もぢり百人一首(96) アップデート版
96 花の雪 降り行く庭の 嵐かな 我が身の老いを 誘いがてらに
(通釈)邪魔者はどこかに去って、この春は本当にのんびりと桜を見物できることよ。おお、春らしい暖かい強い風が折しも吹いて来た。どんどん老いさらばえて行く我が身の老いを、まるで誘うかのように、桜の花びらが庭で雪のように降り行くことよ。我が身も戦場で散らなくても、まもなく散る身になったことよ
(語釈)〇降り行く……「雪が」降り行くと、「老い」が古り行く、の掛詞。〇嵐……現代語では、強く吹く冷たい風、または暴風雨。中国語の「嵐」という漢字は、山の清らかな風、または爽やかな空気の意味である。
(本歌)花誘ふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり
(『新勅撰集』巻第十六・雑一 1054番 入道前太政大臣「落花を詠み侍りける」)
太政大臣でありますから、めちゃめちゃえらい人であります。この地位は大相国とも呼びますけれども、平清盛がそう呼ばれていたことをご存じの方もいるでしょう。こちらの太政大臣は、藤原公経という方で、承久の乱後に太政大臣に命じられているのであります。その家柄を西園寺家というんですが、鎌倉幕府寄りのお公家さんの代表でありまして、京都側は実は新幕派の貴族の方が多かったんです。えらい人なんですが、実はこの人のお姉さんが、藤原定家さんの奥様でありますから、なんと藤原定家さんは太政大臣の義兄に当たる人なのであります。定家さんが後鳥羽院とそりが合わなくても仕方ない側面もあったということです。ともかく、奥さんの弟が歌がうまくて、『百人一首』に選んでも恥ずかしくない歌人なんですが、それが太政大臣なら胸が張れますね。今なら、義弟だよって紹介して出てきたのが、石川遼くんだったり、松井秀喜さんだったり、コービー・ブライアントだったりするという感じでありましょう。その場合、こちらも青木功さんだったり、長嶋茂雄さんだったり、マイケル・ジョーダンだったりしないと、もちろん釣り合いは取れません。ため息が出ますね。以上は2011年のラインナップですが、2023年なら義弟はリオネル・メッシだったり、イーロン・マスクだったり、藤井聡太さんだよってことですね。歌は、非常にいい感じでありまして、初老に入った人なら、今後の愛唱歌はこれでありましょう。前半の落花の光景もゴージャスですし、後半の老境のつぶやきもさまになります。
井上宗雄先生が『百人一首を楽しく読む』(笠間書院・平成15年1月)のなかでご指摘の通り、語順が入れ替わると分かりやすいのであります。四句目が一番前だと、散文として自然になると言うことです。つまり、「ふりゆくものは、(何かというと) A ならで、B なりけり」という構文であると考えてもよいでしょう。「我が身」に対比されているのは、「嵐の庭の雪」なんですけれども、その雪は本当の雪ではなくて「嵐に誘われた花の雪」なのでありまして、言い換えてしまうと、散るのは花ではなくて我が身であるよ、と言っているのであります。「ふりゆく」のところは、駄洒落がかましてありまして、「降り行く」という表現は今でも分かりますが、じつは年老いるという意味の「古りゆく」が掛けてあることになっております。この歌の出典は、何かというと『新古今集』ではなくて『新勅撰集』でありまして、雑上巻の1052番なんですが、たぶん「落花」の題で詠んだ題詠であります。
年を取る、古くなるという意味の「古り行く」がよく分かりませんね。怪しいと思います。「旧り行く」と表記したりしますが、当て字には違いありません。
この「古り」というのは、連用形なんですけれども、一般には上二段動詞であると説明されております。「ふり(ず)/ふり(たり)/ふる/ふるる(時)/ふるれ(ど)/ふりよ」と活用するはずなんであります。こういう活用は、現代では上一段動詞に合流しましたので、もしこの言葉が現代に残っていれば、「ふりる」という言葉のはずなんですけれども、そんな物は影もかたちもないのであります。これは怪しいのであります。ちょっとやってみると、たとえばこんな具合の動詞のはずなのです。「ふり(ない)/ふり(ます)/ふりる/ふりる(時)/ふりれ(ば)/ふりろ」となるはずなのですが、どうでありましょう? 許せない感じのする言葉でありますね。実は、『万葉集』などでは、連用形の「ふり」しか使われなくて、活用がそろわなかったようなのであります。考えてみたら「古びる」という言葉がありまして、これは元は上二段動詞「古ぶ」でありますが、これが平安時代から使われております。「古ぶ」と「古る」の関係はどうなっているのか、にわかに分かりません。というように疑惑はありますが、藤原公経さんの歌は、悪くはないのであります。『百人秀歌』だと、この歌がしんがりでありまして、一番最後の最後、101番の歌なのであります。幕府の大物であった宇都宮蓮生のために選んだなら、最後がこの人でいいわけなのでしょう。
『101匹ワンちゃん』という映画がありましたが、珍しい数字であります。考えてみたら、素数でありまして、101は、それ自身と1以外に約数がないのであります。
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