超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(5) 猿丸大夫

奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき    猿丸大夫

    (古今、秋上、215)(寛平御時后宮歌合35418)


〔釈義〕

人里離れた奥山に、散り交い積る紅葉の落葉を踏み踏み、道をそれと探り分けながら、ますます深く尋ね入って行くうちに、(彼方から聞こえて来るのは鹿の声。どうやらこの紅葉の落葉道を何者かの通った形跡があるのも鹿の仕業だろう。)私と同じようにこの奥山に、紅葉の落葉の道を踏んで探り分けながら、声高く妻を呼び求めて鳴きさまよう鹿の声(!この声)を聞く時にだよ、(ああ、よそ事には思われぬ。こうして憂世を離れて独り山中に暮している私ではあるが、京に残して来た妻子や故旧のことを忘れてしまったわけではない。強い動機があって発心した上は、再び退転せじと誓って修行に打ち込んでいるのだ。しかし妻を恋い慕うあの鹿の哀音を聞くと、私の心も揺れ動かないではおれぬ。秋は悲しいというが、山中深く哀音を聞く時にこそだよ、私にとって)秋は(ほんに)悲しいことだ。


〔義趣討究〕の要旨

① 古来、「奥山に」「紅葉踏み分け」がそれぞれ「鳴く」「聞く」の何れを修飾するかという問題があるが、結局それは詠作主体の境涯、心情を本質的に解明することで解決する。

② 古歌を探って見ると、秋に牡鹿が牝鹿を求めて鳴くものであり、妻問のために夜に鳴くということが表現されている。鹿が萩に臥すという場合も、萩を妻に見立てている。

③ この猿丸大夫の歌が夜の鹿鳴を詠んだとすると、古今214「山里は秋こそ殊にわびしけれ鹿の鳴く音に目をさましつつ」と類似の内容となりそうである。

④ 上の句の「奥山に紅葉踏み分け」は、古今217「秋萩をしがらみ伏せて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけさ」に従って場面を想像するが、「奥山の紅葉踏み分け」ではないため、「奥山に」は「聞く」を修飾する感が強い。よって、鳴く鹿の声を聞くのは里ではなくなる。

⑤ 「踏み分け」の語感を考えると、これは紅葉の落葉が一面に積もったのを注意しながら道を弁別して行くのであり、鹿の行為ではなく詠作主体の行為である。また萩の黄葉でもない。

⑥ 徒然草十一段にある「遥かなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり」を参照すると、兼好法師が踏み分けるのであるが、庵の主も踏み分けたのであり、これに準じて猿丸大夫の歌を考えれば、詠作主体が踏み分け、それに先行して鹿が踏み分けたのである。

⑦ 猿丸大夫の歌では、紅葉を踏み分けるのは昼間と考えられるが、鹿鳴を夜のものと限定するのは京の貴族の生活によるもので、山中では昼間も鹿鳴が聞こえたのではないか。

⑧ 末句の「秋は悲しき」という表現は一度の体験を詠んだのではなく、日常の経験を経た結論であり、山中での生活経験と考えられる。そこで、僧正遍照の発心譚が想起され、さらに鴨長明の方丈記にある、猿丸大夫の墓を訪ねる前後の記述を参照すると、肉親や旧知を思って悲嘆にくれる境涯に通じる。

⑨ この歌の古今の詞書に「是貞のみこの歌合の歌」とあり、またこの歌は寛平御時后宮歌合にも出ているので、自分の体験による痛切な述懐のうたではなく、悲秋を素材や場面を選択して詠んだものである。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、悲秋を詠むのに、それまでになかった隠遁者の境遇と鹿鳴を配合している。ただし、形式的な隠遁者であって、その反応は世俗に近いものである。

② 鹿鳴を聞く時間帯が昼間であり、聞く場所が山中行動の途中であるという場面構成がなされている。詠作主体が紅葉を踏み分けて、同じように紅葉を踏み分けた鹿の鳴く声をきくのであるが、その結果煩悩境に引き戻されるという劇的な転回をしている。

③ マ行音・ナ行音の配置が快く、そのため特殊な内容の歌にもかかわらず、美しい情感の歌と感じられる。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の猿丸大夫の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、豊富な和歌や漢詩、文章の引用があったものを、今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、それらが緊密に関連していて、著者の主張はここでも非常に鮮明でありましょう。詠作主体を著者は隠遁者と結論付けて行きますが、実は、猿丸大夫の伝記は不明でありまして、猿丸大夫の詠んだと確証できる歌もないわけで、実は古今集では詠み人知らずとなっている歌ですから、歌人の経歴から詠作主体の境遇を考えることはほぼ不可能という歌であります。古今集の仮名序で、大友黒主を紹介する時に同じ系譜の歌人として猿丸大夫の名が取り上げられている程度で、古今集の時代にもすでに謎の歌人だったようです。ただ、鴨長明の『無名抄』や『方丈記』に猿丸大夫の墓の記述がありますので、そこをよすがに著者の桑田明氏は、鴨長明のような隠遁者の先達と目星をつけたのかもしれません。


著者の義趣討究で興味を引かれるのは、徒然草の第十一段の記述にヒントを得て、「踏み分け」というのが詠作主体の行為と決めた上で、先行して「踏み分け」たと存在として鹿を想定する点で、この分析は鮮やかではないでしょうか。著者は、第十一段の必要なところだけを引用しておりますが、念のため全文引用してみます。


    神無月の頃、来栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづねいること侍りしに、

    遥かなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉にうづ

    もるる筧のしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に、菊・紅葉など

    折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。

    かくてもあられけるよと、あはれに見る程にかなたの庭に、大きなる柑子の

    木の、枝もたわわになりたるが、周りを厳しく囲ひたりしこそ、少し事冷めて

    この木なからましかばとおぼえしか。


柑子というのは蜜柑の類でありまして、源氏物語・若菜下では紫の上が柑子にさえ手を付けなくなったので、臨終に近いかもという一節があったような気がいたします。食欲をなくした人でも手が伸びるおいしいものというポジションなのでありましょうか。兼好法師が細道を踏み分けて辿り着いたということは、その細道を隠遁者が踏み分けてこの地に辿り着いたということを桑田明氏は指摘したわけで、なるほどそういう視点で「踏み分け」を見ることで、猿丸大夫の歌も解釈が容易になるように感じます。


〔蛇足の蛇足〕

いろいろと問題の多い歌で、諸注釈が作者伝で口を揃えて言う通り、猿丸太夫という作者がどんな人なのかさっぱり分からないのであります。さらに、この百人一首5番の歌が、古今集においては「詠み人知らず」の歌でありますから、それを猿丸太夫の作として採用するのも、諸注釈の疑念の通りで非常にまずいのであります。猿丸大夫の作だとしたのは藤原公任でありまして、その権威にすがる以外は作者は不明です。黒主の先人であるはずの猿丸太夫が是貞親王家の歌合に出席するはずがないというのは、佐佐木信綱が『百人一首講義』で指摘しています。


『百人一首講義』は、明治27年(1894)1月4日に、株式会社博文館から出版された注釈書で、著者は文学博士佐佐木信綱なんですが、私が所蔵しているものは、昭和9年(1934)12月18日発行の第45版でありまして、ロングセラーだったことが分かります。第45版の価格が奥付によれば65銭ということですから、今で言えば1000円から1200円くらいの価格でしょう。佐佐木信綱博士は、現在の三重県鈴鹿市出身の国文学者ですが、むしろ歌人として知られた人でありまして、「夏は来ぬ」という唱歌の作詞者としても有名です。竹柏会を主宰し雑誌『心の花』を刊行して、短歌が流行した一翼を担ったことが最大の業績かも知れません。東京大学を出た人ですが、親の言いつけで宮仕えはしないと決めていたようで、東大には非常勤として教えに行っていたなんて話があります。『百人一首講義』を出版したのは博士が22歳の時ですから、非常に若いうちから本を出しているのであります。ちなみに、「佐佐木」という表記は、踊り字の「々」が中国にはないことを知った博士が「佐々木」という本来の姓を改めたものだそうです。ついでに、『心の花』から出た現代の歌人として有名なのは、俵万智さんであります。


さて、この歌の二句目の「踏み分け」の主体に関して、北原白秋はきっぱりと鹿であると断言しておりましたけれども、そこに言及しているのは、早くから、鹿とする説と声を聞く人とする説が対立していたためです。それから、紅葉に関しても、萩の黄葉という説もあって、この歌は解釈の終息する地点が見えないところがあります。


この歌を万葉仮名で表記し、さらに漢詩で翻案したものが『新撰万葉集』にあるんですが、それによれば紅葉ではなく黄葉であり、それを踏み分けるのは人であるということが分かっておりますので、それだと以前扱った白秋の説明は概ね不可となるでしょう。念のため、『新撰万葉集』のこの歌の所を紹介してみましょう。


    奥山丹黄葉踏別鳴麋之音聴時曽秋者金敷

        秋山寂寂葉零零  麋鹿鳴音数処聆

        勝地尋来遊宴処  無朋無酒意猶冷

    〔訓読・書き下し〕

  おくやまにもみぢふみわけなくしかのこゑきくときぞあきはかなしき

        あきのやませきせきとして、ははりやうりやうたり

        びろくのなくこゑは、あまたにきこゆ

        しようちをたづねくるは、いうえんのところなるも

        ともなくさけもなく、こころはなほすさまじ


万葉仮名の部分に「黄葉」とありますので、「紅葉」ではないことが分かります。鹿とくれば植物は「萩」ですから、これは黄葉するもので、かつ落葉しないのであります。よって、「踏み分け」という表現が意味をなすのでありましょう。「紅葉の落葉」を指摘する白秋説はここで否定されます。次に漢詩を見ると、三句目に「勝地尋来」とあって、景勝地にわざわざ来たとありまして、目的は「遊宴」だと分かります。鹿の声を耳にする人物は「秋山」に来訪していたという状況が分かりますので、鹿が大好きな萩とは言え、やって来て踏み分けているのは訪問者である歌の主体と分かる仕掛けであります。漢詩の部分は、おそらく菅原道真の翻案ですから、絶対的証拠になるのか疑問ですけれども、論証する証拠としては充分な気もいたします。日本語は主語の明記が少ないので、決着はつかないものの、次のように解読するのがよさそうであります。

 (遊宴のため我は)奥山に黄葉を踏み分け(尋ね来て)、(妻を慕って)鳴く(オスの)鹿の声を聞く時こそ、(友もなく酒も持たぬ我は)秋を辛く悲しく感じることよ。(粗忽試訳)

もちろん、これは菅原道真の遊びに従って補っているだけであります。なお、私見を述べれば、「かなしき」が悲哀を意味すると解釈するのが普通ですが、そうではなくて「かなし」という形容詞は「いとしい」とか「感動する」というのが古語の意味なので、鹿鳴を聞いて感動を覚えたでもいいのではないかと思います。なお、桑田明氏は、この漢詩を引用しつつ、仲間のいる宮廷人が遊宴に出掛けて来たという状況は、この歌に関してはふさわしくないとして、あくまでも山中を修行の場としている隠遁者を詠作主体にして解読しております。つまり、猿丸大夫という歌人を実在の歌人のように扱い始めた菅原道真の意見よりも、中世の歌人であった鴨長明や兼好法師の随筆中の隠遁者の姿を優先してみたのでありまして、大胆ですが、非常に有益な指摘だと思います。     

コメント

このブログの人気の投稿

岩波文庫『百人一首』を読む(81) 藤原実定

岩波文庫『百人一首』を読む(99) 後鳥羽院

足利将軍撰『新百人一首』を読む(6) 藤原菅根