うかれける 人や初瀬の 山桜 (芭蕉)
この芭蕉の句は、『カラー図説日本大歳時記』(講談社)から見つけて参りました。
この句を見た時、一瞬目を疑いました。言ってみれば、『太陽に吠えろ』のジーパン刑事が、腹部に手をやって、その感触を確かめた時のように、「何じゃコリャ」なのであります。あのドラマの場合は、小心者の若者が、何者かから逃げ回りまして、扱い慣れていない拳銃などを手にしておりましたから、ジーパン刑事は親切にも若者の恐怖心を和らげようと声を掛けながら近付いたのであります。「ね、君、それ危ないから、おじさんにその拳銃渡しましょうね、大丈夫、大丈夫、おいらが預かってちゃんと処理するから」というように、松田優作さん演じるジーパン刑事は近寄ったんでした。それで、馬鹿な若者に撃たれたのであります。つまり、芭蕉の句があるぞ、どんなかなと思いまして、あれれこれは和歌ではないか、それも百人一首ではないか、それにしちゃ短いね、何かの間違いでありますな、などと思ったわけなのであります。
うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを
(『百人一首』74番・源俊頼朝臣)
この、割と有名な歌の上の句とほとんど同じなんであります。松尾芭蕉さんが、なんでまた剽窃まがいのことをやっているのかと思ってしまうわけでありまして、「り」を「れ」に代えて、「を」を「や」に代えまして、それでもって三句目の「山おろし」というのを「山ざくら」でありますから、「おろし」を「さくら」にしたに過ぎないのであります。なんだかそば屋に入りまして、天ぷらセットかなんかを頼んだのでありますが、「もりそば」を「ざるうどん」に代えてとか、薬味の「おろし」を「わさび」に代えたとか言うような、せこさなんでありますね。注文を受けたお姉さんは黙って伝票を付けるでしょうが、調理している店主は「またかい」というように反応するで有りましょう。そういう方いらっしゃいますね。そういうようなことで和歌を俳句にできるのならば、誰でもチャレンジできちゃいそうでありますね。ただ、元の歌の分かりにくさに比べると、松尾芭蕉師匠の俳句は分かりやすいわけで、ひょっとしてすごく有名な句なのかとさえ思いました。
芭蕉の句は、寛文七年(1667)、24才で、北村湖春編『続山井』に伊賀上野宗房として入集したもの。
ご存じとは思いますが、松尾宗房が本名で、それを俳号にして宗房、やがて桃青と号して、芭蕉と名乗るわけでありまして、出世魚の如く変遷して行くのであります。ともかく、まだ若く宗房を名乗っていた時代に、百人一首の和歌をもじって俳句を作っていたわけなのであります。初瀬というのは、大和の国いまの奈良県の桜井から山に入った長谷寺の門前町でありまして、長谷寺参詣の人々で賑わうところでありますが、実は桜の名所でもあるのです。
初瀬というのは、長谷寺参詣の時に通るところでありますが、要するに仏教の聖地なのであります。
初瀬に行って来ましたというのは、何かお祈りをしたと言うことでありまして、通常は現世利益のお参りをしてくるところであります。長谷寺のご本尊は観音様でありまして、観音様というのは、仏教には珍しく現世利益をもたらしてくれる存在なのであります。つまり、お寺にお参りして楽しいのは、観音様をご本尊にしているお寺なのでありますね。現世利益というのは、出世であるとか、結婚であるとか、そういうこの世に生きている間にかなえたいようなことの御利益ですから、お参りするに限るのであります。現世利益と言えば、普通は神社でありまして、新年に初詣をすれば、家内安全・交通安全・大願成就などのお札を買ってくるではありませんか。お寺というのは、極楽往生が基本ですから、功徳を積んだら、お布施をたんまり出したら、死後に極楽往生させてあげる、というようなありがたい約束を基本としているのであります。本当にかなえられるのか、心もとないと言えば言えるわけです。
迷える衆生としては、遠い未来の極楽往生よりも、今日明日明後日の現世利益が魅力的。
そう思って、松尾芭蕉師匠の俳句を見れば、春の陽気に誘われて、長谷寺参詣に来てみれば、折しも初瀬は山桜の満開の頃でありまして、現世利益を祈りながら、僧坊などでお接待を受けておりますと、もうそれだけで極楽気分でありますから、人々は浮かれてしまうのでありますね。長谷寺参詣というのは、平安時代の大昔から、リクレーションを兼ねたお楽しみでありますから、穏やかな春風の中、目に飛び込んでくる山桜のあでやかさと、お坊さんたちのお経の声声、どうして浮かれないでいられましょうか。そういうことを、見事につかまえたのでありましょうね。もとの俊頼の歌の何ともおさまりの付かない恋の歌に比べて、この松尾芭蕉師匠の俳句のほうは晩春の参詣客の風情をすくい取ったわかりやすさなのであります。じゃあもとの歌は、何をどう歌っているのやら。気になりますが、一筋縄では行かない歌なのでありますね。『小倉百人一首』のへそなのではないでしょうか。へそもへそ。百人一首の核心部分であるというのは、知っている人しか知らない、知らない人は何も知らない重大事なのであります。おいおい、ご紹介いたしましょう。
うかりける 人を初瀬の 山下ろしよ 激しかれとは 祈らぬものを
(百人一首74番・源俊頼朝臣)
初瀬の長谷寺に参詣して祈った人物は、男なのか女なのか、そこが一つ問題になるわけです。つまり、歌の中で山からの激しい風に吹かれているのは、男なのか女なのか。歌の主体の性別が、できれば分かった方がいいわけですね。作者は源俊頼朝臣ですから、もちろん男性なんですけれども、百人一首の注釈書を見ていたら、ほとんどの物はどちらともつかず、はっきり男の立場で訳して解説する物が一つありましたから、本当に困ってしまうわけです。また、山下ろし(=嵐)に吹かれているのは、男がいいのか、女がいいのか、それとも歌の中には出て来ない花が存在するのか、悩みは尽きませんね。
古来長谷寺は女性の参詣するのがさまになる。
尼寺ではありませんから、男性だって参詣するわけですが、この長谷寺は菅原孝標の娘が書いた『更級日記』に出て来る寺でありまして、それを念頭に置くとすっきりするような気がいたします。『更級日記』というのは、私たちの世代は教科書でおなじみでありますけれども、何故おなじみだったのかについては秘密があるんであります。藤原定家が書写しました系統の写本の原本に錯簡がありまして、錯簡とは何かというと、本を綴じていた糸が切れた時に紙片の順番を間違えて綴じ合わせてしまい、間違ったまま書き写されて広まったわけなのであります。つまりちんぷんかんぷんの代表的な作品でありまして、これを件の佐佐木信綱先生が発見して、大正年間のお終い頃に正しく復元したお陰で、昭和に入ってようやく鑑賞できるようになったのであります。
菅原孝標の娘は、長谷寺の観音様を何度も夢に見て、さらに参詣を繰り返しました。
女性の立場であると考えると、主人公の女性が観音様にお願いしたのは、「まめまめしく通はせ給へ」ということを祈ったのでありましょう。ほかに女ができたのか、彼女の恋人は「あだあだしくなりて通ひ給はず」というような有様になったと言うことが、この歌の解釈の背景にあるわけです。こうなってしまった男というのは、女性から見れば、もはや「憂き人」というような存在でありまして、「まめまめしく通はねば、憂かりけり」というのがこの歌の大前提でありますね。来なくなってから、観音様にお願いしたのでもいいのですが、そうではなくて二人が上手くいっている時に、よろしくとお願いをしたのに、どうしたことか二人の仲が破綻しかけている、という状況の方がいいかもしれませんね。今、山下ろし(=嵐)が吹くわけですが、激しく吹き飛ばされているのは、山桜でありましょうか。この歌のどこにも桜はないわけですが、いみじくも松尾芭蕉師匠が句にしたように、季節を春に置いて、山桜を吹かせれば、桜の舞うなんとも妖艶な歌になるわけであります。
芭蕉の手柄は、和歌の前提となっている光景を俳句で出現させたことであります。大手柄。
恋人ができまして、浮かれに浮かれて長谷寺にお参りに来たのであります。この幸福が続きますように、かれが私を一番愛してくれますように、なんの悩みもなく、うきうきと観音様にお願いを繰り返しまして、春のうららかな中で山桜をめでていた日があるのであります。その幸せが吹き飛びまして、逆風が吹き荒れているのでありましょうよ。ですから、もとの俊頼の歌は、べつに今長谷寺に来ているとか、初瀬にやって来たという状況でなくてもいいわけであります。
恋人を得て有頂天であった女性が、するりと逃した幸福の思い出をにがい気分で振り返り、その幸福の絶頂であった長谷寺参詣を思いつつ、嘆いているのでありますね。芭蕉の俳句を手がかりに、もとの和歌の内容に迫るというのは、これはもうトリックであります。ずるいんですが、春に参詣した時は風も穏やかで、滞在中も満開の桜は散ることもなく、長谷寺を満喫したのでありましょう。それが今や一変したわけで、山下ろしが吹いているのは、主人公の胸の中と言うことになりますね。
うかりける 人を初瀬の 山下ろしよ 激しかれとは 祈らぬものを
(百人一首74番・源俊頼朝臣)
つくづく、変な歌なのであります。伝統的な和歌からすると、これは非常におかしな歌ではないかという気がいたします。誰もそう言うことは言わない訳でありまして、それは藤原定家の百人一首にあるからでちゃんとした名歌であると、誰もが思い込むからでありましょうね。しかし、たとえば万葉集を見慣れた人は、古今集を見慣れた人はどうなのでありましょう。「初瀬」には、「こもりくの」という枕詞がありますから、「こもりくの初瀬の山の春風に桜の花は散りにけらしも」(粗忽謹製)などという歌で充分優美ですし、「春風に祈るもむなしこもりくの初瀬の山に散るさくらかな」(粗忽謹製)などとあれば、うっかりするとうっとり鑑賞してしまいそうであります。そうした物と比べると、源俊頼の和歌のはちゃめちゃぶりが分かりますよね。
山桜 咲きそめしより ひさかたの 雲居に見ゆる 滝の白糸
(『金葉集』春)
山桜が咲き始めましたら、空に白糸のような滝が出現した、というような歌なのであります。そんなところに滝はなかったはずなんだが、一体あれはなんなのだろう?というような歌でありまして、そりゃあもちろん、山の彼方の山桜が咲き誇る姿が、滝のように見えるわけなのであります。一幅の掛け軸のような、ちょっとした由緒あるお寺のふすま絵のようなものでありまして、「ひさかたの」という枕詞も趣を添えまして、なかなか良い歌なのであることは誰もが認めることでしょう。
実は私が「山桜」の歌も作ってみました、と言っても誰も疑わないのではないでしょうか。そう言うからには、実は私の作品ではなくて、これは源俊頼が寛治八年(1094)に詠んだ歌なのであります。安定感抜群のいかにもな歌でありまして、通常はこちらが源俊頼の代表作なんでありますね。この歌人は、きちんとした和歌も詠めたんでありますが、この前から紹介している「うかりける」のような変な歌を流行らせた人なのであります。『王朝秀歌選』という文庫本は、昭和58年(1983)3月16日に出た文庫でありますが、ここで面白いことが紹介されているのであります。この中には、『百人一首』も収められているんですが、実はそれとそっくりの『百人秀歌』という秀歌選が紹介されておりまして、興味深い秘密が明かされているんでありますね。初めにできたのは『百人秀歌』でありまして、これには101首の歌が並んでおります。そこから、3人外して2人加えまして『百人一首』ができるんですが、加わったのは、後鳥羽院と順徳院の二人。二人を入れるために、三人外したんであります。
承久の乱を起こした三上皇の内、首謀者の二人を特別待遇としてお迎えしたと考えよう。
さて、のこる98首は不動かと思いきや、一首だけ歌を変更した歌人がいるんであります。もちろん、それが源俊頼でありまして、『百人秀歌』では「山桜」の歌だったのを、『百人一首』で「うかりける」の歌に変更したんですね。なぜこれだけ、歌を変更したのか、そのへんの藤原定家の心の機微を、この文庫本は説明するんであります。そして、あっと驚く秘密があるんでありますよ。人はね、あまりにも狙いが当たりすぎると、へそを曲げてみたりするんであります。曲げたへそを、どこで戻すか。藤原定家が昔へそを曲げまして、あんまり妙ちくりんなんで、後鳥羽院がかんかんに怒ったという話を前に紹介したんであります。怒らせてしまって、藤原定家も考えてはいたんでしょうね。済みませんでした、申し訳ございません、ということで『百人一首』になるのであります。
種明かしは、そのうちにいたします。面白いけれど、これは人から教えられても、面白くはない。
ながむとて 花にもいたし 頸の骨 (西山宗因)
滑稽な味わいのする俳句でありまして、なんと分かりやすく、うまい事よと思いましたら、これすらも和歌を背景にしているのだそうでありまして、文学の世界というのは、奥が深いと言いますか、いきなりの発明などはほとんど無く、換骨奪胎、本歌取り、本説取り、パロディの世界なのであります。そう言えば、藤原定家の百人一首とて、別に彼の発明ではありませんで、お父さんの藤原俊成などの秀歌選の類を墨守したに過ぎないのではないかと思える節がありまして、どこまでがオリジナルかと思えば、何一つそうではないのかも知れません。
ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば 散る別れこそ かなしかりけれ
(『新古今集』春下・西行法師)
えええ、と驚くわけでありますね。初句と二句目がほぼ同じでありまして、三句目の「なれぬれば」が「くびのほね」となったに過ぎないのであります。それにしても、頸の骨が痛む西行法師というような図柄が浮かぶわけでありまして、平安時代の和歌という物をしゃれのめす精神という物はすごい物があるわけなのでありますね。西山宗因というかたは談林派と呼ばれた俳諧の宗匠ですが、ここから井原西鶴であるとか、松尾芭蕉桃青などが排出するわけで、その眼光の鋭さには敬服いたしますね。もとの歌は、落花の予感に感傷的になっている歌人の心情が歌われているわけですが、それを肉体の感覚に引き戻し、西行法師という昔のお坊さんがタイムスリップしてわが身に宿るような気がいたします。ちなみに、西山宗因の句を見つけましたのは、笠間書院刊行の『新編俳句の解釈と鑑賞辞典』(尾形仂編)、選んだのは乾裕幸さんのようであります。
朝のニュースを見ておりましたら、放射能で汚染された土壌改良に、アブラナが有効ではないかという話がありまして、チェルノブイリ関連の国際会議に出席して確かめてくると言うようなことなのであります。本当にそうなら、非常に心躍ることでありまして、植物の持つ潜在能力に期待することにいたしましょう。調べてみると、何だかすごいことになっているのでありますね。在来種の菜の花というか、アブラナというものは野菜として進化しているんでありまして、これに対してセイヨウアブラナという物がありまして、こちらが菜種油を採取するための菜の花なのであります。普通に咲いているのはこちららしいのでありますね。この油には心臓に影響を与える不飽和脂肪酸があるということで、アメリカなんかで嫌われまして、これを含まない物が開発されて、なんと例のキャノーラ油というものが、西洋人向きの油としてカナダで開発されたブランドなのだそうです。農業であるとか、商品作物の世界というのは、素人の予想だにつかないところで競争しているわけで、ぼんやり菜の花畑を眺めているというのは、知らぬが仏の世界なのであります。
世の中万事そういう物でありますね。タイトルの松尾芭蕉の俳句も、和歌のもじりでありました。
和歌を品種改良しまして、俳句にしてしまうと言うことでありますから、キャノーラ油というものと本質は似ているわけであります。松尾芭蕉がもじったのは、源俊頼という平安時代後半の革新的な和歌を詠んだ歌人の歌なんでありますが、万葉集の歌とも古今集の歌とも毛色が違いまして、今見ても変な歌なのでありますね。もちろん恋の歌でありますから、四季折々の歌を詠むような風景を主体とした歌ではないわけで、「初瀬の山下ろし」というものは詠み込まれてはいるんですけれども、とても美しいとかきれいだと思うような雰囲気ではないわけで、「初瀬の山下ろし」が「激しい」というのは、男の(女の?)不愉快な態度の比喩ですから、気持ちよくない物なのであります。だいたい、観音様に祈ったのと反対になって困っているわけですから、観音様の面子もつぶれているのでありますよ。つぶれていていいのでありましょうか?
うかりける 人を初瀬の 山下ろしよ 激しかれとは 祈らぬものを
(百人一首74番・源俊頼朝臣)
いろいろ考えてゆくと、妙ちくりんな歌であることがますます分かって参ります。だいたい、「初瀬の山下ろしよ」が変なところに潜り込んでいるわけで、「うかりける人を……激しかれとは祈らぬものを」ということを言っているところに、「激しかれ」の比喩として「初瀬の山下ろしよ」が挿入されているわけです。この「初瀬」の所に掛詞があるのではないかという疑いがあるわけですが、納得のいくものは見付かっていないのであります。「果つ」というのが有力でありまして、そういう注釈書みたいな物はありますけれども、みんなが認めているわけではないのです。私なんか、「外せ」なんかどうかな、と思うのですが、そうした注釈は皆無なのであります。「はづせ」は仮名遣いとしても「外せ」になるんでありますね。
うっかり蹴る 人を外せの 新チーム 激しかれとは 祈ったものの(粗忽)
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