超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(0) 本と著者の紹介
梅雨が明けたのか明けていないのか分からないのですが、猛烈に気温が上昇して、猛暑というにふさわしい状況になっております。こうなると好きな時間に起きて、好きな時間に食事をし、好きなだけパソコンにかじりついている身の上としては、人生上のノルマがないので、うっかりすると和室で横になって昼寝というか、うたた寝というか、いびきをかいて眠りこけてしまうのであります。暑さを忘れて、起きているだけの目標がないと、ころりと横になりますので、さて、何をしたらいいのか、少しだけ考えました。
現在の住まいは、広大な高原の裾野にありまして、湧水が至る所にあるような土地ですが、ここに引っ越す前は海抜15メートル程度の低湿地帯に暮らしていました。夏の間は蚊取り線香を絶えず燃やさないと、蚊に刺されまくるような劣悪な環境でありまして、高層ビルのある繁華街に近いところに住んでいるのに、家の裏手を少し行くと、田んぼが広がっているというような奇妙な場所だったのです。そこを脱出する時に、本棚に溢れる書籍、さらに茶の間の作り付けの食器棚に押し込めた書籍、段ボールに入れたまま引越しを繰り返した書籍、それらをあらゆる手段を使って処分しました。
現在の住まいには、処分しきれなかった書籍を持ってきましたが、その何分の一かを、ネットのフリマサイトを使って少しずつ処分しまして、もはや残っているのは、若い日に田舎で書店に注文して手に入れ、それがうれしくて蔵書印を押した書籍や、中途半端な文庫や新書の類でありまして、連れ合いの持っている趣味の本より少なくなりました。以前は、フリマサイトの売り上げは銀行口座に振り込んでもらっていましたが、今回ふと思い立って『百人一首』関連の注釈書などを探して買い求めました。子供向けのものや学参物ではなくて、多少は名の通った研究者が書いた物を手に入れて見ました。
そういう中に、購入して届いてみたら、何だか非常に分厚い一冊がありまして、その厚さに少々驚いたのであります。通常の注釈書は、一首当りせいぜい見開き2ページでありまして、物によってはたった1ページなんてこともあります。その本は、百首全部の注釈の正味が、何と689ページもありまして、とすると一首当りのページ数は、平均7ページに迫るのであります。若者に情を掛けようと思ってやさしい声を掛けたジーパン刑事が、若者の発射した銃弾を腹部に受けて、
「なんじゃこりゃ?!」
と叫んだのは、遠い昔子供時代に見ていた『太陽にほえろ』という刑事物のドラマの事ですが、それと同じセリフを思わず口にいたしました。その道の先達が放った執念の研究の銃弾が、私の腹部に命中したようであります。このまま、本棚に飾っておいてもいいのですが、この本の噂は耳にしたこともなく、何かに引用されているのも見たことがありません。講談社学術文庫『百人一首全訳注』の参考文献(田村柳壱編)を見たら、その本は「注釈書」ではなく、「研究書その他」に振り分けられておりまして、うっかりすると無視してしまっていたかも知れません。というわけで、せっかくの『百人一首』研究史上最大かも知れない、この百首全部の注釈書を紹介がてら、読んで行きたいと思います。
書名は、『小倉百人一首釈賞』とありますので、これは「おぐらひゃくにんいっしゅしゃくしょう」と読むのでありましょう。「釈賞」というのは、この本の凡例を見ればわかりますが、それぞれの和歌を扱うにあたって、著者が「釈義」と「義趣討究」と「鑑賞」という三段階の手順を踏んでいるので、その「釈義」と「鑑賞」から合成した言葉のようです。「釈義」というのも著者の造語に近くて、通常は「解釈」とか「歌意」とか「訳出」とかに相当するもののようです。そして、書名の上に角書き(二行割りの小文字で、補足説明をするもの)で「義趣討究」と加えております。「義趣」というのが、これまた著者の造語のようで、凡例によれば、「歌の意味」に加えて「美意識のあり方」を併せたものらしいのですけれども、読んで見なければその意味するところは謎であります。さらに、この書名には副題が付いておりまして、「―文学文法探求の証跡として―」というものですが、著者の思いがどの辺にあるのか考えさせられるものであります。
『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』
(風間書房刊)
よって、角書きの小文字も数に入れると、漢字24字を費やした長い長いタイトルが付けられていたわけで、果たしてこの分厚い注釈書というか研究書に向き合ってくれた人はいたのかどうか、少々心配になりました。なお、発行元の風間書房は、昭和8年(1933)創業の出版社で東京の神田神保町にあって、学術図書を手掛けている会社ですから、この本はしっかりとした研究成果として世に送り出されたものです。
著者は、「桑田明」さんでありまして、ほんの奥付によると「くわだ・あきら」さんとお呼びすればいいようです。「くわた」ではなくて「くわだ」と濁るのが正しいようです。奥付の著者略歴によると、
大正八年香川県に生まれた。昭和二十一年東京文理大文学科卒業。
以後香川県下公立学校に奉職。現在香川大学・県立高松高校講師。
とありましたので、1919年のお生まれです。1946年に東京文理大を卒業しておりますので、27歳で大学を卒業されたことが分かります。奥付によれば、この本の出版は昭和54年(1979)著者60歳の時のものですが、その後著者は定年退職後、岡山市の就実女子大学教授となり、平成2年(1990)3月に退職されたそうです。なお、東京文理大学は後に東京教育大学をへて現在は筑波大学になっておりますが、単純に名称変更したというわけではありません。また就実女子大学は、現在は就実大学と名称が変わっております。ともかく、戦中戦後の混乱期に大学に在籍していた方でありまして、空襲による校舎の喪失などを経験された方だろうと思います。
さて、次回から一首ずつ著者の研究をかいつまんで紹介しながら、『百人一首』について考えを深めて行こうと思います。ちょっと眺めたところ、小式部の内侍の「大江山」の歌の末句、「天の橋立」に関してユニークな掛詞を披露していたりしますので、とりあえずそのあたりを目標に、適当に遊びを交えながら、読み進めて参りたいと思います。
はじまり、はじまり。
コメント
コメントを投稿