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富士山は世界遺産。(5) update ver.

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2013年5月6日 身近なところに1200年とか1000年とか、何だか気が遠くなるような長い時間を生きてきた植物を見まして、驚いてしまうと言うか、びっくりするわけです。びっくりしていて、私の中の子供の部分は地面をぴょんぴょん跳ねて踊り狂うわけですが、実際の老体は足腰にはがたが来ていて、体重も重くなり、筋肉もまったく鍛えておりませんから、その場で苦虫を噛みつぶしたような表情をするだけではないかと、自分のことながら傍目を心配するわけです。 長寿の植物は1200年・1000年変わらぬ姿で葉を茂らせ花を咲かせているでしょうに。人間はどう頑張っても120年くらいまでが限界でありまして、一個体がどんなに養生を重ねようとも150年には届かないということのようであります。それより何より、40歳を過ぎたらぼろぼろであります。ただ、草木だって枯れるものは半年くらいで枯れまして、動物に食べられたらそれきりであります。圧倒的な数の力で生き残るのかも知れませんが、フジ(藤)やカヤ(榧)には長寿を保つメカニズムが備わっていて、100年も経つと、そこから先は安定して、なかなか死なない秘密を持っていそうであります。 昨日今年初収穫のイチゴ。 今年もイチゴの季節がやって来ましたけれども、去年よりは少し早いのであります。ただし、気温の方は大したことが無いのでありまして、たぶんゴールデンウィークとしては低めではないかという気がするのであります。この地の昨日の最高気温は午後2時の23・2度、今朝の最低気温は午前5時の10・5度でありまして、これを気象庁発表の1981年から2010年までの30年平均に比較すると最高気温は0・8度高いんでありますが、最低気温は1・6度低いわけでありまして、昨日あれだけ好天に恵まれてもさほど気温は上昇しなかったのであります。 昨日暑く感じたのは、ここまでが寒かったからであります。太陽の四極化という状態が去年から始まったはずでありまして、ひょっとすると今年は涼しい夏になるのかも知れません。ただし、分かって言っているわけでもありませんので、後で暑い夏になっても私の責任ではありません。桜は早く咲きましたから、どの植物も開花が早めでありますが、ここのところの低温によってこの先はブレーキが掛かることでしょう。去年は最初のイチゴの後に間が開き、しばらくしてからわんさか花が咲きまして大収穫と...

富士山は世界遺産。(4) update ver.

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2013年5月5日 東京は豊島区に雑司ヶ谷という土地がありまして、雑司ヶ谷霊園で有名であります。その付近には鬼子母神がありまして、一般には子育ての神様と考えたらいいのかも知れません、篤く信仰されてきたようです。 鬼子母神にお参りするのに一番近いのは、もちろん都電荒川線の鬼子母神前駅であります。鬼子母神は、JR山手線からだと目白駅から徒歩10分、池袋駅からも10分くらいの所でありまして、ある意味陸の孤島であります。ただ、都電に乗れば北に4駅でJR大塚駅、南は3駅で終点の早稲田でありますから、便利な場所とも言えるのであります。今は地下鉄副都心線というものができまして、これが鬼子母神駅の真下に「雑司ヶ谷駅」を構えましたので、新宿も渋谷も、さらには横浜にも容易にアクセスできるようになったんであります。 ところが、問題なのは都電の「雑司ヶ谷駅」と一駅ずれているのでありまして、副都心線開業当時も問題になりましたが、今でも大問題でありますけれども、都電から地下鉄に、地下鉄から都電に乗り換えるというのは実際には非常に珍しいはずなので無視していいでしょうけれども、しかしなにゆえ副都心線の駅名を「鬼子母神」と命名しなかったのか、世の中には奇妙なことがあるものであります。 カヤ(榧)の木のひこばえ(のようなもの)。 地下鉄の雑司ヶ谷駅の出口にはたぶん千登世橋出口があるはずで、明治通りと目白通りが交差するところが千登世橋であります。この橋は河川を渡す橋ではなくて、いまではどこにでもある道路を立体交差した橋ですが、完成が昭和7年(1932)といいますから、その時代には非常に珍しいものだったはずであります。 この千登世橋の周辺は、その当時までは東京市の郊外で高田町と称していたようでありますけれども、その年の内に東京市豊島区に編入されて消滅しまして、学校名などにかろうじて「高田」の名前が残っているのであります。実は、池袋が繁華街になる以前は、この高田町の鬼子母神のあたりが繁華街であったはずなのでありまして、女給のいるカフェーがあったり、ビリヤード場があったりした遊興娯楽の街であったらしいのであります。 今や、古色蒼然と寂れた大正ロマンのようなものを、東京の中にあって醸していたんでありますが、地下鉄工事に加えて地上部は大きな道路を設置する用意がなされて、昔の面影はついえようとしているのであります。...

富士山は世界遺産。(3) update ver.

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2013年5月4日 いよいよイチゴが赤く熟してきまして、今年最初の収穫を迎えそうでありますけれども、やっぱり去年よりも早いのでありまして、桜も早く開花しましたが、イチゴの熟すのも早いというような、何とも言えずせっかちな春なのであります。 花粉の方はようやく少なくなったようでありまして、本日はもう窓を開け放しても構わないと感じましたので、恐るべきは本能かも知れません。5月のゴールデンウィークまで花粉が飛散するとは思っていなかったのでありまして、寝ている時に両方の鼻孔が詰まった時には、喉の奥までカラカラでありまして、ひょっとすると肺の一部も乾燥していたかも知れないのであります。そのままミイラになったらどうしてくれたんでありましょうか。鼻血の出た時もありましたし、デパートの催し物コーナーで見付けた「ハッカ油」がなかったら、どうにもならない2ヶ月でありました。 まもなく完熟予定のイチゴ。初物です。 「ハッカ油」というものを今年になるまで知らなかったのでありますが、売り子のお姉さんが熱心でありまして、すごく花粉症に効きますよと言うのでありましたが、まさか嘘でしょと疑ったんでありますけれども、教えられた通りマスクに噴霧しますと、これがまあ鼻が通ってしまうのであります。座布団に振りかけるとダニが100%死滅するというようなものでありまして、アマゾンコムで確認するとカスタマレビューは絶賛の嵐でありまして、なるほどすごいものが世の中にはあったのであります。 要するに杉などの花粉が鼻を詰まらせるアレルゲンであるなら、それを上回る刺激があればアレルゲンに対する反応が抑えられるわけでありまして、もちろんですが仕事の現場に行って何かしようとすると鼻は通るし鼻水は一時的に止まるわけで、そうした仕事という刺激と同じくらいハッカの効能は高かったということなのであります。第二次世界大戦前の日本はハッカの世界一の生産国だったのでありまして、その時のノウハウが残っておりまして、「ハッカ油」は北海道北見の会社が販売しているものなのであります。ハッカ油を1回噴霧したマスクで3時間も花粉症に有効でありまして、どうして世の中はこういうものの存在をずっと私に隠していたのでありましょう? ハッカ生産の名残は各地に残っているはずで、野生化したハッカもあるはずです。 日本のハッカ生産が世界の70%くらいに達した時期があ...

富士山は世界遺産。(2) update ver.

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2013年5月3日 ゴールデンウィークも後半になりましたが、午前中はよいお天気でありまして、物ぐさな一家も順次お出かけと相成りました。残った者が相談しまして近場の、余り疲れないところに行って見ようということになりました。もちろん、混んでいそうな幹線道路、高速道路、そういう所は避けまして、辿り着いたところが春日部であります。 もちろん「かすかべ」でありますが、「粕壁」と言うこともあったようでありまして、江戸時代に徳川幕府が整備した日光街道では日本橋を出まして、千住宿・草加宿・越ヶ谷宿を通った後に出てくる四番目の宿場「粕壁宿」だったようであります。本日は、日光街道の脇街道であります日光御成街道を経由して粕壁を目指し、帰途は日光街道を使うというような気分でありますが、果たしてこれで正確に物を言っているのか自分でも自信がありません。道案内の人が必要なんですが、何事も自分たちで試行錯誤するというのが、人生の楽しみを増すものであります。 特別天然記念物、牛島の藤。樹齢1200年余り。 岩槻から粕壁に掛けては現在の埼玉県道2号線を通ることにしましたので、人形を扱う大きなお店が目だちまして、いわゆる岩槻人形の大店があるところであります。昔は岩槻市でありましたが、すでにさいたま市に編入されまして「岩槻区」になっておりますが、合併なのか編入なのか、そのあたりの事情には疎いのであります。調べたら「編入した」ようでありまして、平成17年(2005)から市域が区に変わったようであります。県道2号線というのは元は国道16号だったそうで、バイパス道路である現在の国道16号と平行しているんでありますが、古いこの道の方が岩槻から春日部までまっすぐでありまして、ゆっくりのんびり走ることができるのであります。 春日部市内の中心部を通過して牛島地区に入りますと、まもなく牛島の藤のある藤花園でありまして、指定された駐車場にも余裕がありましたから、のんびりした気分のまま目的の場所に辿り着くというのは奇蹟のような気がいたします。途中、交差する道路が渋滞している箇所がいくつかありました。さて、お目当ての藤ですが、弘法大師が植えたかもと言う噂もあるらしいのでありますが、ともかくものすごい古木が藤棚から紫色の房をたくさんなびかせまして、初夏の風に乗って藤の花の甘い香りが漂うというような至福の時間を過ごしました。 12...

富士山は世界遺産。(1) update ver.

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今から10年前の2013年に書きしたためていた記事を、多少は編集して掲載いたします。ゴールデンウイークの頃に書いていたものですが、牧野富太郎博士の話題や、藤の古木の話題が出て来たりしますので、お暇な方にはちょうど良いのではないでしょうか。ゆっくりしていってね。 2013年5月1日 イチゴの実をご覧いただいておりまして、茶色い粒々がそれであるとお分かりになるでしょうか。あくまでも茶色い部分であります。ゆめゆめ薄い緑色の部分ではありませんので、誤解なきようにお願いしたいのであります。やがて赤く色づく部分ではないと申しているのであります。 イチゴの実というのはその赤く色づく予定の部分の表面にくっついているように見える、茶色い胡麻のようなものでありまして、それがイチゴの実なのであります。よく知っているね、って感心したようにおっしゃられても困るのでありまして、単なる受け売りであります。牧野富太郎博士のお説の勘所をちょっと写真に従って述べただけで、もちろん私だって普通に売っているイチゴの実をイチゴの実と思っておりますが、それは茎の先端が肥大したものだそうでありまして、本当の実と言いますか、種の部分は胡麻みたいな所なのであります。 つまり、植物というものは、どうもおかしな進化を遂げてきたものでありまして、花だと思ったらそれは萼の部分であったりするわけでありまして、花はおしべやめしべだと思った中央の部分だったりするのであります。全部が全部そうではないのでありますが、どうやら花が花ではないというけったいな植物が少なからずあるのであります。 イチゴの場合は、通常食べ甲斐のある部分が茎の先っぽでありまして、果実は胡麻みたいに取り付いているブツブツなのであります。ブツブツが嫌な人はイチゴの実が嫌いなのでありまして、茎の先端を囓っているということになるでしょうか。普通は、このブツブツを排除することは至難の技でありまして、だれもが邪魔だと思いながらイチゴを丸ごと食べているはずなのであります。 さて、それにしても今年のイチゴはここから大きくなるのでありましょうか。何となくこのまま熟して行くでしょうけれど、酸っぱいだけでちんちくりんのイチゴしかできないような予感があるのであります。ともかく、露地物のイチゴはこれから出回るのであります。 富士山は世界遺産に登録されましたが、美保の松原は除外されまして...

まったりと物を捨てることを考える(30)最終回 update ver.

断捨離の実践編でございます。我が相棒の実家を、結局私がしゃしゃり出て始末いたしました。最初に玄関や通路を塞いでいる家具の始末に、業者のトラックを使い5万円。市営の焼却場に荷物を三回に渡って持ち込むために、借りたレンタカー代金が合計3万円くらい。決められたゴミ捨てについては指定ゴミ袋で50袋位。そして、遺品整理の業者を使って始末しましたが、これが30万円ほど。これに大人二人の新幹線の往復交通費が20万円、宿泊費が10万円くらいかかっております。さらに、遺品整理のために宅急便で自宅まで送った送料が、10箱2万円くらいかかっています。 これが大変だと思うのか、それとも必要経費だと思うのか、人それぞれでありますが、まともにやったら、今時これくらい頑張らないと、始末が付かないのであります。高度経済成長、バブル経済、そしてバブル崩壊、そのツケがこうして回って来たのであります。練習しておいてよかったなあと思います。 2019年8月24日 今朝の天気予報を聞いていたら、もう熱帯夜にはなりませんというようなことをキャスターが言っていまして、どうやら夏も終わりの気配が漂うのであります。梅雨模様が長引いて、七月の末まで涼しいことこの上なかったのでありますが、梅雨が明けたら猛暑でありまして、それも一か月で終息と言うことなのであります。 六月七月には、とある山に通いつめまして、「山小屋」の整理に赴いたのであります。山は山なんですが、標高はめちゃめちゃ低いので、まあ例年なら行くだけで暑さでやられてしまうはずでありますが、たまたま山に登った時に限って雨が降らず、さらに山上は風が吹いて快適でありました。 「山小屋」の住人は亡くなったのでありますが、何せ鬼と言うか邪というか物の怪でありましたから、関係者が怖がって片づけをしたくないと言い張るので、しかたない、鬼も、物の怪も苦にしない私が、しゃしゃり出てゴミ屋敷状態の「山小屋」を片づけたのであります。20年くらい前に行ったことがあったんですが、その時はまだ鬼の奥様も健在で、家の中もそれなりの老人の住み処でありましたけれども、今回手を付けて見て住み汚した有様は聞きしに勝るものでありまして、最初はどこから手を付けてよいのか、皆目見当が付かないというような状況だったのであります。 麓の鉄道駅から、最初はリュック姿で山道を登って見ましたが、これがけっこう険しい...

まったりと物を捨てることを考える(29) update ver.

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2016年3月13日 しかし、なんだかんだ言いながら、捨てるべきものの多いこと、多いこと。断捨離をし始めてみて、抱え込んだものの、そのすさまじい物量にあきれてしまうわけであります。 多分、高度経済成長の頃に、「三種の神器」というものが話題になりまして、それを購入することを目標に人々は汗を流したものなのであります。この場合の「汗」というのは、スポーツクラブでエクササイズをして流すものではなくて、正しく額に汗をかいて労働にいそしんだという意味であります。その三つと言うのは白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫でありまして、確かにそれらが我が家に登場した時を、私などはそれぞれ覚えているわけですから、それまでの日本の家庭と言うのは、室内には何もなかったことが分かるわけであります。 うっかりすると、ちゃぶ台ですら新しいアイテムであって、食事は箱膳でする、という習慣で成長した世代はまだ生きているはずなのであります。「箱膳」と言うのは、各自めいめいがご飯茶碗・汁椀・小皿・箸などを箱に収めて、食事時にそれを使って食事を済ませたわけであります。いえ、私は聞いて知っているだけで、私の記憶ではもうちゃぶ台で食事をしていたのであります。 三種の神器登場以前は、たぶんラジオが神棚あたりに鎮座し、室内中央にちゃぶ台、その上にハエ取り紙、洗濯はたらいで洗濯板を使ってごしごし、スイカを井戸で冷やす程度だったのであります。布団は敷布団に掛布団くらい、それも綿は極々薄かったのじゃないでしょうか。わずか50年前の日本の8割の家庭はそういう暮らしだったはずであります。 ローズマリーの狂い咲き。 が、しかし、高度経済成長によって豊かさと言うか、高額の買い物に目覚めた日本社会は、猛烈に新しいものを買いまくるようになったわけで、「新三種の神器」ということまで話題になりました。三種の神器が行き渡るか渡らないかというタイミングで、もう次の目標に人々は突進したわけで、数年で白黒テレビはカラーテレビに買い換えられ、クーラーを買い、自家用車を買い込んだわけであります。 我が家は夏はさわやかな寒冷地でありましたから、クーラーなんて不要でありましたが、他の二つは即座に登場しました。小学校一年生の時の我が家はがらんどうだったのに、六年生のころには、カラーテレビのほかにステレオセットが登場、自家用車は二台、納屋には田植え機に刈り取り機、耕運...

まったりと物を捨てることを考える(28) update ver.

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2016年2月24日 本をある程度処分いたしましたが、まあ、焼け石に水であります。処分しにくい本が大量に残っているわけで、近ごろ買って読んだり読まなかったりした本を処分したくらいでは、見た目に何も変わらないのであります。そういうことなら、今までも盛んにやってきたことですから、自慢するほどでもないのであります。 最近よく眺めているミニマリストのブログがありまして、そこの最新記事では、50代になったら処分してしまいたいものの代表が四つ挙げてありました。 一つ目の処分したいものは、物でありまして、ダブついているガラクタを捨てようと書いてあります。 二つ目の処分したいものが、やらねばならないことでありまして、それらを捨てようということです。抽象的ですが、普通の50代なら胸に覚えのあることであります。あれこれ抱え込んでもしょうがないことでしょう。 三つ目の処分したいものが、自分が知らず知らず身に着けた習慣であります。これは、言うなれば悪しき習い性でありまして、悪癖はもう自覚的に捨てるのがよろしいということです。私は小言を言うのを止めました。 四つ目の処分したいものが友人関係、人間関係とありまして、友人・知人何て捨ててしまいなさいと言うのです。自分にプラスのない人とは、交渉を断つということが推奨されているのであります。 なるほど、この逆と言うのは、いわゆる「俗物」であります。「俗物」は世の中にたくさん生息しておりますので、生態を観察するのは簡単です。たとえば、贈り物をあげるのも貰うのも大好きで、いろんな役員などを引き受け、行った先々で他の悪口を言い散らし、そして仲間とつるんであれこれする、と言うことでありましょう。PTAとか自治体とか、サークルとかは全部そういう集まりです。そうなるとにぎやかですが、もめ事は限りないようでありまして、何をわいわい話しているかと思ったら、損をしたのなんのと恨み言だったりするわけであります。徒党を組んでいるので仲がいいのかと思ったら、実は互いに憎悪をたぎらせていたりして、その場では聞き流しますが、心の中でそういう人たちを笑います。 レンギョウもしばらくご無沙汰。 自分に合った仕事を探すという若者がおりまして、これに対して自分探しをして、さらに自分にぴったりの仕事を探すなんておかしいぞと言う大人の意見がありました。とりあえず仕事に就いて仕事に慣れて行く...

まったりと物を捨てることを考える(27) update ver.

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2016年2月18日 ニュースによると、太宰治が『人間失格』を執筆したころに住んでいたという建物が移築されるということらしいのです。1936年の11月から約七カ月住んだといような下宿であります。東京の杉並区の天沼三丁目から大分県の由布院温泉に行くそうでありまして、文学関係の施設になるという話なのです。所有者の祖父が大工さんで、非常に結構な材木を使って建てたということで、もったいないし、今でも使えるということらしいのであります。 これを聞いて、やっぱりそう言うものかと思うのは、大工さんも材木を選びまして、自分のところならきちんと建てるものだということであります。テレビ番組の「大改造!!劇的ビフォーアフター」というようなものを見ると、いかにインチキな建材で作られている家が多いかと分かりまして、驚かされることばかりなのです。近所を見ていると、一軒の家が無くなったと思うと3軒くらいささっと建ててしまう業者がいまして、その場合だいたい建売住宅であります。 つまり、出来上がった状態で買いに来る客を相手にしているわけでありますから、ひょっとすると床下や壁の中までは見ないで買うのでありましょう。だとすると、床下や壁の中は藪の中でありまして、末恐ろしい結末が待っているかもしれないのであります。ともかく、ちゃんと作ればかなり長持ちするわけでありますから、何事も魂を込めるのが大切なのでありましょう。 沈丁花。じんちょうげ、と読みます。春先の花。 太宰治は東京に家を持っていた時もあるはずでありまして、成金の子息だったのであります。普通に学校教育をうけますと、教科書で習うのは『走れメロス』でありますけれども、それを習った結果、友情に篤いメロスを太宰治の分身として理解する人が多いことでしょうけれども、実は太宰治は左翼活動に参加していたのでありますが、ある時から特高警察と内通して、仲間内の情報を漏らしていたという話が猪瀬直樹さんの本で指摘されております。 そう言えば、三鷹に遠い親戚がおりまして、その家は太宰治が出入りしたことがあると聞いているんですが、そこのお父さんは思想犯として戦時中に拘束されたんじゃなかったかと思います。太宰治を疑ったという話はありませんでしたけれども、さほど親しくもないのに出入りして来て、やがて出入りされた側が警察に捕まったとなると、今から考えるとぞっとする話ではありません...

まったりと物を捨てることを考える(26) update ver.

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2016年2月16日 いろんなものが家庭に溢れかえってしまった、ということを考えてみると、個人の資質の問題としてこれを捉えていてはいけないということがわかります。なぜならみんな困っているわけで、相当覚悟を決めて捨てまくるとか、買わないとか、何らかの処分方法を構築したり、買い込まない予防処置なりを講じておかないと、物は狭小住宅に襲い掛かり、居座ってしまうようであります。 団塊の世代が終焉を迎えまして、いよいよ家庭に積もり積もったガラクタが遺産として出現する時期が迫っております。これまでは、親に対して子供の数が多かった世代でありましたから、たとえば団塊世代は兄弟の誰かが親の家を片づければよかったのであります。まだだれかが家を継いでいた世代ですから、長男夫婦が継承しておりまして、それが片づけの主力であります。同居している孫がいればもっと簡単で、じいちゃん・ばあちゃんを懐かしんで片づけてくれたりできるわけでした。 しかしながら、団塊世代が世を去ると、もう同居している人はいなくて、どこか遠いところに住んでいる一人か二人の子供が戻って来て後始末をするのであります。危機が訪れるのはあと10年以上先でありまして、ガラクタが詰まった家が全国で一斉に空き家になるのであります。もうすでに発生していることでしょうけれども、桁違いの発生率になるのは目に見えているのであります。さて、どうするのでありましょう。 早春に出現するワラビ。灰汁抜きしないと食えないとか。 例えばの話でありますが、スキーをしたことのない人がスキーに行こうとした場合を考えます。おそらくこの場合、まずスキーウエアを買いに走るはずで、ゴーグルなんかも含めて一式しっかりと買い込むことでしょう、手練れの店員さんなら、あれもこれも奨めまして、防水スプレーだって、ホッカイロだってなんだって押し付けるかも知れないのであります。ついでにヒートテックの下着だ靴下だ、そんなものも必要な気がいたします。さて、そこまで必要なのかどうか。 実は体操用のジャージに、風よけのヤッケくらいでも、晴天で風が弱ければ、ゲレンデを滑る分には問題はないのであります。私は普通のジーパンにナイロンの膝当てをして滑ったことがありまして、吹雪でもなければそれで十分で、今時なら自宅から車でスキー場の駐車場に乗り付け、そのままひと滑りして汗をかきまして、すべて着替えればスキ...

まったりと物を捨てることを考える(25) update ver.

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2016年2月13日 何だかだるいし、何かをする気力もわかないし、こりゃあもう困ったことになったなあと思ったんですが、原因を辿ってみたら夕飯時に缶ビールを1本飲んでいたではありませんか。酔った感覚のないまま、動きが鈍くなって上機嫌なわけでありまして、上機嫌なまま寝てしまえばいいものを、何か役だつことの一つもしてみたくなって、そして無気力な感じに捉われたというわけなのであります。見事に酔いが回る場合もあるんですが、酔った感覚のないままぐずぐずとだらしなる時がありまして、年を取るというのはこういうものかもしれません。 先祖に呑兵衛がおりませんから、酒で身を崩す可能性は低いのでありますが、その代りむっつりとして影の薄い宴会嫌いばかりでありまして、その中に入ると私は結構愛想がよくて目立ちたがりで宴会好きなのであります。しかし、普通に世の中に出ると、まったく親戚縁者の振る舞いと同じでありまして、宴会向きの人格は持っていないのであります。そういう経験を経て、やがて辿り着いたのが、週に一回缶ビールの小さいのがあれば十分というような人間の姿であります。 このことを相棒が第三者に話しますと、大方の反応は「嘘おっしゃい」というようなことらしくて、飲めるけれど飲まない人がいるとは信じられないと言われるそうであります。まあ、お金があれば買って飲むけれど、特に買うお金に恵まれたことがないので、わざわざ大枚はたいて高い酒を買って飲まない、というのが真相であります。 本日のオオキバナカタバミ。 断捨離ということを考えるようになってから、なるべく飲み始めたお酒はしっかり飲み切るように心掛けているのであります。ワインや日本酒は、飲み始めはいいのでありますが、週に一度程度の飲酒だと他のことに紛れてお酒のことを忘れるわけでありまして、やがてそんなお酒が残っていたことなど忘れて、ある日流しの下などからいつ買ったか分からないようなワインの瓶などが見つかりまして、当然のことながら捨てることになるのであります。 ちょっとずつお酒の入った瓶が林立しているというのも問題でありまして、飲めない使えない酒がいくら瓶に残っていても無駄なのであります。これは本も同じでありまして、読まなかった本、読みさしの本、読み終わって二度と読む気にならない本、そう言うものが本棚に溜まっていても、実は何の価値もないのであります。ここらで意...

まったりと物を捨てることを考える(24) update ver.

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2016年2月11日 処分しようとして、どうも読まれた形跡の無い本が随分出てきましたので、暇に任せて3冊ほど読了いたしました。 その間に、最近買い求めた本を読んでおりますので同時進行で何冊もまとめ読みであります。埼玉のモールに付いて書かれた新書を読みましたが、なるほど今時の流行とか商売の盛衰を考えるのには、デパートとモールの違い、あるいは駅直結のお店と郊外型店舗、そういうことをあれこれ知らないと駄目かもしれません。知っている場所がいくつも出てきまして、自分も知らないうちに新しい施設をぼんやりと訪れていることがわかりました。 川崎ラゾーナであるとか、イオンレイクタウンであるとか、さらには大宮エキュートや品川エキュートなんかでありまして、面白いと思うのであります。新書はおととしの12月の刊行ですが、それから1年で新しい施設がどんどんできております。最近は、立川のららぽーとにも行きましたし、ちょっと前には昭島のモールも訪問しました。考えて見れば、とりあえず目的地をモールやアウトレットに定めてドライブする、というのがお手軽な観光であります。 ポイントは、駐車場が完備されていて長時間停車できるかどうかということと、食事の心配が少ないところ、服や雑貨も買いたいのでありますけれども、最後に食料品をパパッと買って帰れるかどうかということも大切であります。荷物が多くても車なら平気でありまして、その点電車で行くデパートは敬遠しがちであります。 近ごろモールなどへ行きますと、チョコレート関連の商品がうず高く積まれておりまして、さてあれが全部売れるのかどうか、売れないだろうなあとおもうのであります。コンビニなどは、やれハロウィーンだ、クリスマスだ、恵方巻だと売ろうとしておりますけれども、恵方巻が売れ残ったとか、予約がほとんどなかったということが話題でありまして、どうも売る側に節操がないことがおびただしいのであります。 もうちょっと節度を持って地道に商売してほしいのであります。 スノーフレークの芽が伸びております。 正月の福袋というのもすでに洒落が感じられなくなっておりまして、もちろんテレビのニュースでは盛んに福袋の売れ行くさまを流したりしますが、末端はそうではないことでしょう。チョコレートは売れ残ったらどうするのか、もう一度溶かして別の商品に作り替えるのかどうか、それとも全部廃棄されるので...

まったりと物を捨てることを考える(23) update ver.

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2016年2月9日  断捨離を志しておりますが、まあ本日もそれなりに、自分なりに頑張りました。 捨てるものを確定しまして、ゴミの分別を考えまして、燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミなどに分けまして処分してゆくわけです。さらに、今時のネット申し込みによって書籍を処分しつつありますが、これが結構大変なのであります。神経を使うというか、後で悔いの無いように仕分けするわけでありまして、結構時間を食います。 一つには、買ったにもかかわらずどうも一度も読んでいないと思われるものにぶつかった時にどうするか、せっかくだから読みたい、でもいままで読まなかったんだから処分しよう、というふうに揺れるわけであります。自分が買い求めた本にはそういうことはなさそうでありますが、家族が買った流行物の本の中にけっこうあるんであります。5年前に映画になったとか、3年前にテレビドラマになったとか、結構話題だったので、本屋さんで買ったようであります。私は流行物を買わない主義でありまして、買ってもネットで1円などというのを取り寄せますので、新本に特有の出版社の宣伝チラシが入らないから、これは私のじゃないと分かるのであります。 さて、告知するべきか、それともこのまま処分するか。しばし目を閉じて黙考するわけで、もうこれだけで哲学者のようであります。しかし、悩むのはそれだけじゃないのであります。 オオキバナカタバミの花盛り。 古い本を引っ張り出しまして、これを検索に掛けてみるとけっこう値打ちがあったりしまして、自分で値を付けて売るかどうか考えてしまったりするのであります。こうなると売れるまでの時間と、今処分してできるスペースを秤にかけて考えることになるのであります。さらに、汚れているものをちょいとこすって見たり、埃をかぶったものをはたきで清めたり、これもまた結構手間がかかるのであります。まるで古本屋のオヤジでありますが、いえいえ、そのものかもしれません。 それにしても要らない本が出て来る出て来る、いくらでも不要なのでありますが、ふりかえってみれば半年ごと位にブックオフなどに出向いて本を処分しているはずなのに、溜まりに溜まっているわけで、本当にきりがないのであります。面白いのは、読んでいない本を見て読もうかと思って取っておくんですが、半年経っても、一年経っても読まないものは読まないままで、不思議であります...

まったりと物を捨てることを考える(22) update ver.

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2016年2月7日 義務教育の教科書というのは、たぶん無償であります。つまりタダで配られるものであります。中にはほとんど使われないものもありまして、そういうものは紛失しやすいので、しばしばトラブルを引き起こしたりするのであります。教科書を卸している書店というのがありまして、そこへ出向けばだいたい手に入りまして、300円も出せば新品をもらえたりするものであります。高校になると教科書代を取られたりしまして、それもやっぱり世間の本からすれば安いものだったりするのであります。 カリキュラムが変更になる10年くらいは同じ内容ですから、使いまわしをすればいいと思うのでありますが、各自持たされたり買わされたりしますので、学年末には大量の教科書が処分されることでしょう。国家が検定する教科書が、一年で廃棄されるという問題はどうなっているのか、大いなる無駄がそこには無いのかどうかという疑問が生じます。教科書は安いのでありますが、それに伴うワークブックやテスト用紙が売れますから、教科書会社はそれなりに大儲けの種として採択になるよう営業するのでありましょう。構造は案外単純であります。 校長先生は、例のあのプロ野球の選手と同じ立場でありまして、これを籠絡して金儲けの対象として手なずけるわけなのです。永遠にこの社会から無くならないだろと思われる犯罪であります。ただ、児童・生徒の模範にならなければならない学校のトップが、賄賂と知っていて呼び出されて飲食・お土産に預かっていたということは、肝に銘じておくべきでしょうね。世の中、きれいごとではないんだよと、朝の会で訓示を垂れるのでありましょう。 早朝の庭木に雪が降りかかっておりました。 世間で教科書を巡る報道がありましたので、何か言及しないと格好が付かない気がしまして、とりあえず書いてみましたが、もう世間は教科書の話題なんか見向きもしていないのであります。それはおそらく、学校の校長先生の存在感がぐっと下がってしまっているからでありまして、ご本人たちも、自分たちを立派だとはもう思っていないことでありましょう。だから、正面から倫理観の欠如を訴えても、まったくインパクトはないのであります。 むしろ、たかるだけたかり、出版社から貰えるだけもらったうえで、公平に審査して内容の充実した教科書を採択してくれるなら十分でありましょう。実は、教科書の内容はお互いに探り...

まったりと物を捨てることを考える(21) update ver.

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2016年2月5日 家の中、家の外でだぶついたものを減らそうと考えました時に、ネットをあれこれ検索して役立つような情報を探ってみました。「断捨離」という言葉が気になりまして、そんなに古い言葉でもなく、提唱者の名前もちゃんと出てきまして、この時代には必要な考え方なのではないかと思ったりいたします。 ついでに、「ミニマリスト」という言葉がネットから得られまして、どうやら若い世代で物を持たない暮らしにあこがれ、それを実践するときにミニマリストと呼んだり呼ばれたりすることがわかったのであります。こりゃまあ、一種の贅沢でもありますけれども、今時普通に若者が生活したら、物は溜まる、人間関係は複雑になる、メールは山のように押し寄せ、したいことは引きも切らず、はっきり言ってうんざりするはずですから、生活をできるだけシンプルにすることによって、抵抗してみたくなるのはよく分かります。 貧乏な人はミニマリストなんて戯言は言えないのだ、という批判もあるようですが、そうではなくて1995年以降の暮らしを考えると、貧乏な人ほど物に囲まれてしまうという皮肉があるような気がします。ある程度リッチでないと、ポイントカードの束をすて、クーポン券を無視し、チラシを受け取らないで済ますとか、さらには100円ショップに出入りしないとか、リサイクルショップで安物をつかまないとか、そういうふるまいに出ることは難しそうであります。 初夏を彩るアジサイ。 おそらく、1995年以前だと、例えば田舎から東京などに上京してきた若者は、まだ持ち物が少ないという可能性はあったかもしれません。少なくとも1980年くらいだったら、大きめの旅行かばんひとつが唯一の持ち物という若者は結構いただろうと想像いたします。今50代の私(2023年現在では60代)の世代だと、3畳一間の下宿人だった人というのは身の回りに居りましたし、そいう人は上着は同じ服をずっと着ていたように思うのであります。 3畳間には押し入れが付かなかったりしますから、布団は畳んで部屋の隅に置くのでありまして、そうなると必然的に机なんか置く場所がないという状況になるわけであります。その頃の貧乏な学生がミニマリストかというと、けっしてそんな気分ではなかったはずで、物を持とうにもお金が足りなかったのであります。 バブル崩壊の後になって、むしろ家庭にゴミが集積するという状況が発...

まったりと物を捨てることを考える(20) update ver.

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2016年2月3日 本日は晴れまして、ぽかぽかしましたので、温風の出るストーブを午前中に早々と消して窓を開けていたのであります。午後には手紙を出そうと自転車にまたがりまして、近所に郵便局があるのにわざと少し遠いモールまで行きましたが、通りに出てびっくりでありまして、非常に寒いのであります。風もちょっと吹いておりましたから、厚手のシャツに薄いダウンのジャケットでは、帰りが大丈夫だろうかと心配になりました。 家に帰ってからウェザーニュースで最高気温を確かめたら、たったの8度とありまして、我が家の日向とは5度くらい違いがあるような気がいたしました。ちょいと外に出まして、世間の風に当たるというのは、やっぱりいいことでありまして、世間知らずでは間抜けなことを書いてしまいそうであります。若い時の苦労は買ってでもせよ、などと言いますが、年をとっても、思い立ったときに行動するというのは大切であります。失敗はしても、本日の世間の風は冷たかったと分かるわけなのであります。 我が家の塀の上で日向ぼっこする猫。 どうも近頃、何か問題を起こした人の常日頃の様子は、その人のブログで確認するようであります。LINEだともっと生々しいやりとりでありますから、確認どころではなくてあれは証拠でありましょう。昔は少年が事件を起こすと、卒業文集なんかが取沙汰されましたが、今ならフェイスブックだとかLINEだとか、書いていればの話ですが、その人が綴っていたブログであります。毎日のようにブログを書いている人でも、いろんな人がいまして、それなりに注意して個人情報が漏れないように書いているんですが、本人が得意げに書くことの中に危なっかしい情報が紛れ込んでおります。 商売敵の悪口を述べたり、利用する店の店員の悪口を書いたりしているんですが、きっと気が付いている人がいるはずでありまして、それはちょっとまずいだろうと思う内容が出て来るのであります。文筆家だとそのあたりはしっかりしておりまして、ブログとは言いながらチェックしてくれる人がいるのかもしれず、うかつなことは書かないようであります。個人が好きで書いている場合に、自己アピールが昂じて危ない領域に踏み込んでしまうようであります。本日も10分くらい断捨離いたしましたが、捨てるものはいくらでもありまして、ブログの記事もその一つかも。 猫は己をわきまえて、ブロック塀の上で...

まったりと物を捨てることを考える(19) update ver.

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2016年2月1日 そう言えば、芸能人の独立騒動のさなかに、そのグループ名の由来のようなものが紛れ込んできまして、あれは事務所の主催者がこれこれこういう意味で付けたのだよと書いてあったりしまして、何となく妙な節回しでありました。SMAPというのは、ひょっとしてSPAMをもじったのかと感じるんでありますが、そうではなかったということなんでありましょうか。別に深い意図を隠して書いているブログではありませんけれども、こう書いて気を悪くする人がいると困るなあと思ったりします。 これとはまた別の話題でありますが、結婚したんだけれどもすぐに不貞を働くという話は結構耳にすることでありまして、もめにもめたようです。そうした話題を聞いて腹が立つ一般人というのは、寝取られた経験を持つ人なのかと思ったりいたします。しかしながら、奥さんが糟糠の妻の場合、夫が有名人になって有名人の女性と浮名を流したというならば、それはまあ枕営業の一つと割り切るはずでありまして、それが騒ぎになってしまうのは、不心得者がどこかにいるのでありましょう。 芸能人というのは、本人たちの関係だけで事が済みませんので、もしからしたら、これこそが営業活動の一環で、騒動をわざと起こしてみたかったのかもしれません。いろんなことを感じさせるんでありますが、あれこれ録音したり証拠を作ったりしまして、週刊誌に売るという商売もあるようです。 アカツメクサ。ムラサキツメクサとも言うらしい。 Wikipedia日本版を見ていましたら、シロツメクサの項目はあっさりとしておりまして、それに対してムラサキツメクサの項目にはあれこれ面白い情報が書いてあったのであります。知っていること、馴染みのこと、既知の事柄というのは辞書を引こうと思うことがありません。シロツメクサとかアカツメクサとか、あるいは四つ葉のクローバーなんてことは、言葉を発するよりも先になじんだことですから、それをいちいち辞書などで確かめる必要がありません。しかしながら、そうしたことを辞書で引いてみると驚く時があるわけです。 さて、Wikipedia日本版では心もとないので、手元にある『世界薬用植物百科事典』というものを引いて見ますと、ここにはシロツメクサの項目はなくて、「ムラサキツメクサ/アカツメクサ」という項目が立てられております。それを見ると、この植物はフラボノイドを含んでいて、...