まったりと物を捨てることを考える(21) update ver.

2016年2月5日

家の中、家の外でだぶついたものを減らそうと考えました時に、ネットをあれこれ検索して役立つような情報を探ってみました。「断捨離」という言葉が気になりまして、そんなに古い言葉でもなく、提唱者の名前もちゃんと出てきまして、この時代には必要な考え方なのではないかと思ったりいたします。


ついでに、「ミニマリスト」という言葉がネットから得られまして、どうやら若い世代で物を持たない暮らしにあこがれ、それを実践するときにミニマリストと呼んだり呼ばれたりすることがわかったのであります。こりゃまあ、一種の贅沢でもありますけれども、今時普通に若者が生活したら、物は溜まる、人間関係は複雑になる、メールは山のように押し寄せ、したいことは引きも切らず、はっきり言ってうんざりするはずですから、生活をできるだけシンプルにすることによって、抵抗してみたくなるのはよく分かります。


貧乏な人はミニマリストなんて戯言は言えないのだ、という批判もあるようですが、そうではなくて1995年以降の暮らしを考えると、貧乏な人ほど物に囲まれてしまうという皮肉があるような気がします。ある程度リッチでないと、ポイントカードの束をすて、クーポン券を無視し、チラシを受け取らないで済ますとか、さらには100円ショップに出入りしないとか、リサイクルショップで安物をつかまないとか、そういうふるまいに出ることは難しそうであります。


初夏を彩るアジサイ。

おそらく、1995年以前だと、例えば田舎から東京などに上京してきた若者は、まだ持ち物が少ないという可能性はあったかもしれません。少なくとも1980年くらいだったら、大きめの旅行かばんひとつが唯一の持ち物という若者は結構いただろうと想像いたします。今50代の私(2023年現在では60代)の世代だと、3畳一間の下宿人だった人というのは身の回りに居りましたし、そいう人は上着は同じ服をずっと着ていたように思うのであります。


3畳間には押し入れが付かなかったりしますから、布団は畳んで部屋の隅に置くのでありまして、そうなると必然的に机なんか置く場所がないという状況になるわけであります。その頃の貧乏な学生がミニマリストかというと、けっしてそんな気分ではなかったはずで、物を持とうにもお金が足りなかったのであります。


バブル崩壊の後になって、むしろ家庭にゴミが集積するという状況が発生しておりまして、それはひとえに消費を促すためにサービスと称して物をタダで配るようになったのでありまして、本当はただではなくて餌食となった客の懐から奪い取ったお金でおまけを配っているのであります。よっぽど注意して生活しないと、知らないうちに余計なコストを支払うハメに陥るのであります。しかるべき学歴をゲットし、それなりの職を手に入れ、住むべき住まいを見付けたら、後はごっそり余計な部分を削ぎ落としてもやって行けると気が付いちゃった人が、おそらくミニマリストになるのでありましょう。うらやましい限りであります。


本日もちょっとだけ断捨離しましたが、内容は書けません。あれこれ、処分いたしました。


2016年2月6日

 本日は旧暦で12月28日であります。まあもうほとんど月を見ることはない夜であります。月末と月初めは、お月様は見えないものなのです。明日が大晦日12月29日でありまして、昔風に言うと「小の月」ということになるのでありましょう。大の月が30日で、小の月が29日、どうしてそうなるかというと、月の満ち欠けの周期が29・5日だからでありますが、そういうことは学校で習った記憶がありません。今は教えるのかどうか定かに知らないのでありますが、最近自分で発見したのは、29・5日周期だとすると、満月から満月までは14・75日でありまして、だから14日の満月があったりするのかということであります。


15日は望月と言うのは聞いたことがありましたが、旧暦の暦を見ていると14日で望月となっていることが結構多いのであります。


まあ、そういうことはともかく、明後日は旧暦の正月でありまして、随分遅い新年の到来であります。すでに立春は来てしまっていますから、二十四節気の春を追いかけて陰暦の正月がやってくるという状況なのであります。


  年の内に 春は来にけり ひととせを 去年とや言はむ 今年とや言はむ


という『古今和歌集』の巻頭歌は、この状況を読んだものであります。こうした状況は少しも珍しいわけではなくて、しょっちゅうこうなっていたものなのです。暦の上ではまだ年末なのに、「立春」が来てしまって、もう春が来たってことは、新年のようなものだよね、と言っているのであります。年末に親戚が来て、お年玉もらっちゃったとうような状況でありましょう。


要するに正月・二月・三月を春とする暦の概念と、立春を以て春とする概念があったのでありまして、旧暦の太陰太陽暦(たいいんたいようれき)のなかに尺度が二つあったということらしいのであります。月の運行による太陰暦(たいいんれき)が基本なんですが、それだと農業などに差し支えるから、二十四節気の太陽暦(たいようれき)で補正していたということなのであります。天体観測をしながら、いろいろと補正を加えて暦を作っていたわけで、結構知的な物だったということは、知っておいて損はないことでしょう。


待ち遠しい桃の花の開花。

よって、古今和歌集の巻頭歌の内容というのは、別に日本的な感性とは関係ないわけで、この年内立春という話題は菅原道真の漢詩にも作られているよ、なんてことが学者さんによって指摘されているのであります。


古今和歌集は別に日本的な感性を掬い取ってまとめようとしたものではないようでありまして、平安時代初期に詠まれた和歌を編者の趣向によって集めたのでありましょう。そうじゃなければ、巻頭で外来の暦に関する薀蓄の歌を出すわけもないことでしょう。古い伝統をありがたがっているわけではなくて、五七五七七という定番の和歌の形式に、その当時貴族の間で話題の内容を盛り付けることに重点があったのかもしれないのであります。この歌をあげつらって、明治時代に『歌よみに与ふる書』のなかで正岡子規は撰者の代表格である紀貫之を罵倒しておりますけれども、それは的を射たものだったのかどうか。なんとなく外れているような気がするのであります。


   人丸の のちの歌よみは 誰かあらむ 征夷大将軍 みなもとの実朝


正岡子規の歌で有名なもののが、この「人丸の」の歌なんでありますけれども、まあこれもどうか、あんまりだ、雑過ぎると思うのは私だけなんでありましょう。万葉集時代の歌人柿本人麻呂を賞賛するのはいいんですが、それに次ぐのが鎌倉時代の源実朝というのは奇をてらい過ぎです。身の回りに本がなかったのか、先生がでたらめを教えていたか、本人の感性が歪んでいたのか、そうでなくて大方の支持を得ようとこんな暴言を吐くとすると、明治の頃には随分不思議なことがあったものであります。歌というのは、流行した時代を過ぎてしまえば、少々間抜けに見えてしまうものなのかもしれないのでありますから、今正岡子規の俳句を見ると色褪せて見えるんです。


  貫之を 罵倒して止まぬ 子規さんを 今また我も 罵倒してみむ(粗忽)


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