もぢり百人秀歌(73) アップデート版

73 草の上で とろけてしまう 春の雪 つれなしづくりの うはべなるかな


(通釈)春の野に萌え始めた草の上で、降ったと見るや融けて消えてしまう春の雪というものは、見た目にはそっけない応対をする恋人のようなもので、本当はすぐにでもデレデレしそうな上辺だけのものだなあ。


(語釈)〇春の雪……春先に降る雪で、「なごり雪」などと言う時もある。イルカさんというフォークソング歌手が歌って大ヒットした『なごり雪』という歌の歌詞は、三島由紀夫の小説『春の雪』から影響を受けているのではないか。〇つれなしづくり……平気を装う態度。そっけない素振りのこと。



(本歌)春日野の 下もえわたる 草の上に つれなく見ゆる 春の淡雪

    (『新古今集』巻第一・春上 10番 権中納言国信

     「堀河院御時百首歌たてまつりけるに、のこりの雪の心をよみ侍ける」


『百人秀歌』の国信の歌であります。『新古今集』の春上に入っていて、なかなかいい歌であります。言ってみれば、「春の雪」を詠んだ歌でありまして、三島由紀夫の小説を思い起こしてしまいますが、三島由紀夫がこの歌を知っていたのかどうか、それは不明でありますが、『百人一首』に入っていたら、あの人気作家に強い影響を与えていたことでしょう。ただその場合は、小説の筋立てが変質し、主人公の松枝清顕がクールな官僚志向の人物に描かれ、綾倉聡子の愛情をかわして破滅に追い込むというふうに主題が変形してしまったかも知れません。ちょっとした和歌の宗匠の匙加減が後世の文学を変化させたかも知れないという、つまらない妄想を申しております。


いや、三島由紀夫なら「春の雪」くらい徹底的に調べて、その上であの小説を構想するくらいのことはやれることでしょう。


作者の国信は決して有名な人ではありませんが、実は和歌の歴史の流れの中では重要な役割を果たした人のようであります。源氏の大臣の子息でありますから、大変なお坊ちゃまでありますが、この人は堀河天皇の忠臣でありまして、『堀河百首』という和歌の近代化といいますか、革命的な催し物を企画した人物ではないかと推測されているのであります。まさに、そうした催しを思い付く人の歌にふさわしいのでありまして、この歌は新しいところがあるのであります。『新古今集』の春上の巻・10番に位置しておりまして、たぶん当時の人々に評価されていた歌と言うことであります。


「つれなく」は、「関係ない」「そっけない」「冷淡だ」ということでありますけれども、そう「見ゆる」だけなら、本当は草の上で融けてしまうわけで、これって「ツンデレ」ということでしょうね。    


『新古今集』という、元久2年(1205)成立の勅撰集に採用されたものです。藤原定家が撰者の一人を務めたものですから、きっとこの歌を入れようと主張したことでしょう。詠まれたのは、じつは長治二年(1105)ころですから、詠まれてから百年ほど経ってから高く評価されたものであります。百年と一口に言いますけれども、そんな昔の縁もゆかりもない歌人の歌を評価するというのは、よく考えると大変なことであります。詞書きに「堀河院御時百首歌たてまつりけるに、残りの雪の心を詠みはべりける」とありまして、「残りの雪」では「残雪」ってことになりかねないのですが、この歌の場合は「淡雪」ですから要するに「残雪」ではなく「なごり雪」をよんだものでありまして、早春の季節の歌であります。おそらく、迂闊な注釈をする人なら、早春の景色を巧みに詠んだ秀歌で、生命の息吹を感じさせる清明な歌柄とかなんとか、叙景歌として褒めることでしょう。


ところが作者の国信さんは、これに巧妙な仕掛けをほどこしているのであります。まず、「もえわたる」のところでありまして、野の草なんですから「萌えわたる」つまり「一面に生え初める」という風景であることは間違いありませんが、その裏に「燃え渡る」で、恋に燃えて通いつめるというニュアンスが隠れているのであります。何をそんなうがったことをと思う方は、和歌の伝統が平安時代の終わり頃に大変な変質を遂げたことをご存じないと言うことです。つまりこの歌は、季節の歌の中に、男女の恋愛が仕込んでありまして、だからこそ「つれなく見ゆる」と来るわけです。年ごろになった女性の所に、さりげなく訪問する男の様子を歌の中から読み取るのは難しくありません。「春日野」に「かすか」がちらつき、「淡雪」のつれない薄情そうな感じと照応するわけで、旧都奈良を舞台にした季節の歌が、それとなく恋の情緒に彩られているんであります。


作者は源国信でありますが、「くにざね」と呼ぶのがいいみたいであります。父が右大臣だった源顕房なんでありますが、姉が白河天皇の中宮であった藤原賢子でありまして、この人が堀河天皇をお産みになりましたから、源国信は堀河天皇の叔父さんなんであります。ここまでの記述を読んで、「変だ」と思った方は鋭い。源氏の娘がどうして藤原氏なのか、おかしな事があるものです。もっと言うと、賢子のお母さんも源氏ですから、おかしいんですけれども、これは左大臣だった藤原師実が養子にしたのだそうです。まったく理解の外でありまして、『栄花物語』にも記事がありましたが、読んでも意味が分かりませんでした。ともかく、国信さんは堀河天皇と仲がよかったみたいで、聡明なる天皇の和歌に関することはこの人が手配していたようです。歌の方は、奈良公園の鹿の群れ遊ぶ春日野でありまして、密かに萌え始めた一面の草の上に、春の淡雪が春などお構いなしに降り積もっている、というような光景であります。 

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