8年前都知事選前後の自分のブログを読む(5)
8年前のブログを再び掲載しております。8年前と世相が変わっていないのが不思議でありましょう。世の中は停滞してしまったことがわかります。
2016/07/10
若い頃の自分は貧乏だったのかどうか、というようなことを自分で考えても、なかなか客観的な判断はできないわけであります。大人になった今は、多少は世の中の金持や貧乏人を見てきましたので、それなりの判断は付くということであります。ただ、お金があるということによって、果たして幸せかどうかということになると、限りなく懐疑的になりますので、これは判断が付きません。何せ人の胸の中なんか全く分からないわけでありますから、判定不能であります。大学に進学するときに、実はそのあたりの点検を自分に施しまして、自分というよりは親がどうなのかということを突き詰めてみたのであります。これは非常に有益でありまして、自分のことよりも親の人生を判断するのは難しくありません。どこに生まれて、どんな親(すなわち祖父母)を持ち、どんな学歴で、今どんな職業で、夫婦関係はどうか、財産はどうか、貯金はあるか、周囲との関係はどんなものか、ということであります。両親の場合には兄弟がたくさんおりましたか ら、その人たち(伯父・伯母・叔父・叔母)と比較すると一目瞭然だったのであります。その時の判断は、この30年ぶれませんでしたので、まあ単純な親だったのであります。
投票済証。
昔判断した親についての評価と、現在の自分への評価を比べてみると、一番忌々しいのはコストパフォーマンスの点でありまして、築いた財産が自分に比べて親の方が莫大でありあります。かけた経費と残した財産を考えると、私はあと1万年くらい働かないと追いつかないのであります。私だって、同世代の人から比べたらコスパの良い人間でありますけれども、しかし、あんな風には稼げないということなのであります。親の場合は、それなりの貧乏から、そこそこの貧乏に落ち着きまして、しかしよくまあ稼いだものだと驚くのであります。私の場合はそこそこの貧乏の恩恵にあずかりまして、いろいろ巡り合わせがよくて、贅沢がほとんど必要のない清貧状態であります。酒も煙草もギャンブルもほとんど無縁でありまして、美食も必要ない、手抜きの掃除が大好きで、とりあえず飯は炊けるんですから、これで宝くじに当たったらずるい方であります。入院した経験は子どものころに半日だけ、同室の子供は不治の病の子供でした。何だか申し訳ないな。これでぽっくり逝ったら最高でありましょう。死ぬときに言う言葉はもう決めてあります。これを言うと家族は無言になって無視いたしますな。どうして?
おいら、こう見えても一度は死んでみたかったんだ。あの世に興味津々。
2016/07/11
貧乏が怖いということで、まあみんな働くわけでありますが、みんなで働くと仕事を社会全体でシェアするために、単価が下がり、期待したほど収入が得られないのであります。男女平等社会というのを目指しまして、その志はもちろん尊いのでありますが、そうなると限られた仕事の奪い合いでありまして、近ごろは人間の仕事をコンピューターやらロボットが代替するそうで、そうなるとプログラムを作った人は儲かりますが、あぶれた人間は干上がるのであります。そういう中で、どうやって豊かさを実現するのかということが問題であります。一か月くらい前、例のNHKのクローズアップ現代でありますが、そこでは一日6時間労働で行こうという話が有りまして、その労働時間で充分な収入を与えるという試みが紹介されていました。さらに、びっくりするのは、働かなくても豊かな収入を最初から国家が与えてしまうという戦略でありまして、これが支持を集めるかどうかという点だけが懸念の材料なんだそうです。しかし、補助金を出し、生活保護を出し、医療保険があるなら、同じことであります。お札を刷って配っているんですから、最初から生活費を潤沢に与えて、そこから税金や食費を回収し、人によっては趣味に使い、あるいは貯蓄するわけで、ひょっとすると将来の決め手であります。
ベーシックインカムの話題は2016年には新鮮でしたが、2024年現在ではもう話題になっておりませんね。
しかし、現実の社会はそうは甘くないのでありましょう。誰もが自分の収入を適正に管理できるわけではないので、管理できない人が豊かであっても、それを持て余したり、詐欺に引っかかったり、あるいは浪費したりするわけで、いろいろ問題が生じるはずなのであります。過剰に貧乏を怖がる人というのは、どこかで貧乏によって困難だった人でありまして、その切羽詰まり方は傍目には分からないのであります。金は天下の回り物でありまして、経済方面ではキャッシュフローと言うはずでありますが、うまく回転すれば別にお財布にお札をぎっしり入れていなくてもいいのであります。それにしても、普通に暮らしていても入って来るお金と出てゆくお金が膨大でありまして、日本がお金持ちになったために金額の桁が違っているのには驚くのであります。たぶん、1970年くらいの時には、大の大人の一日の最低賃金が500円くらいでありまして、高卒の初任給が1万円を切っていたはずなのであります。今は短時間のアルバイトで一日5000円くらいでありまして、バイトの収入が10万円を超えますから、本当は豊かなんであります。おそらく、1970年くらいの普通の人の食生活を実践したら、収入は3万円くらいでもやって行けるんですが、その世界には電話はなく、パソコンもなく、うっかりするとラジオがあるくらい。部屋は3畳一間で共同トイレの世界でございましょう。耐えられないかも。
スナック菓子やアイスクリームなんかもほとんど売っていない世界なのであります。
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