まったりと物を捨てることを考える(25) update ver.
2016年2月13日
何だかだるいし、何かをする気力もわかないし、こりゃあもう困ったことになったなあと思ったんですが、原因を辿ってみたら夕飯時に缶ビールを1本飲んでいたではありませんか。酔った感覚のないまま、動きが鈍くなって上機嫌なわけでありまして、上機嫌なまま寝てしまえばいいものを、何か役だつことの一つもしてみたくなって、そして無気力な感じに捉われたというわけなのであります。見事に酔いが回る場合もあるんですが、酔った感覚のないままぐずぐずとだらしなる時がありまして、年を取るというのはこういうものかもしれません。
先祖に呑兵衛がおりませんから、酒で身を崩す可能性は低いのでありますが、その代りむっつりとして影の薄い宴会嫌いばかりでありまして、その中に入ると私は結構愛想がよくて目立ちたがりで宴会好きなのであります。しかし、普通に世の中に出ると、まったく親戚縁者の振る舞いと同じでありまして、宴会向きの人格は持っていないのであります。そういう経験を経て、やがて辿り着いたのが、週に一回缶ビールの小さいのがあれば十分というような人間の姿であります。
このことを相棒が第三者に話しますと、大方の反応は「嘘おっしゃい」というようなことらしくて、飲めるけれど飲まない人がいるとは信じられないと言われるそうであります。まあ、お金があれば買って飲むけれど、特に買うお金に恵まれたことがないので、わざわざ大枚はたいて高い酒を買って飲まない、というのが真相であります。
本日のオオキバナカタバミ。
断捨離ということを考えるようになってから、なるべく飲み始めたお酒はしっかり飲み切るように心掛けているのであります。ワインや日本酒は、飲み始めはいいのでありますが、週に一度程度の飲酒だと他のことに紛れてお酒のことを忘れるわけでありまして、やがてそんなお酒が残っていたことなど忘れて、ある日流しの下などからいつ買ったか分からないようなワインの瓶などが見つかりまして、当然のことながら捨てることになるのであります。
ちょっとずつお酒の入った瓶が林立しているというのも問題でありまして、飲めない使えない酒がいくら瓶に残っていても無駄なのであります。これは本も同じでありまして、読まなかった本、読みさしの本、読み終わって二度と読む気にならない本、そう言うものが本棚に溜まっていても、実は何の価値もないのであります。ここらで意識を切り替えまして、古くなったお酒を捨てるように、本を処分しまして、まだ商品価値のある本は次なる読者のもとへ送り出し、汚くなって他人に見せるのは忍びないものは捨ててしまうのがよさそうであります。
昨日整理した作り付けの本棚には、後でまとめて処分できそうなものを残しましたので、それは行く行く考えるつもりですが、実はその気になればいつでも処分しようと腹を固めているのであります。本を断捨離して、その際にデジタル化することを奨めているミニマリストもいるのでありますが、私はデジタル化も不要な気がしているのであります。
本も生ものだったと分かってきまして、消費期限があったみたいですな。
2016年2月14日
暖かい一日であります。我が家のあたりのアメダスを見ると、午前4時から6時にかけて9度台まで気温が下がりましたが、午前10時くらいに17度くらいになったまま午後3時に21度を記録しております。五月くらいの陽気になってしまったわけで、たまにあることではありますが、汗ばむというほどでもありません。最も暖かい時間に本を読んでいたのでありますが、眠くなってソファで寝てしまいました。
処分する予定の本の中から、読み忘れていたものや興味の湧くものを手にして読んでおりますけれども、やはり勇んで読むほどのものではなかったと分かったりします。ネットのニュースサイトやブログ記事の方が内容が充実していることが多いような気がしまして、本の内容の薄さが気になったりするのであります。もうすでに読み捨てされることを前提にして書かれた本がありまして、新書にはその傾向が強いような気がします。
書籍になったものは、ブログのように誤字脱字がないのでありまして、それなりに編集してあるわけです。ブログの記事では著者のこだわりとか、表現の不足や表現の過剰が目につくのでありますが、書籍ではそうした癖が無くなっておりまして、おそらくネタになる文章を編集者が上手に手直ししたと分かるわけであります。すいすい読める代わりに、コクがなく、まるで筆者は透明人間のようでありまして、実際体験したことや主張したいことがないかのようであります。それでいいのかと言うと、まったくよくないことでしょう。
編集する人は自分を透過することによって、不純物は取り除けたつもりなのでしょうけれど、その結果、個性とかなまなましい経験の味わいが失われて価値を損じているようです。編集しているのではなくて、最も肝心なところを迂闊に捨てて恥じないのでありましょう。あるいは、単にコピーアンドペーストが上手なのが編集人として残ったということかもしれません。ああ、コピペ名人が業界に残ったというのがどうやら真相ですね。
オオキバナカタバミの咲く様子。
断捨離は続いておりまして、処分予定の本を段ボール箱に並べまして、読みたい本や保存しておきたい本、気になる本があったら遠慮なく引き抜いてとお願いしますと、家族がそれぞれにお気に入りを抜きまして、前の本棚に戻すという塩梅であります。そういう作業をした結果、戻しに行った本棚の中から不要な本を見付けまして、段ボール箱へ運んで来たりするわけで、3箱だったのが4箱必要になったりするのであります。まるで、新約聖書にあるパンの逸話のようでありますが、選んで戻すと、他の本が不要に見えるわけで、おそらく戻した本も含めて不要なものばかりだから、こういう現象が起きます。
ひょっとすると、書籍を購入して我が家に入ってきた時期をしっかりと記録しまして、ついでに誰が読んだか、どこまで読んだか、と言うような記録を採りまして、それを捨てる時の参考にする必要があるのかもしれないのであります。要するに図書館並みの管理をするということでありまして、もちろんすべての本をネットで購入するとか、書店での購入歴もデジタル化して収集すれば、管理は可能かもしれません。
予測としては、年に300冊から600冊が到来し、これを鬼のように処分しないと、家が本で埋もれるのであります。
今回、タンスの上から箱に入ったハリーポッター関連の本が大量に出現しまして、それを本棚に並べてみましたが、溢れかえっております。昨日のニュースでハリーポッターの続編が出るという報道がありました。イギリスでは予約が殺到したそうであります。みんな、予約するのが好きで、購入するのも好きで、そして本棚に並べるのも好きなんでありましょう。ただし、読むことができる人は、おそらく10分の1くらいではないかと推察いたします。
並べたら、「捨てよう」という意見が出ると期待したのに、「もったいない」と言って戻す本の多いこと。本は増殖するのであります。
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