超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(64) 藤原定頼

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれ渡る瀬々の網代木      権中納言定頼

      (千載、冬、419)


〔釈義〕

朝のほのぼのと明けてゆく折柄、(殊更に耳噪がしいこの頃の網代の波の音を底に響かせつつ、ただもう一面に低く立籠めて何にも見せぬ)宇治の川霧が(、そのうちに上方に移動を始めて、下の方が)途切れ途切れになったと思うと、(その切れ目がそのまま川面の見えるところになり、)途切れ途切れに見えて来る川面(が、峯の方へ霧の上昇移動するに伴ない、移動しつつ拡大されてゆき、その川面)に(あそこここに黒く筋を延いて見えたものが次第にそれぞれのところでつながりを見せて、それが何であるかを示す。こうして、とうとう、噪音の発生源でもある)その全容を見せてくる、おおその宇治川の瀬々の網代木よ!(霧は峯に這い上がって、完全に川面を露わす。私はそこに佇んだまま、いつまでもこの大観に見飽きない。)


〔釈義〕の要旨

朝のほのぼのと明けてゆく折柄、宇治の川霧が途切れ途切れになったと思うと、途切れ途切れに見えて来る川面にその全容を見せてくる瀬々の網代木よ!


〔義趣討究〕の要旨

① この歌は、千載集の詞書に「宇治にまかりて侍りけるとき詠める」とあるので、宇治の山荘へ行っていた折の詠である。「たえだえに」は、「宇治の川霧」の述語であるとともに、「あらはれ渡る」の修飾語と見るべきだ。

② この歌は、百人一首中ではじめての純粋叙景歌といわれるが、叙情歌として見られる面があると思われる。郊外の歌枕となるような都離れて鄙めいたところに来れば、旅情は湧いたと思われる。百人一首31番坂上是則の「朝ぼらけ」で始まる歌群で検討したが、名所への期待で曙を待受けての作であった。

③ 源氏物語の橋姫巻の記事によって考えると、「網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて」「峯の朝霧晴るる折なくて」「いと荒ましき水の音、波の響きに」「この河面は網代の波も此頃はいとど耳かしがましく静かならぬを」とあって、宇治の里は、晩秋からはじまる網代漁の季節において波音が喧しく、訪れる貴族たちは、旅愁をかき立てられ、夜など眠れなかったことと思われる。

④ この歌は、網代木を詠み込み網代漁の季節の歌だが、その喧しい波音のことが言っていない。実は昨夜から波音が聞こえて来て寝つかれず、今朝外に出て音響の出所に注意が向き、川霧の絶え間に眼を凝らし、瀬々の網代木が発見されるに至ったのである。

⑤ 宇治に来て旅情が生じ、この地の趣を探ろうとする期待で安眠の出来なかった早暁に、霧の流れの中に川音のみ高く、曙の光白々としてやっと見えはじめた川面の情景に心は踊るが、そのうち霧の絶間は拡大されて網代木の全景を見ることが出来、音響の出所をつきとめ満足感を味わったに違いない。この歌は、風景鑑賞の過程の叙景歌であると同時に、旅情明転の過程の叙情歌である。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、純粋叙景歌として鑑賞することも可能なほど、朝ぼらけ・川霧・網代木による構成はすぐれて描写的である。しかし、この歌の景観には網代越す波の音響が基調をなしている。この歌の趣が中古的から中世的への過渡的状態を示すのは、叙情から叙景に推移する趣による。

② 「たえだえに」が、上の部分に対しては川霧が途切れる意味でつながって、下の部分に対しては川面の見えるのを妨げている霧を意識して、懸詞的つなぎであり、さらに旅愁から風光観賞へと転換させている。また「あらはれ渡る」は、川上から川下へ視野がつながり渡る空間的推移の意味と、網代木の全容が現れて来る時間的推移の意味を兼ねている。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の藤原定頼の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、従来純粋な叙景歌とされるこの歌を、著者は独自の視点で叙情歌なのだと主張しています。一つは、坂上是則の歌にも出て来た「朝ぼらけ」を初句に据えた歌群の旅愁と言うことが根拠であり、もう一つは源氏物語の橋姫巻を元にした、宇治の網代木の波音による旅愁の存在が根拠でありまして、安眠出来ずに迎えた朝に、波音の正体を突き止めて満足するというような歌として理解しています。ただ、旅愁であるとか、網代漁のための網代木の波音の存在とか、音の正体を突き止めて満足するというようなことは、叙景歌の鑑賞の範囲のことでありまして、はたしてこれを叙情歌なのだと強く主張する真意が、実はよく分かりません。和歌における分類としては、この歌は四季の中の冬の歌でありまして、それも視覚的に捉えられた歌です。これに対して、和歌の部立てとしては恋の部が存在しますが、著者の言う叙景歌が四季の歌を指すのか、叙情歌が恋の歌を指すのかと考えると、どうもずれがあるようです。旅愁を感じるのであれば、この歌が羇旅の巻に配置されていてもいいということだろうと思いますが、さて、羇旅に入れるような表現があるようにも見えません。ともかく、注釈史としては、何らかの寓意があるのか、それとも純粋な叙景歌なのかという対立がありましたので、著者はその線に沿って叙情歌なのだというスタンスを主張したものと思います。


余計なことを言いますと、新古今集の頃には、恋の歌に使う詞を巧みに使って四季の歌を詠んだり、四季の詞を使って恋の歌を詠むというようなことが、おそらくは本歌取りの影響で盛んになりますので、この歌を恋の歌として解する方向がないのかどうか、と言うような点に興味をそそられますが、いかがでしょうか。「朝ぼらけ」というのは、後朝の朝としては風情がありますし、霧が絶え絶えになって、何かが露わになるというと、初めての逢瀬の翌朝、互いの容姿を確認して感動するというような、王朝の逢瀬のあり方を連想いたします。作者自身はそんな気はさらさらないとしても、後の時代の人は恋の要素をかぎつけて鑑賞していたかもしれないということを控えめに主張してもよろしいでしょうか。


さて、「たえだえに」を掛詞的な表現とみなし、「渡る」を空間的な補助動詞だけではなくて、時間的な補助動詞とする著者の考えは、ここまで読んできてそう来るだろうなという予想の範囲内であります。どれも、古い注釈書などで言い古されて来た指摘でもありまして、現代でも支持されていたりしますので、新鮮ではありません。思うんですが、「たえだえに」はやはり川霧の述語で充分でありますし、「渡る」は空間的な広がりを表すのみでいいのではないかと思うのです。膠着語である日本語である上に、語順の関係で紛れやすくなるというのは致し方ないのでありますが、「たえだえにあらわれ渡る」というのはどこか矛盾しておりますし、「渡る」の時間的継続は、もうちょっと数か月とか一年とか、長いスパンの表現ではないかと思います。


〔蛇足の蛇足〕

以前取り上げた北原白秋の評釈を見ると、訳出の最後に「何とも言へぬよい眺めである」と付け加えておりまして、「愛誦に価する歌」とまで誉めております。平安時代半ばの恋の歌がうんざりするほど出て来た後ですから、おそらく叙景歌の出現にほっとしたというか、解放感に救われたのだろうと想像いたします。ひとつ前の道雅の歌などは、白秋の過去の不倫にまつわる逮捕という出来事を知る人が見たら興味津々でその解釈を眺めたはずですから、踏み外さないように慎重に評釈を加えていたはずです。そういう心配の要らない、安心して論評できるところが、定頼のこの歌にはあったのでしょう。ただ、本当に白秋の言うように「実際の景色を見たまま歌に詠んだもの」なのかというと、そこは違うのではないか、と思ったりいたします。


藤原定頼というのは、藤原公任のご子息でありまして、例の小式部内侍をからかった人でもあります。お父さんの公任さんが、源氏物語を読んでいたらしいのは、『紫式部日記』で明らかなんですが、だとすればご子息も当然読んでいたのではないか、というのが田辺聖子さんの推測であります。鋭い見解であります。そうだとすれば、この藤原定頼さんの歌というのは、『源氏物語』の宇治十帖を踏まえておかないといけないのであります。それから、本歌とまでは言えないけれども、この歌の背景は万葉集の歌ではないかと、指摘されておりますね。そうかも知れないし、そうでないかも知れません。ただ、見たまんまの光景かと問われたら、平安貴族はもうちょっと古歌を参考にして、試行錯誤して歌を詠んでいたような気もいたします。


もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の 行方知らずも

    (『万葉集』巻三・264・柿本人麻呂)


やっぱり、「朝ぼらけ」というのは、秋から冬にかけての言葉のようであります。「春はあけぼの」と、清少納言が言うように、あちらは春の夜明けを言う言葉なのでありましょう。目が覚める前に、空が白んでくるのが「あけぼの」であるのに対して、目が覚めてからしばらくして、ようやく空が明けてくるのが「朝ぼらけ」ではないかと思います。だとすれば、この歌は『千載集』で冬の部に入っておりますので、夜明けの闇の中から川霧の中に浮かび上がる宇治川の風景を詠んだのであります。「絶え絶え」「~わたる」「瀬々の」によって、パノラマ映像と言いますか、360度とまでは行かないまでも、京都市内ではお目にかかれない広い眺望が詠み込まれているのであります。視覚的には暗から明へ、モノトーンの世界に次第に色彩が混じります。BGMは、宇治川の川音でありまして、それだけかというとそうではなくて嗅覚もあることでしょう。閨房のお香の香りが漂いますね。ふーむ、なかなかいいものです。宇治の平等院は平安時代後半には寺院に転換しますが、それまでは藤原氏の別荘だったはずで、だとすればかぐわしいお香が焚き染められていて当然であります。


ここまで考えて気になりましたのは、四句目「あらはれ渡る」に出て来る「渡る」という補助動詞の意味が本当は何なのかということです。上に示しましたように、何となくこの歌はパノラマ映像を詠んだのだろうと思っていたのでありまして、「一面に現れる」「至る所に見えている」というふうに空間的な広がりだと思っていたのであります。白秋の理解は違っておりまして、訳出から拾ってみると「朝霧も」「次第に霽れて」「見え初めて来た」ということでありまして、句意には「段々に現はれて来る」と説明していますから、どうやら「あらはれ渡る」を「次第に現れる」「段々見えて来る」と、時間の推移による変化として捉えているようです。


佐佐木信綱『百人一首講義』はどうなのかとその訳を見ると、「明くるほどに見わたせば」「網代木の、あらはれ出て見ゆる事よ」とありますので、どうも空間的広がりで解釈していて、白秋のような時間的推移を気にも留めていません。これに対して尾崎雅嘉の『百人一首一夕話』を見ると、「夜の明け方にみれば、この宇治川に夜のうちより立ち渡りてありたる霧がたえだえに晴れて行けば、次第次第に河瀬河瀬の網代木現われて見え渡る」とありますので、白秋はこちらの理解に同調したのであります。注釈書の中には、時間と空間の両方に引っ掛けて「点々と現れる」と処理したものもありまして、うまいことを考え付くものよと感心いたしました。著者の桑田明氏も、両方を兼ねていると考えております。しかし、「恋ひ渡る」などという表現の場合、眼前の時時刻刻の変化ではなく、長いスパンの継続ですから、空間的な広がりのみという解釈で充分ではないかと思います。


ともかく、六十四首目まで見て参りまして、約三分の二。何の準備もなく、思い付くまま気になる点だけをあれこれ考えるというのが良かったようでありますね。一生懸命調べたら、一週間で一首かも知れません。気まぐれに、適当な注釈書を眺めたり、たまには索引を引いたり、昔させられたことが今になって役だっているわけですから、すでに鬼籍に入られた師匠たちを思い浮かべ、不肖の弟子が今になってこんな事をしていると知ったら、みなさんあきれ果てるでしょう。ここの反省文は2012年頃の感想をそのまま出して見ましたが、当時は百人一首のパロディをしたついでに、百人一首の表現を考えておりました。毎日一首ずつ即席で考えたことを書いておりましたが、よく続いたものであります。前回は北原白秋の評釈を取り上げてましたが、あれは叙述の分量が短くて楽でしたが、今回の注釈は非常に分厚いわけで、さてさて最後まで行き着くでしょうか。 

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