超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(67) 周防内侍

春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ      周防内侍

      (千載、雑上、961)


〔釈義〕

(手枕をさせてやろうとおっしゃって下さいますが、もしお詞に従ってあなた様のお腕を枕にして寝ましたならば、なまめいてあやしい)春の夜の、それこそ春の夜の夢ほど短くはかない、あなた様のすさび心に誘われた手枕の一夜の結果として、折角今まで大切に護って来た私の操もお腕にあやかってそのかいなく、忽ちにいやな評判が立ってしまうでございましょう。そんな憂名の立つのこそは、何とも口惜しいことなのでございます。(それ故、今夜あなた様のお手を拝借することは出来ませんの。どうかお許し下さいませ。)


〔義趣討究〕の要旨

① この歌は、千載集の詞書に「二月ばかり月のあかき夜、二条院にて人々あまたゐあかして物語などし侍りけるに、内侍周防よりふして枕をがなと忍びやかにいふを聞きて、大納言忠家、これを枕にとて、かひなを御簾の下よりさし入れて侍りければ、よみ侍りける」とあって、作歌事情は明らかである。

② 「夢ばかりなる」については、勅撰集や和泉式部日記の例によって、「夢ほどにはかない」のいであることがわかる。「春の夜の」は、「夢」を修飾すると同時に「手枕」をも修飾すると考えられる。

③ 諸註は、「かひなく」に「腕」の意が懸けてあることを認めるが、「かひなく」について「つまらないことに」の意だとか、共寝の実を伴わないで徒に無根の名の立つことを言ったというが、既に手枕をして寝た以上実を伴わないことはあり得ないので、首肯し得ない。

④ 「かひなし」が「何にもならない」「それまでだ」の意味に使われた例があるので、この歌に対する忠家の返歌の場合を考えると、はかない手枕の共寝によって「かひなく=今まで名誉を護って来たことも何にもならずに」憂名の立つのを惜しむのであり、忠家の返歌「契ありて春の夜深き手枕をいかがかひなき夢になすべき」(千載集1962)の「かひなき夢」は、「生前から結ばれた愛の誓いの重大性も何にもならないはかない夢」の意であると見ればよく通ずる。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、「枕をがな」といった独言に乗じて貴人である大納言忠家に「これを枕に」と腕をさしいれられてしまったが、これに対し作者の歌の対応は機敏であった。多くの註は、からかいへの軽い応酬ととるが、その一方で王朝的物語的幻想的ななやましい妖艶な歌として鑑賞することが共通する。妖艶な歌と見ることと軽い応酬の歌と見ることの間に不一致がある。

② この歌には相手の申し出を求愛として受け取り、女らしい胸のときめきが起きるのと対立して、貞操と名誉を護ってゆきたいという女の誇りがあるが、なお情欲への未練は残る。これに対する忠家の返歌は、本気で愛情を告白する内容となっている。

③ こうした歌のやりとりは、詞書にあるようなこの夜のサロンの場面において、人前で決して無下に相手に恥をかかせるようなものではなく、相手を立てながら見事な応酬ぶりに並みいる人々を感嘆させるものであった。

④ なお歌の世界は詞書に見られる二条院を舞台と見る必要はなく、ただ夜更けて忍び訪れた貴人との手枕の一夜の様を想定すればよいと思われ、必然的に朋輩の女房に知られて忽ちに噂が広まるといった情況を想定してよかろう。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の周防内侍の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、従来諸註が詞書の関係で「腕」の意の「かひな」が隠してあることに触れるだけで、「つまらない」と解してきた「かひなく」について、多くの例を引きながら「今まで名誉を護って来たことも何にもならず」の意味であると主張しています。こうした主張の根拠を考えると、著者は詞書にあるような宮廷生活の中でのからかいに対する応酬と言う場面から、この歌を切り離して妖艶な歌として理解したいためだと言えるでしょう。「かひな」という言葉を生かすために、非常に軽い意味で「かひなく」が撰ばれているということを、おそらく否定したいということのようです。道綱の母の歌「嘆きつつ」や、小式部内侍「大江山」などを見る限り、詞書が伝える場面によって修辞が明らかになって詠作意図が明確になる以上、詞書から切り離して深読みしていくことが適切ではないような気もいたします。


なお、「春の夜の」を「夢」に掛かるとする説は古くからあり、細川幽斎や契沖などが唱えていたようで、これに対して「春の夜の」を「手枕」に掛かるとするのは戸田茂睡や尾崎雅嘉だったようですが、石田吉貞氏『百人一首評解』(有精堂、1956年)は前者のほうが正しいと指摘しています。著者は例によって両方に掛かるという意見です。また、宗祇や松永貞徳・北村季吟などは「かひなく」に「かひな」を詠み入れていることを否定していたようですが、契沖以降は忠家の返歌にも「かひなく」とあることも踏まえて「かひな」が入っているとされたようで、これを石田吉貞氏は妥当だと判定していて、近年では異論は出ていないようです。また、通説では二条院は藤原教通の邸とされていましたが、井上宗雄氏『小倉百人一首』(旺文社、1975年)が後冷泉天皇の中宮だった章子内親王の邸であると指摘して以来、こちらが支持されたようです。


〔蛇足の蛇足〕

『千載集』巻第十六・雑上 961番

  二月ばかり月のあかき夜、二条院にて人々あまたゐあかして物語など

  し侍りけるに、内侍周防よりふして枕をがなと忍びやかにいふを

  聞きて、大納言忠家、これを枕にとて、かひなを御簾の下より差し

  入れて侍りければ、詠み侍りける     周防内侍

春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ


二句目の「夢ばかりなる」という表現は、「ほんのはかない夢のような」の意なのでしょう。日本語の「夢」はいろんな意味がありまして、いわゆる多義語ですが、ここは夜見る夢のことであり、はかなく、現実感の乏しいものを象徴させたものです。「手枕」は現代語では「てまくら」ですが、古語としては「たまくら」と読みます。読みが相違するばかりか、意味も相違していたようです。現代語では、自分の頭を自分の腕に乗せることを言うのが普通のはずです。周防内侍の歌の「手枕」は、現代では「腕枕」に相当するもので、共寝の相手の頭を自分の腕に乗せてあげる、もしくは乗せてもらうものであったはずなのです。「たまくら」「てまくら」「うでまくら」の問題は、注釈書は論じませんので、思いつきで書いてみましたので、間違っていたらご容赦いただきたいものです。「かひなく」は「何の効果もなく」「つまらなく」ということ。噂になっても、婚姻関係に発展するような深い関係ではなく、ゴシップとして扱われる無意味さを言うかと思います。


ここで取り上げている歌というのは、もちろん和歌と称される、五七五七七、全部でたった三十一音の定型詩なんですけれども、当時は歌われて流行したはずなんですね。出来てすぐにもてはやされた物、後からじわじわ人気の出たものもあるでしょう。歌そのものの完成度が高いものもあるけれども、当時の世相であるとか、歌人自体の人気にも左右されていたと思います。それは、現在の歌謡曲と同じだと思いますが、周防内侍の歌の場合、状況が分からないと、仕込まれている掛詞が分からないと言うことがあります。掛詞を気にしなくても、解釈がすんなりできてしまいまして、それはそれでいい歌なのであります。手枕が、自分のではなくて、誰か異性のしてくれた手枕ということで、二人が関係したことを暗示するんであります。実は掛詞は要らないかも知れない、という点で面白い歌なのかも知れません。 


掛詞が分からなくても一首の意味が分かるという点では、道綱の母の「なげきつつ」の歌も全く同じでした。掛詞を目立たなく忍ばせるという利点は、事情を知る人と知らない人とで一首の理解が雲泥の違いを生むということなのかもしれません。小式部内侍の「大江山」の歌もそうで、詞書がなければ「まだ文も見ず」には気付かないかもしれないのであります。詞書と言いますか、歌の詠まれた場面を限定することによって、修辞の面白さが際立つというのが、王朝和歌の特色とも言えるでしょう。


周防内侍の歌は、歌だけ見ておりますと、ばりばりの恋の歌なんですが、実は勅撰集では恋の歌に入っておりません。『千載集』の巻十六・雑歌上というところに入っておりまして、そこには『百人一首』の歌がごろごろしている感じがするんであります。周防内侍のこの「春の夜の」という歌は、贈答歌の贈歌でありまして、返歌を返しているのは大納言忠家です。この人は藤原俊成の祖父に当たると言うことですから、『千載集』の撰者である俊成さんとしては、是非とも入れたかった歌なのかも知れません。『百人一首』を選んだ定家も、『千載集』の撰集の手伝いをしたとされていますから、よく知っている先祖にまつわる馴染みの歌であったと言うことかも知れません。藤原俊成の父は、俊忠です。その俊忠の父が忠家なので、忠家は俊成の祖父に当るということになります。なお、この忠家はあの御堂関白藤原道長の孫に当たります。系譜としては、道長――長家――忠家――俊忠――俊成――定家――為家となります。この系統の長家以降を「御子左家」と呼びますが、歌道家として重きをなした一族です。


二条院というところで明月の晩に徹夜で話などをしていた時の事だそうですから、平安時代の文学作品に出て来る典型的な状況です。周防内侍が「枕がほしいわ」とつぶやいたら、大納言忠家が「これをどうぞ」と腕を簾の下から差し入れたと言うのであります。だから、「かひなし」のところに、実は「かひな(腕)」が入っているわけで、こう言うのを「物の名」「隠し題」などと言うのであります。掛詞の一種ではありますが、遊びの要素が強いと言うことです。「名こそ惜しけれ」というのは、「評判が残念だ」ということですけれども、いつの時代も風評と言いますか、噂によって傷ついたり、不快な思いをすることはあるわけです。人間関係が壊れるような不倫であったり、本命がいるのに浮気をしたというような軽薄な行動が前提の歌ですから、「かひなく名が立つ」のは困るという歌です。


春の夜の 戯れ程度の 腕枕 かひなく立てる 名ぞ惜しまるる(粗忽改造)

     ※立てる=「る」は完了の助動詞「り」の連体形。「立ちたる」とほぼ同義。


周防の内侍の歌の「立たむ」の「む」は、婉曲の助動詞の連体形ということになりますが、これは未来の時制を表しておりまして、普通は「~ような」と訳すわけですけれども、いっそ仮定条件にして「もし~たら」と訳した方がいいかもしれないのであります。「つまらなく噂になったら、それは残念だ」ということで、今なら「文春砲を浴びる」ということであります。何年も前の事ですが、ラジオのパーソナリティを務めていた女優の方が文春砲を浴びたことがありまして、その時の放送で出て来た本音が生々しいものでした。たぶん録音によるものではなくて、生放送だったと思います。記事が出て一日も経たないようなすぐの放送の冒頭で、彼女が低い声で「飯がまずい」と漏らしましたが、ここの「かひなく」はそういう飯がまずくなる「メシマズ」の状態を言うのでありましょう。言い換えると、「つまらない」ということで、よろしいでしょうか。


春の夜の うつつに借りし 手枕に かひなく立ちし 名はからかりき(粗忽謹製)


周防内侍の場合は、「うっかり手枕を受け入れたら、つまらない浮名が立ちそうで残念だ」と、軽やかに恋の矢を避けておりますが、避けきれなかった場合には、世間の誹謗中傷の矢の雨に傷だらけになってしまいます。「からかりき」というのは「からし(辛し)」という形容詞の連用形に、過去の助動詞の終止形「き」がついて、これで「精神的にきつかった」という意味になるはずです。以前取り上げた北原白秋も、過去の不倫騒動では傷だらけになっていたことだろうと想像いたします。立ち直るためには、相当な精神力が必要だったでしょうね。  

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