8年前都知事選前後の自分のブログを読む(4)
8年前に書いたブログのアップデートを掲載しています。
2016/07/08
世の中というのは複雑であります。その時々で気になる事、後から振り返って気になる事というのは、どこかにもっと複雑な背景があったりしまして、その結果謎が残るのでありましょう。前都知事が辞める経緯というのは、逐一ニュースになっていたような気がしますけれども、発端は豪華な視察旅行を問題視する報道だったような気がいたします。次第にエスカレートして、正月の家族旅行が会議という名目で出費しているというような辺りから、風雲急を告げたのであります。「第三者による精査」というような辺りで馬脚を現しまして、リオオリンピックまでやらせろというような話でしたが、もはや参議院選挙に悪影響が出そうだと判断する人がいたのか、あっという間に辞任でありました。それがなければ、もしかして衆参同時選挙だったのかもしれません。18歳からの初の選挙でありましたので、増税延期かどうかというような話題を振って、選挙戦に突入だったのかもしれません。歯車は狂いまして、都知事選の話題が時折マスコミをにぎわしているわけで、東京の参議院選挙はかすんでおります。
当然のことながら地方の選挙も話題が乏しいようで、これと言った選挙戦を巡る報道も少ないのでありますが、ひょっとするとうかつに番組を作ると政権党などから叱られるというので、報道がぐんと後退しているのかもしれません。普通に暮らしていたら、イギリスの国民投票の方がインパクトがあったくらいで、こりゃ無風選挙というよりは、空気のような選挙であります。回ってくる選挙カーもなく、たまに郵便受けにチラシがあるというだけのことなのであります。行くところに行ったら、すごいことになっているのかもしれないのでありますが、少なくとも私の見るところではなにも起きてはいないのでありますが、これって私が鈍感だからなんでしょうか。今年前半が終わって、あれこれ感想を抱いておりますけれども、なんとなく全体に日本を巡る状況がしょぼくなっているような気がするのであります。オリンピックはもう断然気勢がそがれた状況でありますし、大企業が消滅した上に、偽装がまたもや発覚しておりまして、さらに名誉を失墜する有名人が何人も出ておりまして、それを忘れるような目覚ましい話はほとんど見かけないのでありますが、さて、老いたせいでそう見えているだけなのか。それとも?
NBAのトレードがいろいろあって、派手に動いているようです。
2016/07/09
もうそんなに何か書かねばならないという気持ちが無くなりまして、これも例の断捨離の効果かも知れません。せいぜい、世間で話題のことや、揉めていることにコメントするくらいになっておりますが、それでも惰性で書いているわけであります。近ごろ気になるのは、「貧困が大変だ」という話題でありまして、子どもの6人に1人が貧困だとか、老人が老後に貧困になって下流老人だなどという話題であります。ただ、立ち止まって考えてみると、貧乏とか貧困というのは、そんなに忌避すべきものなのか。まるで、疫病というか新種の病気みたいに言っているわけで、感染症のような扱いであります。例えば一つのクラスに36人の児童がいるとして、6人が貧困で朝ごはんにありつけないというのは、さて、自分の子供時代と比べてどうなのか。そんなものであります。だいたい、50年前なら朝ごはんはご飯一膳に薄い味噌汁沢庵二切れぐらいでありまして、卵焼きだウインナーだサラダが付くぞヨーグルトだ、となるのは実は40年くらい前からであります。だったら、50年前の36人のうち30人くらいは貧困だったんであります。統計とやらを振りかざされると恐れ入るんですが、大した貧乏でもないじゃん。
今年のアジサイが終わりました。
やっぱりバブルの絶頂期などを経験した人は、みんな中流以上のような幻想を抱いたので、豊かな暮らしぶりが忘れられないのかもしれません。貧困になるぞ、というような言葉にみんなが飛びつくものでありますから、商売のネタとして使っているのでありましょう。金持ちには儲かるぞ儲かるぞとそそりまして、金がなさそうな人には貧困になるぞ貧困になるぞとおどかすのであります。開高健の自伝的小説『青い月曜日』を読みますと、戦後に貧困だったこの小説家は、昼飯時になると教室に居られなくて、校庭に出てゆくのであります。みんなが開く弁当に耐えられないのでありまして、しょうがないから校庭の片隅の水道から水をたらふく飲みまして、それから鉄棒で大車輪などをしていたのであります。そんなありさまだって開高健少年は何とか大人になりまして、人様よりは稼ぎまくって美食家になったんですから、大したものなのであります。都知事の職を追い払われた舛添さんだって、少年時代は同じようなものでありましょう。貧乏にあえいでいただろうと思います。今80以上の老人で、東京生まれ育ちの人たちというのは、サツマイモの天ぷらを忌み嫌うのであります。どうしてって、毎日毎日サツマイモを食っていたからで、それ以外に食うものがなかったのであります。金持ちのふりをしたって、根っこは貧乏で空腹だったころの悪夢ではちきれんばかりの頭をしていると考えていいでしょう。親に恵まれなければ貧困でありますが、それを鬼の首を取ったように慈悲を与えよと大声で叫ぶな、と思ったりいたします。貧困に慈悲を与えるふりをして、貧困の子供にトラウマを植え付けているような気がいたします。
給食くらい朝と昼出して、タダにしてあげたって損はないのに。それから東京の老人は実はサツマイモは大好物ですが、気取って嫌いなふりをなさるんであります。
コメント
コメントを投稿