超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(4) 山辺赤人
田子の浦にうちいでて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山辺赤人
(新古今、冬、675)
〔釈義〕
田子の浦に(期待する心をもって)出て行って、見ると、白妙の(というように真白な姿である筈の)富士の高嶺に、何と今雪が降り降りして(、山は姿をよくも見せず、わが心は慰め難いことだ)。
〔義趣討究〕の要旨
① 万葉集の原歌は叙景歌として高い評価を得ているが、それを改作した歌形は通説では評価が低いが、定家が採用した以上鑑賞に堪え得るものである。
② 「白妙の」を普通「真白な」の意に解するが、「白妙の」は「ふぢ」の枕詞であり、ここでも「ふじ」の枕詞である。雪が降る時は空は曇るのであり、「白妙の」は枕詞に過ぎない。
③ 「うちいでて見れば」は、見晴らしの良い田子の浦に出て富士の高嶺を見ようとしたということだが、その時の富士は真白に輝く姿ではない。
④ 万葉集の長歌の「時じくそ雪は降りける」に着目すると、これは、今その時節ならぬに雪が降っているというのではなく、時節を定めずに随時に雪が降るという意味がふさわしい。
⑤ 万葉集の長歌は、ある日の景色を詠んだものではなく、心眼に映ずる天地開闢以来の動的相であるが、これに対して反歌は現在の眼前の静的な相である。
⑥ 万葉集の反歌における晴れた富士の白雪を戴く鮮明華麗な静的相に対して、新古今ならびに百人一首では、期待した富士の麗容は見られず、雪の降る場面相を鑑賞した旅愁の歌である。
⑦ 万葉集の長歌と反歌は、動的相と静的相の二面から霊峰富士の偉大さを讃えたものだが、定家は長歌の憧憬を反歌で旅愁に転じたものとして受容している。
〔鑑賞〕の要旨
① 「白妙の」を枕詞として使用されていると指摘したが、「真白な」の意味がないと考える必要はなく、幻影として真白な雪を戴く富士山の姿が作者の脳裡に存在する。
② 田子の浦と富士の高嶺という絶好の取り合わせだが、降雪によって富士の姿は見えない。万葉集の直截鮮明な叙景歌が、改変によって換骨奪胎され余情幽玄な叙情歌となった。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の山辺赤人の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、和歌の引用があったものを、今回もまた乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、それらが緊密に関連していて、著者の主張はここでも非常に鮮明でありましょう。著者がまず問題にしているのは、三句目の「白妙の」でありまして、この言葉が枕詞なのかどうかという点で諸注釈は入り乱れるわけですが、著者はこの歌を富士山の姿が見えていないと考えていますので、枕詞であると断じています。著者の義趣討究で注目すべき点は、万葉集の原歌の長歌と反歌についての分析の部分でありまして、長歌を動的相、反歌を静的相と指摘し、新古今の歌形はそれとは一線を画すものであると考えたのでありましょう。なるほどなあ、と思ったのでありますけれども、著者の言う降雪のために富士山の姿が見えないという見解は、なんとなく成立しないような気がいたします。
み吉野の山かき曇り雪降れば麓の里はうちしぐれつつ(新古588、俊恵)
著者は、「白妙の」が枕詞であって「真白な」の意味ではないことを、俊恵の「み吉野の」歌を例に挙げておりまして、その際「雪降る時は空は曇るのが当然で」と述べております。これをもとに、田子の浦から富士山の姿が見えないというのが、新古今集や百人一首の歌形の意味するところだと主張しているわけです。しかしながら、近畿地方と言いますか、古い言い方で言えば畿内の南にありまして、要するに大和の国の南部に位置する吉野は、これは当然内陸部でありますから冬期間に降雪があるわけですから、俊恵の歌というのは成立するわけです。ところが、田子の浦のある静岡県富士市のあたりはどうかというと、これはほとんど降雪のない地域として知られています。本州でも温暖な地域でありまして、降雪があるとしても2月に数回、それも富士山が見えなくなるほどの降雪に見舞われるというのは、特別な状況かと思います。
「白妙の」が枕詞かどうかと言う点については、『和歌文学大辞典』(明治書院)に分析がありますが、単純な枕詞として使用されて意味のないものは少なく、枕詞として使用されているものでも「白い」というニュアンスを含むものが多いそうです。百人一首における「白妙の」の使用は、持統天皇の歌とこの山辺赤人の歌の二首ですが、どちらも三句目ですから枕詞に見えますが、「白い」の意味を含んでいるようにも見えます。そして何より、富士山は標高が高いわけで、夏の一時期を除けば、その山頂に冠雪した状態で仰ぎ見られるのが通常の状態ですから、この百人一首の4番に関しても、田子の浦から見た、頂上に雪を戴いた富士山の全景が詠まれているという気がいたします。著者は、田子の浦に出て見ると降雪によって富士山が見えないというのですが、この歌は田子の浦で降雪にみまわれた歌であるとは思われませんし、海岸から富士山の間が降雪によって視界を妨げられている状況を詠んだ歌とも思われないのであります。あくまで、田子の浦(浜辺なのか沖なのかはともかく)に出て見たことによって、海から富士山までの眺望が開けた状態で、冠雪している富士の頂上付近の雪を見て感嘆したという歌ではないかと思います。
だとすれば、頂上に雪の消える夏季の歌ではなく、高山に雪が降り積もる冬季でもなく、他の山々では雪の消えているような時期ということになりますから、晩春か初秋の富士山の冠雪が感動を以て眺められる時期の歌ではないのでしょうか。
田子の浦に うちでて(海岸線、海抜ゼロの場所から)見れば (世に讃へられる)富士の高嶺に(かかる雪など他には見られぬ時期だといふのに)、雪は(恐らく毎晩の如く)降り(積もり)つつ、(その何とも冠雪を戴く美麗な姿で、我の眼前に天を突くほど高くそびえ立つことよ)
(粗忽謹訳)
〔蛇足の蛇足〕
「白妙の」は『岩波古語辞典』などを見ますと「富士」にかかる枕詞として掲示してありますが、現代の注釈書でも「真っ白に」の意味であるとするものが主流です。2番の持統天皇の歌でも、現代の注釈書は枕詞とは扱っていません。以前紹介した北原白秋は、「白妙の」を「真白に」として「雪は降りつつ」に掛かる副詞句にしていました。これだと、万葉集の原歌を訳したに過ぎません。ただし、「白妙の」はどう考えても「富士の高嶺」に掛かる表現ですから、「白い富士の高嶺に雪は降っている」としか解釈しようがないと多くの注釈者は考えるようです。ただ、それを白秋が変えたのには意味があって、「白い山に雪が降る」というのは、考えて見れば奇妙奇天烈な表現でありまして、やはり「白妙の」は枕詞として機能していて、「富士の高嶺」を賞賛する意図の修飾ではないでしょうか。持統天皇の歌でも、おそらく「白妙の」は「白い」ではなくて、「衣」を強調しているはずです。
ついでに言うなら、「真白にぞ」という口語的表現よりも、枕詞で「白妙の」と置いた方が、古めかしい雰囲気が出て平安時代の人たちには好まれたのではないでしょうか。たしか、藤原定家は『近代秀歌』や『詠歌大概』の中で枕詞はいくらでも使っていいよと源実朝に指導していたと思います。
ところで、北原白秋は、この百人一首の赤人の歌は、新古今集に採用する際に万葉集を改作したのだと指摘しているんですが、そうではなくて長い間に生じた異伝が新古今集で採用されたという方が良いと思います。改作か異伝かの問題はともかく、白秋はどちらの歌の形がいいかという優劣の議論はしていません。実は、注釈者のなかには、万葉集の形は実感がこもっていてすばらしいが、新古今の改作は明らかに改悪だと断言するものがありまして、びっくりさせられるわけです。
念のため、万葉集の巻三318番に出てくる元の歌がどういうものか確かめておきたいと思います。
山部宿祢赤人望不尽山歌一首併短歌
317 天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将往 不尽能高嶺者
反歌
318 田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留
角川文庫の読みを示すと次のようになります。
317 あめつちの わかれしときゆ かむさびて たかくとふとき するがなる ふじのたかねを あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげもかくらひ てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくそ ゆきはふりける かたりつぎ いひつぎゆかむ ふじのたかねは
318 たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにそ ふじのたかねに ゆきはふりける
317番の歌を見ると、太古の昔から仰げば高く尊いと述べることから、富士山を賞賛する長歌でございますね。「ふりさけみれば」の「ば」は、いわゆる恒常条件で、「~すると必ず……」という法則めいたことを表現するものであるはずです。よって、太陽を遮り、月を隠し、雲さえ避けて通るほどだと表現しているわけです。そのすばらしさを後世に伝えたいと結んであることがわかります。桑田明氏は、〔義趣討究〕において、これを動的相とまとめておりますが、言い換えると世界遺産にふさわしい歴史的価値を、すでに万葉時代に人々が感じていたことの反映でありましょう。
以上を踏まえて318番を考えると、「うちいでてみれば」の「ば」は、一回きりの偶然条件と見なすのには無理があることでしょう。よって、この「ば」が恒常条件だと気が付くなら、「ゆきはふりける」という表現が「ゆきはふりつつ」と変化してもいいのではないか、と思うのです。桑田明氏の〔義趣討究〕では、これを静的相と紹介しておりまして、要するに富士山のもっとも美麗な状態を固定してみたというか、絵葉書の一枚として選ばれた写真のような、誰もが感動する歌になっているわけです。すくなくとも、旅した人のある日ある時の富士山を見た一回きりの感動というようなものではなさそうです。ともかく、万葉集の歌の形が優れているというのは、実は万葉集を詠み込んだことのない意見だった可能性が高く、新古今集のような形が劣っているわけではなさそうです。
つまりもう一度確認すると、317番の長歌を見たら、これは現代で言うならもう世界遺産を寿ぐようなCMの文言でありまして、実景を見て感動したというようなものではないのであります。曖昧な言い方を止めて率直に言うなら、この長歌は練りに練られていて、評判高い富士山を自分も語り継ごうではないかと歴史認識を示しています。318番は、そのあとの反歌でありますから、それが実景を前にした感動を歌ったものでないのは明白です。例えば、赤人が東海道を旅した時の旅日記に出て来る歌ならともかく、どうみても朝廷で披露するような晴れの歌なのであります。このあたりは、万葉時代を素朴な時代と思い込んで喜んでいた、近代の万葉観をほほえましく受け止めるしかないのかもしれません。
ともかく、赤人の歌は、富士山の標高をもっとも実感する海抜ゼロからの雄大な長めを最大公約数的に歌っているわけで、平安時代を通して愛唱された歌だったので新古今集に入集し、さらに百人一首に採用されたということなのでしょう。改めて「白妙の」に言及するなら、それは万葉集原歌の「真白に」「雪は降り」という表現の幼稚さを改め、「富士の高嶺」を賞賛する枕詞に必然的に修正されたのだと思います。また、「雪は降りつつ」の下には、「そびえ立つぞかし」のような表現が省略されているだけで、圧倒的な富士の威容を主題としていると考えてよいかと思います。
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