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超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(68) 三条天皇

心にもあらで憂世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな       三条院        (後拾遺、雑一、861)(栄華、玉の村菊) 〔釈義〕 (病気は重いし、世の中の事はすべて思うに任せず、もはやこの憂世に望みはないので、早くあの世へ行きたい。しかし考えてみれば、今までがすべて心にも任せない事ばかりであった私には、これからもまた心に任せぬことが続くであろうと予想される。それで、私はやがて帝位を退くが、退位の後も私は)思うにも任せぬ状態で憂世に生き長らえる事になる(であろうと思われる。そうなる)としたら、(―今夜の月は、何という明さであろう。夜更けて皎々と冴え渡る月、視力の近頃頓に衰えて来た私だが、今まで宮中において見た月色も、今夜のように美しいのは稀だったと感じられる。ああ、間近く宮中を去ろうとする私、そして憂世に生き長らえればやがて目は見えなくなるでもあろう私にとって、今夜ここで見るこの月は、きっと)恋しい思い出(の月)となるにちがいない(、そうした今夜の)夜半の月であることよなあ! 〔釈義〕の要旨 (退位の後)思うにも任せぬ状態で憂世に生き長らえる事になるとしたら、(間近く宮中を去ろうとする私、そして目は見えなくなる私に)恋しい思い出となるにちがいない夜半の月であることよなあ! 〔義趣討究〕の要旨 ① 後拾遺集の詞書には「例ならずおはしまして、位など去らむとおぼしめしける頃、月のあかかりけるを御覧じて」とあり、栄華物語には「師走の十余日の月いみじう明きに、上の御局にて、宮の御前に申させ給ふ」とある。諸資料によって、三条帝は御多病で、殊に眼病を患っておられたこと、御譲位は御病気という理由もあったが、実は関白道長の政治的圧迫によるものであったことが明かである。 ② 「心にもあらで」を勅撰集の例などを参考にして検討すると、その事態の生起・存在はただ思いがけないという場合もあるが、そこに生起し存在する事態が厭わしいもので、出来得るならば避けたいと願う場合もある。この歌では、憂世に長らえ住む事態は厭わしいと考えられる。 ③ 憂世に住み長らえることが厭わしいのは、政治的圧迫を受けられたことが最大で、内裡の二度の焼失や御病苦が重なって、人生・世間に絶望された故であろう。 ④ こうした帝にとって、御心の慰めになるものは、月や雪・花といった自然の美しさであったが、やがて御目は見え...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(67) 周防内侍

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ      周防内侍       (千載、雑上、961) 〔釈義〕 (手枕をさせてやろうとおっしゃって下さいますが、もしお詞に従ってあなた様のお腕を枕にして寝ましたならば、なまめいてあやしい)春の夜の、それこそ春の夜の夢ほど短くはかない、あなた様のすさび心に誘われた手枕の一夜の結果として、折角今まで大切に護って来た私の操もお腕にあやかってそのかいなく、忽ちにいやな評判が立ってしまうでございましょう。そんな憂名の立つのこそは、何とも口惜しいことなのでございます。(それ故、今夜あなた様のお手を拝借することは出来ませんの。どうかお許し下さいませ。) 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、千載集の詞書に「二月ばかり月のあかき夜、二条院にて人々あまたゐあかして物語などし侍りけるに、内侍周防よりふして枕をがなと忍びやかにいふを聞きて、大納言忠家、これを枕にとて、かひなを御簾の下よりさし入れて侍りければ、よみ侍りける」とあって、作歌事情は明らかである。 ② 「夢ばかりなる」については、勅撰集や和泉式部日記の例によって、「夢ほどにはかない」のいであることがわかる。「春の夜の」は、「夢」を修飾すると同時に「手枕」をも修飾すると考えられる。 ③ 諸註は、「かひなく」に「腕」の意が懸けてあることを認めるが、「かひなく」について「つまらないことに」の意だとか、共寝の実を伴わないで徒に無根の名の立つことを言ったというが、既に手枕をして寝た以上実を伴わないことはあり得ないので、首肯し得ない。 ④ 「かひなし」が「何にもならない」「それまでだ」の意味に使われた例があるので、この歌に対する忠家の返歌の場合を考えると、はかない手枕の共寝によって「かひなく=今まで名誉を護って来たことも何にもならずに」憂名の立つのを惜しむのであり、忠家の返歌「契ありて春の夜深き手枕をいかがかひなき夢になすべき」(千載集1962)の「かひなき夢」は、「生前から結ばれた愛の誓いの重大性も何にもならないはかない夢」の意であると見ればよく通ずる。 〔鑑賞〕の要旨 ① この歌は、「枕をがな」といった独言に乗じて貴人である大納言忠家に「これを枕に」と腕をさしいれられてしまったが、これに対し作者の歌の対応は機敏であった。多くの註は、からかいへの軽い応酬ととるが、その一方で王朝的物語的...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(66) 大僧正行尊

もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし     前大僧正行尊       (金葉、雑、556)(今鏡、みこたち) 〔釈義〕 (奇異にも、深山大峰を蔽う常盤木の群の中に、独り異なった性質を持って生い育ち、独り時節に遅れて咲くそなたを私がいとしく思うように、そなたもまた、偏奇にも世間を遠く離れて修験の道場であるこの大峰に独り修行に励む私をいとしんで)お互い一緒にああいとしいことよと思いあっ(てゆこうではないか、なあ、そうし)ておくれ、山桜よ。(私は世間とは全く交渉を断った身、すべて染着は仏の戒め給うところであるが、でも花への愛着ばかりは許していただいているのだ。そして)花より外には相識る人もな(ければ、勿論相愛の人もな)いのだよ。(それだけに、美しい花への愛着は人一倍強い。それで、さびしい私は、人ではないそなたと、相識相愛といった仲になりたいのだよ。) 〔釈義〕の要旨 お互い一緒にああいとしいことよと思いあっておくれ、山桜よ。花より外には相識る人もないのだよ。 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、金葉集の詞書には「大峰にておもひもかけず桜の花の咲きたりけるを見てよめる」とあり、加持行法において一世の崇敬を集めた作者の修験道修行中の作であることがわかる。初句の「もろともに」は、勅撰集の例によって「迭みに(かたみに)」の意である。 ② この歌は、三句切れと見て、初・二句に三句目が呼応していると見るのが構造としては自然で、三句目の「山桜」は呼び懸けの句であるが、この「山桜」と四句目の「花」の関係を諸註は同一の対象として同一視しているが、呼び懸けた後に「なれ(汝)」と呼ばず第三者めかして「花」と言うのは不自然だ。「山桜」と「花」を同一対象と見れば、「知る人」を「我を知ってくれる人=知己」「我が知っている人=知人」のいずれの意でも、山桜の花は既知ないし旧知の者で、今思いがけず発見した詞書と矛盾する。 ③ ここにいう「花」は新たに発見した山桜の花をさすのではなく、花一般をさすであろう。この「花」は花に限らず、月雪或いは鳥であってもよく、自然の美しい景物を意味する。「花より外に知る人もなし」とは、世間と交渉を断った出家の境涯に徹していることを意味する。 ④ 人に対する愛欲や名聞・財宝への執着は勿論、花鳥とか歌の道に対する愛の染着も罪の行いで、仏の戒め給うたものだが、人や物質...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(65) 相模

恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ      相模       (後拾遺、恋四、815)(栄花物語、根合)(新撰朗詠集下、雑) 〔釈義〕 (私の激しく慕う心が当のあの人にはちっとも通じないのが)恨めしくてつらくて、(そのため)涙に濡れ通しで乾く間もないわが袖(であること、それ)だけでも堪え難く悲しいのに、(その上、かなわぬ)恋故に(世の人には憂名まで立てられて、やがて)朽ち廃れてしまうでしょうわが名誉(のことを思うと、これ)こそは全く惜しいことなのです。(愛は得られず、名は朽ちる。私はとても辛くて堪えられません。それでもあの人を諦め切れないのです。私は本当にどうなってゆくのでしょう。) 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、後拾遺集の詞書に「永承六年内裡歌合に」とあり、栄花物語巻三十六には根合の左方の歌として、右方の経俊の歌「下もゆる歎きをだにも知らせばや焼く火の神のしるしばかりに」と番わせられて勝となっている。 ② 歌中の「あるものを」については、古来「朽ちてあるを」「朽ちずあるを」の二解があり、また最近には「惜しくあるを」「朽ちなむは惜しくあるを」のようにとる解も出ているが、私見ではいずれも当を得ていないように思われる。 ③ 「あり」はよく「そうあり」「その状態であり」の意味に使われ、また「或状態であり」の「或状態で」が自明であるために省略された言い方として使われるが、勅撰集の「○○だに……あるものを……」の形式をとっている歌でも、その自明の状態をあらわす語を省略した言い方だと考えられる。 ④ 「来むといひて別るるだにもあるものを知られぬ今朝のましてわびしき」(後撰1341)の例などでは、「あるものを」の前に「わびしく」が省略され、省略された語が下の部分に出て来る。「朝毎に払ふ塵だにあるものを今幾夜とてたゆむなるらむ」(拾遺1341)のような例では省略された語が下の部分から見出せないが、「あるものを」の前に「怠慢で」が省略されていると見られる。「山彦は答ふるだにもあるものを音せぬ人を待つが苦しさ」(続古今1126)のみ、一見「存在するのに」といった意味に取れそうだが、これも「待つ甲斐があるものを」のようになると考えられる。 ⑤ これを相模の歌に適用すると、一応「うらみわび干さぬ袖だに(朽ちなむことが)惜しくあるものを、まして恋に朽ちなむ名こそ惜...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(64) 藤原定頼

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれ渡る瀬々の網代木      権中納言定頼       (千載、冬、419) 〔釈義〕 朝のほのぼのと明けてゆく折柄、(殊更に耳噪がしいこの頃の網代の波の音を底に響かせつつ、ただもう一面に低く立籠めて何にも見せぬ)宇治の川霧が(、そのうちに上方に移動を始めて、下の方が)途切れ途切れになったと思うと、(その切れ目がそのまま川面の見えるところになり、)途切れ途切れに見えて来る川面(が、峯の方へ霧の上昇移動するに伴ない、移動しつつ拡大されてゆき、その川面)に(あそこここに黒く筋を延いて見えたものが次第にそれぞれのところでつながりを見せて、それが何であるかを示す。こうして、とうとう、噪音の発生源でもある)その全容を見せてくる、おおその宇治川の瀬々の網代木よ!(霧は峯に這い上がって、完全に川面を露わす。私はそこに佇んだまま、いつまでもこの大観に見飽きない。) 〔釈義〕の要旨 朝のほのぼのと明けてゆく折柄、宇治の川霧が途切れ途切れになったと思うと、途切れ途切れに見えて来る川面にその全容を見せてくる瀬々の網代木よ! 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、千載集の詞書に「宇治にまかりて侍りけるとき詠める」とあるので、宇治の山荘へ行っていた折の詠である。「たえだえに」は、「宇治の川霧」の述語であるとともに、「あらはれ渡る」の修飾語と見るべきだ。 ② この歌は、百人一首中ではじめての純粋叙景歌といわれるが、叙情歌として見られる面があると思われる。郊外の歌枕となるような都離れて鄙めいたところに来れば、旅情は湧いたと思われる。百人一首31番坂上是則の「朝ぼらけ」で始まる歌群で検討したが、名所への期待で曙を待受けての作であった。 ③ 源氏物語の橋姫巻の記事によって考えると、「網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて」「峯の朝霧晴るる折なくて」「いと荒ましき水の音、波の響きに」「この河面は網代の波も此頃はいとど耳かしがましく静かならぬを」とあって、宇治の里は、晩秋からはじまる網代漁の季節において波音が喧しく、訪れる貴族たちは、旅愁をかき立てられ、夜など眠れなかったことと思われる。 ④ この歌は、網代木を詠み込み網代漁の季節の歌だが、その喧しい波音のことが言っていない。実は昨夜から波音が聞こえて来て寝つかれず、今朝外に出て音響の出所に注意が向き、川霧の絶え間に...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(63) 藤原道雅

今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな     左京大夫道雅        (後拾遺、恋三、750) 〔釈義〕(あの方の所へ、忍んで通う手だてももう絶えてしまった。)今となっては(諦めるより外はないのだが、)ただ一つ(の願いとして)、結局諦めがつくようにしましょうとたった一言言うだけのことを、人伝てではなくじかに、あの方の前でする方法でもあったらなあと思うことだ。(それさえ出来れば、何とか諦めもつくであろうに……。) 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、後拾遺集の詞書に「伊勢の斎宮わたりよりまかり上りて侍りける人に忍びて通ひける事を、おほやけも聞し召してまもり女などつけさせ給ひて、忍びにも通はずなりにければ、よみ侍りける」とあり、作歌事情は明らかである。 ② 歌中の「思ひ絶ゆ」は、「思ひ絶えわびにしものを中々に何か苦しく相見そめけむ」(万葉集巻四、750)等の例によって「諦める」意味であることが分かる。ここの「絶えなむ」の「む」はいわゆる意志をあらわす場合と考えられ、「結局絶えるようにしよう」の意と見るべきである。 ③ 「思ひ絶ゆ」は、「思ひが絶ゆ」の意味構造であると見えるものの、「思ひ捨つ」が「身をばさて思ひぞ捨てしうつせ貝空しき恋のうらみせし間に」(続千載集1570)の例を見ると「思うことを捨てる」意と考えられるように、「思ひ絶ゆ」は「思うことを絶えるようにする」意である、それが「諦める」の意になったのであろうと考えられる。 ④ この歌で、「ただ」が修飾する語は、「思ひ絶えなむ」「とばかり」「いふ」のどれかが考えられているが、私見ではそのいずれでもあるとともに、二句以下全部に係っている。「もがな」は、「でもあったらなあ」と希望する趣の意味である。 〔鑑賞〕の要旨 ① この歌は、禁断を犯した報いを受ける身の、最後の願いをこめた悲恋の歌である。諦める決意をあの方の前で証言するという目標を設定して心を集中させた、精神の自己防衛的な意味を持つ独語的な歌であり、当子内親王に使いを立てて贈った歌であろう。 ② この歌は、最後の目標を立てて心の収拾をつけている場面や、空想である最後の面会の場面ばかりでなく、悲恋そのもののはじまりから恋の経緯までも浮かべさせる哀切で、喚起性に富んだ歌である。 〔蛇足〕 以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(62) 清少納言

夜をこめて鶏の空音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ      清少納言       (後拾遺、雑、940)(枕草子136段) 〔釈義〕 夜深く、(もし或お方が)鶏の鳴声をまねて(暁来をよそおい、)逢瀬を早く切上げて帰ろうなどとお謀りなさったとしても、女主人が好きなお方とお逢いしている夜の逢坂の関は、(函谷関の場合とは違って、鶏の空音ぐらいにだまされては)決してそのお方を簡単に開放してお帰しするようなことはしないでしょう。(ですから、鶏が鳴いて関を出なさったといわれるあなたさまの場合は、絶対逢坂の関ではございません。あなたさまはきっと私が厭におなりで、それであの孟嘗君の手を使って、ここから遁げ出しておしまいなさったのでございますよ。) 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌の出典として、枕草子に記事があり、後拾遺集にはこれを要約した詞書が載せてある。この歌の下の句を、諸註は「逢坂の関は開門してあなたを私に逢わせることを決して許さないだろう」のように解しているが、こう取ったのでは意味が通じるとは思えない。 ② 第一に、夜更けまで語らっていた二人を、決して逢わせないというのはおかしな感じである。第二に、函谷関の話は鶏の空音を使って門を出る話であるから、逢坂の関の方も当然門を出ることについての話であることが予想されるのに、そうなっていない。逢った事実を清少納言が否定したことになるが、前後辻褄の合わない話になる。第三に、「ゆるさじ」を諸家は門を開くことないし門を通って入ることを許可しまいととるが、「ゆるす」は本来緩めてやる意味で、「大目に見る」「黙認する」意味である。 ③ 北村季吟の八代集抄には、「函谷関のことにや」を「早く帰らん計画にや」、「これは逢坂の関なり」を「又あふべきの心云々」と註し、歌意を「師説云、夜ふかきに、偽の鳥をなかせてたばかり給ふとも、此逢坂は函谷のごとくにはゆるさじと也。行成の夜深く帰たるを陳じて、鳥の声に催されてと、偽の給ふをさやうの偽にはかられては、逢はじとの心也。」と説明するが、すっきりしない。 ④ 私解を述べると、清少納言の「いと夜深く侍りける鳥の声は孟嘗君のにや」の「ける」は、行成の詞をそのまま認めて、鶏鳴を自分も聞いたことにしているが、ただ意味づけを替えたのである。行成は後朝を催促する鶏鳴の意であったが、清少納言は囚われから脱出して帰る策略としての...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(61) 伊勢大輔

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな       伊勢大輔       (詞花、春、27)(伊勢大輔集21900) 〔釈義〕 (もう)古い昔の(ものとなったあの)奈良の都の(、その盛りであった頃、「咲く花の匂ふが如く」とも謳われて、奈良の都の栄えを象徴するものとされていた)八重桜(は、その後奈良が廃都となって時久しく、心ある人には惜しまれながらも、空しく大宮人にも賞翫されずにひっそりと咲き続けていたのに、それ)が(このたび帝に献上されることになり、)今日、ここ平安京の内裏に参じて、(光栄のあまりにか、八重の花びらを)九重に(増して、色香も豊かに)咲匂うていることよなあ。 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、詞花集の詞書に「一条院の御時、奈良の八重桜を人の奉りけるを、その折御前に侍りければ、その花を題にて歌よめと仰せごとありければ」とあり、伊勢大輔集の詞書に「女院の中宮と申しける時、内におはしまいしに、奈良から僧都の八重桜を進らせたるに、今年の取入れ人は今参りぞとて紫式部のゆづりしに、入道聞かせ給ひて、ただには取入れぬものをと仰せられしかば」とあるのによって作歌事情が明らかである。 ② 「ここのへ」には「此処の辺」と「九重の王城」の意味とを兼ねる上に、桜花が八重よりもさらに豊かに九重に咲く意味をもたせている。「いにしへ―今日」「奈良の都―此処の辺(平安京)」「八重―九重」と鮮やかな対照の歌である。 ③ 古歌における「いにしへ」の例を見ると、往古に憧れる気持、時代に取り残された悲哀、往古への懐古の情があり、古いものに共感を覚え愛慕の情を懐いている。この歌の「いにしへの」は「奈良の都」の修飾語であり「八重桜」の修飾語である。万葉集の「青丹よし奈良の都は咲く花の匂ふが如く今盛りなり」の咲く花は八重桜である。なお、伊勢大輔には「古にふりゆく身こそあはれなれ昔ながらの橋を見るにも」(後拾遺1075)という歌がある。 ④ 作者は八重桜を擬人化しているが、自身を「古にふりゆく身」と観じ、奈良の廃都の八重桜に親近性を感じている。自身にとっても、「今日九重に」晴れの場を与えられてわが本領を発揮することに比せられたのであろう。桜が古りたる八重桜と一体になって感激したあまりの、全力投球の歌だったと思われる。 〔鑑賞〕の要旨 ① この歌は、興福寺から内裏に献上された八重桜の納受に際...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(60) 小式部内侍

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立       小式部内侍       (金葉、雑上、586) 〔釈義〕 大江山を越えて行く、そして生野の里も含めて幾つもの野を越えて行く(丹後への)道の、(何とも遥かに)遠いので、(一度は行ってこの脚でじかに踏んで見たいと憧れていながら、)まだ踏んでも見ないのです、(あの名高い)天の橋立を!そしてまた、(お気にかけて下さっているように、その丹後の国府には私の母がいるのですが、やはり何しろ遠い道のりのこととて、お尋ねの母からの)手紙も、まだ見てはいないのです、(あちらで仕立ててくれそうな、あの)海人の走立といった使いによって(もたらされるものを)!(ほんに、京に独り母と離れていてじれっとうございます!) 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、金葉集の詞書によると、大人の戯れに見事一矢酬いた歌として著名である。大江山は鬼退治伝説の丹波・丹後国境の大江山ではなく、山城・丹波国境の大枝山(=老の坂)である。北村季吟の八代集抄には「師説、大江山は丹波路の入り口なり……」とある。「いく」は「行く」と「生野」の「生」と「幾野」の「幾」の三つを懸けていると解される。 ② この歌は、「まだふみも見ず」の「ふみ」に「踏み」と「文」を懸け、憧れの天の橋立をまだ踏んでいないということと、待ち焦がれている母の手紙をまだ見ていないということとの二つの意味を持たせている。「文」の意味は、もし詞書がなければ出て来そうにない。この歌にはまだ知られていない何かのしかけがあるのではないか。 ③ 「海人馳使ひ」という古語があり、土橋寛氏によれば「海人は漁民。ここは海人部のこと。駈使は宮廷の神事や雑役に駆使される者のこと。駈使丁(はせつかひのよぼろ)ともいう(延喜式)海人部出身の駈使が海人駈使であろう」(岩波古典大系・古代歌謡集)とあり、この海人駈使と「あまのはしだて」がつながりがある。 ④ 「あまのはしたて」「あまのはしだて」は、「海人の走立」で、「海人の走り立たせた使い」の意味で海人駈使いと似た意味になる。海人の走立も、飛脚のような仕事をする者として出発させられたものを意味したのであろう。この歌の場合、丹後の漁民が海人の走立として国庁の用に今日まで差立てられることはありそうなことだ。当時は死語となっていたが、歌語として当時の人には理解できたものと考えられる。 ...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(59) 赤染衛門

やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな     赤染衛門        (後拾遺、恋二、680)(馬内侍集23870) 〔釈義〕 (あなた様のお出でなさるというお言葉さえなかったら、私は)ためらわないで寝てしまった(でしょうし、そうした)らよかったでしょうに、(お出で下さるというお言葉があったものだから、私はそれではと端近くに出て、お迎えかたがた月を見ることにしましたの。ところがいつまで待ってもあなた様はお出で下さらないものだから、そんな状態で長い)夜が更けていって、(月の出は遅かったのに、その)月がとうとう西空に傾いてゆく(し、夜も明けかかる、それ)までのやたら長い時間の月見を(私は)してしまったことですわなあ。(お蔭で月見は十二分にしましたけれど、私の心はどんなに満たされないで、あなた様をお恨み申しているか、おわかり頂けましょうね。) 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、後拾遺集の詞書に「中関白少将に侍りける時、はらからなる人に物言い渡り侍りけり。たのめて来ざりけるつとめて、女にかはりてよめる」とあり、作者が妹(又は姉)に代って詠んだ閨怨の歌である。「まし」は反実仮想の意味をあらわす。三句以下は、男を待ってやっと寝たという歌意ではなく、長い時間月を見たことを強調している。 ② この歌の「さ夜ふけて月が傾く」というのは何時頃で、また何日頃の月かを考察すると、夜ふけて沈む月は上弦以後満月以前の月になりそうだが、歌によっては「夜更けて出る月」「寝待の月」であって、有明月を意味している。有明月の方が怨情の深さがあらわれる。 ③ この歌では長い時間月を見たことを嘆じているが、男を待つのが目的であり、そのために見たくもない月を見せられてしまったというのではなく、月見も一つの目的でそれは十分果たしたということになる。 ④ 積極的に月見を志していたのではないが、男を待つ間のすさびであり、出迎えをする心意気もあり、待ち人に逢った時の語り草になることを期待しての行為である。いくら待っても男は来ないとなると、月は鑑賞の対象ではなく、心を焦立たせる冷淡な対象になる。結果的には非情な月を愚かにも見続けたことになる。この歌の詠嘆は、このような心情の推移を宿す。 〔鑑賞〕の要旨 ① この歌は、代作とはいえ、作者が女主人公その人になり切っている。女主人公である美女が、男から...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(58) 大弐三位

有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする     大貮三位       (後拾遺、恋二、709) 〔釈義〕 (あなたは私を頼りないなどとおっしゃいますが、そんなことを仰しゃるあなたこそ気もそぞろでおありなさることは、ご自身がよくご存じの筈。あなたにそんなことを言われた私は、何だか遠く旅に出て独りぼっちで他国の空をさ迷っているような気持です。考えてもご覧になって。)有馬山(を越えて)猪名の笹原(をとぼとぼと旅している時)に(、秋の)風が吹くと、(そよそよと笹の葉が音を立てる、それを聞くにつけても、)いやもう、(私に飽きて、)そよそよ(―それよそれよ)と、(次々に)あだし人に心を移してゆかれる(あなたという)お人のことを、忘れるものでありますことか。(私は胸かきむしられる思いがするのです。ちっとはお慎みあって、私を顧みて下さってもよいではございませんか。) 〔釈義〕の要旨 有馬山を越えて猪名の笹原をとぼとぼと旅している時に、秋の風が吹くと、いやもう、私に飽きて、それよそれよと次々にあだし人に心を移してゆかれるあなたのことを、わすれるものでありますことか。 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、後拾遺集の詞書に「かれがれなる男のおぼつかなくなどいひたりけるによめる」とあり、古来上の句を「そよ」の序とし、「そよ」は相手の「おぼつかなく思う」といったことをそのまま取り上げて「それよ、おぼつかないと仰しゃるその詞を、そのままあなたに返上します」と竹箆返ししたもの、そして「人を忘れやはする」を「私はあなたを忘れるものですか」の意に解しているが、疑問である。 ② 「猪名」には「いな(否)」を掛けていると見る説もあるが、「ゐ」は平安時代には「い」と発音が違っていたので、採用できない。 ③ 「風吹けば」の形で「そよ」の序となるのは穏当ではなく、それなら「吹く風の」「風吹きて」であるべきだ。「そよ」は、詞書を踏まえているとされるが、この歌を詞書を離れて読むなら、「そよ」の「そ」は下の「人を忘れやはする」を指し、強調するために「それだよ」と予告したのだろう。「風吹けば」は「人を忘れやはする」と呼応し、呼応した部分を強調したのである。 ④ 以上のように考えると、「そよ」は相手の言うことを認める意味は消失し、また「そよ」を擬音語「そよ」との懸詞とは見ることが出来ず、上の句は序ではないという...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(57) 紫式部

めぐり会ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな      紫式部       (新古今、雑上、1497)(紫式部集21773) 〔釈義〕 (幾年月を経た後に、今ここに)巡り会って、(咄嗟には思い出せず、)ああ(これは、)あの時のあの場面で見たその月だったのだとも(よく)判別しない間に、(早くも)雲に隠れてしまった夜中の月だなあ!(月というのは勿論あなたと遊んだあの思い出の月なのです。稚な友達であった二人が夜遅くまで遊んだことがあった、あの時の思い出の月なのです。あれから随分長い歳月が経って後、ひょっこりここであなたに巡り会って、お互いに稚な顔は変っている今、昔見たあの懐かしいその人だったともなかなか見わけ出来ないで、まだ碌に積る話もしない間に、あの月とつれだつように、あっけなく私の前から姿を消しておしまいになったあなたでしたなあ、折角巡り会ったのに!私は独り取残されて、いつまでも懐旧の物思いに沈んでいます。) 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌の問題点の第一点は、「見しや」に続いて「わかぬ間に」とあるので、「今見た」のであるなら、「見つるや」とでもあるべきで、過去をあらわすには「雲隠れにし」の「し」のみで充分である。「見し」とあるからには「昔見た」であると考えられるが、それなら「それ」を「これ」に改めなければならない。 ② 勅撰集の「わかぬ」「わかむ」の例を検討すると、これらの用例の「わく」は、「差別する」「弁別する」の意味にとれる。これによって、「見しやそれともわかぬ」の「や」を間投助詞と見、「これを見しやそれだともまだ弁別しない」の意味にとれば通じる。「見し」は遠い過去のことになり、「それ」も過去のものを指す。 ③ 「見しやそれ」を遠い過去ととれる例には、「立返り賀茂の河浪よそにても見しや御幸のしるしなるらむ」(続後撰541)のような「や」が係助詞の例もあるが、「ありす川おなじ流はかはらねど見しや昔の影ぞ忘れぬ」(新古今827)のように「や」が間投助詞の例があるので、紫式部の歌の「や」は間投助詞である。 ④ この歌の問題点の第二点は、諸解共に「めぐりあひて」を「見し」に続くものと見ているが、二重映しになっている対象中の月の方が「めぐり会ひて見し」では不自然である。この歌では、友にめぐり会うことと重ね合わされているから、友と月の合体した思い出の場面である。...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(56) 和泉式部

あらざらむこの世の外の思ひ出に今ひとたびの逢ふ事もがな     和泉式部       (後拾遺、恋三、763)(和泉式部集40954) 〔釈義〕 (私は)もう、ここにこうして生きてはいない(で、やがてあの世へ行く)でしょうに、今度はこれまでとは情況がちがう(ことで、恋するお人にお逢いすることもない)と思われる、(そうした)この世でないあの世での(、前世の懐しい)思い出にするために、せめて今一度の願いの、(恋するあなた様に)お逢いすることでも出来たらなあと思うのでございます。 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、後拾遺集の詞書には「心地例ならず侍りける頃、人のもとに遣はしける」とあり、和泉式部集の詞書には「ここちあしき頃人に」とあって、重病の床にあって恋する人に贈った歌である。 ② 「あらざらむ」は、「もう生きてはいないだろう」「生きていないかもしれない」という初句切れだという説と、「この世の外」を修飾するという説がある。「あらざらむ」には、「平常とちがうであろう」の意の場合もあるが、多くの例は自分の死んだ状態を意味するので、この歌の初句・二句は「(自分はやがて死ぬであろうが)死んだあの世での」となる。 ③ 死後の思い出に「今一度の逢ふ事もがな」と言っているとすれば、作者はその死後の世界を、特に愛欲の面においてどのようなものと観じているのか。 ④ 和泉式部集の「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照せ山の端の月」などを見ると、厭離穢土欣求浄土の気持を懐いている。「世々を経て我やは物を思ふべきただ一度の逢ふことにより」には、一度結んだ愛欲の絆が世々の妄執となることを弁えた思想も見えるが、「山を出でてくらき道にを尋ね来し今一度の逢ふことにより」はこの歌の後日譚と見られる内容のもので、作者はこの世の愛欲を断ち切れず、来世の浄土往生の自信を持っていない。 ⑤ やはり、和泉式部は妄執の女として愛欲地獄にさ迷うしかない身の程を観じ、「世々を経て」の歌で窺えるように、結んだ愛欲の絆に縛られて生々に物を思い悩む自分の未来像をこの歌で描いた。 ⑥ 長恨歌の末尾には、「天長地久有時尽、此恨綿々無絶期」とあり、愛欲の絆を結んだものが生々世々に離恨を解くことが出来ないと述べている。「世々を経て」の歌はこの長恨歌の主想に影響を受けている筈で、今生に契りを結んだ愛人と二世を誓っても所詮遂げられない...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(55) 藤原公任

滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ      大納言公任       (拾遺、雑上、449)(千載、雑上、1032)(公任集22907) 〔釈義〕 (この名高い滝は、既に水が涸れてしまい、)滝の流れる音は絶えてからもう久しくなってしまっているけれど、この滝のすばらしい名声こそは(、これをお造りになった嵯峨院の御風流な名声と一つになって、消えることなく)ずっと流れ伝わって、今もなお有名であることだ。そしてその名声を聞いて生じる名滝のイメージが、現実の有様と重なって、(本の涸れた滝跡にやがて)きれいな水が走り流れて滝の糸となって見え、(静まりかえった環境にそれが流れ落ちて石に当たって立てる)滝つ瀬の音が、今もそこから聞こえて来ることだ。(幻視と幻聴とのなかに、私はしばし入り浸って往時を偲ぶのであった。) 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は、初句の「音」が「糸」となっている。 ② 拾遺集の詞書には、「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに、ふるき滝をよみ侍りける」とあり、千載集の詞書には「さがの大覚寺にまかりてこれかれ歌よみ侍りけるによみ侍りける」とあり、公任集には「大殿のまだ所々におはせし時、人々具して紅葉見ありき給ひしに、嵯峨の滝殿にて」とあって、作歌事情は明らかである。 ③ 歌意については、例外なく「現実の滝は絶えて久しいが、滝の名、嵯峨院の風流の名は絶えることなく今も伝わって世に聞こえる」ことを讃えたものと諸註は受け取る。修辞的にはすぐれているが、内容は感動もなく駄作として評判が悪い。しかし、俊成や定家に評価された歌なので、正当な解釈を目指して検討したい。 ④  この歌では、「なほ聞えけれ」は「滝の音は」をも承けるのではなかろうか、そして滝の音が幻聴となって今も聞えることを言っているのではないか。試みに下の句を「名こそ流れて滝の音はなほ聞えけれ」の形に直して見れば、歌意はよく通じる。 ⑤ 「名こそ流れてなほ聞えけれ」は、名声が今に流れ伝わり世に聞えていることを言っていると共に、同時に、ありありとそのかみの滝の様が思い浮かび、そこには清らかな水が糸筋となって流れ落ち、高い滝つ瀬の音となって聞えて来る幻覚が存在していることを意味している。「名」には、「名声」という外形的意味と、滝や嵯峨院の御風流の情況の「イメージ」という内容的な意味が同時に込めら...

超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(54) 高階貴子

忘れじの行末までは難ければ今日を限りの命ともがな      儀同三司母       (新古今、恋三、1149) 〔釈義〕 (私をいつまでも)忘れまいとおっしゃって下さる(あなた様の今のお気持は、誠に此の上もなくうれしうございますが、そのいつまでもとおっしゃる)遠い将来まで(今のお気持通りであり続けるということ)はむずかしい世の慣わしでございますので、(私は)いっそ、(いつまでもわすれまいとのあなた様のお言葉で、今幸福の絶頂にある)今日を限りに(、この歓びに満たされたままで)死んでゆく、はかないわが命であるということででもあったらなあと思います。(そうなったら、私はあなた様に忘れられる悲しみを味わうことなく、全く私の生涯は幸福に充たされるわけなのですから。何だか今余りに幸福過ぎて、将来が空恐ろしい気持がするのでございます。) 〔義趣討究〕の要旨 ① この歌は諸註で「忘れじの」を「行末」の連体修飾語としているが、「忘れじの」が「難ければ」の主語となる可能性もあるので、検討する。 ② 新古今集や新勅撰集に見える「忘れじの」の用法を見ると、いわゆる連体修飾語として使われており、「忘れじと言った」の意味で下の体言に掛かっている。 ③ 勅撰集に見える「難ければ」ならびに類例について検討すると、「実行がむずかしい」「実現がむずかしい」「存立がむずかしい」などの意味で、期待の充足がむずかしいとなる。 ④ 以上から、この歌の上の句は「忘れじとあなたの言われるその行末(私に対する愛情に充たされたままの将来)までもは、その存立がむずかしいので」という意味である。 ⑤ この歌の下の句は、「いつまでも忘れじと言われて幸福の絶頂にある今日を限りの命として、このまま消えでもしたらなあ」の意。 〔鑑賞〕の要旨 ① この歌は、新古今集の詞書に「中関白かよひそめ侍りける頃」とある。王朝女性は、初恋の体験においても、愛を得た幸福を手放しで歓んでおられず、将来の愛を失う苦しみへの不安があった。 ② 不安におののくあまり、現在得られる筈の歓びを受入れ得なかった人の例を、源氏物語の宇治の大君に見ることができる。これは男の心を疑う故というよりも、人間そのものへの不信の故であり、世間無常観、此界穢土観の為す所であった。 ③ この歌の心を、手管的な媚態と見れば、いや味の多いものとなるであろうが、真実の心情と見れば極...