超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(57) 紫式部

めぐり会ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな      紫式部

      (新古今、雑上、1497)(紫式部集21773)


〔釈義〕

(幾年月を経た後に、今ここに)巡り会って、(咄嗟には思い出せず、)ああ(これは、)あの時のあの場面で見たその月だったのだとも(よく)判別しない間に、(早くも)雲に隠れてしまった夜中の月だなあ!(月というのは勿論あなたと遊んだあの思い出の月なのです。稚な友達であった二人が夜遅くまで遊んだことがあった、あの時の思い出の月なのです。あれから随分長い歳月が経って後、ひょっこりここであなたに巡り会って、お互いに稚な顔は変っている今、昔見たあの懐かしいその人だったともなかなか見わけ出来ないで、まだ碌に積る話もしない間に、あの月とつれだつように、あっけなく私の前から姿を消しておしまいになったあなたでしたなあ、折角巡り会ったのに!私は独り取残されて、いつまでも懐旧の物思いに沈んでいます。)


〔義趣討究〕の要旨

① この歌の問題点の第一点は、「見しや」に続いて「わかぬ間に」とあるので、「今見た」のであるなら、「見つるや」とでもあるべきで、過去をあらわすには「雲隠れにし」の「し」のみで充分である。「見し」とあるからには「昔見た」であると考えられるが、それなら「それ」を「これ」に改めなければならない。

② 勅撰集の「わかぬ」「わかむ」の例を検討すると、これらの用例の「わく」は、「差別する」「弁別する」の意味にとれる。これによって、「見しやそれともわかぬ」の「や」を間投助詞と見、「これを見しやそれだともまだ弁別しない」の意味にとれば通じる。「見し」は遠い過去のことになり、「それ」も過去のものを指す。

③ 「見しやそれ」を遠い過去ととれる例には、「立返り賀茂の河浪よそにても見しや御幸のしるしなるらむ」(続後撰541)のような「や」が係助詞の例もあるが、「ありす川おなじ流はかはらねど見しや昔の影ぞ忘れぬ」(新古今827)のように「や」が間投助詞の例があるので、紫式部の歌の「や」は間投助詞である。

④ この歌の問題点の第二点は、諸解共に「めぐりあひて」を「見し」に続くものと見ているが、二重映しになっている対象中の月の方が「めぐり会ひて見し」では不自然である。この歌では、友にめぐり会うことと重ね合わされているから、友と月の合体した思い出の場面である。

⑤ 作者が幼時において友人と楽しく遊び戯れて夜に入ったといった思い出があり、その時に十日頃の月が空にあった思い出の場面が長い年月を経た今再現したのだろう。下の句は、思いでの月と友とを一挙に喪失した哀愁を凝結させている。

⑥ なお、「巡り会ひて」は「わかぬ」に続くと見たが、「折角巡り会ったのに」のような気持で「雲隠れにし」に続いている。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、新古今の詞書には「早くより童友だちに侍りける人の、年比経て行き逢いたる、ほのかにて七月十日頃月にきほひてかへり侍りければ」とあり、紫式部集では「十月十日のほど」となっている。

② この歌は、幼な友達に逢った悦びが満たされない哀愁の情を主題とするが、ここに折からの月を参加させて場面を構成している。自然と人事を交錯させることは源氏物語にも見られる手法であるが、この歌にも見事に結晶している。友を月に昇華させて謳うことは、友を思慕する情を象徴的にあらわす。

③ 紫式部集や新古今の伝本の一つでは、歌の末尾が「月影」となっている。音調面では「月かな」の方が優雅であり、詠嘆性がより強い。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の紫式部の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、まず一点目として「見しや」の過去の助動詞「し」に着目して、この「見しや」は遠い過去の友人との月にまつわる思い出であると主張しております。そして、「それともわかぬ」を「あの時のあの場面で見たその月だったのだともよく判別しない」と解したうえで、「お互いに稚な顔は変っている今、昔見たあの懐かしいその人だったともなかなか見わけ出来ない」と述べております。こうした見解は実は古註以来の理解の延長上にあるもので、月を詠んでいることと友人との再会を詠んでいることをごちゃ混ぜにして解する方向も、従来通りの見解の中に納まっているような気がいたします。唯一奇抜なのは、「見しや」の「し」を遠い過去の友と月を見た経験だと主張することでありますが、著者独自の見解ではありますが、おそらく広く受け入れられるものではなさそうであります。


著者のアプローチは従来の説を包摂しながら、この歌を単に旧友との再会が不満足だっただけの歌ではなくて、旧友とかつて見た月夜の思い出と同じような一晩を期待しそれが裏切られた歌と解するような、従来の斜め上を行く複雑な歌として提示することだったようです。しかしながら、「見しや」の過去の助動詞「し」に関する考察は無意味なものでありますし、さらに従来通り「それ」を「月」や「童友だち」とする理解のまま、友人との再会と別離という主題と、縁語の「雲隠れ」「月」という修辞部分の区別ができなくなっておりますので、いたずらに〔釈義〕が長大化するという状態に陥っているように思います。


まず、この歌の大切なポイントは、「見しや」の「や」が、「~するやいなや」という意味の即時の用法の間投助詞でありまして、従来の注釈書は概ねこの「や」を係助詞と解いて、存在しない結びの言葉を補うようです。著者は、「や」を間投助詞とみなしますが、即時の用法には気付かなかったようです。「それともわかぬ間に」という部分を省略して、即時の用法が分かるように提示してみます。


めぐりあひて 見しや 雲隠れにし 夜半の月かな(粗忽による、改造)

(訳)再会したと同時に、雲に紛れて見えなくなった夜半の月であることよ。


「めぐりあひて」は、あくまでも旧友との関係から出た言葉ですが、「雲隠れ」「夜半の月」は縁語でありますから、この縁語を旧友に関する言葉に置き換えてみると、次のようになって、主題が露わになることでしょう。


めぐりあひて 見しや 帰りにし 早くよりの童友だちかな(粗忽による、第二次改造)

(訳)再会したと同時に、帰ってしまった幼馴染であることよ。


こうして、「雲隠れ」「夜半の月」という縁語を置換すると、詞書通りの主題が出てくるわけで、「見しや」の「し」は、「帰りにし」の「し」と連動しているだけで、直接体験した旧友との再会と別れを過去の時制で表現しただけだと理解できるでしょう。著者の言っていた、旧友との遠い過去における月見の体験などというものは持ち出す必要がありません。そして、最後に決め手でありますが、「それともわかぬ間に」の「それ」は「月」や「友だち」を指すのではなくて、直前の「めぐりあひて見し」を受けるもので、言い換えると「めぐりあひて見しともわかぬ間に」というだけのことでありまして、これは「~するやいなや」の「いなや」に相当する部分と考えればいいわけです。「再会した気がしない」と述べただけです。この省略部分を「いなや」と改めて戻すと、次のようになります。


めぐりあひて 見しやいなや 帰りにし 早くよりの童友だちかな(粗忽による、第三次改造)

(訳)再会するやいなや、すぐに帰ってしまった幼馴染であることよ。


「それ」という指示語の内容を、和歌の後半に出て来る「夜半の月」としたり、詞書の「童友だち」とみなしたりしたことが従来の誤りでありまして、「それ」は、その直前の「めぐりあひて見し」という部分だっただけのことであります。そして、「や」の即時用法を使った、大胆な構文の歌であることが従来読み解けなかったまま、みなさん四苦八苦してきただけのことでしょう。


〔蛇足の蛇足〕

この歌の問題点は二句目・三句目の「見しやそれともわかぬまに」の解釈であります。具体的に言うと「や」の文法的な意味が何なのかということと、「それ」が何を指すのかということであります。たとえば北原白秋は、「たしかその人かどうか明かに見分けないうちに」と訳しまして、句意のところで「見たが、それであるかどうか、はつきり顔の見分けのつかぬに」としておりますから、曖昧なところはありますが、「や」は疑問と考え、「それ」は友人の顔なのであります。『百人一首一夕話』は、「その人とも思ひ定めぬ間に」とか「その人かと見分けぬ間に」としていますから、「それ」は「その人」すなわち幼馴染の人なのでありましょう。『百人一首講義』は、該当部分を次のように敷衍して解釈し、さらに語句の解説をしております。


〇その見たる人は、むかしのかの人にてはありしか、はたあらぬか、いまだ慥かに思ひわかぬばかりなるに、(『百人一首講義』)

〇見しやそれともの見しは、まさしくその人ならんかともといふ意にて、やはうたがひの詞なり。(『百人一首講義』)


こうした解釈や文法解析は、近年でも受け継がれておりまして、次のような見解が代表的かと思います。


〇見しやそれとも 見たのがそれであるのかとも、の意。「それ」は表面上は月、裏は友達を指している。「や」は疑問の係助詞。〇わかぬ間に 見分けがつかないうちに。(有吉保『百人一首全訳注』講談社学術文庫)

〇「や」は疑問の係助詞。「それ」も表面は月を指し、下には友だちを指していう。「分かぬ」は区別できない、はっきりしないの意。現代語訳「いま見たのはその人かどうか見分けがつかない間に」(島津忠夫『新版百人一首』角川ソフィア文庫)


こんなふうに従来ずっと解釈され続けております。一言皮肉を言いますと、昔からの幼馴染みの顔が区別できないという解釈を、白秋も含めて誰もがしているんですけれども、「友達の顔が判別できない」というのは、言ってみれば「雲間に見えたのが月かどうか分からない」ということでありまして、ほとんどナンセンスというか、愚かな解釈に陥っているんですが、自覚あるんでしょうか。たぶん、自覚なんてさらさらないことでしょう。ちなみに、詞書を見ると「早くより童友達」というのは、昔から幼馴染でいいんですが、「年頃経て」というのは、せいぜい二三年の事を言っているはずなんです。何十年も会っていない老人の事じゃないので、顔の判別が付かないというのは、あり得ないんですが、その点何か反論はございますか?


こんな有名な歌を、こんなふうに誤解して来たというところに、闇があるのかも知れません。ともかく、この歌の意味をじっくりと語って見たいと思います。


『新古今集』巻第十六・雑上 1497番 

    早くよりわらはともだちに侍りける人の年ごろへて

    行きあひたる、ほのかにて七月十日ごろ、月にきほひて

    かへり侍りければ    紫式部

めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな     


さて、二句目に見える「や」は即時を表す間投助詞の用法で、おそらく諸注釈が言う係助詞ではないと思います。係助詞とするために下になにか連体形結びの省略語句を補うんですが、そういう処置は誤りと考えてよいでしょう。この歌では「見しや」「雲隠れにし」とつなげまして、「見たとたんに雲隠れしてしまった」と解釈するのがいいはずです。というか、そういう構文に気付かないのが問題です。詞書に「月にきほひてかへり」とあるように、逢うや否や帰途に就いたことを表現したに過ぎない、非常に分かりやすい歌です。「それとも分かぬ間に」は相手ともっと旧交を温めたかったのにそれがかなわなかったことを、「幼馴染と出会ったのだとも意識出来ぬうちに」と表現したものでなければなりません。


歌だけ見ておりますと、お月様の歌なのであります。これが、『新古今和歌集』には、詞書きがついて入集しているわけですが、そうすると「月」は友人と言いますか、幼なじみの女友達を例えたものであると言うことが分かりまして、久し振りの再会の気分を巧みに表現したことが分かるのであります。歌の眼目は二句目にあるのでしょうが、現代語の感覚で理解しようとしてしまうと、ちょっとずれるところがあるのであります。改めて指摘しますが、「それとも」の部分が曲者なので、ここを慎重に理解する必要があるんです。「それ」というのが、指示名詞ですから「ああお月さんだ」とか「ああ友達だ」ということになってしまうのは、仕方ないと言えば言えるんですが、この「それ」が月や友人を指しているとすると、「月とも友人とも判断が付かなかった」という解釈に落ち着きます。これは詞書と矛盾します。


巡り合ったのは「月」であり「友人」で間違いないのでありまして、詞書には「行きあひたる、ほのかにて」とあるので、月を見た時間、友人と会った時間がすれ違いほどの「ほのか」なものなのです。


注釈書の類を見ますと、二句目の所については、だいたい共通しているようであります。「や」を疑問の係助詞とするんですが、そうなると結びの連体形というのが見当たらないわけで、おやおや、一体どうなさるのか、と思っていると、これを「見し月やそれなる」だなどと書いている注釈書まであるんですね。そう堂々と指摘されたら、否定する根拠も見付からないんですが、しかしそんな日本語、ありましたか?「見たのは月かどうか」などと表面的に訳しておりまして、それを「今見たのはその人かどうか」というふうに、詞書きに出て来る幼なじみの話題に引きつけてさらに意訳しているんです。しかし、ちっともすっきりしないでしょう。今までの経験から言うと、注釈書は嘘ばかり教える、と断言してよろしいですよね。肝心なところは、まったく使えないと見てよろしいでしょう。


問題の所在は、おそらく「分かぬ」の「分く」という動詞の理解にあるようで、ここがないがしろ。


勘所だけ言うと、「それとも分かぬ」というのは、これでイディオムのはずなんですね。「はっきりしない」「判断が付かない」という意味のはずなんです。だから、「や」を係助詞だと言っておきながら、なんとなく全訳のなかにこのイディオムの訳を交えて訳している注釈書が多いのであります。みなさん、お勉強が得意だっただけに、要領だけはいいのでありますよ。ずるいな。この歌は、「めぐり逢ひて見しや、雲隠れにし」とつながるわけで、「や」は間投助詞の用法で、即時を表していると見ると、歌全体が躍動感に溢れますね。「見るやいなや、いなくなった」ということであります。


「それとも分かぬ」という慣用句を見落とすと言うことは、まか不思議。ほんとにおかしなことです。つまり、「それ」というのは、和歌の中の言葉で言うなら歌の冒頭の「めぐり逢ひて見し」でありまして、訳すなら、「再会した」「久しぶりに顔を見た」ということのはずです。ですから、「それとも分かぬ」は、具体化するなら「再会したという実感もない」「久しぶりに顔を見た気もしない」という意味です。


めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬ間に 月にきほひて 帰る友かな(粗忽)

めぐりあひて 見しやそれとも 分からぬに 逢うもほのかな 夜半の月かな(粗忽)

めぐりあひて 見しやいなやと 思ふ間に すれ違ひたる 童友達(粗忽)


月と同じように、うっとりするような幼なじみとの再会を、物足りなく思う懐旧の情を込めた表現でありましょう。それに対して「それとも分かぬ間に」というのは、「雲隠れ」に掛かる修飾句のはずですよね。結局、「それとも分かぬ」というのは、「見るやいなや」の「いなや」の部分でしかないのであります。やりましたよ、これこそ大手柄。見事に何事かの引き金を引きましたね。すごく、はつらつとした歌でありまして、時を越えて迫って参りますよ。そんな当たり前のことが、「や」を係助詞とする、たったそれだけの瑕瑾で台無しであります。口に出して唱えてご覧なさい。「や」のところで大きく切らないと歌にならないでしょう。大胆な声調の歌です。


ちなみに、「言うやいなや」とか「帰るやいなや」というような現代のイディオムを具体化してみると、これらは「言うか言わないかといううちに」とか「帰るか帰らないかといううちに」となることでしょう。これを紫式部の「めぐりあひて」の歌のように処理をすると、「言ふやそれとも分かぬ間に」とか「帰るやそれとも分かぬ間に」となるはずであります。悪ふざけをすると次のような歌ができます。


ただいまと 言ふやそれとも 分かぬ間に 部屋に籠りて ゲーム三昧(粗忽)

くたびれて 帰るやそれとも 分かぬ間に 風呂に浸かりし 旦那様かな(粗忽)

めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬ間に 電車に消えし 元の彼かな(粗忽)


こんなざれ歌で紫式部の歌が分かったら、有名な「ほととぎす 鳴くや五月の」と言う歌の構造も解けた気がいたします。


『古今集』巻第十一・恋一 469番

    題知らず      詠み人知らず

ほととぎす 鳴くや五月の あやめぐさ 菖蒲も知らぬ 恋もするかな    


「鳴くや」「恋もする」というのは、相手の声を聞くやいなや恋に落ちたことを言い、「あやめも知らぬ」が「道理も何もない」ということで、恋に落ちた不可思議さを掛詞で表現したのでありましょう。「あやめ」は「菖蒲」と「綾目」を掛けております。通常は初句から三句目までの「ほととぎす 鳴くや五月の あやめぐさ」までが「菖蒲・綾目」を導く序詞ということになっておりますが、それでは「鳴くや」が序詞の中でどういう役割かあやふやでありましょう。「鳴くや」「恋もする」という流れだと、ここに「鳴くやいなや恋もする」という、瞬時に恋に落ちるという面白さが加わって「綾目も知らぬ」が意味を成すはずです。


フレッシュマン 呼ぶやイタ飯 レストラン レシピも知らぬ 恋もするかな(粗忽)

社会人 話すや五月の 歓迎会 マニュアルなしの 恋もするかな(粗忽)

人柄を 知るや新人 語り草 語るに落ちた 恋もするかな(粗忽)


名歌ほどにはまとまりません。どのような意味なのかは、作った本人もわきまえていないところが最大の欠点でございます。正しい正しいと叫んでも、これでは説得力がガタ落ちでございましょうか。しかしながら、むしろその方が愛敬があって、お後がよろしいようで。 本当に正しいとしたら、ほぼすべての従来の注釈を否定することになってしまうわけですから、大変なことです。私の勘違い、思い込み、早とちりであることを、心より祈っております。


〔蛇足の蛇足の蛇足〕

2012年の段階では、諸注釈が誤っているという確信だけがあって、それを具体的に指摘するところが弱かったと思います。白秋の評釈によって、彼が紫式部の歌の本質を捉まえながら、粉本の解説に惑っていることが何となく分かりました。2023年のころに、ブログをアップデートした際にも、「それ」の具体化を私自身誤っていて、「月」とか「友人」とか、従来の注釈書の解釈に引き寄せられていたのであります。著者の桑田明氏も、従来の説を疑うことなく踏襲しまして、さらに著者の傾向として、主題と修辞を分けませんので奇妙な解釈に陥っているように感じます。


しかしながら、「それとも分かぬ」の「それ」は、明らかにその直前の「めぐりあひて見し」でありまして、要するに紫式部の歌の上三句は、「見しやいなや」と言っているに過ぎないのであります。


    見しやいなや 雲隠れにし 夜半の月(粗忽)

    逢ふやいなや 月に競ひて 帰る友(粗忽)


こうして俳句にしてしまうと、事は単純で別に特別なことではなくて、幼馴染に逢ったのに、互いに旧交を温めたいけれど、今の職務などに追われて時間の取れなかった残念さを伝えようとしていただけなのでしょう。二三年逢わなかっただけなのに、顔が確認できなかったというような解釈は、「としごろ(年比・年頃)」という単語の意味を国語辞書で調べることで粉砕できてしまいます。それとも、紫式部の歌は、友人の顔も分からないという老人の痴呆症の歌だったのでしょうか? 


そうそう、言い忘れたことがございましたので、この際ということで付け加えてみたいと思います。この歌は、紫式部の歌なんでありますけれども、実は源氏物語と非常に密接で問題をはらんでいるように思います。源氏物語に「雲隠」の巻というのがありまして、それは「幻」の巻と「匂宮」の巻の間に位置するのでありますが、現行の源氏物語普及版(例えば小学館の新全集とか、岩波の新大系とか、新潮社の古典集成など)では、ちゃんと「幻」と「匂宮」の間に出て来るのであります。これを一巻とすると、実は源氏物語は55巻仕立てになるのでありまして、「雲隠」の巻は源氏物語全55帖の42巻目に位置するはずであります。

そこまで言うと、実は泡を吹く人が出てくるわけで、どいうことかというと学校教育などでは、源氏物語は全54帖と教わるからであります。しかしながら、「雲隠」の巻を一巻とカウントすると、あの物語の現行本は全55帖なのであります。しかしながら、泡を吹く人が出て来るのは当然で、この巻は巻の名前だけで、本文は一行も存在しないからです。しかし、一行も存在しない「雲隠」の巻は、先ほど紹介した普及版の新全集、新大系、古典集成にはちゃんと出て来るはずです。例えば、与謝野晶子の『源氏物語』の文庫本(今は角川ソフィア文庫)でも出て来るはずで、旧版ではどういうわけか御影石の墓石のイラストが添えられておりましたが、今でもそうなのでしょうか。新しい版を見ていないので、実はよく分からないのですけれども、旧版は、「雲隠」を光源氏の死と捉えている通説に乗る形で、墓石のイラストを掲載していたのであります。

その墓石のイラストを、私はとても興味深いと感じると言いますか、あほくさいと思うと言いましょうか、間違っていると思うのであります。源氏物語の冒頭、「桐壷」の巻は例の長恨歌を踏まえて、帝の桐壷更衣への寵愛を描いているんですが、光源氏が最期に登場する第41帖の「幻」の巻では、光源氏が逝去した紫の上に逢いたくて、「大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬ魂(たま)の行く方たづねよ」(大空を自由に行き来する幻術士よ。夢にさえ姿の見えない紫の上の魂の行方を捜しておくれ)と詠んでおりまして、これも長恨歌の後半をモチーフとしているわけです。だとすると、「雲隠」の巻の意味するところは簡単でありまして、光源氏は紫の上の幻を見るんですが、それは一瞬のことで、「それともわかぬ間に」幻は姿を消しまして、光源氏はますます悲嘆にくれてしまう、という結末なのであります。

源氏物語の光源氏を主役とする物語は、こうして文字でしたためられた41帖と、タイトルのみが知られた「雲隠」の巻1帖、合計42帖で構成されていたのであります。第42帖があると思って読もうとすると、すぐに次の巻になるわけで、第42帖そのものが雲隠れするという趣向なのでしょう。紫式部は人口に膾炙した「めぐりあひて」の歌を使って、最後に読者を煙に巻いたというか、雲隠れの術を使ったのであります。以上です。

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