まったりと物を捨てることを考える(24) update ver.
2016年2月11日
処分しようとして、どうも読まれた形跡の無い本が随分出てきましたので、暇に任せて3冊ほど読了いたしました。
その間に、最近買い求めた本を読んでおりますので同時進行で何冊もまとめ読みであります。埼玉のモールに付いて書かれた新書を読みましたが、なるほど今時の流行とか商売の盛衰を考えるのには、デパートとモールの違い、あるいは駅直結のお店と郊外型店舗、そういうことをあれこれ知らないと駄目かもしれません。知っている場所がいくつも出てきまして、自分も知らないうちに新しい施設をぼんやりと訪れていることがわかりました。
川崎ラゾーナであるとか、イオンレイクタウンであるとか、さらには大宮エキュートや品川エキュートなんかでありまして、面白いと思うのであります。新書はおととしの12月の刊行ですが、それから1年で新しい施設がどんどんできております。最近は、立川のららぽーとにも行きましたし、ちょっと前には昭島のモールも訪問しました。考えて見れば、とりあえず目的地をモールやアウトレットに定めてドライブする、というのがお手軽な観光であります。
ポイントは、駐車場が完備されていて長時間停車できるかどうかということと、食事の心配が少ないところ、服や雑貨も買いたいのでありますけれども、最後に食料品をパパッと買って帰れるかどうかということも大切であります。荷物が多くても車なら平気でありまして、その点電車で行くデパートは敬遠しがちであります。
スノーフレークの芽が伸びております。
先日、スーパーのお惣菜・お弁当売り場を覗きまして、普通の海苔巻きがあるかどうか見てみたんですが、まったく影も形もないのであります。卵と干瓢なんかが入った、そして一口大に切れている海苔巻きでありますが、恵方巻を売ろうとして、普通の海苔巻きを控えているのかもしれないのであります。
お稲荷と海苔巻きのセットを「助六」と言う地方がありました。
2016年2月12日
本の断捨離に手を付けまして、すでに段ボール数箱を処分いたしました。本日は作り付けの本棚に取り掛かりまして、棚に二重に入っているのを解消する方向で作業を進めたのであります。棚の奥行がだいたい30センチありますから、普通の本を収容すると手前があきまして、ついついそこに文庫などを並べてしまうわけでありますけれども、並んでいる文庫は流行もの、または古色蒼然とした大昔の名作でありまして、処分するのにふさわしいものばかりであります。
流行ものは売れば売れますけれども、あまりにも人気だったものは1円というような有様でありまして、経年劣化した50年以上前の文庫本はこれはもう紙屑であります。微妙でありまして、出版されたときには少部数の特殊な本が、しばらくして価値を増しまして、高値で引き取られるケースがあるわけです。世の中の値段というものが、需要と供給のバランスの上に成り立つものだということがよく分かります。
近ごろはロングテールということが言われておりまして、爆発的な人気商品を扱うとさほど儲からないのに、ちょっぴり需要のある商品をたくさん用意して待っていると、これが偉く儲かるということが分かってきているのであります。世間でも、高額の乗り物などを売ると目立つのでありますが、100円ショップレベルでも、世の中の需要にこまめに応じていると利益が馬鹿にならないということなのであります。
ドウダンツツジの芽がマッチ棒のよう。
断捨離というのは、どうやら断行、捨行、離行という仏教の考えから来ているようでありまして、それを集成して断捨離と言っているわけで、捨てる方ばかりが意識されてしまいますが、「断つ」ことや「離れる」ことも必要なわけです。捨てようと思って手に取りますと、それを誰がどうして手に入れたかということが気になりまして、自分の物ならどんな経緯でいくらで買ったか、読んだか使ったかというようなことが思い出されます。苦い思い出があったり、楽しい思い出がよみがえったりするのでありますが、そのことによって過去の自分の振る舞いがどうだったか考えますから、これは恐るべき修行であります。
若い時は何事も軽く考えて始末しておりましたが、人生の店じまいに近くなってきていると、何でもない本の購入の経緯に感動を新たにしたり、憤慨したり、いろんな感情がふつふつと湧いてくるという仕掛けであります。養老孟司さんのサイン本が出てきまして、貰う時に握手したのを昨日のことのように思い出します。また、自分以外の誰かが買った本の場合には、どうして買ったのか推測しまして、さらにちゃんと読んだのか、買ったので満足して放置したか、あれこれ邪推したりします。
ドラマの原作を手に入れたがる人が家族に居りますが、買っただけで読むことは稀のようであります。字面を追うのがつらいのかもしれませんが、最近だとスマホでゲームしている姿しか見ません。それなのに活字の本をわざわざ買っているのは、おそらく買うことでストレスを発散しているのでありましょう。買わないのが一番でありまして、執着を捨てるのが最も大事なのでありましょう。
聞けば読んだと言い張りますけれども、帯もきれいなまま付いていますな。もちろん、そこを追求すると、帯は大切に扱っていると言うに決まっています。寛容の心を持たないと、家族は解体するハメになりそうです。寛容の心があることで、人は緩く連帯できるのであります。
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