超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(56) 和泉式部
あらざらむこの世の外の思ひ出に今ひとたびの逢ふ事もがな 和泉式部
(後拾遺、恋三、763)(和泉式部集40954)
〔釈義〕
(私は)もう、ここにこうして生きてはいない(で、やがてあの世へ行く)でしょうに、今度はこれまでとは情況がちがう(ことで、恋するお人にお逢いすることもない)と思われる、(そうした)この世でないあの世での(、前世の懐しい)思い出にするために、せめて今一度の願いの、(恋するあなた様に)お逢いすることでも出来たらなあと思うのでございます。
〔義趣討究〕の要旨
① この歌は、後拾遺集の詞書には「心地例ならず侍りける頃、人のもとに遣はしける」とあり、和泉式部集の詞書には「ここちあしき頃人に」とあって、重病の床にあって恋する人に贈った歌である。
② 「あらざらむ」は、「もう生きてはいないだろう」「生きていないかもしれない」という初句切れだという説と、「この世の外」を修飾するという説がある。「あらざらむ」には、「平常とちがうであろう」の意の場合もあるが、多くの例は自分の死んだ状態を意味するので、この歌の初句・二句は「(自分はやがて死ぬであろうが)死んだあの世での」となる。
③ 死後の思い出に「今一度の逢ふ事もがな」と言っているとすれば、作者はその死後の世界を、特に愛欲の面においてどのようなものと観じているのか。
④ 和泉式部集の「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照せ山の端の月」などを見ると、厭離穢土欣求浄土の気持を懐いている。「世々を経て我やは物を思ふべきただ一度の逢ふことにより」には、一度結んだ愛欲の絆が世々の妄執となることを弁えた思想も見えるが、「山を出でてくらき道にを尋ね来し今一度の逢ふことにより」はこの歌の後日譚と見られる内容のもので、作者はこの世の愛欲を断ち切れず、来世の浄土往生の自信を持っていない。
⑤ やはり、和泉式部は妄執の女として愛欲地獄にさ迷うしかない身の程を観じ、「世々を経て」の歌で窺えるように、結んだ愛欲の絆に縛られて生々に物を思い悩む自分の未来像をこの歌で描いた。
⑥ 長恨歌の末尾には、「天長地久有時尽、此恨綿々無絶期」とあり、愛欲の絆を結んだものが生々世々に離恨を解くことが出来ないと述べている。「世々を経て」の歌はこの長恨歌の主想に影響を受けている筈で、今生に契りを結んだ愛人と二世を誓っても所詮遂げられないという来世観である。そう見ると、「あらざらむ」の歌の、来世における今生の思い出に今一度の逢瀬を願う気持ちの哀切さが理解できる。
⑦ 初句の「あらざらむ」は、「かくあらざらむ」の意で、それは「かく生きてあらざらむ」の意味と共に、「かく今までの如く逢見ることのあらざらむ」の意味もあるのではないか。こう見れば、悲恋あるのみの後生における唯一の慰めに、今一度の逢うことを望む切実な気持が如実にあらわれる。
〔鑑賞〕の要旨
① この歌は、苦しいに違いない瀕死の病床にあって、肉体の痛苦をも忘れてひたすらに思慕する人との最後の交会を願うという、誠に恐ろしい愛欲の執念である。来世に愛が遂げられないと知っているのに、来世の思い出に今一度の逢瀬を願うもので、悲痛壮絶である。
② この歌には、病床で愛人を思慕して身悶えする姿、高貴な人の面影、過去の逢瀬の様、来世の孤独のありさま、長恨歌のいくつかの場面が浮かんでくる。
③ 流暢で淀みのない歌詞に載せて、病苦も悩みもすべて愛の情熱に昇華させたこの作品は、愛の歌の絶唱である。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の和泉式部の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、初句の「あらざらむ」を同様の表現を持つ歌と比較して初句切れではないと結論付け、初二句は「死んだあの世での」という来世を詠んだとしています。その上で和泉式部の歌から、彼女の来世観を導き出し、厭離穢土欣求浄土の気持は持ちながらも、この世の愛欲が来世は妄執となって、思い悩むことだろうと覚悟していたことを明らかにしました。また、こうした考えが長恨歌の影響を受けていると考え、来世に期待せずに今生での逢瀬を切望する気持に理解を示しています。
この歌を初句切れではないかとするのは、『小倉百人一首新釈』(白楊社、1954年刊)でありまして、共著ということになっておりますが、作者伝以外の執筆者は小高敏郎氏のようです。その鑑賞の項目で「初句の『あらざらむ』はここで切れるので、単に『此の世の外』の修飾に止まらず、『間もなく死んでしまうだろう』と吾が身の行末に思いをはせた感じが出ている、次いでまた第三句で切れるから、歌に流麗なところは乏しくなるが、反面強さが出て来て、はげしい恋情のこもった歌である」とありまして、この場合の「切れる」が何を意味しているのか実はよく分かりません。ほとんどの注釈者は、二句目に掛かるものと説明しておりますから、著者の桑田明氏は通説を補強したことになるでしょう。なお、この歌と長恨歌を結び付けた言説はざっと注釈書を見渡したところではありませんが、桑田明氏が引用する長恨歌の末尾の句の内容は和泉式部の歌の内容と齟齬がないように感じますので、大変なお手柄かもしれません。また、今一度逢いたいという相手については、最初の夫橘道貞とする説や、再婚相手の藤原保昌とする説もありますが、著者は高貴な人としておりますので、彼女の恋の相手だった為尊親王や敦道親王クラスの貴人を想定しているのかもしれません。
〔蛇足の蛇足〕
古典に於ける最高の女流歌人と言えば、もちろん和泉式部であります。その和泉式部と敦道親王という皇子様とのダブル不倫を描いたのが『和泉式部日記』なのでありますね。若い日の私は、ああなるほど、そういうことね、と冷静に読めたんですけれども、どうもお年を召した大学の先生方はそうは行かなかったようでありまして、いろんな意味で興奮なさる要素があったようです。身分に差がある場合の恋愛の深まり方に、特に学問的に興味深い点があるのでありましょう。今の私は、あの先生方と同じくらいの老人になりましたが、今も不倫を描く日記の内容に何も感じません。ともかく歌のうまさと美貌で、宮廷社会の華であった人であります。こんな人生最後の思い出に逢いに来てというような歌をもらったら、大概の男性は喜ぶでしょう。
宮内庁書陵部の堯孝本『百人一首』は、百人一首の最も古い善本と言うことで、世に出ているものでありますが、よく見るとトラブルが起きておりまして、書写の誤りがあるのであります。和泉式部の名前の後に、紫式部の歌が書いてありまして、仕方なく抜けている和泉式部の歌と、紫式部の作者名を細字で補っているのであります。和泉式部の歌は片仮名漢字交じりでありまして、「世」という字を比較すると、筆遣いからして別人の補いのようでありまして、ああ、書き損じたのかと誰かが気が付いたわけです。本人が気が付いていたら、ここで破り捨てて、もう一度書くのじゃありませんか。粗忽な人間ならよくあること、私のしたことなら驚くに値しません。しかし、古典の本となると、この瑕疵は非常にまずいことであります。それにしても、それより古い『百人一首』の善本が出て来ない、というのは本当でしょうか。
三句目から後は平凡な表現です。全体が平凡な表現なんだけれども、特に、「思い出に」から後が、とてつもなくありふれた表現なのであります。では、類歌がたくさんあるのかというと、そんなことは無くて、案外誰かの歌を本歌取りしたのでもなく、さして本歌取りされてもいないのであります。個性的には見えないのに、模倣もしていないし追随するものも少ない、というところにこの歌の秘密があるのでしょう。調べる腕力があまりないので、『新編国歌大観』第一巻勅撰集編の索引を引いてみての感想です。
さて、この歌の問題点は、「この世のほかの」という二句目にすべて掛かっているような気がいたします。北原白秋は、「後世又来世の事」と指摘しておりまして、それでいいと思いますが、佐佐木信綱『百人一首講義』は不思議なことに、「この世の外は、すなはちかの未来の世をいへり」と淡白に理解し、尾崎雅嘉『百人一首一夕話』も「この世の外の先の世にて」あるだけで、特に何も問題を考えていないふしがあります。近代の数冊の注釈書を見た限りでも、この歌の背景に仏教があると指摘するものが無いのですが、それでいいんでしょうか。桑田明氏のアプローチは数少ない例ということなのです。
普通の日本人の死生観では、実は死んだら終わりでありまして、この世以外の所など考えないのであります。そんなわけない、と思う方は、熱心な仏教徒やキリスト教徒、もしくは新興宗教かぶれのお目出度い方たちであります。普通には、死にたがっている人がいると、一生懸命「死んじゃだめだよ」って引き留めているはずです。今日本人は、「天国に行く」などと言いますけれども、仏教でもキリスト教でもない、さらに神道でもないような、ふわふわした「天国」という概念があるような気がいたします。子供向けでもありまして、クリスマスのサンタさんと同じような、曖昧模糊とした共同幻想としての「天国」が存在し、死んだら「天国に行く」と言い習わしているのではないでしょうか。そういう、宗教心の薄い気持ちで「この世の外」を考えると、言い換えとしては「後世・来世」と仏教語を持ってきていても、内実は「未来の世」とか「先の世」程度に収まってしまいまして、漠然とした死後の世界を浮かべるに過ぎないような気がいたします。
ともかく、和泉式部の場合は、現代よりは仏教の影響下にいたはずですから、「この世のほか」というのは「来世」と言い換えるだけではなくて、輪廻転生した先の六道のどれかであるはずです。しかしながら、転生後の思い出になるような執着というのは、仏教では御法度でありまして、危篤になったり臨終になってから、誰かに逢いたいというのは、うっかりすると畜生道や餓鬼道や、はたまた地獄へ堕ちる危険な発言とも言えるでしょうね。この歌は、背景に型破りな所があるのではないかと言うことです。つまり、詠めそうでいて、誰にも詠めない恋の歌ということです。よもや、こうした指摘は大手柄でございましょうか? 執着を残してしまうと、うっかりすると転生すらかなわずに、『源氏物語』の六条御息所のごとくに醜悪な姿で現世に漂ってしまうことだってあると考えられていたのかもしれないのであります。そこまで考えると、長恨歌を手掛かりとした桑田明氏の考察は、参照に値する見解に思われますが、この本の出版以後にも問題にされたことはなかったように見受けられます。
誰にあげたかということで、注釈者がもめるんですけれども、そうですか、誰にあげたか決まらない歌のようです。
上の句に出て来る「あらざらむこの世の外の」という部分を考えてみると、これって仏教の「後世・来世」のことだから、輪廻転生した後のことを考えて詠んだものかもしれないというのが、私の12年前くらいの結論でありまして、2023年にアップデートして再掲載した時もそれを継承いたしました。しかし、佐佐木信綱の『百人一首講義』や尾崎雅嘉の『百人一首一夕話』のそっけない対応を見ているうちに、ちょっと思いつくことがございました。ふと信綱の見解にも一理あると思ったわけです。桑田明氏の追究した点を考慮すると面白いと思います。
和泉式部は自分自身の人生を振り返って、成仏の叶わない罪深さを痛切に感じて、輪廻転生する事は無理だと思っていた可能性が高いと思います。
つまり、「あらざらむこの世の外」というのは、死後の世界ではありましても、来たるべき来世、仏教でいう後世とは違うのかもしれません。和泉式部は、四十九日後に振り分けられる六道から、自分は漏れてしまうと思ったのかもしれないのであります。まさしく、『源氏物語』における六条御息所のように、成仏することなく、何か奇怪な姿をして物の怪として漂うことを覚悟していたのかもしれない、ということです。それなら、この初句・二句の何とも捉えどころのない表現はぴったりかも知れません。「この世から自分が人間の姿を失って去ったのちの、輪廻転生からはみ出たところ」というような認識ですね。ややや、とんでもないことを思いついてしまいました。
和泉式部は、紫式部の書いた『源氏物語』における六条御息所の行末を、己の将来の姿と覚悟していたのかもしれません。百人一首と『源氏物語』の関係を深く考察した上坂信男氏『新版百人一首・耽美の空間』(右文書院、2008年刊)は、六条御息所の伊勢下向の心情に重なるとしていますが、死後の六条御息所とは結び付けておりません。
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