もぢり百人一首(83) アップデート版

83 非道い道 山の奥には 鹿も無く 足取り重き 帰る狩人


(通釈)道なき道とは聞いていたが、本当に歩きにくい道だ。その上山の奥には鹿の姿すらなくて、帰る狩人の足取りも自然に重いことよ。付いてきて損をしたよ。


(語釈)〇非道い……「ひどい」は、漢字の熟語「非道」を形容詞化したものと言われている。道理に外れているというのが原義。〇狩人……狩猟を職業とする人。ここは、歌謡曲を唄う兄弟のデュオのことではない。


(本歌)世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞなくなる

   (『千載集』巻第十七・雑中 1148番 皇太后宮大夫俊成

     「述懐百首の歌よみ侍りけるとき、鹿の歌とてよめる」)


俊成の歌は、「鹿」の歌でありまして、『百人一首』の鹿の歌ということになると、猿丸大夫の「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」(5番)という歌や、喜撰法師の「我が庵は都の辰巳しかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり」(8番)などを思い浮かべてしまいまして、本歌取りのようなそうでないような、微妙な関係が見えて参ります。初句切れ、二句切れですから、非常に変な歌でありますが、これを簡単に言うと「道なき世」というだけのことで、何を言っているのか不明瞭極まりないわけです。鹿が鳴くというのは「鹿鳴」ということですから、「鹿鳴館」などという言葉にもなる哀切極まりない牡鹿の求愛の声のことであります。近年の諸注釈は、修行の道とか遁世とかみなさん言うんですけれども、これが釈教すなわち仏教の歌であるという証拠がどこにあるのか聞いてみたいものです。     


 これは、『述懐百首』という百首歌のなかで読まれたものですから、素直にとるなら、不遇をかこつ歌であります。不遇と言うのは何のことかと言えば、宮廷人ならみんな抱いていた「思ったほど出世できない」という嘆きであります。誰かに昇進したいと申し出るんですが、そこで滲み出て来るのは、政道批判なんでありますね。出世が無理だとなれば、出家しようとか、隠棲しようということになります。出家や隠棲をしようというのが意味を成すのは、元気なうちでありますから、元気がなくなれば老いを嘆くのであります。注釈書を見ると「勅撰集に入ったんだから、絶対政道批判じゃない」という論法があるんですが、院政期の政治的混乱を見たら、そんなこと言ってられないでしょう。少なくとも、どの上皇に付くかによって出世は左右されたんですから、不遇を嘆く歌と考える方が、いいはずなのであります。「山の奥にも」の「も」がありますから、「都にも」「内裏にも」という仕掛けが裏に見えまして、「鹿が鳴くように我も泣く」という寓意があるはずなのであります。牡鹿は牝鹿を慕いますが、廷臣は帝王を慕うのでありましょう。そう取らない理由というものを考えてみると、解釈というのは時代の子なのでありまして、注釈書に書かれていない時代精神が隠れている可能性はあるはずです。


「千載集撰ばれける時分に入れたくおもひ給ひしかども、道こそなけれとあるところに俗難ありてはと斟酌ありしを、別勅にていりたり。名誉なり。〇俗難とは世の中に道なしといへば、君の政道のあしきを諷したるやうなればなり」(北村季吟『百人一首拾穂抄』)


別勅というのは、特別に後白河院から「入れていいよ」とご指示があったということかと思うのですが、じゃあお墨付きの歌ではないですか。この歌が詠まれたのは保延六年(1140)の頃でありまして、時は崇徳院の時代で、ちょうど平家が出世をしてのし上がって来た時代です。負け組の崇徳院に対する不満なら、勝ち組の後白河院が構わないと判断することも不自然ではないのであります。『千載集』ができたのは文治三年(1187)でもう平家は朝廷にはいない頃であります。定家も『千載集』を手伝っていたわけですから、北村季吟の説に信憑性があるような気がします。


都落ちの途中で引き返して来た平忠度から、来たるべき勅撰の撰集の時にはよろしくと俊成が和歌の草稿を託されたという、あの例の『平家物語』の一節なんかを思い出すといいのかも知れません。俊成は、朝敵となった平家の人だけど、せっかくだからと「詠み人知らず」にして入れたわけでありまして、宮廷の人はみんな分かっていたけど許したんでしたね。


世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞなくなる

  (『百人一首』第83番・皇太后宮大夫俊成)


うっかりしたんですが、この歌の三句目「思ひ入る」というのが曲者でありますね。『日本国語大辞典』(第二版)には、「思い入る(おもいいる)」という形で項目を立てているんですが、それは実は古語の形なわけです。現代語にはありませんから、困ってしまって採用したのでしょうね。「入る(いる)」というのは、現代語では、表記は同じですが「入る(はいる)」のはずでありまして、考えてみると微妙な言葉です。「入り口」というのは、「入り口(はいりぐち)」と言わなくもないが、やはり「いりぐち」であります。では「出口」はどうかというと、これは「でぐち」でありまして「いでぐち」ではないのです。ともかく、「思い入る」という動詞が、現代にあるのかないのか、というものですが、辞書の方は、「深く考える」というのと「思いながらどこかに入る」というような説明になっていまして、よく見ると意味がよく分かりません。なんとなく、この俊成の歌などを解釈したものを参考に、適当に二つ目の意味を考えたということのようです。この動詞の所に何か仕掛けがあったのではないでしょうか。何か思い付いたら、書き込むことにいたします。


思いつきましたので、蛇足を加えて見ます。「思ひ入る」は四段動詞の連体形でありまして、終止形も「思ひ入る」と言うことです。現代語には、「思い入れ」という言葉がありまして、辞書を見ると「自分の思いをこめること」のような説明が出てきます。演劇の方面では「台詞を言わないで素振りで感情を表すこと」らしいのでありますが、この場合「思いを入れる」でありますから、「入れる」は他動詞と言うことになりまして、今は下一段活用、古くは下二段活用の「入る」と言うことになります。ここからすると、四段活用の方は自動詞で「思いが入る」「深く思う」ってことですから、こんなことは辞書と同じ指摘です。「思ひ入る」の二つの活用から何となく分かるのは、「入る」が補助動詞であって、主体は「思ふ」の方だということですね。下に「山の奥」があると、「入る」が動作のような気がするところから、「山に入る」すなわち「出家する」という解釈が入り込む余地があったということなんでしょう。


「思ひ入る」の「入る」が単に補助動詞だとすると、詠作主体は「山の奥」に「強い願望を抱いている」だけと言うことが出て来るでしょう。そうなると、「なくなる」の助動詞「なる」を諸注釈は推定の用法だと解説して「鳴く声がする」とか「鳴くらしい」と訳し、実際に詠作主体が山の奥に入山した結果鹿の声を聞いていることにしているんでありますが、それは怪しいということになりますよね。助動詞「なる」は伝聞の用法とみなして、「鳴くということだ」「鳴くと噂に聞いている」としたほうがよさそうです。


世の中は 道なき道ぞ 思ひ入る 大内山にぞ 我は泣きをる 

山の奥よ 道こそなけれ 参り入る 大内山にぞ 俊成泣くなる



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