超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(10) 蝉丸
これやこの往くも還るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸
(後撰、雑一、1090)(素性集15748)
〔釈義〕
(ここは逢坂の関、毎日往還の人がここを通る。京の方からこの関を超えて東路の旅に出てゆく人もあれば、東国の方から京辺に向ってこの関に還って来る人もある。じっと観察してみるに、ここで互いに知り合った人同志が出くわすこともあれば、互いに全然知らない者同志が道連れになることもあり、そうして、一緒になってもすぐまた別れ、別れてもやがてまた逢う。さまざまの人が逢ったり別れたりするさまが、ここにありありと展開されているように思われる。おお、そうだ、)ここが、これがよ、往く人も還る人も、知りあった人も知らない人も、逢うては別れ、別れてはまた逢うという、(この人の世の相を名にも実にもあらわすところの、)逢坂の関だというわけか?!
〔義趣討究〕の要旨
① 「これやこの」で始まる歌を分析してみると、「これや」は主語に相当するもので、「この」は述語に相当する部分の修飾語であり、「これや」「この+名詞」という構造になっている。
② 「これやこの」で始まる歌の中には、「この」と「名詞」の間に、名詞の修飾語句を伴っている歌があり、時には名詞よりも、その修飾語句が表現の意図になっていることがある。
③ 「これやこの」と類似の「これぞこの」という表現を参考にすると、「これや」の「や」は、間投助詞ではなく、係助詞である。
④ この歌の「この」は、「あの」のように訳されているが、これはコソアドことばのコ類に属する言葉の意味が時代によって変遷するためであり、漢文の「是以」を「ここをもって」と訓読するが、現代では「そこで」と口訳することなどにも見られる。
⑤ 「往くも還るも別れては知るも知らぬも逢ふ」の部分は、いわゆる漢文の互文の用法に準じるもので、逢坂の関に庵室を作っていた作者の目に映った往還の観察である。互文は、ついとなる表現を取り換えても、全体の意味に本質的な変わりはない。
⑥ 三句目の「別れては」は、後撰集の諸本や定家の諸歌学書には「別れつつ」とあるが、互文の機能は同じである。
〔鑑賞〕の要旨
① この歌は、離合集散・有為転変の人間世界の縮図を、互文の手法を用いてまとめ、それを地名的興味に結び付けて仕上げたもので、見事な技量である。
② 表現が繰り返されたり、並列されたりしていることが、快いリズムを生み出し、街道往還の動的イメージなどを誘うものになっている。
③ この歌は文法的に可能な従来の解釈にとどまることなく、仏教的な諦観という思想を深くとりなすことによってその真価を評価すべきである。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の蝉丸の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、豊富な和歌の引用があったものを、乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、それらが緊密に関連していると感じられます。そのなかで、この和歌の対句表現を互文として読み解いているところは、妥当でありまして、納得のゆくものです。互文とは対をなしているような表現で、一方に説くことと他方に説くことが、互いに相通じ、補いあって文意を完成する表現でありまして、対句になっているものを入れ換えても意味をなすわけです。
著者は、「これやこの」の歌の例をもとにして分析していますけれども、二点ほど疑問があります。「これや」の「や」を疑問の係助詞と結論付けておりまして、その根拠は「これぞこの」というような類似表現にありまして、「ぞ」が係助詞だから「や」も係助詞だとするものです。ただ、蝉丸の歌に関しては、疑問のニュアンスを汲み取る必要はなく、間投助詞とする通説に従ってもよさそうです。また、「この+修飾句+名詞」という構造の指摘は問題ないのですが、「この」が名詞ではなく修飾句の方に掛かることがあると指摘しているところが問題で、修飾句が長くなって内容が充実している場合に、「この」が修飾句に掛かっていると考えたようですが、違っているのではないかと感じました。桑田明氏が例示した歌から、三首引用してみます。
これやこの 憂世の外の 春ならむ 花の戸ぼその 明ぼのの空(新古今1939)
これやこの 心ある人の ながむべき 難波わたりの 春の曙(六百番歌合39147)
これやこの 人目も知らぬ 山賤に さしのみむかふ 夕顔の花(六百番歌合39301)
一首目は寂連、二首目・三首目は藤原兼宗の歌ですが、桑田明氏によれば、一首目は「この」が「憂世の外の春」に掛かる事は明瞭だとしていますが、二首目は間に「心ある人のながむべき」という修飾語句があって、これが「難波わたりの春の曙」とともに強く意識されているが、三首目に至っては、「人目も知らぬ山賤にさしのみむかふ」が「夕顔の花」よりも強く意識され、「この」は用言(「むかふ」のこと?)に掛かると説明し、「夕顔の花」はその付けたりとまで解説しております。理解を超えた解説で、受け入れがたいものがあります。
こうした古歌を見ているうちに感じましたのは、「これやこの」で始まる歌については、「これ」の指し示す対象と、「この」が掛かる対象が和歌の中にそれぞれ明示されているのではないでしょうか。「これ」は、「この」が掛かる名詞の神髄でありまして、「これやこの」という表現は、「こういう特徴が、この○○の良い所だ」と、向き合った名所や自然現象について、その美点を抽出する表現のように見えます。これに従って、上の三首の歌を改造すると、次のようになることでしょう。
「憂世の外の春」という特徴が、「花のとぼその明ぼのの空」の良いところだ。
「心ある人のながむべき」特徴が、「難波わたりの春の曙」の良いところだ。
「人目も知らぬ山賤にさしのみむかふ」特徴が、「夕顔の花」の良いところだ。
一首目に関しては、「この」は、おそらく下の句の「花の戸ぼその明ぼのの空」もしくは末句の「明ぼのの空」に掛かるとすべきもので、結局三句とも「この」は歌題にもなっている末句の名詞を修飾しております。だとすると、三句目の「春ならむ」の「む」は、疑問の係助詞「や」を受ける推量用法の連体形ではなく、婉曲の用法の連体形とみなすのが正解でありましょう。三句切れだとみなしせそうですが、そうではないようです。一首目の寂連の歌の三句目を少し変えれば、三首とも同じような歌であることが分かるかと思います。
これやこの 憂世の外の 春と知る 花の戸ぼその 明ぼのの空(粗忽改作)
これを敷衍すると、蝉丸の歌の「これ」というのは、「往くも還るも別れては知るも知らぬも逢ふ」を指しておりまして、この人々が離合集散するカオスのターミナルが、「この逢坂の関」の良いところだ、特筆すべき特徴だと指摘していると考えられそうです。
「往くも還るも別れては知るも知らぬも逢ふ」という特徴が、「逢坂の関」の良いところだ。
こういう解釈だと、ほんとに軽い名所の紹介の歌でありまして、古注釈が言う「会者定離」「万物流転」という仏教の無常観を込めたとか、桑田明氏が言う「離合集散・有為転変の人間世界の縮図」というような仏教的な諦観が読み取れるというような見解からは、かなり距離が生じてしまいそうです。
〔蛇足の蛇足〕
一言思ったことを書き付けますが、日本語において「この」と「かの」や「あの」は識別すべきものでありまして、「これやこの」は「これがかの」「これがあの」と同じだという説明は、成り立たないかもしれません。成り立つなら、今でも「これやこの」が使われてもいいはずでありましょう。たぶん別物というか、認知の仕方の枠組みが違うのかもしれないと想像いたします。
現代語の「これがかの」「これがあの」は、「これ」が眼前の事物の事象や状況で、「かの」「あの」はよそで仕込んだ情報というか、噂の内容であります。蝉丸の歌の「これやこの」は、どうも「これ」が眼前の事物の事象や状況という点は同じですが、より詳しくその特徴をさしておりまして、「この」はその特徴を持つ地名とか自然現象のようであります。よそから摂取した情報ではなくて、摂取して語り手の脳裏に定着した名前や自然現象ではないでしょうか。スポーツで強豪で知られたチームがあるとして、それが終盤で点差をはねのけて逆転するために、「逆転の○○」とあだ名を持っていたとして、それが眼前の試合でまたしても逆転劇を演じたら、アナウンサーは「これが逆転の○○です!」と叫ぶでしょう。この場合、「かの」とか「あの」が入るかどうか。「逆転の○○」があだ名として定着していたら、「かの」や「あの」は間抜けな感じがして、ちょっと入らないような気がします。ひょっとすると、「これがこのチームです!」って歓喜の声をあげて、ひいきのチームだとばれそうですね。
たとえば、渋谷のスクランブル交差点を目指しまして、おのぼりさんの友人を案内して辿り着いたとして、今日もものすごい人波だとしたら、「これがあの渋谷のスクランブル交差点だよ」はおかしいのであります。「これが渋谷だよ」とか「これがこの街だよ」とか、言いますよね。だとすると、面白いことがあります。香川景樹の『百首異見』で紹介されている門人の疑問というのがありますが、それは「これやこの」は逢坂の関の住人の詠み口ではなく、旅人の詠み口であるというものでした。しかしながら〔蛇足〕で述べたように、「これやこの」という表現が、「こういう特徴が、この○○の良い所だ」と、向き合った名所や自然現象について、その美点を抽出する表現だとみなすなら、旅人の詠み口疑惑は晴れまして、逢坂の関に住み着いている蝉丸が普段と同じ人が行き交う逢坂の関を描写したということになるでしょう。えへんえへん、手柄を挙げました。
知る知らぬ 往くも還るも 逢ひ別れ これこそがこの 逢坂の関
(粗忽謹製魔改造)
それから、注釈書の中には、後撰集の詞書に「行きかふ人を見て」とあるので、蝉丸を盲者とする今昔物語集の記述と矛盾しているという指摘もあります。これに関しては、琵琶の名手だった木幡の僧と蝉丸を『今昔物語集』編者が混同して、蝉丸を盲目の琵琶奏者と思ったようだという説がありまして、後の時代の誤解を注釈書が拾ってしまったということなんだろうなと思うのであります。
ところで、岩波書店の新日本古典文学大系シリーズの中の『後撰和歌集』(片桐洋一氏)の作者解説では、解説に困って、蝉丸が逢坂の関に住んでいたことだけは分かるとするんであります。これやこの、やけくその解説ってものでございましょう。注を付けている当該の歌が歌人の経歴の根拠の唯一のものの場合、それは裏付けのないもので冗談にしかなりません。それにしても、この歌を見ると、日本語の基本的な語彙にはなんら変化がないということが分かって、言語と言うものが根本のところでは案外変化しにくい、という性質を知ることが出来ると思います。だからこそ、油断すると解釈が混迷するのであります。
これやこの すぐれた学者も 気を抜くと 理解の届かぬ 古歌の詠みぶり(粗忽)
「すぐれた学者も気を抜くと理解の届かぬ」特徴が、「古歌の詠みぶり」の怖いところだ。(粗忽流の解析による)
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