超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(1) 天智天皇

秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ   天智天皇

   (後撰、秋中、302)(六帖32003、かりほ)


〔釈義〕

秋の田の稲の刈取り・取入れやそのための番の仮小屋(といった式の小屋)の苫葺の編み目があらいので、私の衣の袖は夜露に濡れてばかり(、といったらおわかりだね、実はあらい苫葺から来る夜露のせいよりもそなたがいない独り寝のために、私の衣の袖はそなた恋しと思う涙で濡れるばかりで、本当にわびしいことだったよ)!


〔義趣討究〕の要旨

① 古歌によれば、衣手が露に濡れることは、妻を思う気持ちがはいっている。

② 「秋田刈る」という表現が、「秋の田のかりほ」となり、「秋の田の」は枕詞に変化した。

③ 「露にぬれつつ」の「つつ」は、後に言いたい恋情を補うべきであり、「露」は涙である。

④ この歌は、天皇が農夫の身になって詠んだのではなく、天皇が地方巡行したあとに后妃に贈ったと定家は解した。


〔鑑賞〕の要旨

① 初・二句の「の」の繰り返し、四句目までア段オ段の音が交錯し、末句をウ段の音で収めてある。

② 下の句の「わが」は「そなた」への愛情を遠回しに表現し、歌柄が大きく御製にふさわしい。

③ 稲田の仮小屋を高貴の方のために急造されたものと考え、寵愛する后妃がいない夜更けの、独り寝の涙を詠んだ歌である。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の天智天皇の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、豊富な和歌の引用があったものを、乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、それらが緊密に関連していて、著者の主張は非常に鮮明でありまして、かつ、実は刊行当時の『百人一首』の注釈書とは大きく対立しておりまして、さらに重要なのはその見解が非常に的を射ていると感じられます。いまでこそ、注釈書の中には、この歌の「露」を涙とみなす見解がないわけではないのですが、「つつ」を文末の詠嘆止めなどとしないで、接続助詞として扱いながら、妻への恋慕が暗示されているとまでは、誰も指摘してこなかったようです。さらにそこから著者は一歩踏み出し、先行する注釈書が繰り返し主張してきた「天皇が農夫の身になって詠んだ」とする説に異を唱えまして、地方巡行の折の天皇の后妃を恋い慕う歌だと説明したのは、お手柄ではないでしょうか。


近年普及している文庫版の『百人一首』や、研究者として名を馳せている方々の注釈書などには、この桑田明さんの『義趣討究』の見解はまったく反映しておりませんので、この大著はひょっとすると丸ごと無視されて放置されてきたのかもしれません。


10年以上前、東日本大震災に見舞われたころに、たまたま三島由紀夫の『春の雪』に出て来る百人一首の歌が気になりましてあれこれ考えていたことがあります。小説の中で出て来る歌が映画では崇徳院の「瀬をはやみ」の歌に差し替えられていまして、そこから『百人一首』の従来の解釈がいい加減かも知れないという感触を得ました。さらに、源俊頼の「うかりける」の歌に関して、松尾芭蕉の本歌取りした俳句を見付けまして、その面白さから、『百人一首』を俳句にするという遊びをしてみましたが、やってみたらこれは造作もない簡単なことだったのであります。さらに、五七五の俳句にしたものに、七七の下の句を付けて見たら、『百人一首』のパロディが容易に作れてしまいました。そして、そんな操作をしているうちに、従来の注釈書が抱えている問題点がはっきりと見え始めたのであります。別に研究しようとか、通説を疑おうとか思っていないのにもかかわらず、古典常識がない解釈が横行していたり、基礎的な動詞の解釈がいい加減なのがまず目に付きました。次に、倒置法で詠まれた歌の構造がよく分かっていないらしいことが分かりましたし、掛詞の指摘が結構杜撰なのも目に付き出したのです。さらには、元の勅撰集の配列を考えたり、歌人の家集の前後の歌を参照したりすれば分かるようなことが、見逃されていることも分かりました。だとすると、『百人一首』はもとより、和歌の解釈というのは実は相当ないがしろにされて来たということなのでしょう。桑田明氏のこの著作も、そうした流れの中で、忘却されてしまった可能性は高そうです。


〔蛇足の蛇足〕

桑田明氏が「わが衣手は露に濡れ」に妻への恋情の涙を指摘したことは、おおむね正しいと思います。著作ではたくさんの例歌を挙げていますが、次の『後撰集』秋上245番の歌などは、参考になることでしょう。


   七夕をよめる    詠み人知らず

あまの川恋しき瀬にぞ渡りぬるたぎつ涙に袖は濡れつつ


もちろんこうした歌の存在によって、「つつ」の後に余情として醸し出される妻への恋情というのが突飛ではないことが分かります。そして、桑田明氏は指摘していませんが、枕詞化しているという「秋の田の」の部分には、恋の歌にお決まりの「飽き」が掛けてあると見ていいかもしれません。この歌の作者にそういう意識がなくても、後代の歌人たちは「飽き」という響きを「秋の田の」の部分に感知したことでしょう。そして、余計なことを付け加えるなら、三句目の「苫をあらみ」という表現の裏には、「泊(り)をあらみ」という表現が隠れているかもしれないということを指摘しておきたいと思います。その場合には、詠作主体は天智天皇でもなく、男性でもなく、孤閨を嘆く女性でも構わないということになるかもしれません。


〔参考〕このブログの次の記事をご参照ください。

  北原白秋校訂『小倉百人一首評釈』を読む(1) 天智天皇

コメント

このブログの人気の投稿

岩波文庫『百人一首』を読む(81) 藤原実定

岩波文庫『百人一首』を読む(99) 後鳥羽院

足利将軍撰『新百人一首』を読む(6) 藤原菅根