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超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(12) 僧正遍昭

 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばし留めむ    僧正遍昭      (古今、雑上、872)(遍昭集18874)(六帖31319、雑風)(和漢朗詠集下、妓女) 〔釈義〕 天空を吹く風よ、雲の上の通い路を、雲を吹き寄せて鎖してくれよ、(そうして貰って、ここに集まって妙なる舞を見せてくれた)天の少女たちの美しい姿を、もう暫く引留めて鑑賞しよう(と思うのだ)! 〔義趣討究〕の要旨 ① 従来の解釈では、「雲の通ひ路」を「雲の間を通って天に通じる路」とし、地上で舞った天女が天上に帰還すると解する点に疑問がある。 ② 「雲の通ひ路」やそこから派生したと思われる「雲路」という表現は、古歌の例を見る限り、「雲の上の通ひ路」を意味する物であって、地上から天へ通じる路ではなく、天上で交通する路である。 ③ 「天つ風」が「雲の通ひ路」を「吹きとじる」というのは、風が雲を吹き寄せて雲の通い路を鎖すことであり、地上から「雲の通ひ路」自体は見えないものとして歌に詠まれている。 ④ 「雲の通ひ路」と「少女」が詠まれた歌には、必ずと言っていいほど「月の光」が詠み込まれているが、この歌では特に月は出ていないが、おそらく天女(少女)自身が光を放っている可能性がある。 〔鑑賞〕の要旨 ① 五節の舞の起源によれば、天武天皇が吉野の宮で日暮れに琴を弾いていると、天女が現われて琴に合わせて舞ったというものである。これは天女が天下りしたと考えられる。 ② この歌の場面を地上の皇居内であると考えると、遍昭の歌以降の五節の歌に月が出て来る理由もわかるが、例えば天上の月宮殿で舞う場面なので、月が詠まれていないと考えると幻想的な詩の世界となる。 ③ 現実の宮中の儀式の場面と伝説や空想の世界の場面が二重写しになっている。現実の世界で少女の姿を留めるというのは卑俗な感じになるが、天女や天宮の世界と見ることでロマンチックで軽妙洒脱な感じが出て来る。 ④ 三句切れで、上の句と下の句がそれぞれ完結しているため、歌意がすっきりしている。音調も軽快である。 〔蛇足〕 以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の僧正遍昭の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、豊富な和歌の引...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(11) 小野篁

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟     参議篁    (古今、羇旅、407)(和漢朗詠集下、雑) 〔釈義〕 大海原(の旅)を、(行く手に横たわる)沢山の島々(の中に、そこで寄泊すべき島々、そこに寄り添うて航行すべき島々のこと、またどの島でさすらうことになるやら、どの島にどんな危険が待ち構えているやらといったことなど)を念頭に懸けつつ(も、それらを覚悟してとうとう私は)漕ぎ出して行ったと、恋しいあの人におお告げておくれ、(私の乗った舟に航路の沖で出会う)漁師の釣舟どもよ。 〔義趣討究〕の要旨 ① 二句目の「八十島かけて」の意味を古歌に探ってみると、「八十島に亘って至る所に(隈なく)」や「八十島に亘って次々に」の意であり、また八十島祭を題材とした歌では「八十島(の祭)を心に懸けて」の意を含むが、この歌には該当しない。 ② 「八十島かけて」の動詞「かく(下二)」は、「心に懸く」「口に懸く」などの例が多いが、他の何らかの対象に「関係づける」という他動詞で、積極的に取り込む意味の場合と、「に及ぼす」「に及ぶ」と等しい消極的に取り込む意味の場合がある。 ③ ①で検討した「八十島かけて」の諸例は、「八十島に及んで」の意と考えられる。 ④ この歌の「八十島かけて」は、「目に懸けて」ではなく、「心に懸けて」の意であり、行手の島々について不安を持ちながら寄泊したり、安全を図ったり、さすらったりする意味であろう。 〔鑑賞〕の要旨 ① 末句が「釣する海人」ではなく、「海人の釣舟」とあるのは擬人化による興趣表現であり、海人に親しく物を言いかけるのではなく、釣舟と距離を置いて物を言いかけるのだ。 ② この歌は一首の仮構の歌であり、事実としては乗船前に作って使者に託し都の愛する人に贈ったものだと古今集の詞書で明らかだ。 ③ 海上に漕ぎ出した後の将来の場面を想像して、遭遇する海人の釣舟に伝言を期待する心の弱さが表れている。 ④ 上の句は出航の場面における心象風景であり、末句は航路上の実際の眺望であるが、「人には告げよ」と海人の釣舟に呼び掛けたことで、愛する人への思いが歌の焦点となる。俊成が古来風体抄で「姿こころたぐひなく」と嘆賞している。 ⑤ 悲惨な旅立ちにも想像力をたくましくする点に、音調面もふさわしい。 〔蛇足〕 以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(10) 蝉丸

これやこの往くも還るも別れては知るも知らぬも逢坂の関    蝉丸     (後撰、雑一、1090)(素性集15748) 〔釈義〕 (ここは逢坂の関、毎日往還の人がここを通る。京の方からこの関を超えて東路の旅に出てゆく人もあれば、東国の方から京辺に向ってこの関に還って来る人もある。じっと観察してみるに、ここで互いに知り合った人同志が出くわすこともあれば、互いに全然知らない者同志が道連れになることもあり、そうして、一緒になってもすぐまた別れ、別れてもやがてまた逢う。さまざまの人が逢ったり別れたりするさまが、ここにありありと展開されているように思われる。おお、そうだ、)ここが、これがよ、往く人も還る人も、知りあった人も知らない人も、逢うては別れ、別れてはまた逢うという、(この人の世の相を名にも実にもあらわすところの、)逢坂の関だというわけか?! 〔義趣討究〕の要旨 ① 「これやこの」で始まる歌を分析してみると、「これや」は主語に相当するもので、「この」は述語に相当する部分の修飾語であり、「これや」「この+名詞」という構造になっている。 ② 「これやこの」で始まる歌の中には、「この」と「名詞」の間に、名詞の修飾語句を伴っている歌があり、時には名詞よりも、その修飾語句が表現の意図になっていることがある。 ③ 「これやこの」と類似の「これぞこの」という表現を参考にすると、「これや」の「や」は、間投助詞ではなく、係助詞である。 ④ この歌の「この」は、「あの」のように訳されているが、これはコソアドことばのコ類に属する言葉の意味が時代によって変遷するためであり、漢文の「是以」を「ここをもって」と訓読するが、現代では「そこで」と口訳することなどにも見られる。 ⑤ 「往くも還るも別れては知るも知らぬも逢ふ」の部分は、いわゆる漢文の互文の用法に準じるもので、逢坂の関に庵室を作っていた作者の目に映った往還の観察である。互文は、ついとなる表現を取り換えても、全体の意味に本質的な変わりはない。 ⑥ 三句目の「別れては」は、後撰集の諸本や定家の諸歌学書には「別れつつ」とあるが、互文の機能は同じである。 〔鑑賞〕の要旨 ① この歌は、離合集散・有為転変の人間世界の縮図を、互文の手法を用いてまとめ、それを地名的興味に結び付けて仕上げたもので、見事な技量である。 ② 表現が繰り返されたり、並列されたり...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(9) 小野小町

花の色は移りにけりないたづらにわが身世に経るながめせし間に     小野小町     (古今、春下、113)(小町集19569) 〔釈義〕 花の色つやは徒にすっかり移りあせてしまったことよなあ。そしてまたそのように、私の花の顔の色つやも、徒にすっかりあせ衰えてしまったことよなあ。何の甲斐もないのに、わが身は恋の成行に悶えてあれこれと言う、そうした営みが無駄であることの物思いを、これまた何の効もないのにして来たその間に。一方ではまた、何の役にもたたず徒に降る長雨が続いたその間に。(ああ、何としよう。もうどうにもならないのだ。) 〔義趣討究〕の要旨 ① 「世にふる」の「ふる」は、「経る」がふさわしく、「ままならぬ恋の成行に苦しみ対処しながら生きる」という意味である。「故る」ではく、また「男女関係を経験する」「男女関係を継続する」という意の「経る」でもない。 ② 「いたづらに」がどこを修飾するかは、まず、この歌の倒置を考える必要がある。三句切れで「いたづらに」が初二句と倒置するとする見方がある。二句切れで、「いたずらに」以下が倒置するとする見方がある。 ③ 「いたづらに」は「わが身世に経る」に掛かるとともに、「ながめせし」にも掛かるが、さらに「移りにけり」にも掛かる。こうした表現を「相通表現」と呼んで前著で考察した。 ④ この歌は古今には春の部に載っているが、内容は花に寄せる述懐の歌である。 〔鑑賞〕の要旨 ① この歌は、重い心の世界と鬱陶しい自然の世界が、同時にというより連続して意識され、桜花の移ろいのみか、我が容色の衰えを名がいていることも知る。 ② 古今集の仮名序や真名序と照らし合わせることで、この歌は女らしい弱い歌だといわれている。それを否定する見解もあるが、貫之の歌などに比較すると、古今集序の批評は当たっている。 ③ ことばの音楽的な美しさも内容にふさわしい。 〔蛇足〕 以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の小野小町の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、豊富な和歌の引用があったものを、今回も乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、それらが緊密に関連していて、著...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(8) 喜撰法師

わが庵は都のたつみしかぞ栖む世をうぢ山と人はいふなり    喜撰法師     (古今、雑下、983)(六帖31761、山)  〔釈義〕 私の栖処は(どこかといいますと、)都の東南(都の東南といっても広いがどこだったっけ、ええと、人の栖むところじゃない)、鹿がさ栖んでいる所、そんな所である宇治山に(喜撰は)世間を厭うてああして栖んでいる(よ、と人は言うげな、)その世を憂ぢやま、(そうそう、)その宇治山と、(このあたりを)世間の人は言っていますげな(。私の栖処はそこにあります。おもしろいでしょう)。 〔義趣討究〕の要旨 ① 古今集に「題知らず」として採られているが、六帖には「山」の部に入れられ、初句「わが宿は」五句「人はいふらむ」となっている。 ② この歌を、普通には三句切れとして「……このように結構心静かに住んでいる。だのに」のように解するが、「しか」は「そのように」「そう」のはずだが、副詞「かく」と同じ意味にとるのは不適切だ。 ③ この歌を、三句切れと見る時、上の句と下の句の続きがぎこちなく、通説では逆接と取っているが、何かしら円滑さを欠く。 ④ この歌を三句切れとは見ないで、「わが庵は」と「都の巽」以下が主述関係を構成する一文と解すると、「しか」の問題も、三句切れ逆接のぎこちなさも解消する。 ⑤ 「しかぞ栖む」の「しか」は「かく」と同様の意味ではなく、「そんなに・あんなに」意味でこれに「鹿」を掛け、「世をうぢ山」は「世を憂がる」と「宇治山」とを掛けている。 〔鑑賞〕の要旨 ① 古今集の序で「詞微かにして始め終り確かならず」「其詞華麗而首尾停滞」「詠める歌多く聞こえねば、かれこれ通はしてよく知らず」という評は、この「わが庵は」の歌に当てはまる。 ② この歌は、「わが庵は」が主題であり、「都のたつみ」以下が述部であって、通説の三句切れの歌ではない。「しかぞ栖む世をうぢ山」の部分が人の言葉であり、それが引用としてくくられるもので、「と人はいふなり」が地の文である。この点が「始め終り確かならず」に当てはまる。 ③ 「たつ」「み」「う」という暦の動物名(十二支)に「しか」を加えて折り込み、物名歌めかしている点は、古今集序の「詞微かにして」「詞華麗」という評に当てはまる。 ④ 下の句で、自分の事を他人事のように言っているところは、隠遁貴族や修行僧の暗さがなく、隠遁者への固定観...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(7) 安倍仲麿

 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも  安倍仲麿    (古今、羇旅、406)(六帖31130、天の原)(和漢朗詠集上) 〔釈義〕 (光の射し出るのを感じて、)大空をふり仰いで遥かに(東の方を)眺めやると、(なるほど、今しも月の出だ。夜も更けようとして、黒々とした世界の一角の水平線〔稜線〕が、今ありありと顕われて、その上に姿を見せ、徐かに昇ってゆく美しい二十日の月。じっと見ているうちに、水平線〔稜線〕はいつかやさしい山の稜線に変ってゆき、そこには、おお、春日の三笠山の姿が!はっとして目を凝らすと、三笠山は消えてもとの東支那海の水平線〔異郷の山野の稜線〕となる。そうだ、春日の三笠山に出る月を眺めてはその美しさに心打たれたのは、既に幾十年も昔のこと、それから気の遠くなるような、波濤万里の大洋を渡航して来たこの唐土〔異郷〕に、今もこうしてこの身はいるのだ。それが、今夜は、数十年の時間と万里の空間を超えて、一度にあの少年時代の故山が蘇って来るのか?!今夜の月は、)曽て(故郷)春日の三笠山に出た、あの(昔懐かしい)月なのかまあ?! 〔釈義〕のうち和歌表現に即した部分 大空をふり仰いで遥かに眺めやると、曽て春日の三笠山に出た、あの月なのかまあ?! 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は歌意はあきらかで、古今集の詞書や土佐日記の記事によって作歌事情は明らかである。 ② 乗船する港の送別の宴で詠まれた歌だが、土佐日記では初句が「青海原」となっていて、海辺の詠が明瞭だが、古今集では「天の原」となっている。「天の原」は天空の事である。 ③ この歌に懸詞があるかと考えたが、「春日なる三笠山」などにも懸言葉は見出せない。 ④ 「ふりさけ見る」は、漫然と見ることではなく、何かを期待して見ることである。詞書や記事にある一月廿日の送別の宴席で、特別の心境があり月の出に望郷の心がかきたてられたのである。 ⑤ 海辺での作か、陸上の作か、いずれであっても遠い故郷の三笠山の月を見た少年の日の幻影を追って感慨に浸った歌である。 ⑥ 仲麿が海辺で作ったとも、陸上で作ったとも考えることのできる歌で、さらに仲麿以外の作者が詠んだものとも考えられる。 〔鑑賞〕の要旨 ① 「天の原」という天空と対立する地上があり、天空と地上は夜の中で融合して、さし出て来た月と対照される。 ② 夜の暗さは異郷をさす...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(6) 大伴家持

鵲の渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける   中納言家持      (新古今、冬、620)(家持集16090) 〔釈義〕 (眠れぬままに牀を起って外に出てみると、そこには鵲が二羽ずつ翼を拡げて寄り合い飛石のように連なって天の川に橋渡ししているが、その鵲たちの体、つまり)鵲の作り渡した橋の上におく霜の(、月のない夜目にもはっきりと)白いのをみると、夜はだ、(もう)更けてしまっているのだったこと(ああ、また今夜も眠れずに夜を明かすことになる)。 〔義趣討究〕の要旨 ① 「鵲の渡せる橋」には、宮中の御橋(御階)説、天の川説、地上の橋説などがあるが、これらは空想の世界の鵲橋を現実のものとして扱っている。これに対して、織女が天上にあって鵲橋に霜白くおくを見て世の更けたのに驚く、という空想の世界の歌意と見直したい。 ② 古歌をみると、織女は鵲橋を渡って彦星の許に行くのを詠んだり、鵲橋は二星の交会の場として詠まれたり、日本の男の妻問の習俗に従い彦星が鵲橋を渡ったりすると詠まれている。 ③ 古歌に詠まれた「鵲の渡せる橋」は、鵲が寄り合って羽翼をすり合わせることであり、雌雄の鵲が出会うことであり、八雲御抄には「かささぎの橋は七月七日二鵲橋を為す」と述べられている。 ④ 古歌の「鵲の渡せる橋」は、途絶えるものであるが、それは雌雄の行会が絶えるのではなくて、二羽一組の鵲の単位が減る事によって生じる。七夕を迎えると二鵲の組数が殖えて渡河が可能になり、それ以降数を減らすが、秋を経て冬になるまで鵲の橋は継続する。 ⑤ 七夕を過ぎて鵲橋が途絶えると、二星は逢えなくなるので、織女は独り寝をすることになるので、夜を寒いと訴え、霜が降りたことを嘆いたりする。こうした典拠が漢籍にあると思われるが、今はわからない。 ⑥ 古歌に詠まれた鵲には、月を渡すための「鵲の雲の梯」がある。また鵲が雌雄同行の鳥なので裏に鵲の姿を鋳た鏡が作られたが、月面を鵲の鏡と見立てることもあって、月との関係が深い。家持の歌は、月を前提とはしていないので、「鵲の梯」ではなく、「鵲の橋」である。 ⑦ 「夜ぞ更けにける」という表現を古歌に探ると、普通ではない事態を認識し、それに対して諦観し、情動に堪える趣に使われるので、家持の歌においては、彦星に分かれて独り寝する織女が、眠れぬ夜に外を見て、鵲の頭や翼に置く霜を見て嘆息する趣と考え...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(5) 猿丸大夫

奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき    猿丸大夫     (古今、秋上、215)(寛平御時后宮歌合35418) 〔釈義〕 人里離れた奥山に、散り交い積る紅葉の落葉を踏み踏み、道をそれと探り分けながら、ますます深く尋ね入って行くうちに、(彼方から聞こえて来るのは鹿の声。どうやらこの紅葉の落葉道を何者かの通った形跡があるのも鹿の仕業だろう。)私と同じようにこの奥山に、紅葉の落葉の道を踏んで探り分けながら、声高く妻を呼び求めて鳴きさまよう鹿の声(!この声)を聞く時にだよ、(ああ、よそ事には思われぬ。こうして憂世を離れて独り山中に暮している私ではあるが、京に残して来た妻子や故旧のことを忘れてしまったわけではない。強い動機があって発心した上は、再び退転せじと誓って修行に打ち込んでいるのだ。しかし妻を恋い慕うあの鹿の哀音を聞くと、私の心も揺れ動かないではおれぬ。秋は悲しいというが、山中深く哀音を聞く時にこそだよ、私にとって)秋は(ほんに)悲しいことだ。 〔義趣討究〕の要旨 ① 古来、「奥山に」「紅葉踏み分け」がそれぞれ「鳴く」「聞く」の何れを修飾するかという問題があるが、結局それは詠作主体の境涯、心情を本質的に解明することで解決する。 ② 古歌を探って見ると、秋に牡鹿が牝鹿を求めて鳴くものであり、妻問のために夜に鳴くということが表現されている。鹿が萩に臥すという場合も、萩を妻に見立てている。 ③ この猿丸大夫の歌が夜の鹿鳴を詠んだとすると、古今214「山里は秋こそ殊にわびしけれ鹿の鳴く音に目をさましつつ」と類似の内容となりそうである。 ④ 上の句の「奥山に紅葉踏み分け」は、古今217「秋萩をしがらみ伏せて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけさ」に従って場面を想像するが、「奥山の紅葉踏み分け」ではないため、「奥山に」は「聞く」を修飾する感が強い。よって、鳴く鹿の声を聞くのは里ではなくなる。 ⑤ 「踏み分け」の語感を考えると、これは紅葉の落葉が一面に積もったのを注意しながら道を弁別して行くのであり、鹿の行為ではなく詠作主体の行為である。また萩の黄葉でもない。 ⑥ 徒然草十一段にある「遥かなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり」を参照すると、兼好法師が踏み分けるのであるが、庵の主も踏み分けたのであり、これに準じて猿丸大夫の歌を考えれば、詠作主体が踏み分け、そ...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(4) 山辺赤人

田子の浦にうちいでて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ   山辺赤人      (新古今、冬、675) 〔釈義〕 田子の浦に(期待する心をもって)出て行って、見ると、白妙の(というように真白な姿である筈の)富士の高嶺に、何と今雪が降り降りして(、山は姿をよくも見せず、わが心は慰め難いことだ)。 〔義趣討究〕の要旨 ① 万葉集の原歌は叙景歌として高い評価を得ているが、それを改作した歌形は通説では評価が低いが、定家が採用した以上鑑賞に堪え得るものである。 ② 「白妙の」を普通「真白な」の意に解するが、「白妙の」は「ふぢ」の枕詞であり、ここでも「ふじ」の枕詞である。雪が降る時は空は曇るのであり、「白妙の」は枕詞に過ぎない。 ③ 「うちいでて見れば」は、見晴らしの良い田子の浦に出て富士の高嶺を見ようとしたということだが、その時の富士は真白に輝く姿ではない。 ④ 万葉集の長歌の「時じくそ雪は降りける」に着目すると、これは、今その時節ならぬに雪が降っているというのではなく、時節を定めずに随時に雪が降るという意味がふさわしい。 ⑤ 万葉集の長歌は、ある日の景色を詠んだものではなく、心眼に映ずる天地開闢以来の動的相であるが、これに対して反歌は現在の眼前の静的な相である。 ⑥ 万葉集の反歌における晴れた富士の白雪を戴く鮮明華麗な静的相に対して、新古今ならびに百人一首では、期待した富士の麗容は見られず、雪の降る場面相を鑑賞した旅愁の歌である。 ⑦ 万葉集の長歌と反歌は、動的相と静的相の二面から霊峰富士の偉大さを讃えたものだが、定家は長歌の憧憬を反歌で旅愁に転じたものとして受容している。 〔鑑賞〕の要旨 ① 「白妙の」を枕詞として使用されていると指摘したが、「真白な」の意味がないと考える必要はなく、幻影として真白な雪を戴く富士山の姿が作者の脳裡に存在する。 ② 田子の浦と富士の高嶺という絶好の取り合わせだが、降雪によって富士の姿は見えない。万葉集の直截鮮明な叙景歌が、改変によって換骨奪胎され余情幽玄な叙情歌となった。 〔蛇足〕 以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の山辺赤人の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、和歌の引用があったもの...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(3) 柿本人麿

あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む   柿本人麿    (万葉巻十一、2802異本歌)(拾遺、恋三、778)(柿本集15280) 〔釈義〕 (あしひきの)山鳥の尾の(恋にやつれて)長くしだれ下った尾、それを横たえて、山鳥はその尾のように長々しい秋の夜を(妻と離れて)独り寝るというが、そのように、私も長々しい秋の夜を(妻と離れて)、独りでか、まあ寝るだろうこと?!(寂しいことだが何とも致し方ない)。 〔義趣討究〕の要旨 ① 上の句の五七五は単なる序詞ではなく、下の句「ながながし夜を独りかも寝む」と密接なつながりを持っている。 ② 山鳥はキジ科の日本固有種で、キジよりも長い尾を持ち、1メートル近い。雌は雄の三分の一くらいの長さ。 ③ 枕草子のほか、奥儀抄や俊頼頭脳・袖中抄などにある山鳥の生態は、昼は雌雄同居し、夜は谷を隔てて寝る、鏡を見せると慰む、というものである。 ④ 中国の故事には、伝説上の霊鳥である鸞(らん)について、配偶者を見ると鳴き、鏡に映る自分の姿を見ても鳴くとあり、山鶏の生態についても同様の記述がある。 ⑤ 山鳥と鏡にまつわる歌は、「山鳥の尾ろの波都乎に鏡かけとなふべみこそ汝によそりけめ」と万葉集巻十四3468番に見え、その歌から派生したと思われる歌がある。 ⑥ 宣長によれば、山鳥の尾は夜光るもので、万葉集の歌に「鏡かけ」と詠んでいるのは、尾が鏡のように夜ひかることを言う。 ⑦ 万葉集巻十四の歌において、山鳥はすでに枕草子や奥儀抄と同じ見方がされているので、万葉集巻十一の歌も、実際の山鳥の生態ではなく、中国の故事を踏まえたものだ。 ⑧ 「しだり尾」は、単に山鳥の尾を言うのではなく、力なく地面に横たえおいた、恋に悽然(せいぜん)とした姿を描き出している。 ⑨ 「独りかも寝む」という表現は愛する人と逢えない状態を前提にして諦念の表現となっている。この歌は長い期間に亘って逢えないことを詠んでいるので、人麿の作と擬するなら、石見の国に妻を残した情況で詠まれたと考える。 〔鑑賞〕の要旨 ① この歌は、山鳥の独り寝の説話と、秋の夜長を妻と離れて独り寝する自分の境遇を二重映しにしている。 ② 上の句の序は、枕詞を使ったり、「の」を連ねたことによって長い山鳥の尾をイメージさせ、導かれた言葉は「長き」ではなく「長々し」なので、秋の長い一夜と同時に一人...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(2) 持統天皇

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山    持統天皇     (新古今、夏、175) 〔釈義〕 春が過ぎ去って、(とうとう)夏が来たものらしい。(あの)「白い着物を干す」現象を(もう)起しているという天の香具山(、そこには)(早く行ってそれを見たいなあ)。 〔義趣討究〕の要旨 ① 万葉集原歌の「来到るらし」「ほしたり」は眼前の実景による実感だが、「来にけらし」「ほすてふ」は、他からの伝聞によって香具山に夏の来るのを感知し、「自分もそこへ行って見たいなあ」という感慨が付随する。 ② 「白妙の衣ほす」というのは人が夏衣を干した実景ではなく、中古から中世にかけての歌を見る限り、何かの比喩表現である。 ③ 香具山が「白妙の衣干す」は榊の葉の陽光の反射かと考えたが、落葉樹の櫟(くぬぎ)の風にひるがえる白い葉裏の可能性も考えた。さらに、楢の葉かもしれない。 ④ 人麿の国見の歌(万葉集巻一、38)などを参考にすると、香具山自体が白妙の衣を干すのだと解するべきで、人が衣を干したのでは香具山は単に人間の活動の場に過ぎなくなる。 ⑤ 「てふ」は、「風の便りでは~という」と解すると、「らし」の推定に十分な根拠となり、「早く行ってそれを見たい」という余情が出て来る。 〔鑑賞〕の要旨 ① 万葉原歌はタ行音ラ行音による荘重な音調だが、百人一首の歌は優美に洗練されている。 ② 万葉原歌は実感であるのに対し、この歌では伝聞に基づく想像で、「行って見たいなあ」という憧憬の余情がある。 ③ 早春に春霞によって衣を干したように見えることを前提に、新緑の初夏の訪れによって山が白妙の衣を干すというイメージを想像した歌である。 ④ 「天の香具山」は空に浮かんだ山のイメージであり、山麓の民家が「衣を干す」という情景とするのはこの歌にふさわしくない。 〔蛇足〕 以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の持統天皇の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、豊富な和歌の引用があったものを、今回も乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、それらが緊密に関連していて、著者の主張は非常に鮮明でありましょう。実は、古注釈にお...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(1) 天智天皇

秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ   天智天皇    (後撰、秋中、302)(六帖32003、かりほ) 〔釈義〕 秋の田の稲の刈取り・取入れやそのための番の仮小屋(といった式の小屋)の苫葺の編み目があらいので、私の衣の袖は夜露に濡れてばかり(、といったらおわかりだね、実はあらい苫葺から来る夜露のせいよりもそなたがいない独り寝のために、私の衣の袖はそなた恋しと思う涙で濡れるばかりで、本当にわびしいことだったよ)! 〔義趣討究〕の要旨 ① 古歌によれば、衣手が露に濡れることは、妻を思う気持ちがはいっている。 ② 「秋田刈る」という表現が、「秋の田のかりほ」となり、「秋の田の」は枕詞に変化した。 ③ 「露にぬれつつ」の「つつ」は、後に言いたい恋情を補うべきであり、「露」は涙である。 ④ この歌は、天皇が農夫の身になって詠んだのではなく、天皇が地方巡行したあとに后妃に贈ったと定家は解した。 〔鑑賞〕の要旨 ① 初・二句の「の」の繰り返し、四句目までア段オ段の音が交錯し、末句をウ段の音で収めてある。 ② 下の句の「わが」は「そなた」への愛情を遠回しに表現し、歌柄が大きく御製にふさわしい。 ③ 稲田の仮小屋を高貴の方のために急造されたものと考え、寵愛する后妃がいない夜更けの、独り寝の涙を詠んだ歌である。 〔蛇足〕 以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の天智天皇の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、豊富な和歌の引用があったものを、乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、それらが緊密に関連していて、著者の主張は非常に鮮明でありまして、かつ、実は刊行当時の『百人一首』の注釈書とは大きく対立しておりまして、さらに重要なのはその見解が非常に的を射ていると感じられます。いまでこそ、注釈書の中には、この歌の「露」を涙とみなす見解がないわけではないのですが、「つつ」を文末の詠嘆止めなどとしないで、接続助詞として扱いながら、妻への恋慕が暗示されているとまでは、誰も指摘してこなかったようです。さらにそこから著者は一歩踏み出し、先行する注釈書が繰り返し主張してきた「天皇が農夫の...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(0) 本と著者の紹介

梅雨が明けたのか明けていないのか分からないのですが、猛烈に気温が上昇して、猛暑というにふさわしい状況になっております。こうなると好きな時間に起きて、好きな時間に食事をし、好きなだけパソコンにかじりついている身の上としては、人生上のノルマがないので、うっかりすると和室で横になって昼寝というか、うたた寝というか、いびきをかいて眠りこけてしまうのであります。暑さを忘れて、起きているだけの目標がないと、ころりと横になりますので、さて、何をしたらいいのか、少しだけ考えました。 現在の住まいは、広大な高原の裾野にありまして、湧水が至る所にあるような土地ですが、ここに引っ越す前は海抜15メートル程度の低湿地帯に暮らしていました。夏の間は蚊取り線香を絶えず燃やさないと、蚊に刺されまくるような劣悪な環境でありまして、高層ビルのある繁華街に近いところに住んでいるのに、家の裏手を少し行くと、田んぼが広がっているというような奇妙な場所だったのです。そこを脱出する時に、本棚に溢れる書籍、さらに茶の間の作り付けの食器棚に押し込めた書籍、段ボールに入れたまま引越しを繰り返した書籍、それらをあらゆる手段を使って処分しました。 現在の住まいには、処分しきれなかった書籍を持ってきましたが、その何分の一かを、ネットのフリマサイトを使って少しずつ処分しまして、もはや残っているのは、若い日に田舎で書店に注文して手に入れ、それがうれしくて蔵書印を押した書籍や、中途半端な文庫や新書の類でありまして、連れ合いの持っている趣味の本より少なくなりました。以前は、フリマサイトの売り上げは銀行口座に振り込んでもらっていましたが、今回ふと思い立って『百人一首』関連の注釈書などを探して買い求めました。子供向けのものや学参物ではなくて、多少は名の通った研究者が書いた物を手に入れて見ました。 そういう中に、購入して届いてみたら、何だか非常に分厚い一冊がありまして、その厚さに少々驚いたのであります。通常の注釈書は、一首当りせいぜい見開き2ページでありまして、物によってはたった1ページなんてこともあります。その本は、百首全部の注釈の正味が、何と689ページもありまして、とすると一首当りのページ数は、平均7ページに迫るのであります。若者に情を掛けようと思ってやさしい声を掛けたジーパン刑事が、若者の発射した銃弾を腹部に受けて、   「な...

8年前都知事選前後の自分のブログを読む(6)

「独立記念日生まれ。」というタイトルで書いていたブログ記事ですが、始めの所でも説明している通り、タイトルはいい加減でありまして、最後はバスケットの話題で終わっております。 2016/07/12 NBAの一時代を築いた選手が引退しまして、ニュースに流れました。サンアントニオ・スパーズのフォワードだったティム・ダンカンであります。実は、シーズン中にロスアンゼルス・レーカーズのガード、コービー・ブライアントが引退を早々と宣言しまして、こちらはもう大騒ぎの引退セレモニーがあったはずですが、レーカーズは最下位に沈みましたので、優勝も何もあったものではなかったのであります。それに比べると、スパーズはよもや優勝という所まで奮闘しましたので、その後でようやく引退が報じられたのであります。コービーもダンカンも、マイケルジョーダンが二度目のスリー・ピートを達成する頃にNBAに入りましたので、あれから約20年、神様の後を継いでこの二人がバスケットの頂点にいたわけであります。ダンカンの評判というのは、ドラフト1巡目1位が示すように最初から高かったわけで、スパーズが彼を獲得できたのは、ドラフト前のシーズンがひどい成績だったからなのであります。それを途中から指揮していたのは今のグレッグ・ポポビッチでありまして、ずっと同じ監督の下でダンカンは淡々と試合に臨んだ感じでありますが、それがついに引退であります。史上最高のパワー・フォワードかもしれません。引退する年までちゃんと優勝に絡んでプレーしていたというのはすごい。 アジサイがほぼ終わりましたので、本日枯れかけた花を剪定しましたが、アジサイがツツジと絡んでいて、ツツジの中にまだ咲いているアジサイが紛れていましたので、それを伐って花瓶に生けて見ましたら、「朝顔?」という人が居りまして、仰天いたしました。ガクアジサイでありますから、世間のアサガオとちょっと違うので、仕方がないと言えば言えるんですが、庭に何が咲こうが家族はちっとも見ないのでありまして、不思議なことであります。蝉は本日初お目見えでありますが、まったく鳴いていないのでありまして、どうも仲間もいないしどう鳴いていいのか分からないのかもしれないのであります。参議院選挙の投票率がだいたいわかったようですが、若い人があまり投票しなかったようでありまして、関係者はそれをどう見るのか、気になるところであ...

8年前都知事選前後の自分のブログを読む(5)

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8年前のブログを再び掲載しております。8年前と世相が変わっていないのが不思議でありましょう。世の中は停滞してしまったことがわかります。 2016/07/10 若い頃の自分は貧乏だったのかどうか、というようなことを自分で考えても、なかなか客観的な判断はできないわけであります。大人になった今は、多少は世の中の金持や貧乏人を見てきましたので、それなりの判断は付くということであります。ただ、お金があるということによって、果たして幸せかどうかということになると、限りなく懐疑的になりますので、これは判断が付きません。何せ人の胸の中なんか全く分からないわけでありますから、判定不能であります。大学に進学するときに、実はそのあたりの点検を自分に施しまして、自分というよりは親がどうなのかということを突き詰めてみたのであります。これは非常に有益でありまして、自分のことよりも親の人生を判断するのは難しくありません。どこに生まれて、どんな親(すなわち祖父母)を持ち、どんな学歴で、今どんな職業で、夫婦関係はどうか、財産はどうか、貯金はあるか、周囲との関係はどんなものか、ということであります。両親の場合には兄弟がたくさんおりましたか ら、その人たち(伯父・伯母・叔父・叔母)と比較すると一目瞭然だったのであります。その時の判断は、この30年ぶれませんでしたので、まあ単純な親だったのであります。 投票済証。 昔判断した親についての評価と、現在の自分への評価を比べてみると、一番忌々しいのはコストパフォーマンスの点でありまして、築いた財産が自分に比べて親の方が莫大でありあります。かけた経費と残した財産を考えると、私はあと1万年くらい働かないと追いつかないのであります。私だって、同世代の人から比べたらコスパの良い人間でありますけれども、しかし、あんな風には稼げないということなのであります。親の場合は、それなりの貧乏から、そこそこの貧乏に落ち着きまして、しかしよくまあ稼いだものだと驚くのであります。私の場合はそこそこの貧乏の恩恵にあずかりまして、いろいろ巡り合わせがよくて、贅沢がほとんど必要のない清貧状態であります。酒も煙草もギャンブルもほとんど無縁でありまして、美食も必要ない、手抜きの掃除が大好きで、とりあえず飯は炊けるんですから、これで宝くじに当たったらずるい方であります。入院した経験は子どものころに半...

8年前都知事選前後の自分のブログを読む(4)

8年前に書いたブログのアップデートを掲載しています。 2016/07/08 世の中というのは複雑であります。その時々で気になる事、後から振り返って気になる事というのは、どこかにもっと複雑な背景があったりしまして、その結果謎が残るのでありましょう。前都知事が辞める経緯というのは、逐一ニュースになっていたような気がしますけれども、発端は豪華な視察旅行を問題視する報道だったような気がいたします。次第にエスカレートして、正月の家族旅行が会議という名目で出費しているというような辺りから、風雲急を告げたのであります。「第三者による精査」というような辺りで馬脚を現しまして、リオオリンピックまでやらせろというような話でしたが、もはや参議院選挙に悪影響が出そうだと判断する人がいたのか、あっという間に辞任でありました。それがなければ、もしかして衆参同時選挙だったのかもしれません。18歳からの初の選挙でありましたので、増税延期かどうかというような話題を振って、選挙戦に突入だったのかもしれません。歯車は狂いまして、都知事選の話題が時折マスコミをにぎわしているわけで、東京の参議院選挙はかすんでおります。 当然のことながら地方の選挙も話題が乏しいようで、これと言った選挙戦を巡る報道も少ないのでありますが、ひょっとするとうかつに番組を作ると政権党などから叱られるというので、報道がぐんと後退しているのかもしれません。普通に暮らしていたら、イギリスの国民投票の方がインパクトがあったくらいで、こりゃ無風選挙というよりは、空気のような選挙であります。回ってくる選挙カーもなく、たまに郵便受けにチラシがあるというだけのことなのであります。行くところに行ったら、すごいことになっているのかもしれないのでありますが、少なくとも私の見るところではなにも起きてはいないのでありますが、これって私が鈍感だからなんでしょうか。今年前半が終わって、あれこれ感想を抱いておりますけれども、なんとなく全体に日本を巡る状況がしょぼくなっているような気がするのであります。オリンピックはもう断然気勢がそがれた状況でありますし、大企業が消滅した上に、偽装がまたもや発覚しておりまして、さらに名誉を失墜する有名人が何人も出ておりまして、それを忘れるような目覚ましい話はほとんど見かけないのでありますが、さて、老いたせいでそう見えているだけなのか...

8年前都知事選前後の自分のブログを読む(3)

「独立記念日生まれ。」というタイトルで書いていた8年前のブログのアップデート版です。「アップデート」って、日本語で言うと「焼き直し」というのが正解かも知れません。 2016/07/06  選挙が近いのでありますが、さてこうして普通に暮らしていると、選挙活動なんかにお目に掛かることがないのであります。電話が一本掛かって来たのと、少しチラシが入っていたくらいでありまして、あとは選挙の広報を見るくらいのことであります。若いものに訊いてみましたら、もう投票する人は決めてあるそうで、おや、随分意識が高いのではないかと驚いたのであります。どうしたわけか、今朝は電車が混んでおりまして、電車も混雑のためなのか、あちこちの駅で出発が遅れたようであります。それと、混雑した電車の中での振る舞いが今一つ分かっていない人がいるわけで、通勤ルートを変更したり、新たに職場を見つけて通勤し始めた人がいるような印象でありました。駄目な人の特徴は、混雑に驚いて姿勢を傾けたりする人でありまして、その姿勢を次の駅や目的地まで続けられないだろうと分かるような状態でありますから、次第に体勢を立て直そうとして周囲に迷惑を掛けるのであります。スマホや読書が余計な空間を必要とするようで、そういう人も困った人になっているのであります。混み出したら諦めて自然体になることが必要であります。 自宅から駅までの間で、よそのお宅の庭でサルスベリが咲いておりまして、さて、我が家のサルスベリはどうして遅いのでありましょう。日照の問題なのかと思うのでありますが、サルスベリに関しては日当りのそこそこにある場所でありますから、腑に落ちないのであります。そう言えば、我が家の水仙もよそのお宅の水仙に比べて開花が遅れるのでありまして、不思議であります。それにしても初冬になると草が枯れ、葉が落ちまして、すっからかんになる庭なのに、この時期はジャングルでありまして、毎年のことと言いながら、その繁茂ぶりに驚かされますが、何かうまい対策はないのかどうか。新築住宅などをちらりと見ると、庭に当たる部分はコンクリートを敷き詰めて、最初から雑草などが生えないようにしてあったりいたします。猫の額ほどの庭を造っても、結局雑草天国になるだけだったら、がっちりと何かを敷き詰めて有効なスペースとして利用しようという算段のようです。去年もそうですが、晩秋に枯草や...

8年前都知事選前後の自分のブログを読む(2)

ここから、8年前のブログのアップデートとなります。 当時のタイトルは「独立記念日生まれ。」というものでありまして、7月4日から書き始めた時に適当に付けたタイトルであります。はじまり、はじまり。 2016/07/04 題名に他意はございません。それにまつわる内容を書こうとしているのでもないわけでありまして、しかしまあ、例のイギリスの騒動で、欧州連合から離脱する国民投票の後で、離脱派の首領が「独立記念日だ」と豪語しておりましたので、なるほど、独立の瞬間は野蛮でありますが、定着すれば記念日であります。日本の場合は独立というのは縁遠い言葉でありますが、まあしかし、過去の歴史にそれに類することがなかったわけでもないのであります。7月4日はほかにどんな記念日があるのかと思ったら、あまりこれと言って目立つものはないのでありまして、やっぱりアメリカの独立記念日がダントツに目立っております。どこから独立したのかと思ったら、イギリスからでありまして、そう言えばそうだったということであります。近代の歴史を考えてみると、この独立記念日は非常に重要だったんでありますけれども、今から240年前ってことであります。 連日の猛暑でありますが、本日は夕方に夕立が降りまして、これで一気に気温が下がったのであります。昨日は玄関先に打ち水をしましたが、本日はその前に雨が降りまして大助かりであります。朝のまだ涼しい時間に、大きな剪定ばさみを持ち出しまして、伸びすぎたランタナの茎をバッサリと刈り込み、さらにアジサイの色褪せた花を含めて今年伸びた茎を伐りましたが、地面に敷いて乾かしていたのに、雨に打たれてしまいました。明日は生ごみと一緒に燃えるゴミとして出す予定でありますけれども、今年は植物がよく茂っているのであります。庭の奥はもう雑草でジャングル化しておりますが、まあそのうち、汗をかきたくなったら分け入って雑草を刈り込んでみようかと思ったりいたします。ちょっとしたレジャーでありますが、熱中症にならないように注意したいと思います。梅雨前線が北に行きまして、さて戻ってくるのかどうか。 2016/07/05 「独立記念日生まれ。」とタイトルを付けましたが、いつもながら、タイトルが羊頭狗肉であります。この四字熟語からすると、羊の肉は高級でありまして、その頭を飾りにして狗の肉を売るのでありましょう。物の本を見ると、この...

8年前都知事選前後の自分のブログを読む(1)

今では田舎暮らしを楽しんでいる私ですが、遠い昔東京都民だった時がありまして、例えば最近うっとうしかった都知事選の話題などを耳にしますと、自分なら選挙に対してどんな風に対応し、投票するとしたら誰に入れるんだろうなどと、ぼんやり意識したりいたします。都民だった頃は、新宿区や足立区、豊島区などに住んでいたはずで、住民票を出しに、それぞれの区の出張所に行った記憶はありますが、さて、選挙に出向いた記憶があるのかというと、これがまったく記憶にないのであります。そもそも新宿区民や足立区民だったときは成人前でしたし、成人式の招待も下宿には届かなかったのでありまして、選挙権があったのかどうか、考えて見ると不明であります。 政治に興味が無かったのも事実でありますから、たとえ選挙のお知らせが届いていても、選挙に出向いたのかどうかも分かりません。 物心がついた1970年頃というのは、世の中は騒然としておりまして、学園紛争だとか爆弾騒ぎだとか、テレビのニュースは物騒な物ばかりでありまして、田んぼの真中で暮らしていた自分の環境からするとかけ離れておりました。「戦後70年平和だった」というようなフレーズがありましたが、とてもそんなふうな世相ではなくて、あんなことを唱えた人たちが嘘つきなのは間違いありません。交通戦争とか、受験戦争とか、さらには大国間の冷戦などがありましたし、公害による汚染の話、子供の誘拐事件、三億円強奪事件、さらにはあさま山荘事件など、あれで平和だったという人の気が知れないのであります。 ところで、ここ二週間ぐらいの都知事選の騒ぎというのは、もはやテレビを見なくなった私であっても、ネットを通じて感知することになりました。現職の小池都知事がさほど失敗もしていないので三選を目指したわけですが、泡沫候補が名乗りを次々挙げて、まるで仮装行列状態になったのは、田舎にいても知る事となりました。ポスターの看板が足りなくなったんじゃありませんか? さらに、二番手と思われていた人が案外不人気で、広島の田舎の市長を務めてYouTubeをにぎわせていた若い人が二位に滑り込みまして、新聞やテレビというオールドメディアを驚かしたというふうに認識しております。 我が家の若い者と話をしていたら、今回の都知事選は異常だったようだというようなことを言いますので、いや、昔から都知事選は仮装行列みたいなものだったとい...