超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(2) 持統天皇

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山    持統天皇

    (新古今、夏、175)


〔釈義〕

春が過ぎ去って、(とうとう)夏が来たものらしい。(あの)「白い着物を干す」現象を(もう)起しているという天の香具山(、そこには)(早く行ってそれを見たいなあ)。


〔義趣討究〕の要旨

① 万葉集原歌の「来到るらし」「ほしたり」は眼前の実景による実感だが、「来にけらし」「ほすてふ」は、他からの伝聞によって香具山に夏の来るのを感知し、「自分もそこへ行って見たいなあ」という感慨が付随する。

② 「白妙の衣ほす」というのは人が夏衣を干した実景ではなく、中古から中世にかけての歌を見る限り、何かの比喩表現である。

③ 香具山が「白妙の衣干す」は榊の葉の陽光の反射かと考えたが、落葉樹の櫟(くぬぎ)の風にひるがえる白い葉裏の可能性も考えた。さらに、楢の葉かもしれない。

④ 人麿の国見の歌(万葉集巻一、38)などを参考にすると、香具山自体が白妙の衣を干すのだと解するべきで、人が衣を干したのでは香具山は単に人間の活動の場に過ぎなくなる。

⑤ 「てふ」は、「風の便りでは~という」と解すると、「らし」の推定に十分な根拠となり、「早く行ってそれを見たい」という余情が出て来る。


〔鑑賞〕の要旨

① 万葉原歌はタ行音ラ行音による荘重な音調だが、百人一首の歌は優美に洗練されている。

② 万葉原歌は実感であるのに対し、この歌では伝聞に基づく想像で、「行って見たいなあ」という憧憬の余情がある。

③ 早春に春霞によって衣を干したように見えることを前提に、新緑の初夏の訪れによって山が白妙の衣を干すというイメージを想像した歌である。

④ 「天の香具山」は空に浮かんだ山のイメージであり、山麓の民家が「衣を干す」という情景とするのはこの歌にふさわしくない。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の持統天皇の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、豊富な和歌の引用があったものを、今回も乱暴にそぎ落としております。〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、それらが緊密に関連していて、著者の主張は非常に鮮明でありましょう。実は、古注釈においては、「白妙の衣干し」というのは、霞であるとか卯の花であるとか、さらに霞が消えた状態というような説が優勢でありまして、実景説というのは近代になって主張されたものです。著者の桑田明氏は、近代の実景説に疑念を抱いて、あれこれ推測しながら、実際に天の香具山付近に行った経験も踏まえて、広葉樹が陽光を浴びている様子という結論に辿り着いたことを述べております。また、「てふ」についても、伝聞は伝聞でも、昔からある古伝承を表現する言葉ではなくて、世間の噂、風聞の類ではないかと「らし」との関係で論じています。ただし、この「てふ」に関するあたりは、十分にその真意が伝わるような叙述ではないように見えます。


まとめだけを見ると突飛な説明のようにも見えますが、実は例として挙げられている「衣を干す」歌を見ていると、なるほど、「衣を人が干している」というような実景ではない例が多くて著者の説明には一応の説得力があります。そうした場合、「衣」は滝であったり卯の花であったりしますので、視覚に訴える自然現象を「白妙の衣干す」と比喩している可能性は高そうであります。また、「衣を干す」のを人の行為だとした場合、「天の香具山」の後に格助詞の「に」を補うことになって、「天の香具山」が単に生活の営みの場所でしかなくなるという主張は、非常に面白いと思います。香具山そのものが、衣を干したように様変わりするというのは、要するに擬人法でありまして、このスケールの大きな擬人法は、今後検討する価値が十分にあることでしょう。


〔蛇足の蛇足〕

著者の桑田明氏は、万葉集の原歌四句目については「衣干したり」という形だけをとりあげておりますが、実はこの部分の原文は「衣乾有」ですがその読みは確定したものがありません。従来、万葉集の「衣乾有」の部分が、新古今集で「衣干すてふ」と改作されているとして注釈者には不評でありまして、それを受け継いで北原白秋なども、「てふ=と云ふの約つたのであるが、此処では原作の衣乾有の意に解さねば意味が合はぬ」とお冠でありました。


「てふ」が「といふ」の約であるというのはその通りですが、面白いのは、この「てふ」が現代語では「ちゅう」で生き残っておりまして、「衣干すちゅう天の香具山」だと、まるでいかつい九州男子の言葉のようだと私は思っております。ちなみに、『日本国語大辞典』は項目を現代語で立てるものですから、ありもしない「ちょう」という語を捏造しておりますから、気になる人はあの辞書を探して楽しんでいただきたいものです。


話を元に戻しますと、「衣乾有」の部分について、従来の万葉集の訓読では「衣ほしたり」とか「衣さらせり」とか、「有」を助動詞として扱おうとするようです。しかしながら、これを、「ころもをほす、あり」もしくは「きぬほすこと、あり」のように訓じて、伝聞・伝承の意があるとするなら、新古今集に採用されて百人一首に入ったこの歌の「てふ」の言い換えは、極めて正しいということになりはしないかと思うのであります。従来の研究者などは、万葉集が大好きでありまして、後の時代に勅撰集に入った時に少しでも異同があると、せっかくの万葉集の香気が失われたというような批判をするんですが、万葉集と後代の異同を対立させるという見方は、ひょっとすると今後修正をせまられてもよいかと思います。


藤原京がほぼほぼ出来上がって、皇居である藤原の宮に持統天皇が入居して最初の夏が来たというなら、この歌は「てふ」という表現が成立する余地があることでしょう。夏になると当地では天の香具山が様変わりするという風聞を持統天皇が耳にしていて、「あらら山が白いわ、夏が来たのね」というような認識を示したとすると、新居に来たばかりという境遇にふさわしくこの歌が詠まれたと考えることは十分できることでしょう。そして、山そのものが変身して白く見えるという桑田明氏の見解が脚光を浴びてもよさそうです。ちなみに、桑田明氏が香具山を訪れて見たところ、山は松に覆われていて、「衣干す」という光景には遠かったようです。


〔蛇足の蛇足の蛇足〕

著者の解釈にヒントを得て、ちょっと思いついたことがありまして、それを記してみたいと思います。この歌に出て来る「白妙の衣干す」という表現ですが、この「白妙の衣」というのは、春の霞の事だろうと思います。要するに、「白妙の霞の衣」でありますから、春に香具山が身にまとっていた霞でありまして、今は夏になったので霞はかからなくなったことでしょう。問題は「干す」なのでありますが、従来の注釈はこの「干す」を衣が屋外に天日干しされている状態と思い込んでおります。しかしながら、万葉集ではここが「乾」と表現されておりまして、これはおそらく「霞が掛らなくなった」「霞が消えた」ということを意味するのでしょう。「白妙の衣干し」というのは、実は「春の霞がもう立たなくなった」「春の霞は御用済みになった」ということではないでしょうか。そうすると、この歌は、倒置を改めた上で、次のように補いを入れるのがよさそうです。


(春霞の)白妙の衣を(衣替えのために脱ぎ捨てて、いづくにか目にも立てずに)干すてふ(目にも綾なる緑濃き)天の香具山(の見えしゆゑ)、(春霞の立つ)春(も、はや)過ぎて、(人も衣替えする)夏(は)来たるらし。


あれほど身にまとっていた春霞の白い衣を衣替えのために脱ぎ捨てて、どこかに目立たぬように衣を干すという、目にも鮮やかな緑の濃い天の香具山が姿を現したから、春霞の立つ春もとうに過ぎて、我々も衣替えする夏が来たらしい。(粗忽謹訳)


この持統天皇の歌は、以上のような香具山のパノラマ風景を詠んだといういうような解釈になるのかもしれません。「衣干す」は「過ぎた季節の古着を脱いで、やって来た季節の着物に着替える」ことを意味するんですが、それがなぜ「干す」なのかと言えば、霞はやはり水気を含んでいる水蒸気ですから、それが雲散霧消するようにすることを「干す」「乾」と表現するのだろうと思います。季節が変わると、ガラリとその容姿が変貌する天の香具山という噂を、実際に実見しているというのが、持統天皇の歌の趣旨ではないでしょうか。桑田明氏は、香具山が白くなると思ってあれこれ考察をしていましたが、白かったのは春の間で、その衣は脱いで干されて、衣替えした緑の香具山が出現したと考えました。これなら「らし」とか「てふ」という、助詞助動詞の使い方が適切に見えます。古注釈には山自体の衣替えという指摘がありまして、それが正解のようです。

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