。いや、顔はもともと浮かばないので、喜ぶ人の名前が浮かばないと言い直しておきたいと思います。『百人一首』をもらって喜ぶのは、順徳院ただお一人のはずであります。        どうやら『百人一首』の末尾三首については、その歌人の人名表記が問題のようです。藤原家隆が従二位になったのが、文暦二年(1235)9月10日のことでありまして、これが嘉禎元年と改められます。嘉禎三年(1237)4月9日に家隆さんは従二位のまま亡くなりますけれども、この家隆さんが従二位の間に、『百人一首』が成立したという可能性が指摘されております。それ以前だと、三位でなければならない...

もぢり百人一首(99) アップデート版

99 あぢきなく 我も無駄飯 魚食ふ身 世を思ふ身の 惜しくもあるかな (通釈)ああ、結局戦に負けて、とんでもない遠島に流されてしまった。つまらないことに、この吾輩もこうして日々無駄飯をむさぼる身の上となったことだ。その割には魚はうまいのう。世の中の政を考える身の上が、こうなってみると残念至極だ。 (語釈)〇無駄飯……「無駄飯を食う」で、働きもしないでぶらぶらすること。よって、無駄飯とは役立たずに仕方なしに与える飯のことで、出来れば食わせたくないもの。ニートに提供する食事であるから、今なら働かない人に、スマホやパソコンを与え、三食昼寝を提供すること。   (本歌)人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は     (『続後撰集』巻第十七・雑中 1199番 後鳥羽院御製「題知らず」) 後鳥羽院の歌も、源実朝の歌と同じでありまして、何かこう正面から味わったり口ずさんだりしにくいものがあるのであります。やっぱり痛ましい感じがぬぐえないのでありまして、だから後鳥羽院の歌の善し悪しを考えるという気分にならないわけです。近代日本の日本史、あるいは江戸時代以前の古代・中世史の扱いのぶれみたいな物が、学校の教科書にまとわりついていて、何だか靄が掛かるのであります。おそらく、教わった私たちは戦後世代も相当進んであっけらかんとしていたんですが、教えていた方は、自分の両親より年配でしたから、お国のために死を覚悟していた世代で、我々を教えにくかったことでありましょう。後鳥羽院に関することで私が印象的なのは、後鳥羽天皇宸翰御手印置文というものであります。 「宸翰」というのは、天皇の御直筆というような意味のはずですが、ウィキペディアによると、「置文」のほうは遺言とほぼ同意ということなのであります。暦仁2年(1239)、隠岐に流されていた後鳥羽院が崩御を覚悟して、亡くなる13日前に書いた遺言状なのでありますが、私はこれを京都国立博物館の展示で見たことがございます。文面には後鳥羽院の手形が最後に押してあるんですけれども、ちょっとなまなましいのであります。見たところは鮮血のようでありまして、なにを手に塗りつけたのか、気になるほどの鮮明さなのであります。いまは、水無瀬神宮にあるようですが、手形の指のしなやかさ、大きさが何かを物語ってはいないでしょうか。      この歌は、出...

もぢり百人一首(98) アップデート版

98 風そよぐ 小川のみそぎぞ やせ我慢 はや夕暮れの 風の寒さや (通釈)さあさあ、恋の成就を願って賀茂神社の小川でみそぎをいたしますよ。まあ、何のかんの言ったって夏でございますから、どうにかなるでしょうよ。おや、指貫は裾をたくし上げただけじゃダメなんですか。脱ぐのこれ? さっきまで風がそよいで涼しいなんて言っていたけれど、もう夕暮だから寒いじゃないの。えええ、見物が出ているって? 賤・山がつに見られてるって。じゃあもう、平気の平左、いくらでも浴びますよ。へえくしょい。 (語釈)〇やせ我慢……実際には相当苦しい状態なのに、意地を張って平気なふりをしていること。痩せるほどのつらい思いをして、意地を通すこと。近ごろは、「痩せる」ことがよいイメージなので、使われなくなりつつあるような気がする。 (本歌)風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける     (『新勅撰集』巻第・夏 192番 正三位家隆「 寛喜元年女御入内屏風」 )※『百人一首』では、従二位。 藤原家隆さんというのは、もちろん『新古今集』の撰者の一人でありまして、奥州の玄関口に当たる白河の関というところを訪問しますと、松平定信公が江戸時代にここが昔の白河の関蹟だろうと認定した神社があるんですけれども、その白河神社という神社の境内の中に、この藤原家隆さんがわざわざ京都から贈ってきたという「従二位の杉」というのがあるんであります。本当なら樹齢800年と言うことになりまして、あるいは二代目なのかもしれませんが、ともかくそういうことを示す掲示板が存在するのであります。従二位というのは相当に身分が高く、『新古今集』の撰者たちというのは、たとえば『古今集』の撰者の代表であった紀貫之などが望めない高位高官なのであります。島津忠夫先生が、角川ソフィア文庫で、この人は寂蓮の女婿であるという指摘をしていまして、寂蓮という方は一時俊成さんの養子でしたから、要するに俊成ファミリーの人だったわけであります。もちろん俊成さんのお弟子の中でも傑出した人であることは間違いなく、定家のよき相棒、定家がマイケル・ジョーダンなら、この人はスコティ・ピッペン氏に間違いないわけで、定家よりも遙かに好人物という印象があるのであります。 2011年段階なら、1990年代にNBAでシカゴ・ブルズが6回優勝した時の主力の二人ジョーダンとピッ...

もぢり百人一首(97) アップデート版

97 来ぬ人を 待つ塩鮭の 夕餉かな 焼くや浜辺に 焦がさぬように (通釈)毎日お仕事ご苦労様。今夜のおかずは塩鮭よ。見渡せば花も紅葉もないうらぶれた浦の苫屋の秋の夕暮に、焼き始めるやいなや、けっして焦がさないように火加減をして、まだ来ないあなたのことを今か今かと待っているのよ。ほんとに毎日お仕事ご苦労様。今夜のおかずは塩鮭よ。見渡せば花も紅葉も……。 (語釈)〇塩鮭……「しおざけ」または「しおじゃけ」。荒巻鮭とも言い、内臓を抜いた鮭を塩漬けして保存性を高め、熟成した状態で食用にするもので、かつてはお歳暮としての定番であった。現在でも、夕食や弁当のおかずとしてはポピュラーなものの一つ。近ごろでは、適度に塩抜きをして骨も抜いたレトルトの状態のものもあり、電子レンジで手軽に温めて食べられる。ガスレンジが普及するまでは、塩鮭も含め焼き魚は屋外に出て七輪で焼くことが多かった。  (本歌)来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ     (『新勅撰集』巻第十三・恋三 849番 権中納言定家「建保六年内裏歌合に恋歌」) 『百人秀歌』だと、この歌が最後の100番の歌でありまして、その後に藤原公経さんの歌が来るのであります。もし、『百人秀歌』と『百人一首』がどちらも藤原定家さん自身の自選秀歌撰だとすると、まったく自分の歌を落とす気持ちは無かったと言うことになりますね。『古今集』において紀貫之は、歌が足りなくなると自分で作って「詠み人知らず」として入れてしまったなんて話を聞いたことがあるんですが、その一方で『後撰集』の撰者である梨壺の五人という方々は、自分たちの歌を採用しませんでした。紀貫之は不評を買い、梨壺の五人は敬意を勝ち取ったらしいのであります。そう習ったか、本で読んだだけで検証していないので間違っているかも知れませんが、撰者のあり方としてはどちらもアリでありましょう。 この藤原定家の歌も、『新古今集』の歌ではなくて、『新勅撰集』の巻十三・恋歌三・849番に入っているんであります。『新勅撰集』の撰者は藤原定家さん自身ですから、まあ言ってみれば自讃歌でありまして、たしかに一度見たら忘れられない「もみもみ」した歌であります。「もみもみ」がどういう概念なのかは私にはまったく分からないんですが、ずるい言い方をすると「もみもみ」という擬態語は、この歌のためにあ...

もぢり百人一首(96) アップデート版

96 花の雪 降り行く庭の 嵐かな 我が身の老いを 誘いがてらに (通釈)邪魔者はどこかに去って、この春は本当にのんびりと桜を見物できることよ。おお、春らしい暖かい強い風が折しも吹いて来た。どんどん老いさらばえて行く我が身の老いを、まるで誘うかのように、桜の花びらが庭で雪のように降り行くことよ。我が身も戦場で散らなくても、まもなく散る身になったことよ (語釈)〇降り行く……「雪が」降り行くと、「老い」が古り行く、の掛詞。〇嵐……現代語では、強く吹く冷たい風、または暴風雨。中国語の「嵐」という漢字は、山の清らかな風、または爽やかな空気の意味である。 (本歌)花誘ふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり     (『新勅撰集』巻第十六・雑一 1054番 入道前太政大臣「落花を詠み侍りける」) 太政大臣でありますから、めちゃめちゃえらい人であります。この地位は大相国とも呼びますけれども、平清盛がそう呼ばれていたことをご存じの方もいるでしょう。こちらの太政大臣は、藤原公経という方で、承久の乱後に太政大臣に命じられているのであります。その家柄を西園寺家というんですが、鎌倉幕府寄りのお公家さんの代表でありまして、京都側は実は新幕派の貴族の方が多かったんです。えらい人なんですが、実はこの人のお姉さんが、藤原定家さんの奥様でありますから、なんと藤原定家さんは太政大臣の義兄に当たる人なのであります。定家さんが後鳥羽院とそりが合わなくても仕方ない側面もあったということです。ともかく、奥さんの弟が歌がうまくて、『百人一首』に選んでも恥ずかしくない歌人なんですが、それが太政大臣なら胸が張れますね。今なら、義弟だよって紹介して出てきたのが、石川遼くんだったり、松井秀喜さんだったり、コービー・ブライアントだったりするという感じでありましょう。その場合、こちらも青木功さんだったり、長嶋茂雄さんだったり、マイケル・ジョーダンだったりしないと、もちろん釣り合いは取れません。ため息が出ますね。以上は2011年のラインナップですが、2023年なら義弟はリオネル・メッシだったり、イーロン・マスクだったり、藤井聡太さんだよってことですね。歌は、非常にいい感じでありまして、初老に入った人なら、今後の愛唱歌はこれでありましょう。前半の落花の光景もゴージャスですし、後半の老境のつぶやきもさまになりま...

もぢり百人一首(95) アップデート版

95 おほけなく お上もおほふ 苔ごろも だれかれとなく 冥加あらせたまへ (通釈)大変僭越ではございますけれども、ここにおります私慈円は、あの後鳥羽院さまをもやさしく包み隠すほどの、ありがたい僧衣を持ち合わせておりまする。よって、誰彼と無く、もちろん隠岐の島においでの上皇様にも、仏様、どうかご加護をくださりませ。 (語釈)〇お上……上様。ここは隠岐の後鳥羽院を暗に示す。〇苔ごろも……僧侶の着る僧衣のこと。墨染めの衣料。〇冥加……「みょうが」と読むが旧仮名遣いは「みやうが」。神や仏が衆生に密かにお下しになる恵のこと。 (本歌)おほけなく 憂き世の民に おほふかな 我が立つ杣に 墨染めの袖     (『千載集』巻第十七・雑中 1134番 法印慈円「題知らず」) 『千載集』では法印慈円ですが、『百人一首』だと前大僧正慈円とでてきまして、仏教界の格付けはよく分かりませんが、どんどん偉くなった方なのだろうと分かります。それにしても前の雅経の歌が非常に分かりやすいのに比べて、慈円の歌は、なんとなく最初から疎遠なものを感じます。よく考えてみると、私は「憂き世の民」でありますから、覆われているわけですけれども、そりゃありがたいと思うかというと、何だか迷惑なような気がしてしまうんですね。歌のサイズが大きいというか、特大の僧衣を着たお坊さんでありまして、慈円がウルトラマンのような巨大サイズに感じてしまいまして、いいえけっこうです、迷える衆生はなんとか自分なりにやっております、ほっといて下さいというような気持ちがしてくるのであります。慈円さんは、後鳥羽院をいさめるために『愚管抄』を書いた人でありまして、生まれも藤原摂関家でありますから、身分も高いが実力も充分の立派な人なのであります。     三句切れの歌であります。句切れがあるということは、実は歌が倒置法によってひっくり返っていることが多いわけで、そのために解釈が難しくなるのであります。何遍も繰り返し口ずさんでいるうちに、倒置が元通りになって、主旨が見えたりいたします。つまり、「墨染めの袖(を)おほけなく憂き世の民におほふかな」となりまして、生意気にも衆生を救済しようとするのだ、というような決意でありまして、お坊さんとしての決意を表明しているのであります。「おほけなく」という言葉は、語源も不明でありまして、現在は使わないのでありますが...

もぢり百人一首(94) アップデート版

94 み吉野の 衣打つ音 小夜の風 飽きても寒く しない約束 (通釈)吉野の里で砧で衣を打つ音が夜風に乗って聞こえる季節になりました。秋になって飽きても、都から通ってきて、一緒に共寝をして暖かくするお約束で、絶対に寒くしないと彼は約束……ううう、あれは嘘だったのね。 (語釈)〇み吉野……吉野を歌の中ではこう言う。〇衣打つ……冬支度として衣を砧で打って柔らかくすること。絹なら艶出しにもなる。 (本歌)み吉野の 山の秋風 さ夜更けて 古里寒く 衣打つなり     (『新古今集』巻第五・秋下 483番 藤原雅経「 擣衣のこころを」 ) 作者は、飛鳥井雅経とも言うんですが、参議まで昇った人でありまして、『新古今集』の撰者の一人でもあります。鎌倉幕府までしょっちゅう出かけていた人で、フットワークが軽かったようであります。蹴鞠の飛鳥井家の祖でありまして、後鳥羽院と蹴鞠を蹴っていた人のはずであります。今だったら、お公家さんのサッカーチームのミッドフィルダーなどというポジションで活躍していたはずであります。藤原定家の息子の為家さんが、新人でフォワードを務めていたんじゃないかと思います。キーパーは後鳥羽院でありますね。紅い手袋を付けまして、手のひらを味方に振りかざして仁王立ちする姿が浮かびます。冗談はさておき、鴨長明を源実朝公に紹介したのもこの人、飛鳥井雅経ではなかったでしょうか。乱世を生き抜いた、たくましい人物なのです。要領がいい人で、本歌取りもうまいんですが、人の歌をいいなあと思うと、同時代人の歌でもかまわず本歌取りしてしまう人だったそうです。もちろん、この歌も本歌取りの歌でありまして、私はこの歌わりと好きであります。和歌って、こうでなくちゃ、というような軽さであります。切れ味もあるんですね。たぶん、処世術に長けた憎めない人でしょうけれど、じゃあ信頼に値するかと言うと首をかしげます。鴨長明はすぐに都に戻って、うじうじと恨みがましく翌年の春に『方丈記』を書きました。あれは、400字詰め原稿用紙なら10枚くらいですから、一晩で書けるものです。雅経の話に乗ったことを死ぬほど後悔したんだろうと、憶測いたします。     み吉野の 山の秋風 さ夜更けて 古里寒く 衣打つなり     (『百人一首』第94番 参議雅経) み吉野の 山の白雪 つもるらし  古里寒く なりまさるなり     (『...

もぢり百人一首(93) アップデート版

93 世の中は 常にももなか 甘い物 駄目よと叱る 綱手かなしも (通釈)この世の中を生き抜くには、いつでも最中のような甘いお菓子が必要で、これがなければ生きては行けない。それなのに、太るから駄目よと叱る、最愛にして最も憎らしい妻の引き締める綱手が辛く悲しくせつないことよ。ああ、いやいや、愛しくてならないことだ。 (語釈)〇もなか……こねた米の粉をうすくのばして焼き、中にあんをつめた平たい菓子。(『三省堂国語辞典 第四版』)「平たい」というのは特定の最中を考えていたようで、笑えます。〇綱手……川や海岸で櫂を使って航行できない時に、船を引いて移動させるための綱。〇かなし……「悲し」と漢字を当てて悲哀を表す形容詞だが、古くは「愛し」と漢字を当てるような感動や愛着を表すこともあった。 (本歌)世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも     (『新勅撰集』巻第八・羇旅 525番・鎌倉右大臣「題知らず」) 鎌倉右大臣というのは、もちろん源実朝でありまして、鎌倉幕府の第三代の将軍でありますけれども、彼の人生というものが、私の頭の中でうまく像を結ばないところがあるようです。それでも、2022年には三谷幸喜さんの脚本でNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』放送されまして、輪郭はなんとなくわかったような気がしました。それでも、その最期が痛ましすぎて、なんだか目を背けてしまいたいような気がいたします。そう言えば、和歌に関して遠い昔に学んだ時に、藤原定家についてはいろいろと問題になって耳にしたことがあまたあるんですが、源実朝のことはほとんど何の問題も聞いたことがないような気がするのであります。私の方に興味関心が乏しいものだから、聞いても意識にのぼらなかったのかも知れませんが、第二次世界大戦に敗北した国では、鎌倉時代の若死にした将軍さんのことなんて話題にしようもなかったかもしれません。国粋主義で戦争好きの近代には、なぜか『万葉集』がもてはやされましたが、戦争が終われば平和な時代には微妙に受けなくなったあおりがあったことでしょう。 この歌についても、末句の「かなし」の意味が分かりませんし、初句・二句がその「かなし」とどういう関連があるのか、にわかに分かりかねるのであります。よく言うと、歌柄が大きすぎて私の手に負えないとも言えますが、悪く言うと、はったりがあるような気もするんで...

もぢり百人秀歌(90) アップデート版

90 たまにでも 逢ひたきものよ 我が妹に 由良のみさきに 拾ふ恋かも (通釈)ほんの時々でも、いとしい我がいもうとに逢いたいものだなあ。そうしたら、由良の岬で拾った玉のごとくにこの掌で撫でまわすことができるのに。だとすれば、恋と言うのはこの拾い集める玉のようなもので、たまたま拾うものなのだろう。 (語釈)〇妹……「いも」。男から見た姉妹。妻にした女性を男が呼ぶ場合もある。 (本歌)紀の国の 由良のみさきに 拾ふてふ たまさかにだに 逢ひ見てしがな    (『新古今集』巻第十一・恋一 1075番 権中納言長方「題知らず」)※二句目「由良の湊に」 この方は、藤原定家の従兄弟に当たる人でありまして、ただし年齢は長方のほうが年長でありまして、おじいさんが藤原俊忠という人であります。俊忠の三男が俊成さん、俊成の次男が定家さん、俊忠の娘が長方を生んでおりますことから、従兄弟と言うことであります。俊忠さんという人も歌人でありまして、国信同様、堀河天皇の近臣だった人で歌合を主催したりしていた人なのであります。貴族がみんな歌が出来るかというと、そんなことはありませんので、歌詠みの血筋があったと言うことなのでありましょう。 由良という地名は前に出てきまして、どこなのか諸説がありましたが、これはもう紀伊の国に決まりであります。本歌もあるんですが、三句目までが序詞で、四句目の所に掛詞が仕掛けてあります。「玉」と「たまさかに」でありまして、これは難しくないですね。『新古今集』の恋一に入っておりますが、どうも初句と二句目に異同があるようで、「紀の国や由良のみなとに」となっておりまして、ちょっとの違いですが困りますね。      紀の国の 由良のみさきに 拾ふてふ たまさかにだに 逢ひ見てしがな    (『百人秀歌』第90番・権中納言長方) 妹がため 玉を拾ふと 紀の国の 由良のみさきに この日暮らしつ     (『万葉集』巻七 1210番) 長方の歌には本歌が指摘されています。その本歌は、下に示した『万葉集』の歌でありまして、作者は藤原卿とありますが、それが誰かは判然としないようであります。典型的な本歌取りの歌でありまして、歌の背景を『万葉集』から借りただけで、長方の歌の言いたいことは「たまに逢いたい」と言うことだけなのです。「てふ」が「といふ」の略でありますし、「てしがな」というの...

もぢり百人秀歌(76) アップデート版

 76 咲き初めて 滝にぞ見ゆる 山桜 雲居遙かに 隠岐にいませり (通釈)咲き始めて見たら、なんとまあ滝のように見える山桜よ。その山桜のような帝王であらせられた後鳥羽院は、雲居遥か、隠岐の国にいらっしゃることだ。さようなら。 (語釈)〇隠岐……現在は島根県に属する日本海の諸島。かつては一国であり、流刑の地でもあった。 (本歌)山桜 咲き初めしより 久方の 雲居に見ゆる 滝の白糸     (『金葉集』巻第一 春 50(45)番 源俊頼朝臣      「宇治前太政大臣家の歌合に桜を詠める」) 『百人秀歌』というのは、どうやら『百人一首』の原形らしいと言うことで結論が出ているものであります。存在する伝本はたった二本ということでありますが、藤原定家の日記である『明月記』と照らし合わせても、どうもこちらが宇都宮頼綱(法名蓮生)から依頼された嵯峨山荘の障子にあしらう色紙形和歌のもとであろうと言われておりまして、それが『百人一首』と似て非なる所があるものですから、非常に面白いのであります。そのなかで、歌人の入れ替えに関しては三人を省き、新たに後鳥羽院と順徳院を加えましたので意図は明瞭であります。加えなければならない二人の席を空けるために、お好みの三首の歌を切り捨てたとも言えましょう。問題は、歌人はそのままに歌の差し替えをしたことです。『百人秀歌』から『百人一首』へと変更を敢行した時の、源俊頼の扱いが焦点なのであります。 簡単に言うと、入れ替える前の「山桜」の歌は、ある人物に対して、藤原定家が「人前で発表する時はこう詠みましょう」と推薦した歌であります。晴れの場に歌を提出するなら、こう詠まなくちゃというような見解でありまして、定家さんの考える晴れの歌の代表と考えるのが、この場合の筋と言うものです。一方、入れ替えたあとの「うかりける」の歌は、ある人物から「定家ってやつはこう言うのが好きなんだぜ」と指摘された歌であります。ということは、妙ちくりんな歌なのに、あの定家という奴はこういうのが好みと言うか、趣味趣向なんだよと指摘しておりまして、現在で言うと「定家は変態なんだよ」と暴いたのであります。つまり、俊頼の二首の歌というのは、どちらもいわく因縁がありまして、それが幕府と朝廷の大物に関わることでありますから、事は重大なのであります。もったいぶらずに言うと、前者は源実朝であります...

もぢり百人秀歌(73) アップデート版

73 草の上で とろけてしまう 春の雪 つれなしづくりの うはべなるかな (通釈)春の野に萌え始めた草の上で、降ったと見るや融けて消えてしまう春の雪というものは、見た目にはそっけない応対をする恋人のようなもので、本当はすぐにでもデレデレしそうな上辺だけのものだなあ。 (語釈)〇春の雪……春先に降る雪で、「なごり雪」などと言う時もある。イルカさんというフォークソング歌手が歌って大ヒットした『なごり雪』という歌の歌詞は、三島由紀夫の小説『春の雪』から影響を受けているのではないか。〇つれなしづくり……平気を装う態度。そっけない素振りのこと。 (本歌)春日野の 下もえわたる 草の上に つれなく見ゆる 春の淡雪     (『新古今集』巻第一・春上 10番 権中納言国信      「 堀河院御時百首歌たてまつりけるに、のこりの雪の心をよみ侍ける」 ) 『百人秀歌』の国信の歌であります。『新古今集』の春上に入っていて、なかなかいい歌であります。言ってみれば、「春の雪」を詠んだ歌でありまして、三島由紀夫の小説を思い起こしてしまいますが、三島由紀夫がこの歌を知っていたのかどうか、それは不明でありますが、『百人一首』に入っていたら、あの人気作家に強い影響を与えていたことでしょう。ただその場合は、小説の筋立てが変質し、主人公の松枝清顕がクールな官僚志向の人物に描かれ、綾倉聡子の愛情をかわして破滅に追い込むというふうに主題が変形してしまったかも知れません。ちょっとした和歌の宗匠の匙加減が後世の文学を変化させたかも知れないという、つまらない妄想を申しております。 いや、三島由紀夫なら「春の雪」くらい徹底的に調べて、その上であの小説を構想するくらいのことはやれることでしょう。 作者の国信は決して有名な人ではありませんが、実は和歌の歴史の流れの中では重要な役割を果たした人のようであります。源氏の大臣の子息でありますから、大変なお坊ちゃまでありますが、この人は堀河天皇の忠臣でありまして、『堀河百首』という和歌の近代化といいますか、革命的な催し物を企画した人物ではないかと推測されているのであります。まさに、そうした催しを思い付く人の歌にふさわしいのでありまして、この歌は新しいところがあるのであります。『新古今集』の春上の巻・10番に位置しておりまして、たぶん当時の人々に評価されていた歌と言うことであ...

もぢり百人秀歌(53) アップデート版

 53 亡きあとも 涙の色は くれなゐに 我をひねもす 惜しむこともがな (通釈)私が死んだ後も、帝の涙の色は紅で、どうかわたしを昼間の間もずっと追悼してくれるということがあるといいなあ。 (語釈)〇ひねもす……朝から晩まで、の意。一日中ということ。一晩中の意を表す「よもすがら」とセットになることもある。 (本歌)夜もすがら 契りしことを 忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき     (『後拾遺集』巻第十・哀傷 536番 一条院皇后宮      「 一条院御時、皇后宮かくれたまひてのち、帳の帷の紐に結びつけられたる文を 見つけたりければ、       内にもご覧ぜさせよとおぼし顔に、歌三つ書き付けられたりける中に」 ) ええ、こんな歌あったっけ?と思った方は、『百人一首』をそらんじている立派な方でありまして、これはよく見ていただくと分かる通り、『百人秀歌』という藤原定家の秀歌撰の一つにある歌であります。この『百人秀歌』という秀歌撰は、101人の各一首、計101首から出来ておりまして、その97首が『百人一首』と共通しているというものであります。どうやら、藤原定家が宇都宮頼綱という武士から依頼されて制作したものは、この『百人秀歌』のようでありまして、このことは『明月記』という藤原定家の日記と照合しても確実であります。おそらくこの『百人秀歌』が先に出来ておりましたが、あとで4首を除き、3首を加えてできたのが『百人一首』なのであります。除かれたのは、一条院皇后宮・権中納言国信・源俊頼朝臣そして権中納言長方の歌でありますが、あとで加えたのは源俊頼朝臣・後鳥羽院・順徳院の歌であります。つまり、源俊頼に関しては歌を差し替えただけですが、鎌倉時代の天皇を二人加えるために、除かれてしまった平安時代の歌人が三人いたということなのであります。一条院皇后宮というのは、藤原定子さまのことでありまして、実は『百人一首』には皇后の歌というか天皇の后妃の歌がありませんから、あったら大変な名誉であったわけです。ここから、四首ほど、『百人一首』に落選した歌を紹介してみようという趣向であります。定子さまの歌は、『百人秀歌』の53番目にあるものです。 (我と)夜もすがら 契りしことを (我亡き後も帝が)忘れずは (我を)恋ひむ(帝の)涙の 色(を)ぞ(我は)ゆかしき     『枕草子』に出て来る中宮...

もぢり百人一首(92) アップデート版

92 我が袖は 乾く間もなし 潮干狩り 人こそ知らね 穴場ありけり (通釈)潮干狩りにやって来た吾輩の袖は濡れに濡れ、乾く時もない。誰も知らないのだが、絶好のポイントがあることよ。 (語釈)〇潮干狩り……遠浅の海岸で、砂の中の貝を採取し、あとで食べるために持ち帰ること。〇穴場……釣りなどで、多くの人が見過ごした獲物の取れるポイント。 (本歌)我が袖は 潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし     (『千載集』巻第十二・恋二 759番 二条院讃岐「寄石恋といへる心を」) 作者は、源三位頼政のお嬢さんであります。源三位頼政さんというのは、近衛天皇か何かの時のヌエ退治で有名な方でありまして、その時の話で面白いのは、矢を二本用意していたというエピソードであります。あなたほどの名人が矢が二本とはどういうことですか、と訊かれて、ああ、もし万一射損じたら、おれをヌエ退治に引っ張り出したやつをあの場で射殺そうと思ったのさ、というようなコメントが残っております。以仁王を奉じて平家に反抗した人でありまして、平家滅亡の口火を切った人であります。地方の人ではなくて、摂津源氏と称する都にいた源氏でありまして、晩年に公卿になりましたが、弓の名人でもあったと言うことなのです。そして何より、この頼政さんは歌がうまかったのでありまして、『詞花集』以下に六十一首入る歌人ですから、お父さんと娘が『百人一首』に入っていてもよかったのであります。残念ながら、源三位頼政さんは入っていないのであります。     沖の石というものが一般名詞なのか、それともどこかの地名ないしは固有名詞なのか、という問題がありました。陸奥にあるという説と、若狭説とが対立しますが、まあ仮に陸奥だとすれば、殷富門院大輔の「雄島」(90番歌)も二条院讃岐の「沖の石」も、ともに松島あたりと言うことになりまして、宮城県の塩釜・多賀城付近というのは歌枕がたくさんあるのであります。大和朝廷は陸奥を征夷大将軍坂上田村麻呂によって征服させましたが、貞観地震の大津波で痛手を受けまして、ひょっとしてそのことが陸奥の歌枕に対する平安貴族の嗜好の原因になったのかも知れません。国家運営の難しさ、大規模災害に対する対処の困難、そういった課題を突き付けられ、日本列島程度の広さでも、古代の政府にとっては統治が思ったより難しかったのかも知れません。...

もぢり百人一首(91) アップデート版

91 きりぎりす 衣片敷き つぶさじよ 鳴くや霜夜に 共寝するかも (通釈)キリギリス君、今夜は私は寂しい寂しい独り寝なので、あなたのこと潰さないわよ。あなたが鳴くやいなや、寒い霜の降りる夜に、さっさと添い寝するかも。 (語釈)衣片敷き……衣を片敷きにして、ということ。男女が共寝する時は二人の衣を敷くが、一人の時を「片敷き」と言うらしい。本当はよくわからない。〇共寝……添い寝。男女が同衾する場合にも使う。 (本歌)きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き 独りかも寝む    (『新古今集』巻第五・秋下 518番 後京極摂政前太政大臣「百首の歌奉りし時」) 作者の藤原良経さんと言う人は、身分の高い人であります。例えるなら、貴族のサラブレッドでありまして、血筋のよさは群を抜いております。『新古今集』の時代というのは、歌壇の指導者は藤原俊成であったわけですが、後鳥羽院という歌の詠める帝王が出現しまして、そこにこの歌の作者が加わり、天才歌人定家を中心とした男性歌人、さらに女流歌人もたくさん加わりまして、大盛況だったのであります。30人の歌人に百首歌を提出させて、これを歌合の形式につがえまして、合計3000首の『千五百番歌合』などという催しまで行われまして、空前絶後の和歌の大ブームだったと言うことが出来ましょう。その華やかさのなかで、この作者の存在もまた輝いていたことでしょう。藤原良経というのがお名前ですけれども、実は『新古今集』の仮名序の筆者でもありまして、才能でも抜きんでていて随一であります。しかし好事魔多し、この方は『新古今集』が完成を見た頃に、頓死しているのであります。何があったのかはともかく、この人が生きていたら、その後の歴史は多少違っていたはずなのであります。田辺聖子さんの角川文庫本は、この人を撰者の一人だと言うのですが、ちょっとした誤解のようです。和歌所の寄人(よりうど)ではありますが、撰者ではありませんでした。     『新古今集』の秋下の歌ですが、もはや純粋な季節の歌を読む時代ではありませんから、これが恋の歌に入っていても驚かないわけですね。本歌が二首指摘されていて、その二首とも恋の歌でありますから、ちらつく本歌の恋の気分を漂わせながら、霜夜の寒さというものを表現したわけであります。これだけ高貴な人が、最先端の歌の詠み方を取り入れまして、時代の波に乗っ...

もぢり百人一首(90) 追加 It's new work.

見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず   (『百人一首』第90番・殷富門院大輔) 2021年バージョンでは、この歌に関して特に疑念も抱かなかったようで、従来の解釈の範囲で満足して、後はいろいろと思い出話などをしてお茶を濁してみたようです。2023年にこの歌を見ると、はっきりと問題点が浮かびまして、困ったなあと思う次第です。 諸説は、「だに」の解釈を誤っているのではないかと思います。前にもどの歌かで触れましたが、この副助詞は現在使われませんので、なかなかニュアンスを捉えるのが難しいんですが、世間では次のように説明することでしょう。    「Aだに~、ましてBはいとど~」という類推用法。     (訳)Aさえ~、ましてBはますます~。    「Xだに~意志・希望・仮定・命令」という願望用法。     (訳)せめてXだけでも、~しよう・~したい・~したら・~せよ。 だから、諸説は類推用法だとして、「雄島の海人の袖だに~、まして我が袖はいとど~」とするわけでありまして、私もかつては「そうかもね」と思っていたわけです。この説には、たぶん二つの弱点がございます。一つ目の弱点は、二つの袖を受ける「~」の部分が「濡れにぞ濡れし色は変はらず」なんでありますが、この表現の「濡れにぞ濡れし」という表現が濡れたことを強調しておりまして、これ以上強調しようがないということです。「だに~まして」の呼応からすると、この「濡れにぞ濡れし」をより強調しなければならないので、じゃあ「私の袖は赤く変わったのだ」と考えるんですが、「色は変はらず」と「色は変はりたる」は反対でありまして、そこが弱点になります。 二点目の弱点のほうが重要になりますが、初句の「見せばやな」は初句切れなので、倒置法となるはずですが、四句目あるいは五句目では倒置できないのであります。四句目の「し」は「ぞ」の結びの連体形ですから、初句には倒置できません。五句目の末尾「ず」も終止形か連用形ですから、せいぜい連用形とみなして四句目に掛かると考えるしかありません。ということは、ここが肝心かなめ、今回の大手柄になるはずですが、実は、この殷富門院大輔の歌は三句切れなのではないか、ということです。だとすると、その語順を変えると、「雄島の海人の 袖だにも 見せばやな」と言うことになりまして、「ばや」が希望表現の終助詞です...

もぢり百人一首(90) アップデート版

90 見せ場かな 色かはりたる 海女の袖 濡れにぞ濡れし あかいなみだに (通釈)やっぱりあの場面が見せ場だよね。海女の女の子の袖は、海水ではなく、甘い恋の涙に濡れに濡れて、その赤い涙で赤く染まってしまったのさ。赤く色が変わっている海女の袖は、実はたき火に干してあるんだけどね。 (語釈)見せ場……特に人に見せたくなるような、価値のある場面。山場とも言う。演劇などで、人気のある演目の中でも話題になるような派手な場面のこと。三島由紀夫の『潮騒』という小説なら、火を飛び越えて海女の女の子が意中の男子の胸に辿り着くところ。この小説の映画化は、コンプライアンスを考えると今後は非常に難しい。 (本歌)見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず     (『千載集』巻第十四・恋四 884番 殷富門院大輔      「歌合し侍りけるとき恋の歌とて詠める」) 「涙で色の変わった私の袖を見せたいなあ」という歌なのであります。恋に泣き濡れたために、涙を袖でぬぐってみたら、涙が血の涙でありますから。真っ赤っか、この袖を見たら、だれも本気の恋であることは疑いません、まして恋の相手であるあなたは、というような歌なのであります。どこにもそんなことが書いてないのですけれども、これはそういうことが自然に分かる仕掛けの歌で、とても上手であります。緻密な歌でありまして、このあたりが日本の古典の歌の頂点を形成しているわけです。ここで思うのは、小学生の頃の私たちの袖でありまして、真冬などは、風邪を引いたりしますと鼻水が垂れるわけです。青っ洟などといいまして、なんとも表現できない危険な色の鼻水を垂らす子供がたくさんいたのです。それを、セーターの袖で拭いますから、袖はとんでもない色になっていて、光っていたりしたものです。血涙というのは、蝉の涙のことでありまして、あれだけ鳴いたら蝉の涙はすごい色だろうというのが古代中国の想像力でありまして、秋の紅葉の原因は蝉の血涙なのであります。この歌は、現代では好まれませんが、血涙なんて見たこともないわけで、それもうなずけますね。   『百人一首』の探索も、90首となりまして、あと一割、10首を残すばかりとなりました。 春から夏へと、随分長い間毎日のように『百人一首』に取り組んできましたけれども、計画的に取り組んできたわけではありませんから、不十分はもとよ...

もぢり百人一首(89) アップデート版

89 弱るなら 絶えなば絶えね 玉の緒よ 長らく忍ぶ 恋ぞ苦しき (通釈)あの方のことが大好き。声を掛けていただきたいし、そうなったら思いのたけをこめて返事をしてみたい。いっそ声をこちらから掛けようかしら。いえいえ、そんなことをしたら父上は怒り狂って、あの方を流刑にだってしかねない。ああ、でももうこらえられない。私の我慢する気持ちが弱るなら、我が命よ、絶えてしまうのならば絶えておしまい。命が絶えても惜しくもなんともない。こうして子供のころから、あの方への思いを忍んできた、この恋心がつらくて苦しくて切ない。 (語釈)玉の緒……玉を貫いた紐を原義とする単語。命の意。  (本歌)玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば 忍ぶることの 弱りもぞする     (『新古今集』巻第十一・恋一 1034番 式子内親王「百首の歌の中に忍恋を」) 何となく、私の中で『百人一首』と言えば、この歌なのであります。つまり、子供心にまったく意味の分からない歌でありまして、私がいつごろまで子供だったのかというと、30歳くらいまででありまして、その頃にようやく物心が付いた感じがいたします。冗談はともかく、ぼんやりとした子供時代の心の中を、私の頭の中の「憂いの篩(うれいのふるい)」を使ってのぞいてみますと、『百人一首』というのは、この歌の印象なのであります。分からない歌ですから、お勉強もいたしまして、修辞技法の説明も、しようと思えば出来るんですが、それにしても全体として分からないところだらけの歌であります。「憂いの篩」というのは、『ハリー・ポッター」に出て来る、過去を探る魔法のアイテムのことです。 もちろん、知ったかぶりはいくらでも出来るんですが、どこか現代語として通じるところがあるでしょうか? もちろん、「絶え」とか「長らへ」とか「忍ぶる」「弱る」「する」という動詞は、活用形の問題はあっても現代に残っておりまして、じゃあ本当に分かるかというと、ここまでの経緯を振り返ったら、油断は禁物であります。さらに、唯一の名詞が「玉の緒」でありまして、中村玉緒さんは勝新太郎さんの奥さんでありまして、あれが芸名ならここから取ったものかも知れません。ということで調べると、「玉緒」というのはご本名だそうです。いい名前でありますね。ともかく、「なば」とか「ね」とか、「もぞ」と、手強い手強い文法まで入ってまして、なかな...

もぢり百人一首(88) アップデート版

88 何がええの? 恋ひわたるべく 身を尽くし ひとよひとよに ひとみごろかな (通釈)宮廷にお仕えすることのどこがいいものなの? とお尋ねですか? そりゃあもう、難波江の葦の刈り根が一節残っている程度なら、船が流れを渡って行く時に澪標が見やすいように、恋の駆け引きが続くようにこの身を尽くして、立派に世を渡る身分の高い方を毎晩毎晩品定めする機会がたくさんあるところなのよ。声を掛け合う二人の世界。 (語釈)〇何がええの?……「難波江」を掛けてある。〇身を尽くし……「澪標」を掛けてある。〇ひとよひとよにひとみごろ……平方根(ルート)√2は、1.41421356……で、これの暗記法が「一夜一夜に人見頃」であります。もちろんこれを二乗すると「2」になるわけです。「ひとよ」は、「一夜」と「葦の一節」の掛詞。  (本歌)難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき     (『千載集』巻第十三・恋三 806番 皇嘉門院別当      「摂政、右大臣の時の家の歌合に旅宿逢恋といへる心をよめる」) この作者は、どちら様でございましょう。とんと見たり聞いたりしたことがありませんので、歌のうまさと言いますか一発屋といいますか、たった一首の佳作によって、100人の枠に当選したと言うべきかも知れません。注釈書は、この作者の周辺を探って、藤原定家が採用した根拠をくまなく探ったようであります。歌の言葉は、「難波江」も「葦」も「みをつくし」も、すでに『百人一首』のこれまでの他の歌に登場しまして、目新しくはないのであります。「かりね」は、「刈り根」と「仮寝」の掛詞でありますし、「ひとよ」に「一節」と「一夜」、「みをつくし」も「澪標」と「身を尽くし」の掛詞であるのは明白でしょう。歌物語には、「葦刈り伝説」というのがありまして、古代の悲恋の典型なんでありますが、そう言ったことも連想いたします。注釈書は当然その辺を丹念に指摘している物と思うのですが、念のため調べてみたいと思います。 「難波江」に「名には」、「葦」に「悪し」が響いている可能性があるんですが、諸注釈には見当たりません。不思議だ。      『千載集』の恋三・806番に出て来るんでありますが、ぐっと恋にのめり込む気持ちを表現しているのであります。この辺が、単独で歌を鑑賞する『百人一首』の注釈書では、ちょっと薄味に...

もぢり百人一首(87) アップデート版

87 濡れ落ち葉も 霧立ち昇る 秋の暮れ 震災の涙も いまだ乾かぬに (通釈)東日本大震災は冬の終りの三月のことだったが、それから春が過ぎ夏が過ぎ、気が付けば震災の涙もまだ乾かないのに、広葉樹の木の葉も散る秋が来て、夕暮れには霧が立ち込め落葉を濡らすように、まもなく一周忌の冬が迫ってきたことよ。 (語釈)〇濡れ落ち葉……振り払ってもなかなか取れない濡れた落葉。定年退職後、趣味もなく友人もいない男が暇を持て余し、妻から離れずに生活する様子の比喩に使われて久しい。昭和の仕事人間の末路として有名。〇震災……2011年3月11日の東日本大震災を指す。この『百人一首』に関するブログ記事は、その前後に書き散らしていたもの。      (本歌)村雨の 露もまだ干ぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮     (『新古今集』巻第五・秋下 491番 寂蓮法師「五十首の歌奉りし時」) ここまで、あまり打ち込みすぎない程度に、半分冷やかし気分、その反面ひじょうにきまじめに『百人一首』をとぼとぼ読んで参りましたが、それなりに解釈の問題点が浮かんで参ります。お勉強で習った歌などは先入観がありまして、分かったつもりでいるんですが、今ない言葉、変化した言葉を探りますと、そこに解釈のほころびが見えてくるわけでありまして、古典だからしかたないとあきらめずに、それなりの常識を持って対処すると、どうも歌の向こうに、それなりの工夫やら、込められた感情がほの見えてくるようです。 寂蓮さんというのは、実は藤原俊成さんの養子だったことがありまして、つまり藤原定家の義理のお兄さんであります。『新古今集』の撰者の一人でもあったわけで、なかなかの歌人なのであります。ただし、私生活の話題であるとか、ゴシップの類を見たことがありません。調べ尽くして物を言っているのではありませんので、ほんとはあるのかも知れませんね。なんとなく、気持ちのよい、よく練られた秋の歌でありますが、ほんとにそれだけなのか気になります。注目するのは、「まだ干ぬ」というところでありまして、これは「まだひぬ」と読むのであります。「ひ」は「ひる」という動詞の未然形です。「まだ乾かない」と訳してみれば、ほかに何の問題もなさそうですね。しかし、見たまんまの歌かどうか、考えてみたいと思います。 秋の暮れ 雨の後には 霧が出て 濡れた木の葉は まだ乾かない 雨の後...

もぢり百人一首(86) アップデート版

86 おのが涙に かこち顔なる 法師かな 嘆きは月の 思はするのみ (通釈)おやおや、そこにいるのはかつて北面の武士だった佐藤義清君ではありませんか。出家したのは本当なんだね。剃髪したんだ。なになに、自分の頬に伝う涙について、不満げな態度だね。まあ、法師は木石のごとしって言うから、喜怒哀楽を超越しなくちゃだめだよね。嘆きはあの空に浮かぶ月のように手の届かない、すてきなあの方がそなたの心に生じさせるものなのさ。 (語釈)〇かこち顔……うらめしそうな顔つき。 (本歌)嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる 我が涙かな     (『千載集』巻第十五・恋五 926番 円位法師「月前恋といへる心を詠める」)      ※円位法師は西行法師のこと。 私粗忽庵の大好きな歌であります。別に西行法師だから好きであるとか、何か特別な想い出があるとか、そういうことではありません。あえて言えば、「かこち顔なる」というところが、いいのでありまして、涙を落としながらも、そうした自分の感情に、割り切れないものを感じまして、ちょっと含羞がある、恥じ入っている、というところが微妙にいいのであります。西行法師という人をよく知りもしないのですが、こうした多面的な意識の表出というようなものについては、過去の人では無いような、近代人のような感じがするんであります。西行論でもぶつつもり? などと毒づかれそうですが、西行の歌をよく知っているわけでも何でもありません。なんとなく、胸に落ち着く物があるような気がするわけです。自意識過剰なところが、面白いということです。  『千載集』の恋の五・926番に、円位法師の歌として出て来るものでありまして、「月前恋といへるこころをよめる」という詞書きを見る限り、題詠の歌であります。円位というのは西行の法名の一つでありまして、何だか別人のような気がいたしますね。この歌の問題点は、「かこち顔」という言葉が、元々あったのか、それとも「なになに顔」という表現による、一回こっきりの造語なのかどうかということでありましょう。この歌の、それぞれの句を、ためしに『国歌大観』の勅撰集の索引で引いてみますと、類例が極端に少ないのであります。非常に独創的で、本歌らしい物も見当たらないわけで、この歌人が天性の歌い手であって、けっして努力の人では無いことが分かるのであります。古歌を修得して歌を詠...

もぢり百人一首(85) アップデート版

85  夜もすがら 暇なねやこそ つれなけれ 明けぬもつらし 明けぬるも憂し (通釈)今夜はあの人はお仕事が忙しくて、ここへは来れないんだって。一晩中、暇を持て余す寝室がそっけないこと。あの人はどうしているかと思って眼が冴え夜が明けないのも切ないし、あの人が結局は来なかったとしみじみ知るように夜があけてしまうのもいやで仕方ない。 (語釈)〇暇……「ひま」。何も起きない空白の時間。〇ねや……寝室。人が寝るための建物。「閨」または「寝屋」と漢字表記する。 (本歌)よもすがら 物思ふころは あけやらぬ ねやのひまさへ つれなかりけり     (『千載集』巻第十二・恋二 765番 俊恵法師「恋の歌とてよめる」) 作者は俊恵法師とありますが、この歌は鴨長明のお師匠さんの歌であります。この人の弟子となって、鴨長明は歌人として認められたわけです。俊恵さんと言う人は、源経信さんのお孫さん、源俊頼さんのご子息ですから、親子三代めでたく『百人一首』にそろい踏みであります。相撲で言うなら、千秋楽の三役揃い踏みなのであります。「ひま」のところが掛詞のはずなんですが、そう言う指摘がないのであります。不思議なこともあるものですね。「ねやの隙(ひま)」だと「ねやのすきま」の意味になりますが、それでは直前の「あけやらぬ」と整合性が取れないので意味がないのであります。「あけやらぬ」は「明けやらぬ」とするなら、これは時間がからむ表現で、それにうまく続くのは「ねやの暇(ひま)」つまり「ねやのいとま」という意味でなければなりません。それなら、恋人が訪問してくれないですることもない一晩の嘆きでありましょう。それを指摘するものがないようなのであります。いろいろ見たらあるかもしれませんから、見付けたらごめんなさいをして報告いたします。 よもすがら 物思ふころは あけやらぬ ねやの すきま も つれなかりけり     (『百人一首』85番 俊恵法師の改作 by諸注釈) よもすがら 物思ふころは あけやらぬ ねやの いとま も つれなかりけり     (『百人一首』85番 俊恵法師の改作 by粗忽)    そう言えば、三句目の所は「あけやらで」と記憶していたのですが、本文に揺れがあるようです。『百人一首』のカルタの本文がどうも勅撰集などと相違することがあって、この作品の素性について疑惑を持たれる原...

もぢり百人一首(84) アップデート版

84 長らへば 見し世は常に 慕はしき 憂きこのごろも 甘美なるらむ (通釈)何の事件や事故にも遭わず、だらだらと長生きをしてみたら、昔はいつでもよかったなと思うものなんだよ。いやでいやでしょうがないコロナでマスクを付けていたこの数年も、みんなマスク美人だったなあ、なんて思うことになるんだろう。いや、すでにそういう気分になっている人が多数派だろう。 (語釈)〇甘美……辞書を見ると、「甘くておいしい」という味覚の用法が出て来るが、もはや「甘美な夢」とか「甘美な一夜」というふうに、人が「うっとりする 」ような感覚を表す言葉に変質している。 (本歌)長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき     (『新古今集』巻第十八・雑下 1843番 藤原清輔朝臣「題知らず」) 清輔の歌は、分かりやすくて、味わい深い歌でありまして、無理のない言葉遣いがなされている歌であります。古典ではどの言い回しもふつうの言葉遣いばかりでありありますが、気になるとすれば「憂し」という形容詞が問題なのでありましょう。今までも何度も出てきた言葉でありますから、ここで問題にする必要性はないのですが、「憂い」という言葉は現代には残っておりません。「物憂い」ということばが、かろうじて残っているわけでありまして、そのお陰で何とか「憂し」という言葉は分かった気になるのであります。「いやだ・憂鬱だ」と考えれば当たらずといえども遠からず、たぶん間違ってはいないのでありましょう。しかし、本当はどうなんでありましょう。漢字の「憂」が当ててあるから分かるような気がするだけで、「うから」「うかり」「うし」とか、「うき」「うかる」とか「うけれ」などと平仮名だけで出て来たら、まったく意味が不明かも知れないのです。ともかく、この歌には、過去と現在、現在と未来が意識されていまして、過去も現在も「憂し」という気分で染め上げられているのであります。過去が甘美に感じられるが、その過去においては苦くて辛いものだったわけであります。ひょっとして今の憂鬱も、未来においては恋慕の対象になりかねないという想像力は、非常に納得の行くものであります。 2011年バージョンは以上ですが、2023年ですから、少し考察を深めてみたいと思います。ちなみに、「憂し」は「いやだ・きらいだ・不快だ」という嫌悪を表すと考える方がいいかもしれない...

もぢり百人一首(83) アップデート版

83 非道い道 山の奥には 鹿も無く 足取り重き 帰る狩人 (通釈)道なき道とは聞いていたが、本当に歩きにくい道だ。その上山の奥には鹿の姿すらなくて、帰る狩人の足取りも自然に重いことよ。付いてきて損をしたよ。 (語釈)〇非道い……「ひどい」は、漢字の熟語「非道」を形容詞化したものと言われている。道理に外れているというのが原義。〇狩人……狩猟を職業とする人。ここは、歌謡曲を唄う兄弟のデュオのことではない。 (本歌)世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞなくなる    (『千載集』巻第十七・雑中 1148番 皇太后宮大夫俊成      「述懐百首の歌よみ侍りけるとき、鹿の歌とてよめる」) 俊成の歌は、「鹿」の歌でありまして、『百人一首』の鹿の歌ということになると、猿丸大夫の「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」(5番)という歌や、喜撰法師の「我が庵は都の辰巳しかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり」(8番)などを思い浮かべてしまいまして、本歌取りのようなそうでないような、微妙な関係が見えて参ります。初句切れ、二句切れですから、非常に変な歌でありますが、これを簡単に言うと「道なき世」というだけのことで、何を言っているのか不明瞭極まりないわけです。鹿が鳴くというのは「鹿鳴」ということですから、「鹿鳴館」などという言葉にもなる哀切極まりない牡鹿の求愛の声のことであります。近年の諸注釈は、修行の道とか遁世とかみなさん言うんですけれども、これが釈教すなわち仏教の歌であるという証拠がどこにあるのか聞いてみたいものです。       これは、『述懐百首』という百首歌のなかで読まれたものですから、素直にとるなら、不遇をかこつ歌であります。不遇と言うのは何のことかと言えば、宮廷人ならみんな抱いていた「思ったほど出世できない」という嘆きであります。誰かに昇進したいと申し出るんですが、そこで滲み出て来るのは、政道批判なんでありますね。出世が無理だとなれば、出家しようとか、隠棲しようということになります。出家や隠棲をしようというのが意味を成すのは、元気なうちでありますから、元気がなくなれば老いを嘆くのであります。注釈書を見ると「勅撰集に入ったんだから、絶対政道批判じゃない」という論法があるんですが、院政期の政治的混乱を見たら、そんなこと言ってられないでしょう。少なくと...

もぢり百人一首(82) アップデート版

82 思ひわび さても涙は 絶えぬもの 浮けば助かる 命なりけり (通釈)通りすがりに乗った観光船が座礁して投げ出されたよ。困りに困り、生きる望みを失っても、なんとまあ涙と言うものは絶えず流れてしまうものだ。この涙の海に、ぷかぷかと浮くのなら、ひょっとすると助かる命であることよ。 (語釈)〇さても……驚きや発見を表明する感動詞。なんとまあ。  (本歌)思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり     (『千載集』巻第十三・恋三 817番 道因法師「題知らず」) 道因の歌を改めて眺めて、いい歌だなあなんて思ってしまいました。お坊さんの歌でありますが、女性の歌でも通じまして、別に男性作者の歌であると考える必要もないのでありましょう。道因法師の逸話というのは、『無名抄』がまとめておりまして、お年を召してからも和歌への熱中ぶりは群を抜いていたそうです。『千載集』に俊成が18首入れたら、夢に現れて感涙にむせびながら道因法師がお礼を言ったというので、俊成さんはもう二首増やしたんだそうです。この歌は、やはり動詞が要注意でありまして、「わび」「堪へ」が大問題であります。それから、三句目の「あるものを」は、『百人一首』第65の相模の「恨みわび」の歌でも出てきましたが、この道因の歌を考えてみても、「ある」は存在する・しないという意味であることは間違いありません。たぶん相模の歌で滑っている注釈は、『百人一首』全体すら検討していないことがばれているわけです。     さて、「思ひわぶ」という動詞を考えるのが筋でありまして、「思い嘆く」とか「弱り切る」とか、ともかく現代語の「詫びる」ではなくて、精神的に参っていることを意味している動詞と言ってよいでしょう。現代語の「わびる」は誰かにごめんなさいと謝罪することを意味する動詞ですが、古典では失恋とか生活苦を嘆く動詞です。その状態でも、命は「堪へ」ているのに、ということで、「あるものを」の「ある」は命が「保たれている・まだ存在している」ことを意味する動詞でありまして、「堪ふる」と置き換えても、解釈は容易なのであります。命は持ちこたえているのに、涙は「堪えぬ」あまりに流れ落ちている、というような対比が眼目なんでしょう。しかし、それだけでは、何だか物足りないわけで、いままで検討してきたことからすると、ここにももうちょっとまし...

もぢり百人一首(81) アップデート版

81 有明の 月には不満の 左大臣 恋の相手の ほととぎすかな (通釈)左大臣様の目には有明の月は止まらないようで、たいそうご不興でいらっしゃる。さては、恋の相手はご挨拶だけして姿を消した見目麗しい、声の綺麗な女房であったか。さてあの女房の呼び名は何と言ったか。忘れてしまったので「ほととぎす」とあだ名をつけることにしよう。 (語釈)〇有明の月……満月以降、二十日前後の月を言う。満月は日没とともに東の空に登り、深夜に西に沈む。翌日以降、月の出が毎日一時間程遅れるので、二十日ともなれば深夜に月が昇り、夜明けに西の空に月が見える。夜明けに西の空にある状態を有明の月とも言う。〇左大臣……公卿とは、大臣・大納言・中納言・参議のことを言うが、その最上位が大臣で左大臣と右大臣ならびに内大臣の三人体制であった。〇ほととぎす……漢字表記は「郭公」のほか「時鳥」「不如帰」など多数ある。夏に日本にやって来る渡り鳥だが、他の鳥に比べて日本到達が遅いという特徴がある。 (本歌)ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる     (『千載集』巻第三・夏 161番 後徳大寺左大臣「暁聞郭公といへる心を詠み侍りける」) 上の句は音声を主体としているのであります。そこから視覚に重点が映りまして、「ほととぎす」の姿が確認できない代わりに、有明の月が見えるということなのであります。夏になりまして、特に梅雨時の頃になると、ほととぎすの初声を聞くというのが貴族の間で流行しまして、そのために起きていたりするのであります。気になるのは、旧暦下旬に空に掛かる有明の月でありまして、これは月の出から月の入りまで、空に掛かる時間の幅がありますから、実際の時刻がどの辺なのか、空は暗いのか、それとも白みかけているのか、ちょっと判然としないのであります。当時の人なら、すっきりとした場面が浮かぶのかも知れませんが、なかなか難しい。それと、「有明の月」という言葉が、四句目と五句目にまたがっておりまして、独特のリズムがあるようです。「ただ残りたる 有明の月」だったら平凡なんですが、うまいのであります。作者は、藤原実定でありますが、平安時代後半の摂関家の人物は、ものすごい勉強家でありまして、この人も歌にも優れているのです。というよりか、下手な歌人をしのいでいるところがあって、実は天才に近いものがあったのでしょう。い...

もぢり百人一首(80) アップデート版

80 黒髪の 乱れて長き 物思ひ わが背丈より なほ長からむ (通釈)共寝をして黒髪が乱れて寝所に広がること広がること、私の背丈よりもまだ長いかもしれない。これから二人はどうしたらいいのかと悩むと、止まらない。 (語釈)〇黒髪……黒い髪。『岩波古語辞典』には男女を問わずつかわれることが指摘してある。 (本歌)長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ     (『千載集』巻第十三・恋三 801番 待賢門院堀河「百首の歌奉りける時、恋の歌を詠める」) 割と有名な女流歌人なんですけれども、これと言ったエピソードが浮かばないのであります。歌の方は、和泉式部の歌と似たところがありまして、本歌取りかも知れませんが、近代歌人の与謝野晶子の有名な歌にも通じるところがありまして、女性の命とも言うべき黒髪の歌としては、手堅くまとまっている感じであります。ただし、縁語の処理と言いますか、修辞技巧を裁くことが出来ないと、実は意味不明でもありますね。今ちらっと注釈書の一つを見たら、いろんな説があるとありまして、なかなか手強いのだそうであります。簡単にしてしまうと、「汝の長き心も我は知らず、乱れて今朝は物を思ふ」ということではないでしょうか。「黒髪の」という一語が入ると、いきなり官能的な歌になるのであります。「長き黒髪が、乱れに乱れて」というような映像が浮かんでしまいますね。こう言うのを、縁語と称するんであります。 黒髪の 乱れも知らず うちふせば まづかきやりし 人ぞ恋しき     (『後拾遺集』巻第十三・恋三 755番 和泉式部) 長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ     (『百人一首』第80番・待賢門院堀河) 黒髪の 千すぢの髪の みだれ髪 かつおもひみだれ おもひみだるる     (与謝野晶子『みだれ髪』) 手許にある、与謝野晶子歌集を見ましたら、「千すぢの髪の」という歌は漏れておりました。これは与謝野晶子さんの自選歌集らしいのですが、選りすぐりには漏れたということでしょうけれど、一瞬ひやりといたしました。近代の短歌を熱心に読んだことが無いので、またまた新しい課題が見えて参りましたね。時代的には、和泉式部が最も古くて、堀河の歌がありまして、700年くらい後に与謝野晶子さんの歌が出て参ります。堀河という人は、鳥羽院の后で有名な待賢門院に仕えた女房で...

もぢり百人一首(79) アップデート版

79 秋風に たなびく雲間の 月の影 ふと漏れ出づる 愛のささやき (通釈)折しも吹く涼しい秋風によって、それでは雲がたなびいて、その絶え間から漏れて来た澄んだ月の光。その月の光のような素敵なお姿を拝見して、私の口からはふと愛しいというささやきが漏れました。 (語釈)〇たなびく……雲や霞が横に引かれて広がっている様子。〇月の影……月の光。 (本歌)秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけき     (『新古今集』巻第四・秋上 413番 左京大夫顕輔「崇徳院に百首の歌奉りけるに」) 顕輔の歌は新古今集の叙景歌であります。風景の歌であることは、誰が見ても明らかでありまして、台風がUターンして、太平洋に戻ったように、和歌の伝統も『万葉集』の叙景歌の流れに戻っていったわけであります。このころ『万葉集』を読むことも盛んであったと聞いていますので、そうした影響が出ているとも言えるわけです。ずっと繊細でしょうけれども。顕輔のお父さんは、顕季という人ですけれども、この人は『百人一首』に漏れておりまして、たぶん兼昌なんかよりも歌人としての評価は高いんですが、これといった名歌が無いのかも知れません。顕季さんは、柿本人麻呂を夢かなんかに見て、人麻呂の姿を絵に仕立てて崇拝したんであります、これを「人麻呂影供」と言うんですけれども、その行事は顕輔から清輔へと受け継がれていったんであります。そう言う家柄の叙景歌と理解すべきでしょうね。ただし、「秋風」に「飽き」、「雲」に「宮中・内裏」、そして空をめぐり行く「月」を男にたとえるなら、どなたか高貴な人への賛美と取れなくもないわけでありまして、もはや素朴な『万葉集』とは違う地点で歌が詠まれているのではないでしょうか。恋の匂いがぷんぷんして、月影さやかな男の登場でありましょう。       この歌の問題点は、下の句でありまして、何となく分かるために油断しそうですが、実はちっとも現代語ではありません。「もれ出づる」というのは「もれいづ」の連体形ですが、現代語は「もれでる」でありまして、終止形も連体形も現代語では同じでありますし、不思議なことにこの言葉は現代語に変化しつつもすんなり残っているわけですね。この場合漏れ出るのは「月」ではなくて「影」であります。「影」というのは、ここでは「光」の意味でありまして、たとえば「月影」は「月...

もぢり百人一首(78) アップデート版

78 鳴く千鳥 すまずあはじと 寝覚めさす 幾晩起きない ねぼけ関守 (通釈)ここ須磨に都落ちして住むことになったが、海岸で鳴く千鳥の声が「須磨には住まない」「淡路では人に逢わない」とわびしく泣いていて私を目覚めさせる。都では光る源氏ともてはやされた私も、わびしいこの地の関守のような暮らしだ。この関守が幾晩起きずにぐっすり眠るとお分かりか? 毎晩目を覚まして、寝ぼけているんだよ。 (語釈)〇千鳥……チドリ科の鳥。海岸などに生息する鳥で、南極以外の土地にいるとされる。ここは、お笑いコンビのことではない。〇すまず……地名の「須磨」に「住まず」を掛ける。「須磨」は、摂津国の西の端に当り、畿内の外れで関所が設けられていた。『源氏物語』において光源氏が不遇をかこった土地である。〇あはじ……地名の「淡路」に「逢はじ」を掛ける。「淡路」は旧国名で、須磨の対岸に広がる島であり、古くは一国であった。仮名遣いは「あはぢ」。〇関守……須磨の関所の番人。 (本歌)淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守     (『金葉集』巻第四・冬 288(270)番 源兼昌「関路千鳥といへることを詠める」) この歌の問題点は、四句切れかどうかということであります。四句切れで、五句目の「須磨の関守」が倒置されていると見なすわけですけれども、古来注釈書は居心地の悪さを感じつつ、四句切れを支持してきたようです。その場合は、「寝覚めぬ」の「ぬ」を完了の助動詞の終止形とするわけですが、ちょっと待てよという気がいたします。問題なのは、「寝覚め」という動詞が今ありませんから、解釈しようとするとまずそこにおそらく弱点をはらむわけでありまして、さらに完了の助動詞の「ぬ」というものも、基本的には現代に残りませんでしたので、ニュアンスが本当に分かるのかどうか、とてもあやしいのであります。その結果、諸注釈は「寝覚めぬらん」の「らん」の省略であるとか、「ぬ」は「ぬる」の誤りであるというようなとんでもない自家中毒に陥りまして、てんやわんや、支離滅裂であります。思うに「幾夜」という副詞または名詞に秘密がありまして、これは「いくら」「いくつ」「幾晩」「幾月」などなど、「いく~」という形をしているんですが、それの究明の仕方がぬるいのだろう、というように思われるんでありますね。 「いく~」は、疑問の副詞になる時と、否定にか...

もぢり百人一首(77) 追加 アップデート版

   瀬を速み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ     (『百人一首』第77番 崇徳院) 分かんないところなんてなさそうな和歌でありますけれども、じゃあ本当に分かるのかというと、やはり遠い昔の作品ですから、なんのことやらさっぱり分からないと言うことが生じますよね。前にも書きましたが、粗忽庵の狭い書斎にも本は少しはありますが、それらを見ると混乱してわけが分からなくなるのは必至なんですね。まあ、常識で少しずつ崩してみましょう。どうしたって、真面目な古典の講義になっちゃうね。 (通釈)急流なので岩に阻まれて流れが割れても、滝川は結局すぐに合流する。私たちもそう願いたい。 良くできました。結構短くまとまりましたね。いかにも百人一首らしい、技巧の凝らされた歌でありまして、撰者の藤原定家好みの熱い恋の歌でもあります。この歌は、元来恋の歌として詠まれたものですから、滝川に関連する部分というか、風景に関係する表現は、本当は要らないのでありますが、実は表現された言葉に無駄な部分というか、不要な部分なんてことはありませんから、しっかり描かれた風景を味わい尽くすことが必要なんですね。 (語釈) ◆「瀬を速み」……「~を~み」というのは、理由を表す平安時代としても古い語法なのでしょう。「を」は格助詞ではなく、間投助詞だと思った方がいいでしょう。「み」は、「~ので」と訳すから、接続助詞だと思ってしまえば簡単ですよ。「瀬が速いので」というのは直訳ですが、「急流なので」と解釈すると、いいのかも、ということです。 ◆「岩にせかるる」……ここが、たぶん古典文法なら一番難しいところでしょうね。「せかれる」というのが現在の語形になるはずなんですが、やっぱり「せか」の部分が意味不明になってしまいます。これは、「塞く」という動詞なんですけれども、これの連用形「せき」というのは、関所の「関」という名詞と関連があるわけです。つまり「塞く」は、今で言えば「せきとめる・邪魔する・阻む」と言うことなんですね。「るる」は、受身の助動詞の連体形ですが、現代語と語形が変化していて、微妙に嫌な感じですね。「岩に阻まれる・岩に邪魔される」となるのでしょう。 ◆「滝川の」……この「の」は、学校の文法だと、連用修飾格の「の」ということで、「のように」と訳しなさいと、高校生の頃に習いますよね。比喩を表すと...