まったりと物を捨てることを考える(20) update ver.
2016年2月3日
本日は晴れまして、ぽかぽかしましたので、温風の出るストーブを午前中に早々と消して窓を開けていたのであります。午後には手紙を出そうと自転車にまたがりまして、近所に郵便局があるのにわざと少し遠いモールまで行きましたが、通りに出てびっくりでありまして、非常に寒いのであります。風もちょっと吹いておりましたから、厚手のシャツに薄いダウンのジャケットでは、帰りが大丈夫だろうかと心配になりました。
家に帰ってからウェザーニュースで最高気温を確かめたら、たったの8度とありまして、我が家の日向とは5度くらい違いがあるような気がいたしました。ちょいと外に出まして、世間の風に当たるというのは、やっぱりいいことでありまして、世間知らずでは間抜けなことを書いてしまいそうであります。若い時の苦労は買ってでもせよ、などと言いますが、年をとっても、思い立ったときに行動するというのは大切であります。失敗はしても、本日の世間の風は冷たかったと分かるわけなのであります。
我が家の塀の上で日向ぼっこする猫。
どうも近頃、何か問題を起こした人の常日頃の様子は、その人のブログで確認するようであります。LINEだともっと生々しいやりとりでありますから、確認どころではなくてあれは証拠でありましょう。昔は少年が事件を起こすと、卒業文集なんかが取沙汰されましたが、今ならフェイスブックだとかLINEだとか、書いていればの話ですが、その人が綴っていたブログであります。毎日のようにブログを書いている人でも、いろんな人がいまして、それなりに注意して個人情報が漏れないように書いているんですが、本人が得意げに書くことの中に危なっかしい情報が紛れ込んでおります。
商売敵の悪口を述べたり、利用する店の店員の悪口を書いたりしているんですが、きっと気が付いている人がいるはずでありまして、それはちょっとまずいだろうと思う内容が出て来るのであります。文筆家だとそのあたりはしっかりしておりまして、ブログとは言いながらチェックしてくれる人がいるのかもしれず、うかつなことは書かないようであります。個人が好きで書いている場合に、自己アピールが昂じて危ない領域に踏み込んでしまうようであります。本日も10分くらい断捨離いたしましたが、捨てるものはいくらでもありまして、ブログの記事もその一つかも。
猫は己をわきまえて、ブロック塀の上でまんじりとしております。ナンテンの葉っぱが顔のあたりの陽光を遮ってちょうどよいのかも。
2016年2月4日
「逮捕された人って、今時だと誰くらいの選手だったの?」って聞かれまして、考えてみたら、テニスで世界の頂点を極めようとしているエアケイだったり、フィギュアスケートであり得ない点数を叩き出す王子様だったりするわけで、甲子園にあれだけ出て、あれほどの結果を出した人なんて他にいなかったのであります。一年生からレギュラーで出場しておりまして、二人そろってプロの世界でも活躍したのは明らかに突出しているのであります。
思い出すと、ライオンズの三塁を守って日本シリーズで優勝する寸前に感涙にむせんでおりましたから、人一倍細やかな神経を持ち合わせていたのでありましょう。見た目の屈強さと、内面の脆弱さが悪い方に転ぶとこうなるという典型でありましょう。長打力に非凡な才能を持つ野球選手なのに、実は性格が内向的だったりしたのかもしれないと想像いたします。
人生で出会った人を振り返っても、学力が高くて教養があっても、下品で金にうるさい人というのいたものであります。世の中を眺めてみると、人というのは実はさっぱり分からないものなのであります。同じように、組織であるとか、会社であるとか、役所である、集団である、政党である、いろいろあるんですが、傍から見てイメージするのと、その内部の実態は雲泥の差が存在するものであります。
がんばれ、オオキバナカタバミ。
断捨離は加速しておりまして、本日はネットによる申し込みで本を処分いたしました。多少お値段が付くらしいのでありますが、さていかほどになるのでありましょうか。今回は段ボール二箱を処分できましたので、押し入れを占領していた古い段ボールがぐっと減ってきたのであります。もちろん、段ボールの中にあった古い本も処分に回しましたが、全部そんなことをしたらいい値段が付くわけがありませんから、それは一部にとどめて、なるべく近ごろ流行の本を本棚から抜き取りまして混ぜました。
普段店舗に持ち込むときも、そのあたりは気を使うのでありまして、査定する人だって持ち込まれた本全体を眺めて、所有者の所蔵品を品定めすることでありましょう。そこまで気を使っても、押し入れの本の一部が消えただけでありまして、家の中のいたるところに本が束になっているわけで、果てしなく断捨離で楽しむことができそうであります。
コンピューターが家庭に入り込みまして、それが生活のあらゆるところに影響を及ぼすなんて30年前にはまったく考えつかなかったのであります。あれは、面倒くさい計算をするもので、「電子計算機」と呼ばれていたのじゃありませんか。今や、テレビを滅ぼし、ステレオを滅ぼし、ワードプロセッサーを滅ぼしまして、ラジオも消滅し、書籍もなくなりつつあります。レコードが沈黙し、カセットテープは忘れられ、なんと新入りのCD・DVDすら無用の長物なのであります。コピー機だって本当は不要でありまして、さらに筆記具のような文房具も本当はもう命脈が尽きております。お買い物も出かける必要はさらさらないのでありまして、通勤だって実は無くしても構わないはずであります。
こうしてパソコンに依存しておりますが、そのパソコンを捨てたら、どんなにさっぱりすることでありましょうか。そうなった暁には、雲を眺め、鳥の声を聴くことでしょう。キーボードを打つ代わりに、樹木をめでて、地面を見るわけですね。しかしながら、現在は両立しております。パソコンが無くなっても、少しも生活に変化がないかもしれません。
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