もぢり百人一首(99) アップデート版
99 あぢきなく 我も無駄飯 魚食ふ身 世を思ふ身の 惜しくもあるかな
(通釈)ああ、結局戦に負けて、とんでもない遠島に流されてしまった。つまらないことに、この吾輩もこうして日々無駄飯をむさぼる身の上となったことだ。その割には魚はうまいのう。世の中の政を考える身の上が、こうなってみると残念至極だ。
(語釈)〇無駄飯……「無駄飯を食う」で、働きもしないでぶらぶらすること。よって、無駄飯とは役立たずに仕方なしに与える飯のことで、出来れば食わせたくないもの。ニートに提供する食事であるから、今なら働かない人に、スマホやパソコンを与え、三食昼寝を提供すること。
(本歌)人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は
(『続後撰集』巻第十七・雑中 1199番 後鳥羽院御製「題知らず」)
後鳥羽院の歌も、源実朝の歌と同じでありまして、何かこう正面から味わったり口ずさんだりしにくいものがあるのであります。やっぱり痛ましい感じがぬぐえないのでありまして、だから後鳥羽院の歌の善し悪しを考えるという気分にならないわけです。近代日本の日本史、あるいは江戸時代以前の古代・中世史の扱いのぶれみたいな物が、学校の教科書にまとわりついていて、何だか靄が掛かるのであります。おそらく、教わった私たちは戦後世代も相当進んであっけらかんとしていたんですが、教えていた方は、自分の両親より年配でしたから、お国のために死を覚悟していた世代で、我々を教えにくかったことでありましょう。後鳥羽院に関することで私が印象的なのは、後鳥羽天皇宸翰御手印置文というものであります。 「宸翰」というのは、天皇の御直筆というような意味のはずですが、ウィキペディアによると、「置文」のほうは遺言とほぼ同意ということなのであります。暦仁2年(1239)、隠岐に流されていた後鳥羽院が崩御を覚悟して、亡くなる13日前に書いた遺言状なのでありますが、私はこれを京都国立博物館の展示で見たことがございます。文面には後鳥羽院の手形が最後に押してあるんですけれども、ちょっとなまなましいのであります。見たところは鮮血のようでありまして、なにを手に塗りつけたのか、気になるほどの鮮明さなのであります。いまは、水無瀬神宮にあるようですが、手形の指のしなやかさ、大きさが何かを物語ってはいないでしょうか。
この歌は、出典が『続後撰集』雑中巻の巻軸歌(末尾の歌)でありまして、1202番に入っているのであります。次の順徳院の歌も同様で、藤原為家さんが撰者となった『続後撰集』から採用されていることから、ひょっとして為家さんが『百人一首』を撰んだという邪推も出来るわけです。為家さんというのは、最初の奥さんが宇都宮頼綱という鎌倉幕府のえらい方のお嬢さんでありまして、晩年に阿仏尼さんと同棲事件を起こしているんであります。頼綱の依頼で定家さんが作ったのが『百人秀歌』である可能性は高く、それをマイナーチェンジして作ったのが『百人一首』である場合、入れ替えた歌が『続後撰集』にあるということが問題になるわけです。一般には、『新勅撰集』を定家さんが作った時に、幕府の目を恐れて、後鳥羽院や順徳院の歌をやむなく除いた結果、除かれた歌を『続後撰集』に入れたのではないかと推定して、本来『新勅撰集』に入っていたはずだと考えるわけです。
『百人一首』の歌が、すべて勅撰集にあるものという限定の意味するところが大事なんでありますね。
ある程度、公的な場で披露することを前提にしているということなんでしょうか。天皇の下命で撰ぶ勅撰集の権威を改めて天下に披露しようとか、和歌の歴史をある程度公的な水準で作ってみようというような意図があったと言うことなのかもしれません。もし、そうだとすれば、それを素直に受け止めてありがたく頭を下げる人もいるでしょうが、私は裏を考えます。つまり、積み重なった伝統を今さら仰ぎ見ているわけで、そうした歴史の終焉をほんとうは予感していたということでもあります。かえって、危機感にさいなまされての行為のような気がするのです。
ところで、この歌の解釈に関して、非常に疑問を感じる点があります。この歌は、初句切れ、二句切れでありまして、その上倒置法でありますから、えいやっとひっくり返さないといけないわけです。ひょっとして「あぢきなく」できれる、三句切れかもしれないという疑惑を提示しておきたいと思います。なぜなら、帝王が「世を思ふ」「物思ふ」ことが、つまらないことだとは言えないでありましょうから、この「あじきなく」は「人もをし。人も恨めし。」というところに、倒置で掛かるのではないかと思うのです。だって、この時代は『万葉集』の頃ではありませんので、「五七・五七・七」のリズムではなく、「五七五・七七」のリズムでありましょう。そう言うことも見落としている諸注釈という物を「あぢきなし」と思うわけです。仮に二句切れだとしてもかまいませんから、そこでの倒置とみなして検討して見ます。
あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ 身は人もをし 人も恨めし(粗忽)
「身は」のところを、四句目にずらしてみると、まんまと「五七五七七」の歌になりまして、ちゃんと和歌の形式には則すわけですが、こうしてみると、「あじきなく」の懸かりどころが、「世を思ふ」でも「物思ふ」でもなく、一番末尾の対句表現である「人もをし 人も恨めし」であると主張しても良さそうであります。諸説の中には、二つの「人」が別物であるというような「とんでも解釈」まであるんですが、そうではなくて、この人というのは、常識で考えれば自分以外の他人のことであり、治天の君に対する臣下並びに人民を包括する可能性が高いでしょう。それを言い換えれば、世の中と言うことであります。対句に示されているのは、人(臣下・人民)をいとおしんだり恨んだり、相反する複雑な感情を抱いてしまうと言ってるんですから、こうした不安定な心情を、後鳥羽院自身が「あぢきなく」感じているはずなのです。「うれしくも~」とか「いみじくも~」という例を考えてみれば分かるように、「あぢきなく」というのが、最も末尾の部分に響いていく副詞的用法のはずなのに、それを無視しているのは、倒置に対する理解の甘さが生み出していると見ていいでしょう。やりましたね、この年まで考えなかった歌ですから、虚心坦懐に大手柄を挙げたようです。「世の中を思う故に、悩む我が身は、つまらなくも周囲を慈しんだり、恨めしく思ったり、揺れてしまう事よ、ああ情けない」というような、まさしく帝王ぶりの述懐なのであります。もう一度言いますが、「世を思ふ」ことが「あぢきなし」というのはたぶん駄目ですね。帝王は「世を思ふ」のがお仕事です。ここは、「世をあぢきなく思ふ」というような構文ではないはずです。改作案の第二を下に示します。
世を思ふ ゆゑに我が身は あぢきなく 愛し恨めしと 人を見るかな
(粗忽)
人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は
(『百人一首』第99番・後鳥羽院)
後鳥羽院の歌を眺めますと、「惜し(愛し)」「恨めし」「世」「物思ふ」と言葉が連なるわけで、ごく普通に『新古今集』の頃の歌として見るなら、当然恋の歌の匂いが立ち籠めます。
「世」とか「世の中」というのは、恋愛関係とか夫婦関係とか、二人の間柄を指しますので、これはまったく恋の歌として解することも出来まして、やはりもみもみとした謎かけのような歌でもあるのであります。これを仮に贈答歌の歌であると考えると、「人」というのは二人称で「あなた・汝」ということでありまして、恋人のあなたをいとしいと思ったり冷淡だと思ったり、落ち着かない心理が表現されています。だとしたら、これは恋愛心理としては、相当熱の入った状態でありまして、「世をあぢきなく思ふ」どころか、二人の関係を深く強く感じているわけで、添い遂げられるかどうか物思いは尽きないのでありましょう。その結果、相手の何気ない言葉、ちょっとした態度に心が揺れますから、ころころと変わる自分の感情を持ってあまして、「あぢきなく」も「人もをし。人もうらめし。」と思うはずなのです。三句切れかも知れないと考えないと、この歌の解釈はぼやけてしまうんですが、さて、従来の注釈はどうなっているのでありましょう? 二人の関係を「あぢきなく思ふ」なら、もはや悩む必要はなく、相手のことを何とも思わないということになるでしょう。この歌の「世」を絶対「男女の仲」じゃないと指摘する注釈書もあるんですが、さて、そうすると『百人一首』全体の歌の解釈で難渋するのは必至でありましょう。
もともとは「述懐」の歌だというのですが、「述懐」が帝王と廷臣との関係で作られるなら、それは容易に男女間の「恋愛」の歌にも転換するのは当然なんですね。そう考えてわざと「恋愛」すなわち「恋」の歌として読み解くと、「あぢきなく」の掛かり所は明らかであります。みなさん、ご飯をちゃんと食べて考えていたんでしょうか?
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