もぢり百人一首(91) アップデート版
91 きりぎりす 衣片敷き つぶさじよ 鳴くや霜夜に 共寝するかも
(通釈)キリギリス君、今夜は私は寂しい寂しい独り寝なので、あなたのこと潰さないわよ。あなたが鳴くやいなや、寒い霜の降りる夜に、さっさと添い寝するかも。
(語釈)衣片敷き……衣を片敷きにして、ということ。男女が共寝する時は二人の衣を敷くが、一人の時を「片敷き」と言うらしい。本当はよくわからない。〇共寝……添い寝。男女が同衾する場合にも使う。
(本歌)きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き 独りかも寝む
(『新古今集』巻第五・秋下 518番 後京極摂政前太政大臣「百首の歌奉りし時」)
作者の藤原良経さんと言う人は、身分の高い人であります。例えるなら、貴族のサラブレッドでありまして、血筋のよさは群を抜いております。『新古今集』の時代というのは、歌壇の指導者は藤原俊成であったわけですが、後鳥羽院という歌の詠める帝王が出現しまして、そこにこの歌の作者が加わり、天才歌人定家を中心とした男性歌人、さらに女流歌人もたくさん加わりまして、大盛況だったのであります。30人の歌人に百首歌を提出させて、これを歌合の形式につがえまして、合計3000首の『千五百番歌合』などという催しまで行われまして、空前絶後の和歌の大ブームだったと言うことが出来ましょう。その華やかさのなかで、この作者の存在もまた輝いていたことでしょう。藤原良経というのがお名前ですけれども、実は『新古今集』の仮名序の筆者でもありまして、才能でも抜きんでていて随一であります。しかし好事魔多し、この方は『新古今集』が完成を見た頃に、頓死しているのであります。何があったのかはともかく、この人が生きていたら、その後の歴史は多少違っていたはずなのであります。田辺聖子さんの角川文庫本は、この人を撰者の一人だと言うのですが、ちょっとした誤解のようです。和歌所の寄人(よりうど)ではありますが、撰者ではありませんでした。
『新古今集』の秋下の歌ですが、もはや純粋な季節の歌を読む時代ではありませんから、これが恋の歌に入っていても驚かないわけですね。本歌が二首指摘されていて、その二首とも恋の歌でありますから、ちらつく本歌の恋の気分を漂わせながら、霜夜の寒さというものを表現したわけであります。これだけ高貴な人が、最先端の歌の詠み方を取り入れまして、時代の波に乗っていたと言うことでありますから、それはそれはめざましいものであったことでしょう。本歌の一つは、「さむしろに衣片敷き今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」(『古今集』・恋四 689番)でありまして、もう一つは「足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」でありまして、これは柿本人麻呂の歌として『百人一首』の3番に取られた歌ですけれども、最後の七文字が一緒というだけで、本歌と言えるかと言えば、おおっぴらには言えないはずであります。「きりぎりす」が、実は「コオロギ」らしいと言う話はよく聞きますが、三句目の所に「寒し」の掛詞を考えるようであります。「衣片敷き」が実はよく分からないのでありますが、池田弥三郎さんは、一人だと衣を着たままだから、片方を下に敷くんだよと書いております。が、しかし本当はどうなのか分かりませんね。しかし、違うと言うほどの根拠も思い付きません。以上が、2011年に書いたものです。
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き 独りかも寝む
(『百人一首』91番 良経)
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
(『古今集』恋一 469番 詠み人知らず「題知らず」)
「ほととぎす」の歌は、『古今集』の恋一の巻頭歌でありまして、前に『百人一首』57番の紫式部の「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな」を解釈する時に、参照いたしました。「や」が「~するやいなや~する」という即時の用法の間投助詞ではないか、という指摘をしたんですが、今小学館から出ている学習参考用の辞書を見たら「軽い詠嘆」の用法と書いてありまして、そんなもんなの? と思いました。「見しや~雲隠れにし」は即時じゃないと意味がないように思いますし、『古今集』の歌は「鳴くや~恋もする」で即時だと思います。では、この良経の歌は「鳴くや~衣片敷き・寝む」で即時なのかどうか。やはり即時でいいと思います。夜になるや、寂しく寝るということで、そのわびしさがにじみ出ております。
ひょっとして、きりぎりすが「衣片敷き独りかも寝む」という歌ではないかと思ったんですが、そうすると擬人法の歌であります(笑)。
コメント
コメントを投稿