超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(54) 高階貴子
忘れじの行末までは難ければ今日を限りの命ともがな 儀同三司母
(新古今、恋三、1149)
〔釈義〕
(私をいつまでも)忘れまいとおっしゃって下さる(あなた様の今のお気持は、誠に此の上もなくうれしうございますが、そのいつまでもとおっしゃる)遠い将来まで(今のお気持通りであり続けるということ)はむずかしい世の慣わしでございますので、(私は)いっそ、(いつまでもわすれまいとのあなた様のお言葉で、今幸福の絶頂にある)今日を限りに(、この歓びに満たされたままで)死んでゆく、はかないわが命であるということででもあったらなあと思います。(そうなったら、私はあなた様に忘れられる悲しみを味わうことなく、全く私の生涯は幸福に充たされるわけなのですから。何だか今余りに幸福過ぎて、将来が空恐ろしい気持がするのでございます。)
〔義趣討究〕の要旨
① この歌は諸註で「忘れじの」を「行末」の連体修飾語としているが、「忘れじの」が「難ければ」の主語となる可能性もあるので、検討する。
② 新古今集や新勅撰集に見える「忘れじの」の用法を見ると、いわゆる連体修飾語として使われており、「忘れじと言った」の意味で下の体言に掛かっている。
③ 勅撰集に見える「難ければ」ならびに類例について検討すると、「実行がむずかしい」「実現がむずかしい」「存立がむずかしい」などの意味で、期待の充足がむずかしいとなる。
④ 以上から、この歌の上の句は「忘れじとあなたの言われるその行末(私に対する愛情に充たされたままの将来)までもは、その存立がむずかしいので」という意味である。
⑤ この歌の下の句は、「いつまでも忘れじと言われて幸福の絶頂にある今日を限りの命として、このまま消えでもしたらなあ」の意。
〔鑑賞〕の要旨
① この歌は、新古今集の詞書に「中関白かよひそめ侍りける頃」とある。王朝女性は、初恋の体験においても、愛を得た幸福を手放しで歓んでおられず、将来の愛を失う苦しみへの不安があった。
② 不安におののくあまり、現在得られる筈の歓びを受入れ得なかった人の例を、源氏物語の宇治の大君に見ることができる。これは男の心を疑う故というよりも、人間そのものへの不信の故であり、世間無常観、此界穢土観の為す所であった。
③ この歌の心を、手管的な媚態と見れば、いや味の多いものとなるであろうが、真実の心情と見れば極めて美しいものと見えて来る。
④ この歌は、恐らく夫道隆から贈られた後朝の歌への返歌であろう。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の高階貴子の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、勅撰集などから「忘れじの」という表現や「難ければ」という表現の類例を探りまして、その意味を確定しようとしております。その結果は、従来解されて来たところに落ち着きまして、特に新しい視点というような物は提示されておりません。また、これを手練手管の女性の歌であるというような見方に対しては、著者は非常に否定的でありまして、王朝女性が初恋の幸福感の中で感じることのあった不安というものを指摘しておりまして、真情を述べた美しいものとして高く評価していたようです。さらに発展的な話題として、この歌の延長線上にあるものとして、源氏物語の大君の人物造形に触れております。なお、上坂信男氏『新版百人一首・耽美の空間』(右文書院・2008年)は、この歌に関して晩年の紫の上の心情を汲み取るようで、出家を許さない光源氏に対してひたすら出家を願う心情に重なるものと見立てたようです。大君と晩年の紫の上のどちらがこの歌の内容にふさわしいかと言えば、なんとなく著者の桑田明氏のほうに軍配を上げたくなります。
〔蛇足の蛇足〕
初句と末句の部分の表現が、言葉足らずというか、かなり表現が窮屈ということは指摘できるかと思います。ただ、窮屈だから理解不能かというとそうでもなくて、言いたいことの方向はよく分かるという表現なのでありましょう。告白された今この瞬間に命が尽きたら最高よ! というような内容の歌ですから、初句・末句の省略が切迫感として感じられて、悪くはない恋の歌と考えられていたのでしょう。
「忘れじの」は、「(汝が我を永遠に)忘れじ(と誓ひし言の葉)の」と補うことは可能でしょう。ありふれた愛の誓いを相手が述べたことを省略して示したと考えてよさそうです。「命ともがな」は、「もがな」という終助詞が、「~があるといいなあ」という存在を希求する表現でありますから、「命と(言ふこと)もがな」とでも補うべきで、これを「命と言ふこともあらばうれしからまし」などと言い換えると分かりやすいのかもしれません。著者は、〔釈義〕では下の句を「今日を限りに(、この歓びに満たされたままで)死んでゆく、はかないわが命であるということででもあったらなあ」と訳しています。
ところで、この「儀同三司母」という作者名を見ても、誰なのかさっぱり分かりません。この儀同三司というのは、准大臣という地位なんですが、歴史的にはこれが藤原伊周さんのことであります。伊周というのは「これちか」と読むらしいんですが、古典が相当好きでないと、この貴族が誰かも分からないと言うことがあるでしょう。『枕草子』なら誰もがご存じですが、その作者は清少納言であります。清少納言がお仕えしたのが藤原定子というお姫様で、この人は一条天皇のお后だった人であります。『枕草子』というのは、この藤原定子のことを書いた随筆でありまして、この定子様のお兄さんが藤原伊周なのです。ということは、歌の作者である儀同三司母というのは、定子様のお母さんと言うことです。
つまり、「儀同三司母」というのは、高階貴子というまるで現代人のようなお名前が知られている人でありまして、たぶん高階氏は学者の系統で、定子や伊周などの知的な側面はこの母方の影響もあったはずであります。高階貴子は漢詩文が作れた稀有な女性らしいのでありまして、とびきりの才女だったと思っていいわけです。伊周が花山院襲撃事件の犯人として逮捕され流刑に処せられた時に、逢いたい逢いたいと切望して、結局播磨国から京都に潜入して再逮捕される原因を作ったお母さんがこの人であったはずですね。
流刑に処せられた息子に逢いたいという点だけなら、子離れの出来ない権力者の妻というような人物像から一歩も踏み外していません。わがままなんですけれども、漢詩文をものする女性というフィルターを掛けると、わがままを周囲は諫められません。
『百人一首』においては前にも出てきましたが、「もがな」という終助詞が曲者でありますね。諸注は、この歌に関して基本的には「命ともがな」を「命であって欲しい」と訳すんですけれども、特に否定する根拠もないのでありますが、積極的に肯定する気持ちにもなりません。というのも、そうなると格助詞の「と」の働きは雲散霧消しているわけで、何となく適当に訳しているという感じはぬぐえないのであります。「と」がどういう働きなのか鮮明にすればいいのに、という気がいたします。
「と」は「言ふ」とか「思ふ」とか、そういう言動を引用するのが基本であります。上にも解説しましたが、「もがな」というのは、無い物ねだりの語法でありまして、「~があるといいなあ」とか「~がいるといいなあ」というような、わがままを披露するんであります。そうすると「今日を限りの命と(言ふこと)もがな」などと補うと、恋の不安におののく心情がくみ取れるんじゃないでしょうか。常識として、ここでいきなり死ぬことなんてありえないけれど、愛の告白を受けたところで命が絶えるなんてことがあるといいなあと常識はずれが成立することを希求するわけです。「と」を無視して訳していても、「永遠の愛が無理なら死んじゃいたい」ということには違いがないと、言えば言えるんですけれども、「と」があることによって、理性と感情の間で揺れ動く雰囲気が出て来るように思います。
歌の内容が直感的に分かってしまうので、細かいところの解釈が従来の注釈は雑なのでしょうね。
この「ともがな」の問題に対しては、小田勝氏『百人一首で文法談義』(和泉書院、2021年刊)も取り上げていて、それによると「と」は断定の助動詞「たり」の連用形の「と」であると説明されておりまして、その根拠についても例を挙げてあります。「とあり」から「たり」という形になったという断定の助動詞でありまして、だとすると諸注釈がここを「であってほしい」と訳すのも別にかまわないという結論になりそうです。気になるのは、「たり」という断定の助動詞は漢文脈で使われるものであったはずで、それが和歌の中に出て来てしまって大丈夫なのかと言う点と、もう一つは「とあり」から来て「たり」の連用形として残存した「と」だと見るわけですが、そうなるともともとは格助詞ということですから、格助詞と説明してはいけないのかどうかということかもしれません。念のため、「と」を「たり」の一部だとするなら、次のように考える必要があるということかもしれません。補う「ある」の代わりに「言ふ」を使うと、解釈の結論は同じ事に成りそうですが、そう考えてはいけないのかどうか。
忘れじの 行末までは 難ければ 今日を限りの 命と(あること)もがな
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