超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(62) 清少納言

夜をこめて鶏の空音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ      清少納言

      (後拾遺、雑、940)(枕草子136段)


〔釈義〕

夜深く、(もし或お方が)鶏の鳴声をまねて(暁来をよそおい、)逢瀬を早く切上げて帰ろうなどとお謀りなさったとしても、女主人が好きなお方とお逢いしている夜の逢坂の関は、(函谷関の場合とは違って、鶏の空音ぐらいにだまされては)決してそのお方を簡単に開放してお帰しするようなことはしないでしょう。(ですから、鶏が鳴いて関を出なさったといわれるあなたさまの場合は、絶対逢坂の関ではございません。あなたさまはきっと私が厭におなりで、それであの孟嘗君の手を使って、ここから遁げ出しておしまいなさったのでございますよ。)


〔義趣討究〕の要旨

① この歌の出典として、枕草子に記事があり、後拾遺集にはこれを要約した詞書が載せてある。この歌の下の句を、諸註は「逢坂の関は開門してあなたを私に逢わせることを決して許さないだろう」のように解しているが、こう取ったのでは意味が通じるとは思えない。

② 第一に、夜更けまで語らっていた二人を、決して逢わせないというのはおかしな感じである。第二に、函谷関の話は鶏の空音を使って門を出る話であるから、逢坂の関の方も当然門を出ることについての話であることが予想されるのに、そうなっていない。逢った事実を清少納言が否定したことになるが、前後辻褄の合わない話になる。第三に、「ゆるさじ」を諸家は門を開くことないし門を通って入ることを許可しまいととるが、「ゆるす」は本来緩めてやる意味で、「大目に見る」「黙認する」意味である。

③ 北村季吟の八代集抄には、「函谷関のことにや」を「早く帰らん計画にや」、「これは逢坂の関なり」を「又あふべきの心云々」と註し、歌意を「師説云、夜ふかきに、偽の鳥をなかせてたばかり給ふとも、此逢坂は函谷のごとくにはゆるさじと也。行成の夜深く帰たるを陳じて、鳥の声に催されてと、偽の給ふをさやうの偽にはかられては、逢はじとの心也。」と説明するが、すっきりしない。

④ 私解を述べると、清少納言の「いと夜深く侍りける鳥の声は孟嘗君のにや」の「ける」は、行成の詞をそのまま認めて、鶏鳴を自分も聞いたことにしているが、ただ意味づけを替えたのである。行成は後朝を催促する鶏鳴の意であったが、清少納言は囚われから脱出して帰る策略としての鶏鳴にすり替えた。行成の「これは逢坂の関なり」は、「逢瀬を楽しんでいる境域」の意をもたせてある。憎い鶏めが鳴くから仕方なくこの関を出たのですと返事をするのに対して、清少納言は逢坂の関は気のきいたしっかり者の関守がいて、女主人に逢っているお人は帰したりしない、鶏の空音の計略は通用しないという。

⑤ この歌から派生した「世に逢ふ坂」を使った後世の歌があり、この歌でも「世に逢ふ逢坂」の意味に使っており、「世」はよき夫婦関係ないし交情関係を意味する。この歌では勿論その上に「よに」に「決して」の意味を持たせてある。

⑥ 行成は後朝→逢坂の関を持出し、清少納言は函谷関流の脱出という世界を持出して張り合うが、清少納言は相手の詞に乗っておいて、忽ち方向転換を強いるという逆手を用いたのである。この歌では、あなたさまはやっぱり、孟嘗君の手を使って私の所からお遁げなさったのですわときめつけたが、行成は逢坂の関は鶏鳴がなくても開門しているといった世評のあるところだから、鶏鳴がなくても通れたと応酬する。

⑦ 二人のやりとりを見ると、きっかけを作ったのは行成だが、次々意表をついたのは清少納言である。枕草子の後の記述では、このやりとりについて行成が賞賛している。フィクションとしての鶏鳴の別れを、脱出か恨みの後朝かと言う意味付けの論争で、いわば詭弁を弄する言語遊戯のゲームであって、両歌はそうした興趣の歌である。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は枕草子の記事や後拾遺集の詞書により、歌の出来た場面を知って読めば巧妙な歌であって、言外の余情も鮮やかに浮かび上がってくるのであるが、もし記事や詞書がなければこのような味わいは出て来ない。

② この歌は、逢坂の関の偽鶏鳴脱出計画の遂行場面を考える、奇抜な着想である。函谷関における敵地脱出の偽鶏鳴奏功と、逢坂の関における愛の束縛脱出の偽鶏鳴無効が相対立して秩序づけられている。そうした秩序づけが省略によっておさまり、統一されている。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の清少納言の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、従来の注釈の下の句についての解釈を「逢坂の関は開門してあなたを私に逢わせることを決して許さないだろう」であるとまとめた上で、「逢坂の関は気のきいたしっかり者の関守がいて、女主人に逢っているお人は帰したりしない」という解釈を提示しています。従来の説は、「逢うのを許さない」としているわけですが、著者は函谷関の故事の情況と同じように「脱出させない」と言う意味だと主張しているのであります。著者の結論を見て、「夜をこめて」の歌の下の句を見ると、ひょっとすると成立する考えなのかと思わせるところがありますけれども、肝心の枕草子の叙述を追いかけると、著者がいくつか見落としている点があるように感じます。


まず、「いと夜深く侍りける鳥の声は孟嘗君のにや」の「ける」について、著者は清少納言が鶏鳴を聞いたことにしたとしていますが、これは間接体験の助動詞ですから、鶏鳴の存在を疑っていたと思われます。要するに、行成の後朝の文の体裁の手紙を否定したのでありましょう。著者は、「囚われから脱出して帰る策略としての鶏鳴にすり替えた」と清少納言の返事の主旨を解読しますが、鶏鳴自体が嘘だと言うだけのことで「脱出する行成」の行動を話題にしているとは思われません。次に、行成の「これは逢坂の関なり」は、著者によれば脱出の話が継続していることになりますが、そうではなくて、孟嘗君の話は「去れり」の話だがこれは「逢ふ」話ですよと、孟嘗君の函谷関の故事を認めずに、二人が逢瀬を交し、鶏鳴を聞いたことを既成事実化しようとしたものと考えるべきでしょう。その結果、清少納言は「夜をこめて」の歌で行成の後朝の文の内容を全否定するに至ったのではないでしょうか。


念のため確認すると、この歌の上の句「夜をこめて鶏の空音ははかる」というのは、函谷関の故事を連想させる修辞的な言い方でありまして、実際には行成が「鳥の声に催されて」清少納言の許を辞去したと述べた後朝文ふうの表現を指しているわけです。また、下の句の中に見える「逢坂の関」は函谷関の縁語として関所の名前を出した修辞的な表現でありまして、主旨は「逢瀬があったかのように装うこと」は「ゆるさじ」と言いたいのではないでしょうか。函谷関に関する修辞的なつながりを排除すると、清少納言が言いたいのはつぎのようなことではないでしょうか。


後朝(きぬぎぬ)に 鳥の空音と 謀るとも 逢瀬ありとは よにも許さじ(粗忽謹製)

鶏鳴に 我との仲を 謀るとも、逢瀬ありしの ふりは許さじ(粗忽謹製)


〔蛇足の蛇足〕

『後拾遺集』巻第十六・雑二 940番

大納言行成、物語など侍りけるに、内の御物忌にこもればとて急ぎ帰りてつとめて、鳥の声にもよほされて、といひおこせて侍りければ、夜深かりける鳥の声は函谷関のにや、といひ遣はしたりけるを、立ち返り、是は逢坂の関に侍る、とあればよみ侍りける    清少納言

夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ


「夜をこめて」を、諸注釈は「夜の明けぬうちに」「未明に」「深夜に」などとしますが、現代語で「~を籠める」という表現に相当するものについて、単に時刻を当てるのは妥当性を著しく欠くように感じます。語順を変えて「鳥の空音は夜をこめてはかる」として考えると、「はかる」(関所の役人を欺く)ということの最も肝心な部分が「夜をこめ」ることですから、夜中のままでは関所の門扉を開けてもらえないので、夜を「引っ込め」て夜明けである朝であるとだますのでしょう。「夜をこめて」が熟した表現でないのは、おそらく『史記』孟嘗君の故事によって一回限りの表現をしたからに過ぎないのかもしれません。


鳥の音に 夜をこめられて 謀られて 函谷関は 君を通しき(粗忽)


かつて紹介した北原白秋の評釈も「歌の品はすぐれて居るとも思へぬ」と言っている通りで、歌だけ見ても、どこがいいのかさっぱり分からない、と言うような歌なのであります。一つ前の伊勢大輔の歌が、晴れの歌と言いますか、公衆の面前で叫んでも大丈夫な歌であるのに対して、こちらは実は褻の歌(けのうた)でありまして、非常にプライベートな歌として作られたものです。あけすけに言うと、「うまく深い仲と装う気になったって、絶対既成事実化は許さないわよ」と言っているわけで、教育的に問題がありまして、世間の教育者がどう考えるのか、ぜひ聞いてみたいところです。「逢坂」の「逢ふ」は、夜が絡んだ男女の贈答歌では、深い関係になるってことを意味するのであります。この歌をもらったのは、藤原行成でありまして、祖父は『百人一首』45番の謙徳公藤原伊尹(一条摂政)でありますが、行成は歌が苦手という評判なんですけれども、これにはちゃんと返事をしているのであります。そちらのほうは、もう何というか支離滅裂な歌でありまして、「お前は誰とでもいいって評判だぜ」というような、今時ならコミックマーケットで手に入る同人誌のようなやりとりなんですね。


逢坂は 人越えやすき 関なれば 鳥も鳴かねど あけて待つとか(行成)


故石原慎太郎さんはコミケに反対だったらしいが、あの人の小説『太陽の季節』も、「障子紙破り」なところがありまして、それはもうとびきり破廉恥だったはずなんだが、今なら「おまいう」というやつでございますね……。「お前が言うか」の略だというのは、どこかで見聞きいたしました。「おまいう」というのは、「お前様には批判する資格はないよ」というような意味でありましょうか。


藤原行成と清少納言のやりとりというのは、『枕草子』に詳しく出ておりまして、じゃあ二人はただならぬ関係なのかというと、そうではありません。行成は頭の弁、すなわち蔵人所の頭という天皇の秘書でありまして、一方の清少納言は中宮定子の筆頭秘書のような立場ですから、何やら大事な用事で深夜まで打ち合わせか何かしていて、その翌朝の歌のやりとりなのであります。お仕事がらみの徹夜ってことなのです。表面的にはきわどい内容の応酬ですが、実は人に見られることも充分わきまえたやりとりであります。


清少納言の方は、枕草子を読めば明らかですが、行成の手紙を手に入れては、書のお手本としてみんなにばらまいているわけでして、それは何故かと言えば、後世から言うと行成は三蹟の一人に指を折るような書道の名人なのであります。挑発して字を書かせたわけです。もっと言うと、我々が書いている平仮名の書体の多くが行成風のデザインだということであります。北原白秋は評釈の最後で、「如何にも恋に戯れる二人の姿が見え透く」と言っていますが、残念ながらこの見解は認められません。今回取り上げている著者の桑田明氏の見解も、恋のやりとりの範囲の歌とみなしておりますから、やはり認めることはできません。


『史記』の「孟嘗君列伝」の故事が踏まえられているわけでありまして、男性の教養としてもかなり高度なものかと思うのですが、それを歌に仕立てて詠んだものですから、相手が耳を疑うというか、驚いているのであります。清少納言の方が、当時の女性としてはちょっとありえないような学識を示しているんですね。例えて言うと、ギリシャ神話が踏まえられているとか、ゲーテの詩を下敷きにしたとか、シェイクスピアの戯曲に想を得たとか、そういうことでありましょう。大体において、『枕草子』自体が『史記』と因縁が深いわけでありまして、それを機知の通じる相手を厳選して披露したことがすばらしいのであります。


藤原行成は、摂政を務めた謙徳公の孫ですけれども、親を早くになくして地下であった人ですから、大変な苦労人なんですが、智恵も胆力もある男でありまして、そういう行成なら通じると狙い澄まして成功したんですね。清少納言も強者なのであります。『史記』との因縁というのは、天皇と皇后に冊子を献上した人がいて、天皇方ではそれに『史記』を書こうとなりまして、中宮定子が何を書こうかしらと女房に下問されたら、「分厚いから枕にします、向こうが敷き物だし」と「敷き」と「史記」の駄洒落をかまして、その冊子をゲットしたというのがそもそもの事の始めであります。諸説はありますが、私の知っているのはそんなことです。


孟嘗君の故事のポイントは、この人は斉の王子様でありますが、秦に使いに出されて殺されそうになったんですね。命からがら逃げ出す時に、養っていた食客が役に立ちまして、見事逃げおおせたわけです。函谷関は、朝にならないと関所の扉が開かないので、物まねの出来る食客がニワトリの鳴き真似をして、門番をたぶらかしたというのです。「中国の函谷関は夜を朝だと偽ってニワトリの鳴き真似でまんまと欺しても、ここは日本よ、逢坂の関は欺されて開けたりしませんよ」というのが表向き、実は「あなたと逢瀬を楽しんだりしたわけではありませんからね」という、後朝の文めかした文面に対して釘を刺した内容であります。『史記』と『枕草子』に通じないと、歯の立たない歌であります。というか、これって今でいう「無理ゲー」というやつで、頑張っても歯が立たないところがあるわけです。


この歌の問題点は、初句の「夜をこめて」でありまして、これって解釈出来てるのでしょうか。「夜をこめて」に踏み込んだ見解を示しているのは、石田吉貞さんの『百人一首評解』(有精堂・昭和31年・1956)位でありまして、「夜の明けないうちに。深夜に。昼の中に夜をこめる義」と語釈で触れて下さっておりまして、他の方はまったく素っ気ないのであります。しかし、これは現代語ではありませんよ。分かったような分からないような微妙な具合でありまして、どうも腑に落ちないのであります。


近世初期の『日葡辞書』に例がありまして、「よをこめてものをする」で「夜が明ける前から何かをする」というような解説が付いているそうです。「こめる」というのは、通常の漢字は「込める」でありますが、「込」は国字という日本でしか通用しない創作漢字でありまして、これだと中に入れる、突っ込むという感じですね。もう一つの漢字が「籠める」とありまして、これだと籠に入れる、取り込むであります。「~を込める・籠める」で思い付くのは、「思いを込める」「願いを込める」ですが、さて、「夜」をこめることはできるのでありましょうか?「霧や霞・煙」は「立ち籠める」わけですが、それらは「何をこめる」のかと言えば、人の姿や建物、風景などを隠すのではないかと思います。ただ、「籠める」という漢字から、「籠絡する」という熟語を考えると、「人をうまく丸め込んで思い通りに操る」ということになりまして、これではないのでしょうか。「閉じ込める」なんぞという複合動詞もありますね。寝なければならない夜をコントロールすると言うと、鳥が鳴いて朝ですよ、夜じゃありませんよってことになりませんか。鳥の空音が「夜をこめて」朝だと謀ると言うと、だんだんそれらしく見えて来るでしょう。


いいでしょ、これで、ご隠居、そうだと言っておくんなさい。私は、長屋の八つぁん・熊さんてことで、ようござんす。実は「世を籠めて」という言い回しがありまして、それも気になるなあ。将来性を内に籠めて、ってことかと思いますが、いかがでございましょう。 

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