超分厚い『百人一首』の注釈書を読んでみる(58) 大弐三位
有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする 大貮三位
(後拾遺、恋二、709)
〔釈義〕
(あなたは私を頼りないなどとおっしゃいますが、そんなことを仰しゃるあなたこそ気もそぞろでおありなさることは、ご自身がよくご存じの筈。あなたにそんなことを言われた私は、何だか遠く旅に出て独りぼっちで他国の空をさ迷っているような気持です。考えてもご覧になって。)有馬山(を越えて)猪名の笹原(をとぼとぼと旅している時)に(、秋の)風が吹くと、(そよそよと笹の葉が音を立てる、それを聞くにつけても、)いやもう、(私に飽きて、)そよそよ(―それよそれよ)と、(次々に)あだし人に心を移してゆかれる(あなたという)お人のことを、忘れるものでありますことか。(私は胸かきむしられる思いがするのです。ちっとはお慎みあって、私を顧みて下さってもよいではございませんか。)
〔釈義〕の要旨
有馬山を越えて猪名の笹原をとぼとぼと旅している時に、秋の風が吹くと、いやもう、私に飽きて、それよそれよと次々にあだし人に心を移してゆかれるあなたのことを、わすれるものでありますことか。
〔義趣討究〕の要旨
① この歌は、後拾遺集の詞書に「かれがれなる男のおぼつかなくなどいひたりけるによめる」とあり、古来上の句を「そよ」の序とし、「そよ」は相手の「おぼつかなく思う」といったことをそのまま取り上げて「それよ、おぼつかないと仰しゃるその詞を、そのままあなたに返上します」と竹箆返ししたもの、そして「人を忘れやはする」を「私はあなたを忘れるものですか」の意に解しているが、疑問である。
② 「猪名」には「いな(否)」を掛けていると見る説もあるが、「ゐ」は平安時代には「い」と発音が違っていたので、採用できない。
③ 「風吹けば」の形で「そよ」の序となるのは穏当ではなく、それなら「吹く風の」「風吹きて」であるべきだ。「そよ」は、詞書を踏まえているとされるが、この歌を詞書を離れて読むなら、「そよ」の「そ」は下の「人を忘れやはする」を指し、強調するために「それだよ」と予告したのだろう。「風吹けば」は「人を忘れやはする」と呼応し、呼応した部分を強調したのである。
④ 以上のように考えると、「そよ」は相手の言うことを認める意味は消失し、また「そよ」を擬音語「そよ」との懸詞とは見ることが出来ず、上の句は序ではないという推定が出来る。
⑤ 「風吹けば」を受けて「人を忘れやはする」とあるが、そこには必然の理由が見当たらないので、それをわざわざ「そよ」と強調することはあり得ない。そこで、この歌では、詞書の「かれがれなる男」の意味をあらわす「そよ人」という複合語が使われており、「そよと物言う人=それよと人に心を移して物言う人」の意味を持たせてあり、猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと音を立てる、それを聞くにつけて「そよ人」のことが思い出されずにはいない、何で「そよ人」を忘れるものかとなる。
⑥ 「いで」は新たな意識に心動くことをあらわす感動詞で、新しい事態を出現させることに心動いたとき、事態のあり方の新たな認識に心動いた時、新しい事態を話題に持出すことに心動いた時などに用いられるが、ここは事態のあり方の否定的な認識に心動いた時の例である。
⑦ この歌では、地名「猪名」の枕詞「しなが鳥」を使わずに「有馬山」を持ち出しているが、それは男心の秋を感じ孤独の感を起して、独り有馬山、猪名野旅をして行く気持を出したのだろう。
〔鑑賞〕の要旨
① この歌は、不実な男が逆に自分を疑って来たのに対して、一矢酬いたものであるが、自分の貞操堅固であることを釈明するとともに、相手の不実を責めることを意図するものである。
② この歌の有馬山・猪名の笹原の旅は、男の愛を失った貴族女性が失意を紛らわせるための有馬入湯の旅ということになる。笹原に風が吹いてそよそよと揺れる音に、作者は「そよ人」の心を感じ取る。
③ この歌は通解のような軽妙なものではなく、深く、優しく、悲しいもので、「そよ人を忘れやはする」と、怨恨を懐きながら慕情をどうすることも出来ない悲痛な告白をするのである。これは相手の心に強くはたらきかける効果的な言い方だと思われる。
〔蛇足〕
以上は、昭和54年(1979)に風間書房から刊行された桑田明氏の著作『義趣討究 小倉百人一首釈賞 ―文学文法探求の証跡として―』の大弐三位の歌に対する注釈を、勝手にまとめたものでありまして、実際には、和歌の文法的な構造を記号で示した部分や、さらに音調面の分析などがありましたが、それらを今回もまた乱暴にそぎ落としております。今回も〔釈義〕と〔義趣討究〕・〔鑑賞〕の三段階で分析したものですが、今回の〔義趣討究〕や〔鑑賞〕では、従来の上の句を「そよ」を導く枕詞とする説を退け、また詞書の「おぼつかなく」を受けて「そよ」と言っているという説も否定しまして、新たに「そよ人」という詞がここに使われているのだと主張しております。「そよ人」という詞は、著者の説明によれば「浮気な男」のことらしく、詞書にある「かれがれなる男」を表現したものということになります。よって、「そよ人を忘れやはする」という和歌の末尾は、〔釈義〕によると「次々にあだし人に心を移してゆかれるあなたというお人のことを、忘れるものでありますことか」という内容のようです。要するに、「浮気なあなたを忘れないわよ」と責めているのだというのが、著者の結論なのであります。
それにしても、「そよ人」という造語を思いついて、自らその詞について意味を与え、ほぼ千年前に詠まれた秀歌に対して新解釈を披露するというのは、なかなか奇抜でありましょう。柔軟と言えば柔軟なんでありますけれども、上の句は有馬温泉に入湯した時の旅であるというような解説も含めて、著者の立論のあり方は非常に奇妙なものであります。摂津の国の名所が詠み込まれたことについては、近年の他の注釈書にも男が摂津の守だからとか、男の贈歌に名所が詠まれていたのだとする説がありますから、一笑に付すほどではありませんが、こうした議論を誘発しかねない解釈の行き届かなさが、この歌に感じられるのは確かなことなのであります。
後拾遺集・巻12・恋二・709
かれがれなる男のおぼつかなくなどいひたるに詠める 大弐三位
ありま山 ゐなのささ原 風吹けば いで そよ 人を 忘れやはする
著者の解釈の迷走というのは、おそらくこの後拾遺集の詞書が延々と誤読されてきたことにあると思われます。たとえば、島津忠夫氏『新版百人一首』(角川ソフィア文庫、1969年初版、1999年新版)などには、
『後拾遺集』の詞書から知られるように、足遠になっていた男が、お前の心だっていぶかしいものだといったのに対する歌。
こういうふうに詞書を解するならば、「人を忘れやはする」を「あなたを忘れていないわよ」と返して、しっぺ返しをしたとか、鋭い切り返しをしたというような通説の考え方が出てくるわけで、それを軽快だ見るような見方になりまして、著者はこれに反発して立論したようです。「そよ人」という造語を作り出した結果、「浮気なあなたを忘れないわよ」という解釈に辿り着いて、怨恨を懐いている女性の歌として提示していますが、従来の通説も、著者の「とんでも」新説もおそらくは、後拾遺集の詞書を誤って解釈していることから生まれたものと思われます。
つごもりがたに、「いとおぼつかなくなりにけるを、などか時々は。人数におぼさぬなめり。」(『和泉式部日記』長保五年(1003年)、七月)
かくてつごもりがたにぞ御文ある。日ごろのおぼつかなさなどいひて、(同九月)
大弐三位と同時代人の和泉式部の作品を見ると分かりますが、「おぼつかなし」という形容詞は、手紙の前文にしたためる決まり文句として使われるものであります。客観的に何かを形容する時は、「はっきりしない・不安だ・いぶかしい」というような意味ですが、恋愛における主観的な心情表現としては、「ご無沙汰していて、逢いたい、じれったい」というような主に男性側の焦燥感と言いますか、お詫びの言葉なのであります。だから、後拾遺集の詞書でも「おぼつかなく」という一節だけが引用の形になっているわけで、これが手紙の定型文だと気付かないのが、従来の注釈の落ち度であります。『和泉式部日記』では、和泉式部と敦道親王の交際は四月から続いておりますが、諸事情で何日か逢えないことがあると、この「おぼつかなし」という形容詞を使った手紙が届きます。こうした場合、敦道親王は「ひさしうもなりぬるかな」などと嘆きまして逢いにくるわけです。つまり、恋愛中の男女は数日逢えないと「日ごろになりぬ」などと不満を言い出すわけですから、「かれがれなる」という詞を真に受けて、関係が途絶している表現だと思い込むと、「おぼつかなく」の解釈もいきなり深刻な内容に取りかねないのであります。逢えない数日を、大げさに表現するのが、恋愛特有の異常な心理状態によるものだと分らないと駄目なんですね。後拾遺集の詞書は、
何日か訪問の途切れた彼が、「ご無沙汰していて、逢いたくなったよ」などと言って来たので詠んだ歌(粗忽謹訳)
と解するべきもので、やっと連絡して来た、やれやれ、というような印象をもつべきもののはずなのです。この大弐三位の歌は、後拾遺集の恋の二の末尾のあたりの歌でありますけれども、前後は深刻ぶった歌が多いんですが、実は恋の二ですから、恋愛が進行して深みにはまり、相手の訪問を待ちに待っている歌や、訪問がないので悲歎すると言った歌でありまして、決して恋愛の収束を詠んだ恨みの歌ではないのであります。従来の注釈は、配列も気にしませんし、ましてや男女の恋文の定型文に使われる「おぼつかなし」には気付いていないということなのです。
従来の説で対立しているのは、上三句が単に「そよ」を導く無心の序詞なのか、それとも何か意味のある有心の序なのかという点ですが、有心の序とする場合には、契沖などは有馬山を男、猪名のささ原を女とするようですから、広くは受け入れられておりません。思うんですが、この上三句はもっと簡単な序詞で、「風」が男からの「文」を指しまして、「風が吹けば人を忘れず」と訪問を受諾する軽快な返事なのでありましょう。「そよ」というのは、「そうなのよ」でもいいですけれども、「こうなのよ」「期待通りよ」という色よい返事でありましょう。宮廷女房などが、局に深夜恋人が訪問してきて、「候ふや」などと声を掛けて来たら、「そよ」と返事をするのではなかったでしょうか。「ありまやま」の「あり」は、安否を問う言葉というか、機嫌を図る言葉でありまして、「元気?」「ご機嫌いかが」に相当するのでありましょう。「いで、人を忘れやはする」と最大限の歓迎を示す言葉の間に、「そよ」という肯定の言葉を入れまして、宮廷生活の長かった大弐三位らしい、ユーモアに富んだ大胆な口語風の歌なのであります。「そよ」は、だから「もちろん」とか「言うまでもありません」とか、「こうだわよ」というような言葉だと思いますが、何か反論はございますか?
〔蛇足の蛇足〕
さて、この歌には思い出があります。私が歌の解釈を習った先生というのは、決して有名な方ではないのであります。しかし、それなりの業績が他の分野にあって、知っている人はよく知っているというような大学教授です。その方がこの歌に関して、解けた解けた、分かったぞと口走っておられた時があったんですね。思わせぶりな感じなんですけれども、私が弟子の集団に加わったばかりで、どう突っ込みを入れていいものかわからず、そのままになったのであります。何が分かったんでありましょうね。ひょっとして、ものすごい新見解だったのかも知れませんが、今となっては藪の中、笹原のなかなのであります。
作者は、紫式部のお嬢さんであります。親子で、連番でありまして、破格の待遇かも知れません。紫式部が藤原道長の周辺から失脚した時の話というのがあるのであります。『紫式部日記』の途中に非常に問題のある朝の描写がありまして、それまで通ってきた藤原道長が、ある晩を境に紫式部を捨てたのではないか、というような推理をする研究者がいたのであります。『紫式部日記』を鋭く読み込みまして、カラーマーカーを二本手に持ちまして、色鮮やかに閨房の秘密を暴いたのであります。それは、そのまま単行本となって書店に並びました。私が、マーカーに染まった『紫式部日記』のテキストを見せてもらったこと自体が奇跡のようなお話なのであります。こちらも別の大学教授ですが、解けた解けた、分かったぞと叫んでいたのであります。
古典の研究が楽しくてしょうがないというようなことは、今はあるのでしょうか?
さてさて、何か問題があるとすれば、「いで」「そよ」の解釈であることは、間違いありません。「そよ」は「笹原」の縁語でありまして、「そよそよ」という擬音語に通じることは間違いないのですが、実際の意味がどこまで確定できるか、むずかしいことでしょうね。「忘れやはする」というのは「やは」が強い疑問、さらに反語でありますから、「忘れるものか」「忘れないわよ」ということで、ここは解釈は揺れませんが、それがどういう心情を表現しているのかについては、受け止め方の個人差が出て来るでしょう。人生体験の違いが、思わぬ理解の差を生むわけです。つまり、嫌みたっぷりの皮肉なのか、愛情たっぷりの愛嬌なのか、真っ二つかも知れませんね。実は、この歌は、『後拾遺集』の巻第十二、恋二にありますから、相思相愛の歌に近いわけです。普通の勅撰集は、恋が五巻ありまして、恋の初めからお終いまでの諸相を五段階に分類しますが、今見てみたら『後拾遺集』は四巻仕立てで困りましたが、それでも嫌みの歌ではないわけです。実は、『定家八代抄』では恋の五にあって、困りましたが、それはもう無視いたしましょう。
『後拾遺集』巻第十二・恋二 709番
かれがれなるをとこの、おぼつかなくなどいひたるによめる
大弐三位
有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
詞書きがこうして『後拾遺集』に付いていますけれども、これの解釈が注釈書によってばらばら。あれれ、ばらばらだ。解釈が揺れるようには思われないのですが、どうも定番の訳を注釈者の多くは知らないようですね。それでびっくりしました。手紙文で「おぼつかなく」というのは、しばらく疎遠になった時の「ご無沙汰していて、逢いたいのでお便りします」「どう過ごしているか知りたくてじれったい」という定型文なんであります。注釈者が、定型文だと言うことに気付いていないことに、私の方がショックを受けました。「かれがれなるをとこ」というのも、そんなに深い意味はないわけで、女性から見たら毎日通わない男は、みんな「離れ離れなる男」でありまして、仕事だつきあいだ帝のお伴だ宴会だと分かっていても、なんで来ないの?と思っているわけです。これを深刻な状況に取るから、それぞれに間違うんであります。
ここには、和歌の研究者の、和歌を扱う時の構造的な欠陥があると思います。学者さんの弱みがあるわけです。一言で言うと世間知らずということかもしれませんね。えらそうに何を言い出すと叱られそうですが、このことは、のちのち論じてみますので、お楽しみに。ともかく、大弐三位に、彼から連絡が来て、その冒頭に「逢いたくてじれったい」と言うわけですから、「今日も行けないけどゴメンね」もしくは「今夜行くけどいいかな」と言って来たんですよ。それがわからないと、和歌の解釈がずれますね。もうこの指摘だけで、今日は大手柄であります。
仕上げに入りますが、でたらめな新見解であることはどなた様も了解済みでしょうから、何を言い出してもかまいませんよね。
「ご無沙汰でじれったい」とおっしゃるのね。「お前は元気で有馬山?」「いいえ、否よ、猪名の笹原よ。落ち込んでたのよ」、でもあなたからこうして「風ふけば」、「そよそよそよぐ笹原のように、そうそうそれそれ、もちろん歓迎よ」「いえいえもうけっして、あなたを忘れませんよ、ダーリン」というような、自問自答が繰り返された、コミカルな歌なのであります。「風」というのが、安否を知らせる男の手紙の比喩になっているわけです。要するに交際は右方上がり、高度経済成長中でありまして、二日や三日のご無沙汰も、連絡があれば即解消しまして、熱いラブコールを送り返したと言うことなのであります。従来の注釈書の示した理解とは、かなり隔たりのある結論ということで、よろしいでしょうか。
どうやら、この大弐三位の歌は、『万葉集』の歌の本歌取りですけれども、『百人一首』の注釈書はその指摘もあまり熱心にはしておりませんね。『後拾遺和歌集新釈』(犬養廉他著)の指摘は鋭いと思います。
有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
(『百人一首』第58番・大弐三位)
しなが鳥 猪名野を来れば 有馬山 夕霧立ちぬ 宿りはなくて
(『万葉集』巻七・1140番 『新古今集』羈旅・910番)
『万葉集』の巻七の摂津で詠んだ歌ですが、その二十首の最初に位置しております。摂津というのは、現在の大阪北部、淀川沿いと、神戸市あたりを含んだ地域でありまして、阪神などと称する所と考えればよいわけですね。有馬山は六甲山でありますが、猪名野は伊丹のあたりなんだそうです。地名のなかに「有り」と「否」が入っておりまして、その面白さがあるんでしょうね。それを利用しているわけですが、本歌を序詞にしまして、「いで」とか「そよ」とか、口語的な言葉、会話体の応答の詞を取り入れたのが大弐三位の歌の手柄なのでしょう。「いで」が割と否定的なニュアンスの感動詞ですが、「そよ」は「はいはい」というような肯定的な返事の言葉であります。これに「やは」が反語で、「忘れたりするか、忘れはしない」という対句仕立てになりますから、全体が自問自答形式になって、リズミカルで楽しい歌になっているのでありますね。「猪名」と「否」は仮名遣いが違いますが、これくらいだと乗り越えて使うのではないかと思うんですがいかがでしょうか。「しなが鳥」はいないと思ったら鳴いているよ、という解釈は邪道なんでしょうか?
詞書の誤読が拡大しまして、楽しい歌が恨み言の歌として理解されてしまったわけです。念のためもう一度確認すると、後拾遺集の四巻ある恋の歌の、その二巻目に位置するということを、忘れてはならないことでしょう。配置を無視して、さらに「おぼつかなく」を手紙の前文の挨拶言葉という枠を失うと、解釈は迷走いたします。
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