超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(59) 赤染衛門

やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな     赤染衛門

       (後拾遺、恋二、680)(馬内侍集23870)


〔釈義〕

(あなた様のお出でなさるというお言葉さえなかったら、私は)ためらわないで寝てしまった(でしょうし、そうした)らよかったでしょうに、(お出で下さるというお言葉があったものだから、私はそれではと端近くに出て、お迎えかたがた月を見ることにしましたの。ところがいつまで待ってもあなた様はお出で下さらないものだから、そんな状態で長い)夜が更けていって、(月の出は遅かったのに、その)月がとうとう西空に傾いてゆく(し、夜も明けかかる、それ)までのやたら長い時間の月見を(私は)してしまったことですわなあ。(お蔭で月見は十二分にしましたけれど、私の心はどんなに満たされないで、あなた様をお恨み申しているか、おわかり頂けましょうね。)


〔義趣討究〕の要旨

① この歌は、後拾遺集の詞書に「中関白少将に侍りける時、はらからなる人に物言い渡り侍りけり。たのめて来ざりけるつとめて、女にかはりてよめる」とあり、作者が妹(又は姉)に代って詠んだ閨怨の歌である。「まし」は反実仮想の意味をあらわす。三句以下は、男を待ってやっと寝たという歌意ではなく、長い時間月を見たことを強調している。

② この歌の「さ夜ふけて月が傾く」というのは何時頃で、また何日頃の月かを考察すると、夜ふけて沈む月は上弦以後満月以前の月になりそうだが、歌によっては「夜更けて出る月」「寝待の月」であって、有明月を意味している。有明月の方が怨情の深さがあらわれる。

③ この歌では長い時間月を見たことを嘆じているが、男を待つのが目的であり、そのために見たくもない月を見せられてしまったというのではなく、月見も一つの目的でそれは十分果たしたということになる。

④ 積極的に月見を志していたのではないが、男を待つ間のすさびであり、出迎えをする心意気もあり、待ち人に逢った時の語り草になることを期待しての行為である。いくら待っても男は来ないとなると、月は鑑賞の対象ではなく、心を焦立たせる冷淡な対象になる。結果的には非情な月を愚かにも見続けたことになる。この歌の詠嘆は、このような心情の推移を宿す。


〔鑑賞〕の要旨

① この歌は、代作とはいえ、作者が女主人公その人になり切っている。女主人公である美女が、男からの便りに胸躍らせ、日の暮れるのを待ち、遅い月の出を迎えて端近に出て男の来訪を待ちわびながら月を見る。時間の経過とともに不安と焦燥、思い直しという過程を繰り返しながら夜明けを迎えて絶望に陥る。月は夜空を滞らずに流れ渡ってゆき、始終輝く光を送っている。

② この歌は、後半は現実の事態を直叙したもので主観的な心情を示さず、具体的な心情を場面に委ねた客観描写の手法であり、男を怨じ責めるばかりでなく、月を徹夜で鑑賞したという苦笑や、月見が自分の意志でした行為で、どうにもならぬ成行であったという複雑な心情の経緯をあらわし得た。自分を見つめる心のゆとりと優しさが、相手を責める気持を抑え、客観的な描写に結実した。


〔蛇足〕

以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の赤染衛門の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、和歌に詠まれている時間と、見ている月がどういう月なのかを検討し、上弦の月から満月までの月という可能性も指摘しつつ、有明月を詠んだものであり、それも夜明けになってしまった場面を詠んだと結論付けています。後拾遺集の詞書には、代作であることや、相手の男性の素性、更に来ると言って来なかった事情などが書いてありますが、眺めた月がどういう月なのか不明でありますし、また「かたぶくまでの月」を見たとあるだけで時間も分かりませんので、そこを著者は追究したのであります。結局のところは、例えばこれが満月であっても構わないわけで、「傾く」というのが月の南中以降であればいいわけで、従来の注釈書は踏み込んでいないのであります。著者が言うように、仮に有明月だとすると、深夜を超えて夜明けを迎えることになりますから、満月以降は心情的に深刻になるということなのであります。


著者も言っているように、歌の後半は客観的な状況を述べているだけで、相手を責めていないというところが見どころかも知れません。面白いのは、上の句の「やすらはで寝なましものを」でありまして、不実なあなたを待たずにさっさと寝ればよかった、と言っているわけで、はたしてこれを本当に翌朝男に向って送り届けてよいのかというと、実は非常にまずいことでしょう。著者は、そのあたりの皮肉と言うか、宮廷女房のユーモアについては言及していません。


〔蛇足の蛇足〕

初句の「やすらはで」の部分は、四段活用動詞「やすらふ」の未然形に、打消しの接続助詞「で」が付いたものです。「やすらふ」は、「ぐずぐずする・ためらう」という意味の動詞で、現代語には残らなかったものの一つです。二句目の「寝なましものを」の部分は単語が四つで構成されていますが、下二段動詞「寝(ぬ)」の連用形に、完了・強意の助動詞「ぬ」の未然形「な」が付き、反実仮想の助動詞の連体形「まし」、接続助詞「ものを」がさらに付いています。以上から上の句は「ぐずぐずしないで寝てしまえばよかったのに」という後悔の表現となり、実際はどうなのかというと、「ぐずぐずして寝ずに過ごして来た」ということが分かる表現です。


評釈の後半に出て来る詞書の「同胞なる人(はらからなるひと)」は、赤染衛門の実の姉妹で、両親がまったく同一ということを意味するはずですが、出生に問題のある赤染衛門ということを考えると、必ずしも真実ではないかもしれません。やはり詞書に出て来る「頼めて」も、「約束して、あてにさせて」の意で、これも現代語とは意味が違っております。


上二句の解釈が、古語や古典文法を知らないと難しいのですが、古典を普通に読んでいれば、これは難しくない歌であります。つまり、当時の標準語で、すらすらと詠んだ歌でありましょう。赤染衛門は、『栄花物語』前半の作者と見られていますが、平安時代を特徴づける係り結びなどは、赤染衛門が活躍した頃に盛んに使われたものですから、古典文法は『栄花物語』の文章をもとに考えるのが筋だと耳にしたことがあります。とすれば、古文を読み慣れたら『栄花物語』はすらすら読めるわけで、それなら赤染衛門が詠んだこの歌も、難なく読めるというわけです。


詞書によれば、この歌は姉妹のために代作した歌でありますが、歌の返事ではなくて、女との約束を反古にした男の行動を責める歌なのであります。筆の立つ女性が、物語の一場面を書くように、さりげなく作った歌でありまして、独白、独詠の表現になっております。つまり、これはちょっと新鮮な歌なのであります。何となく相手に期待など掛けないで、自立している気配が濃厚なのであります。


作者に疑惑があるらしいのですが、誰にしてもこの作者の精神構造はなかなかなものではないでしょうか。「やすらふ」は、ぐずぐずためらう、ということでありまして、「まし」は反実仮想の助動詞ですが、ここは「~たらよかった」という意味でしょう。「ためらわずに寝てしまえばよかったのに、私ときたら夜が更けて沈みかけの月を見たことよ」というのです。別に男に贈ったとしても効果があるような歌ではなくて、女心の機微を丁寧に掬い取ったような内容でありまして、ひょっとすると宮廷女房たちの愛唱歌ではなかったのかという気がいたします。


赤染衛門という人は、赤染時用の娘でありますが、藤原道長の妻であった倫子にお仕えしたことで知られています。夫は学者肌の大江匡衡でありまして、その妻として当時を代表する知的な女性であります。どうも同性からの信頼が篤かったようでありまして、和泉式部から人生相談を受けたことがあるんであります。和泉式部は、長保五年(1003)に敦道親王と恋に落ちるんでありますが、実はれっきとした不倫でありました。『和泉式部日記』には夫のことなど少しも出て来ないのですが、実は不倫のさなかに夫に捨てられているんです。橘道貞という国守階級だった夫は、ちょうどこの時陸奥守になりまして、赴任地に向けて出発しようとしていたんです。和泉式部は、どうしたらいいのかと赤染衛門に相談しましたが、アドバイスはズバリ、高貴な宮様なんか当てにならないから、夫に付いて行きなさいと言うようなことでありました。京都から尾張(今の名古屋)くらいまで追いかけて、振り捨てられているのであります。このことは、和泉式部と赤染衛門の歌集から復元できるそうですが、昔聞きかじったものを書きましたので、事実かどうか、まったく自信がありません。つまり、日記では宮様と熱々なんですが、実はそうでもなかったらしく、単なる火遊びだったのでしょう。身分を超えた美しい不倫なんて、日記の中にしか存在しないということでしょう。


日記は本当のことを書くためのものではなくて、都合のいいことを集めてみたものに過ぎないと言うことなのでありましょう。ちなみに、『和泉式部日記』は純粋な一人称の語りではなく、宮さまと女を主人公とする三人称を主語とする物語形式でありまして、伝本も『和泉式部物語』とあるものが結構多いと聞きました。じゃあ、事情を知っている赤染衛門が書いていても不思議はないのですが、赤染衛門作者説は誰も唱えてはいなかったと記憶しています。 

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