もぢり百人一首(98) アップデート版

98 風そよぐ 小川のみそぎぞ やせ我慢 はや夕暮れの 風の寒さや


(通釈)さあさあ、恋の成就を願って賀茂神社の小川でみそぎをいたしますよ。まあ、何のかんの言ったって夏でございますから、どうにかなるでしょうよ。おや、指貫は裾をたくし上げただけじゃダメなんですか。脱ぐのこれ? さっきまで風がそよいで涼しいなんて言っていたけれど、もう夕暮だから寒いじゃないの。えええ、見物が出ているって? 賤・山がつに見られてるって。じゃあもう、平気の平左、いくらでも浴びますよ。へえくしょい。


(語釈)〇やせ我慢……実際には相当苦しい状態なのに、意地を張って平気なふりをしていること。痩せるほどのつらい思いをして、意地を通すこと。近ごろは、「痩せる」ことがよいイメージなので、使われなくなりつつあるような気がする。



(本歌)風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける

    (『新勅撰集』巻第・夏 192番 正三位家隆「寛喜元年女御入内屏風」)※『百人一首』では、従二位。


藤原家隆さんというのは、もちろん『新古今集』の撰者の一人でありまして、奥州の玄関口に当たる白河の関というところを訪問しますと、松平定信公が江戸時代にここが昔の白河の関蹟だろうと認定した神社があるんですけれども、その白河神社という神社の境内の中に、この藤原家隆さんがわざわざ京都から贈ってきたという「従二位の杉」というのがあるんであります。本当なら樹齢800年と言うことになりまして、あるいは二代目なのかもしれませんが、ともかくそういうことを示す掲示板が存在するのであります。従二位というのは相当に身分が高く、『新古今集』の撰者たちというのは、たとえば『古今集』の撰者の代表であった紀貫之などが望めない高位高官なのであります。島津忠夫先生が、角川ソフィア文庫で、この人は寂蓮の女婿であるという指摘をしていまして、寂蓮という方は一時俊成さんの養子でしたから、要するに俊成ファミリーの人だったわけであります。もちろん俊成さんのお弟子の中でも傑出した人であることは間違いなく、定家のよき相棒、定家がマイケル・ジョーダンなら、この人はスコティ・ピッペン氏に間違いないわけで、定家よりも遙かに好人物という印象があるのであります。


2011年段階なら、1990年代にNBAでシカゴ・ブルズが6回優勝した時の主力の二人ジョーダンとピッペンは充分通用いたしましたが、今となってはちょっと古いかもしれません。2023年段階で、直近の2010年代を考えるなら、定家はステフィン・カリー、家隆はクレイ・トンプソンかもしれません。家隆は「かりゅう」でありまして、こっちが「カリー」ってことでしょうかね?

    


風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける

   (『百人一首』第98番・従二位家隆)

みそぎする ならの小川の 川に 祈りぞわたる 下に絶えじと

   (『新古今集』巻第十五・恋五 1376番 八代女王「題知らず」)

山の の葉そよぐ 夕暮れは 今年も秋の 心地こそすれ 

   (『後拾遺集』巻第三・夏 231番 源頼綱朝臣

    「俊綱朝臣のもとにて、晩涼如秋といふこゝろをよみ侍りける」


 二句目の所に掛詞があると言われても、ピンと来ないわけです。樹木の楢の間を風がそよいでいるんですが、みそぎをしている川が、「ならの小川」という川でありまして、これが賀茂神社のそばの御手洗川の別名のようなのであります。納得は行かないのですが、根拠となる歌を見ますと、なるほどとおもうわけで、これは本歌取りのお手本のような歌なのであります。まず、『新古今集』恋五に「みそぎするならの小川の川風に祈りぞわたる下に絶えじと」という歌がありまして、家隆の歌のなかのみそぎする人というのが、恋の成就を願って「ならの小川」で水浴びしているという光景であることが明らかになります。次に、『後拾遺集』夏に「夏山の楢の葉そよぐ夕暮れは今年も秋の心地こそすれ」という平凡な夏の歌がありまして、なるほど、こちらの末句が隠し味になっていまして、賀茂神社の夏の夕暮れは「秋の心地こそすれ」みそぎをするからには夏なんだね、というふくらみが生じるんですね。


天皇に入内する女御のための屏風歌であったそうですが、だからこれも題詠であります。


詠まれた場を考えると、絵が先か歌が先かは分かりませんが、題を与えられたはずで、家隆は詠んだ後で定家に相談したそうです。だから、実感というわけではありませんが、洗練された見事な夏の歌であります。「そよぐ」という触覚があり、「みそぎ」を遠望する視覚があり、みそぎする人物の祈願の内容が恋の成就であるという、想像力がありまして、これに風にそよぐ楢の葉擦れの音、ならの小川のせせらぎの音、みそぎの水音、などの聴覚があり、夕暮れによってモノトーンにな沈んでゆく光景には、昼間の京都市中の暑さと、賀茂神社境内の涼感が対比されて、なかなかいい歌です。すっきりまとまって、天皇や女御が屏風を見ても、すぐに理解できますし、慶事にふさわしい恥ずかしくない歌であります。


コメント

このブログの人気の投稿

岩波文庫『百人一首』を読む(81) 藤原実定

岩波文庫『百人一首』を読む(99) 後鳥羽院

足利将軍撰『新百人一首』を読む(6) 藤原菅根