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埠頭を渡る風を見たのは。(3) update ver.

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 2011年の11月の頃に書いたブログ記事を、再掲載しております。情報が古いことはどうかご容赦ください。 2011年11月12日 昨日が満月だったようでありますが、あの天気では月を愛でるわけには行かないわけで、こたつに入って鍋などを食べていたわけで、背中もまん丸く曲がっていたわけです。懸案事項がありまして、できる限りの手を打っているのですけれども、手を打ってみると、どこがちゃんとした仕事をしているか、誰がしっかり者かと言うことが分かりまして、仕事をしない人、しっかりしていない人の行く末が心配です。どうしてかというと、こういう時に遠目によく見ている人が必ずいるのでありまして、機能を果たさない組織や人が、あとでひどい目に遭うことがあるのであります。 お給料をもらって、それなりの職に就いていたら、職務について怠けていていいわけないのにね。ままならない世の中を生き抜くために、壁にどこか穴が開いていないか、ひょっとしてドアが付いていないか、試しているのです。 昨日の正午の時点で、たぶん月齢が15・3とありましたので、そのあと昇る月はもう満月からはほど遠いのでありまして、旧暦では10月の16日なのでありまして、16日なのに満月という発表の真意がよく分かりません。そう言うこともあるのだろうと思うだけでありまして、一度旧暦の暦の作り方というものをどこかで教わらないといけないのでありましょう。もちろん暦というものも、自然現象を観察して、最後は人間の判断でありますから、微妙に判断に揺れがあっても、それを了解して使うしかないのであります。 昭和53年(1978)10月5日に発売された、ユーミンの『埠頭を渡る風』という曲について、さらに考えてみます。 これは、『流線型’80』のアルバムのカバーイラストでありますけれども、夜空に浮かぶスポーツカーはコルベットの旧タイプでありましょうか。知らない事をまことしやかに記事として書くほど心臓が強くありませんので、冷や冷やしながら、しかしそう言ってみないとなかなか話は進まないのであります。このアルバムの中には、『Corvett1954』という名曲もありまして、そんじょそこらにはない、しかしあるところにはある、輸入車のイメージをアルバムの背景に置いたのでしょう。あの頃の、しみったれた歌謡曲の世界に対して、さわやかな風を吹き込もうとしたセンスのよさ...

埠頭を渡る風を見たのは。(2) update ver.

2011年の11月の頃に書いたブログ記事を、再掲載しております。情報が古いことはどうかご容赦ください。 2011年11月10日 昭和53年(1978)10月5日に発売されたシングル『埠頭を渡る風』という曲について考えております。歌の中の主人公たちが、二人で埠頭に来る「悲しい夜」とは、一体どういうことでしょう? この男性は運転する人でありますから、18歳以上でありまして、そうするととりあえず一人前の男子でありまして、昭和53年以前なら大学生は大人扱いでありまして、もちろん成人していて仕事を持っていてもいいわけですね。「私」と名のる主人公はユーミンの分身でいいわけで、だとしたら昭和29年(1954年)生まれのユーミンはこの時24歳くらいでありまして、結婚適齢期というか、この時はすでに既婚者でありますから案外大人の歌であると考えるべきなのでしょう。昭和29年生まれというと、いわゆる団塊の世代の後半くらいの人でありまして、だったらデートの相手は団塊の世代の前半くらいの人かもしれません。 結婚適齢期の男女にとって、何があると「悲しい夜」と言えるのか、たくさんあり過ぎて何も見えてこないような気がいたします。さてさて、どのように考えたら答えが見つかるのでしょうか。 メロディーとか、アレンジが最高にシックで、畳みかけるように迫って来るもんですから、歌詞に破綻がない以上、享受している側としてはそこに描かれている「埠頭」「街の灯り」「ほうき星」「倉庫」「闇の中」「ゆるいカーブ」と言った印象的な言葉によって、それまで歌謡曲では出てこなかったような風景を頭に浮かべてしまいます。その結果、たぶんほとんどの人がそうだと思うのですが、悲しみの実態には思い至らないわけです。どちらかと言えば、晴海埠頭なんかの隣のカップルの様子をちらちら見ている感じがしまして、あんまりよその二人の関係に立ち入らないようにするのがマナーです。というか、こっちはこっちで、ここまで連れ立って来たデートの仕上げに余念がない、余裕がない、という事ではないでしょうか。 つまり、二人の関係を、主人公当事者の視点から離れて、他者の視点で眺めるつもりになると、歌詞の別のところが目に付きます。 たとえば、「何もいわずに私のそばにいて」というからには、女の子が男に密着しまして、とても熱心な感じですよね。「もうそれ以上やさしくなんてしなくて...

埠頭を渡る風を見たのは。(1) update ver.

2011年11月に書いていたブログ記事の中から、歌謡曲の歌詞について書いた部分を編集して、掲載いたします。ご存知の方は、お楽しみください。 2011年11月8日 そう言えば、年末の紅白歌合戦に松任谷由実さんが出演するという情報が昨日流れまして、我が家としてはちょっとした話題になったのであります。知らない芸能人の名前などを話題にすると、頭から角が芽を出す人がいるんですけれども、松任谷由実さんだと角は生えてこないようであります。 ユーミンは、昔は荒井由美さん、結婚されてから松任谷さんなんですけれども、懐かしいわけです。松任谷由実さんの、初期のシングル『12月の雨』というのは昭和49年(1974)10月5日発売なんですが、これを翌年田舎の高校の音楽祭で歌っているのを聞いたわけです。斬新な歌でありまして、流行ってもいないけどいい歌だなあと思いました。彼女を決定的に意識したのは、昭和53年(1978)に出た『流線型’80』でありまして、これは最近パソコンに入れて楽しんでいるんであります。長らくカセットテープで楽しんだんでありますが、カセット版はいただき物でありました。 東久留米で引っ越しの際に、近所のアニメーターの奥さんが、『流線型’80』の録音したカセットテープ下さったので、それを大切にしました。自分のお気に入りの曲を、こんなふうにプレゼントすることが当時の若者文化でした。 聞き直してみると、ユーミンの声が甘く切なく聞こえまして、昔と印象が違うのであります。ひょっとするとデジタルリマスタリングとやらの効果かも知れませんが、従来聞いていたのに比べて、柔らかい印象がありまして、それとともに懐かしい気分が戻ってくるような気がいたします。かつて定番にして聞いていた曲を聴き直してみると、新たな発見がありまして、悪くないなあと思うのです。 そういえば、もうカセットテープを聴くと言うことがなくなりまして、カセットをかける機器が家の中にあるのかどうかさえ分からないのであります。テープのほうは、引っ越しのたびに整理するんですが、まだ大量に残っておりまして、たぶん再生する機会もあまりないままゴミになって行くのでありましょう。この種の記録媒体というものの変遷は激しく、整理整頓を始めたらもう不要品に近付いたと言うことです。CDに切り替わって20年近い時間が経ち、もはやCD自体が不要品に近付いている...

独立記念日生まれ。(3) update ver.

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2016年7月10日 若い頃の自分は貧乏だったのかどうか、というようなことを自分でその当時考えても、なかなか客観的な判断はできなかったわけであります。大人になった今は、多少は世の中の金持や貧乏人を見てきましたので、それなりの判断は付くということであります。ただ、お金があるということによって、果たして幸せかどうかということになると、限りなく懐疑的になりますので、これは判断が付きません。何せ人の胸の中なんか全く分からないわけでありますから、判定不能であります。 大学に進学するときに、実はそのあたりの点検を自分に施しまして、自分というよりは、親がどうなのかということを突き詰めてみたのであります。これは非常に有益でありまして、自分のことよりも親の人生を判断するのは難しくありません。どこに生まれて、どんな親(すなわち祖父母)を持ち、どんな学歴で、今どんな職業で、夫婦関係はどうか、財産はどうか、貯金はあるか、周囲との関係はどんなものか、ということであります。両親の場合には兄弟がたくさんおりましたから、その人たち(伯父・伯母・叔父・叔母)と比較すると一目瞭然だったのであります。その時の判断は、この30年ぶれませんでしたので、まあ単純な親だったのであります。 投票済証。 昔判断した親についての評価と、現在の自分への評価を比べてみると、一番忌々しいのはコストパフォーマンスの点でありまして、築いた財産が自分に比べて親の方が莫大でありあります。かけた経費と残した財産を考えると、私はあと1万年くらい働かないと追いつかないのであります。 私だって、同世代の人から比べたらコスパの良い人間でありますけれども、しかし、あんな風には稼げないということなのであります。親の場合は、それなりの貧乏から、そこそこの貧乏に落ち着きまして、しかしよくまあ稼いだものだと驚くのであります。私の場合はそこそこの貧乏の恩恵にあずかりまして、いろいろ巡り合わせがよくて、贅沢がほとんど必要のない清貧状態であります。酒も煙草もギャンブルもほとんど無縁でありまして、美食も必要ない、手抜きの掃除が大好きで、とりあえず飯は炊けるんですから、これで宝くじに当たったらずるい方であります。 入院した経験は子どものころに半日だけ、その数時間の入院の時の同室の子供は不治の病の子供でした。何だか申し訳ないな、とその時思いましたが、今も申し訳な...

独立記念日生まれ。(2) update ver.

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2016年7月7日 余りの暑さにびっくりでありまして、たぶん午前9時で30度を超えましたので、うかうかしていたら熱中症であります。そうか、今年も暑いのかとがっかりするわけでありますけれども、しかし2010年代に入ってからの猛暑では、5月から延々と暑かったわけで、それに比べたら、梅雨の中休みに暑いのは普通であります。 おととしなどは、10月の初旬まで暑かったんですが、去年は9月になったらもう暑くなかったわけで、今年もぜひそう願いたいものであります。本日はこんなに暑くなりましたが、昨日はものすごく涼しかったわけでありますから、寒暖の差が激しくて、これが今年の特徴でありましょう。台風1号が発生したというニュースが流れましたが、やっと発生したのか、それとも早くも発生したのか、どう表現していいのか分かりません。昔は台風というのは初秋のものだったはずでありまして、もう季節感がめちゃくちゃのような気がするのであります。 ようやく開花したサルスベリ この季節で思い出すのは、蛍でありまして、田舎育ちですが蛍を見たのは東京に出て来てからであります。おそらく、田んぼに農薬を撒くようになってしまって、昆虫類が激減したのが影響しているのであります。ご近所総出で田植えをするというようなことは、小さい時の記憶として残っておりますが、学齢期に達したころには農薬を撒くために、子どものお手伝いはもう必要がないというか、しないでもらいたいというふうに変化してしまったのであります。 農薬が導入されるとともに、機械化が推進されまして、さらにそれに先立って耕地整理が大規模に行われましたので、それ以前の記憶とまったく違う風景が出現し、そのまま現在まで続いているのであります。東京に出て、学科の行事としてこの時期に郊外に合宿したんですが、その時のお宿で蛍を見たのが、実は蛍を間近で見た最初であります。川端康成の掌小説で蛍の小説を読んだことがありましたが、そういう文学的な体験が先で、実体験が後ということはしょっちゅうでありました。蛍を見た夜には、人生を変えるような大事件があったんですが、まあそれは胸に秘めておくのが一番でありましょう。 それ以後蛍を見る機会がないというのも不思議であります。 2016年7月8日 世の中というのは複雑であります。その時々で気になる事、後から振り返って気になる事というのは、どこかにもっと複雑...

独立記念日生まれ。(1) update ver.

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以下は、2016年7月のブログ記事です。東日本大震災とコロナ禍の間の、まったりした日々を綴ります。 2016年7月4日 題名に他意はございません。それにまつわる内容を書こうとしているのでもないわけでありまして、しかしまあ、例のイギリスの騒動で、欧州連合から離脱する国民投票の後で、離脱派の首領が「独立記念日だ」と豪語しておりましたので、なるほど、独立の瞬間は野蛮でありますが、定着すれば記念日であります。 日本の場合は独立というのは縁遠い言葉でありますが、まあしかし、過去の歴史にそれに類することがなかったわけでもないのであります。7月4日はほかにどんな記念日があるのかと思ったら、あまりこれと言って目立つものはないのでありまして、やっぱりアメリカの独立記念日がダントツに目立っております。どこから独立したのかと思ったら、イギリスからでありまして、そう言えば「そうだった」ということであります。近代の歴史を考えてみると、この独立記念日は非常に重要だったんでありますけれども、今から240年前ってことであります。 マンリョウかセンリョウの花。 連日の猛暑でありますが、本日は夕方に夕立が降りまして、これで一気に気温が下がったのであります。昨日は玄関先に打ち水をしましたが、本日はその前に雨が降りまして大助かりであります。 朝のまだ涼しい時間に、大きな剪定ばさみを持ち出しまして、伸びすぎたランタナの茎をバッサリと刈り込み、さらにアジサイの色褪せた花を含めて今年伸びた茎を伐りましたが、地面に敷いて乾かしていたのに、雨に打たれてしまいました。明日は生ごみと一緒に燃えるゴミとして出す予定でありますけれども、今年は植物がよく茂っているのであります。庭の奥はもう雑草でジャングル化しておりますが、まあそのうち、汗をかきたくなったら分け入って雑草を刈り込んでみようかと思ったりいたします。ちょっとしたレジャーでありますが、熱中症にならないように注意したいと思います。 梅雨前線が北に行きまして、さて戻ってくるのかどうか。 2016年7月5日  羊頭狗肉であります。この四字熟語からすると、羊の肉は高級でありまして、その頭を飾りにして狗の肉を売るのでありましょう。物の本を見ると、この組み合わせにはバリエーションがありまして、狗の肉が馬肉になっているものがあったり、「牛の首」を掲げて「馬肉」を売るという...

元の木阿弥。(3) update ver.

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2016年7月1日 イギリスのことなんか何にも知らないのでありますが、10年くらい前、ちょうどアメリカがテロ攻撃を受けて貿易センタービルが崩壊した直後ぐらいでありますが、イギリスもテロにあっていて、イギリス行きの飛行機の搭乗手続きが長蛇の列だった時がありました。成田空港の物々しさは今でも記憶にありますが、とにかく列が長すぎて、どこが最後尾か分からないという有様でした。 あの時、イギリス土産として貰ったお土産は、たぶんシャーロック・ホームズ記念館のバッチでありまして、今でも捨てずに残してあるのであります。イギリスの欧州連合離脱の決定について、いろんな識者がコメントを残しておりましたが、読売新聞はたぶんニコルさんとマークス寿子さんでありましたが、なるほどという顔ぶれであります。ニコルさんは黒姫駅で見かけたことがありまして、たぶんあの辺にお住まいの方であります。電車で到着の奥様のお迎えだったはずであります。 鬱蒼と茂ったランタナ。 マークス寿子さんの有名な著書は、『大人の国イギリスと子どもの国日本』というものでありまして、これは単行本はあるんですが、文庫になっていないはずであります。非常に面白い本で、イギリスと日本の優劣をはっきりと付けている書物ですから、毀誉褒貶相半ばしていて、なかなか文庫にして出そうという出版社がないのかもしれません。 面白いのは、イギリスに駐在していた企業関係者の振る舞いを散々こき下ろしておりまして、彼らがどれくらい怠惰で愚かかということをすっぱ抜いているのであります。ふと気が付いたら、マークス寿子さんがやり玉に挙げている中に、どうも自分の知り合いもいるようでありまして、その御一家としては、イギリス生活は自慢の種でしたが、両者を突き合わせるとマークス寿子さんの指摘の方が正解でありましょう。だからこそ反発する人が出て来るのであります。 今回の騒動を見ていると『錯乱した大人の国イギリスと妙に覚めた子供の国日本』とでもいうべき様相を呈しておりまして、時が経って微妙に両国の様子が変質しているのであります。 禍福は糾える縄の如し、でありまして、刻々変化いたします。人も国家も昔のままだと思っていてはしくじるでしょう。 2016年7月2日 ふと思ったのでありますが、イギリスは欧州連合から離脱するかどうかという国民投票をしたのでありますが、もうちょっと工夫すれば、こ...

元の木阿弥。(2) update ver.

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2016年6月28日 イギリスは大丈夫なのか? いえ、どうも大丈夫じゃないようであります。欧州連合を離脱したら豊かになるという話で投票したら、どうもそんなにうまくは行かないことが分かって来て、大慌てのようであります。どこの国も政治家の発言が軽いようで、いえ、もともと政治家なんてそんなものだと分かり切っているのであります。扇動はするが、責任を取らないものでありましょう。 国家とか政治のシステムというのは必要悪でありまして、それは学級会とか学級委員を経験したら、そして生徒会や生徒会役員を経験したら、さらにまた大学サークルの代表を務めたり、コンパの幹事をやれば分かることであります。議論のための議論をして、無駄なお金を使って、後に残るのは後悔ばかりでありましょう。日本だって、役所の埋蔵金というおとぎ話があり、何とかのミクスというほら話がありまして、あれは我々に肝試しを強要しているのであります。本気で怒っちゃだめですぜ。 桑の葉。 イギリス自体が連合国ですから、屋上屋を架すように欧州連合に加わっていることが、諸問題の根っこにありそうであります。産業革命や市民革命がイの一に起きたために、ヨーロッパは先進国になったんですが、当然ながらその中にも後進国があり、国の中にも首都と周辺地域と辺境があるわけで、政治なんかわからない人は山ほどいるのであります。 国民投票で決めるのは結構ですが、単に多いだけで決めちゃっていいのかどうか、そういう所もよく考えてみたらよかったのに。紅茶を飲むときにミルクを先にカップに入れるか、後から入れるか、そういうことでも揉める国なのに、愚かな投票をしたものであります。欧州連合が拡大すれば、イギリスは地理的にどんどん辺境地帯になりまして、影響力が低下するわけであります。思惑通りにならなくなって来たら逃げ出したいのはやまやまでありましょう。逃げたい気持ちはよく分かりましたが、果たしてうまくやって行けるのか。もう船は山に登ってしまったようです。 欧州連合に責任を持ちたくないことだけははっきりしたわけで、合従連衡は昔から得意だったということかもしれません。 2016年6月29日 駅の売店の新聞スタンドを見たら、「世界恐慌がはじまった」というような字が躍っておりまして、おやおやというか、あれまあというか、物騒だというのが感想であります。リーマンショック以上ではないかとい...

元の木阿弥。(1) update ver.

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2016年の6月25日以降に書いたブログ記事を、再び掲載してみたいと思います。2011年の東日本大震災と、2020年から始まるコロナ感染症騒動の、ちょうど中間はどんな感じだったのか。興味のある方はどうぞお読み下さい。   2016年6月25日 驚くほどのことではないのでありまして、イギリスは欧州連合に加盟しているふりをしていたのでありましょう。イギリスの商売相手でもないような国家がどんどん加盟しましたので、もう嫌になって抜け出したのであります。せいせいしたことでしょう。加盟国が増えて盛況を誇って見たものの、次第にぼろが出て、たぶんこのままどんどん脱退する国が出て終わるはずであります。国家は大きければいいというものでもないのでありましょうから、またもとの国に戻るはずであります。 巨大化すると必ず辺境地帯で、国家の枠に入るの出るのと大騒ぎになりまして、維持するのも並大抵ではないのであります。 日本だって、沖縄も北海道も昔はなかったのでありまして、九州や東北だって、大和朝廷ではなかったはずであります。アベノミクスを唱えている方のところは、元は出羽の異民族だった先祖をお持ちでありまして、大国にありがちな異民族支配の形態を現在の日本は持っているということなのであります。沖縄の苦労は、総理大臣を出すまでは解消しないのであります。少数民族が支配層を形成するというのは、中国の歴史を紐解くまでもなく普遍的であります。多数派は、何となく安定しているので沈黙するのでありましょう。 ヤマトシジミとツユクサ。 四国や山陰も、このままだと人口比で議員定数が削減されまして、地方の声は中央には届かないのでありますから、いっそ離脱して国家を樹立するほうが幸福度は高いかもしれないのであります。 そう言えば、昔、井上ひさしさんの小説に地方の地域が独立国家を作るという話が有りました。自給自足が可能なら国境を策定してしまえばいいわけで、さらに鉱物資源などに恵まれていたり、観光資源があったりすると有利であります。さらに、遠方の国と国交を樹立して、防衛問題が解決すれば、おそらく独立は可能でありましょう。 いえ、とてもじゃないがそういうのは難しいのであります。イギリスの場合は、スコットランドの独立問題がくすぶっていて、それにもましてアイルランドの問題があるはずで、そう考えたら、欧州連合からの脱退は一里塚、...

若い身そらで禿頭。(10) update ver.

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2012年4月16日 珍妙なタイトルでありますが、「禿頭」というのは人間のことではないのであります。春にタンポポが咲きまして、やがて綿毛になりますが、風に吹かれて綿毛が飛びますので、そのことを白髪頭が禿頭になったといっているんでありまして、作者は竹久夢二のようであります。 このブログは、風任せのブログでありますから、調べ物をして鋭意研究した成果を書きしたためているわけではありませんので、文庫本を初めて開いて目に付いたものを今回はタイトルにしたのであります。禿頭の原因は春風のようです。 写真は昨日撮ったタンポポの写真です。 昔、茨城県の水戸の近くで、動燃の引き起こした臨界事故というのがありまして、作業員の方が不幸にも命を落としたことがありました。東海村というのがその現場でしたが、しばらくの間水戸ナンバーの車が近隣に目立ちまして、あの頃は何が起きたのか本当のところが充分分からなかったのかも知れません。ともかく、野菜はダメかも知れないと言うので、よそへ買い出しに行っていた可能性があるんですが、今回の福島原発の事故と結び付けてあれこれ論評するのを耳にしないのは、もちろん私が素人だからでありましょう。 あの翌年、道ばたに生えているタンポポの茎が、軒並み細い帯状になっていたんですけれども、世間は騒がないし、そう言うこともあるのかと思って見過ごしました。動燃の事故の翌日は、子供の登校を控えた記憶がありまして、たぶん風邪ですと告げたと思いますが、学校は普通に登校させておりました。 ものすごい豪雨の時も、学校からは登校中止という話はありませんでしたが、その時は朝から雷が直撃していて、恐くて子供も家から出られませんでした。危険だと分かっているなら、自治体あたりが非常事態を宣言して、登校や通勤を控えてもいいのかも知れません。タンポポを見るとそんなことを連想しました。 宮沢賢治「雨にも負けず」の「ヒドリ」の秘密というのは、もう解決したの? 分からないことばかり。 宮沢賢治は生前有名でなかったという話がありまして、草野心平さんの尽力で現在のような評価が確立したということが言われております。子供の頃には、宮沢賢治は童話作家でありまして、『注文の多い料理店』というのは面白いなあと思った記憶がありまして、大人になってからも読み返した作品であります。しかし、有名な『銀河鉄道の夜』であるとか、『風の又...

若い身そらで禿頭。(9) update ver.

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2012年4月15日 まだ綿毛のタンポポが見つかりませんでしたので、同じ禿頭でも桜の枝の禿頭をご覧いただくわけであります。バックをご覧いただくと、これは桜の花びらの絨毯でありまして、ほのかな桃色、いや桜色をしているのがお分かりいただけます。いかがでございましょう、桜色の絨毯を敷いたグラウンドで、ボールをけったりする愉しさは、これは味わったなら大満足、そうでございましょう? 皆様どなたも、「大満足」とそうおっしゃいます。 こうして桜の季節は一瞬にして終わりました。 柳も生えそろってしまえば、春が来たのは疑いようもないのでありますが、実はこれが春などと言う代物ではございませんで、猛暑・酷暑の夏の到来であります。さきほど、道具を手にしましてドクダミの芽を摘んでおりましたら、後頭部から背中にかけてじんじんと暑いのでありまして、さてはこれが紫外線かと思うわけですが、直射日光にあぶられて、思いの外暑いのであります。 朝晩がしのぎやすくなると、昼間は今度は耐え難い熱さというなら、これは初夏の到来でありまして、日本に春がないという言説には一票を投じたいと思います。そう考えれば、秋もなく、冬と夏が交替で襲いかかってくる国土ということなのであります。それは、実は関東以西の太平洋沿岸の話でありますね。 私の故郷は、ちょっぴりの春と、10日の夏、ちょっぴりの秋に、約半年の冬でありました。寒冷地。 どうやら、カナヘビさんたちが大喜びのハーブの名前が分かりまして、これはレモンバームということでよろしいでしょうか。特徴としては耐寒性にすぐれていると言うことでありまして、それならまさしくあの冬の厳しさをものともしなかったことからみて、間違いないと言うことでしょう。英語の名前はMelissaでありまして、シソ科のセイヨウヤマハッカ属なんだそうです。アルツハイマー病に有効性があるようで、さらには口唇ヘルペスに対して非常に有効のようですから、ほとんど医療用といってよい効能があるわけです。 緑の濃さが、なんだか安心感を醸します。 要するに口の周りが荒れちゃったというのに有効なら、何らかの免疫不全に対して免疫を高める働きをすると言うことでありますね。アルツハイマー病が、ひょっとすると免疫系の不全なら、こうした鎮静効果のあるハーブの働きが病気の有り様を教えてくれる可能性があるわけです。実は先日、大昔お世話にな...

若い身そらで禿頭。(8) update ver.

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2012年4月15日 今年はどうやらタンポポがきれいな年のようでありまして、一株あたりの葉っぱの数も多いし茎もあまたでありまして、今盛んに黄色い花が咲き誇っております。街路樹の植え込みのあたりを見ると、タンポポの黄色と、ポピーのオレンジ色が目立ちまして、種をまくわけはないので、どちらも自然に種が飛散し、季節が巡り巡って咲いているようであります。 花びらの数が例年より多かったりするの? タンポポのことをあれこれ考えようとしてみるんですが、何か特別な思い出があるのかというと、特にありません。実家の敷地内には、農道が通っておりまして、田んぼと家周りの畑の間を分けているのでありまして、田んぼのための用水が、その農道の脇に流れているのであります。この農道は我が家の南端でアスファルト道路から分岐し、隣家の通路と十字に交差し、数軒の家に通じる道路にぶつかって、T字路を作って終わるのでありますが、同じような農道がもうちょっと利用者が多いとアスファルトになるんですが、これはそうではないので、草の生い茂る道になっております。 実はT字路の近くでは、分譲して建った家がありますから、そこは少しアスファルトになっているのであります。ともかく、実家の農道は、オオバコ、シロツメクサ、その他諸々の雑草によって緑の道になっているはずであります。そこには、タンポポはいつでもあり、いつでもあることで何ら興味をひかない植物でありました。 タンポポコーヒーの話題ってよく聞きますが、実際見たり飲んだりしたことはありません。興味もない。 タンポポの盛りでありますが、桜のほうはどうなったのか、と思いましたら、もうあらかた散ってしまいまして、散った後の萼の部分か何かの赤が目立ちまして、紅色の木立に変身しておりました。桜並木にグラウンドが隣接しているんですが、そのグラウンドに昨日の雨の水たまりができておりまして、散った花びらが辺り一面に広がっているというような光景でありました。カラスが面白そうに水たまりを見ておりまして、時折は水を飲む仕草もするんですが、どうも自分の姿を確認しているようで、鏡を見るなら随分カラスは進歩しているということになるでしょう。 撮影されていても、気にしないカラス。 気付いていないのではなくて、気付いていても気にしない振りをしております。グラウンドでサッカーをしている若者がいたんですが、別に彼ら...

若い身そらで禿頭。(7) update ver.

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2012年4月14日 私の職場にも禿げている人はたくさんいますので、まあこのブログの存在なんて知らない事でしょうから、たぶん知らぬが仏、怒っていたりはしないと思いますが、仮にさんざん宣伝しておいて、今回のタイトルなら後で殴られることだってあるでしょう。 昔職場で声を掛けられまして、「ちょっと話を聞いて」と言うことだったのでレストランのティータイムに招待されたんですが、出張して、仲良く飲んでいたら、最後に喧嘩になって殴られたんだそうであります。ほほう、やられましたか、あれは狂犬だと噂の人ですが、そばで飲んじゃったんだ、なんて言いながらコーヒーにチーズケーキでも注文して、おごってもらって食べたんだったでしょうか。 それでそれで、と聞きましたら、自分の住所の警察署に出向いて訴えようとしたんだそうであります。そうなの、聞いてくれたの?と水を向けると、もじもじしまして、 「それが、あんた職場でみんなに好かれてるの?」 って担当の人に聞かれたんだそうでありあまして、そうしたら本人は押し黙って、ずるずると後退して、退散してきたんだそうであります。なあんだ、それじゃあダメじゃん、と私は言ったかどうか。聞き手はもう一人いたかも知れないんですが、ともかくそれでどうするんだろうと眺めますと、裁判だ、訴えてやる、と握り拳に力が入るんですが、見たところ殴られた跡なんかどこにもありませんから、ようするに殴ったと言うよりは絡まれたんですね。 絡まれて平手打ちだか拳骨でコツンと叩かれたわけで、お互い酔っぱらってその程度ですから、どうもこっちもそぞろになりまして、訴訟って言ったって無理だよね、お医者さんに行ったの? というあたりでは、もう精算も済ませて背中を向けて別れていたと思います。悔しかったら、相手が飲んでいるところに後から忍び寄って、思いっきり逆襲しに行けばいいんでしょうけれども、もう大人になっていましたので、そういう危ないことも言わずに終わったわけであります。 職場で嫌われているなら、一発くらい殴られるだろうというのは、ごもっともでありまして。 もちろん、暴力なんてとんでもないのでありますが、空手や柔道やボクシングの達人が勤めている職場ではありませんから、お互いへなちょこパンチなんであります。きっと、相手が傷つくようなことをさんざんいい気になって言いつのったあげく、別れしなに一発お見舞いされ...

若い身そらで禿頭。(6) update ver.

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2012年4月14日 つい最近まで丸裸だった樹木が、新しい芽を出して春の到来を実感させております。去年の放射能騒ぎの後で芽吹きましたが、どの程度汚染されたのか、放射能はこの樹木にどれくらい影響を与えたのか、そのあたりは世間が騒ぎませんのでよく分からないわけです。 世界の人は日本は汚染がひどくて住めないと考えたわけで、ドイツの人を始めとして帰る国のある人は帰国したわけです。チェルノブイリの汚染のその後を知っているわけですから、これは現実的な行動であって誰も責めることは出来ません。東京電力の恩恵を受けていた首都圏の人たちの多くは、仕事や学校がありますからそのまま居残ったわけで、そうなるとみんな不安を抱えながら、沈黙とは行かないまでも、ことさら騒がない方向で対処したということです。 そのことが、福島の人々の避難行動を鈍らせてしまった側面があるでしょう。万事、控えめな土地柄であることが、災いにもなり、また無用な混乱をきたさない点では幸いにもなったということなのであります。 写真は、カエデの一種、手向山の新緑です。 これを方言で言えば、「仕方あんめえ」であり「因果見た」ということでありますが、すぐに目に見えて影響が現れないだけに、事の本質は非常に重大なんであります。 何を今さら言っているのかといいますと、子供がお世話になった幼稚園にはカエデ園というものがありまして、カエデの林があったからなんであります。これも一本だけだとなんでもないんですが、20本、30本と揃いますと、赤い葉っぱが濃く見えて、紫色とか茶褐色の塊となりますので、そこで異彩を放つということになるのであります。カエデ園の隣の駐車場で、子供に自転車を教えたことや、両手に子供の手を握りまして通園させたことを思い出すと、ちょっと胸がうずくのであります。私のそうした行動を、感無量の思いで見守っていた人が何人かいるんでありまして、こちらのごく普通の行動が周囲の人に感無量であるということは、実は大変なことなのであります。 ふつうであることのありがたさってことであります。カエデを見ると、そういうことをふつふつと思い出して、ため息と言いますか、嘆息と言いますか、井伏鱒二さんの『山椒魚』の主人公のように、あああと声を発してしまうわけです。 去年生えていた場所に、今年もその植物が生え出しまして、なんとなく安堵するわけであります。 一昨...

若い身そらで禿頭。(5) update ver.

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2012年4月13日 妙なタイトルを付けていてごめんなさいであります。だいたいにおいて、住んでいる場所を考えたら、「高原」を名乗るブログの名前が羊頭狗肉でありまして、羊頭を掲げて狗肉を売っているわけなのであります。たぶん、高原のペンション経営でもしている人のブログかと訪問した人がいたら、そうじゃないんでふざけるなと叱られますから、これまたごめんなさいであります。 また、植物の知識が満載のブログかと辿り着いた人がいたら、それは見かけだけで、無知蒙昧、何にも知らない初心者でありまして、後半はわけの分からない蘊蓄でありますから、それもこれも、あれもどれも、ほんとにほんとにごめんなさいであります。 愛らしいドウダンツツジの花。剪定の跡が痛々しい。 街路樹で見かけるドウダンツツジは、手入れが適切なのか、きれいに咲いているものなのであります。その場合、てっぺんを水平にカットしているのが目立ちまして、きれいにガードレールくらいの高さに揃えてあるわけです。それでもって、花がきれいに揃いますから、うらやましいのなんの。球形にカットしてある我が家の庭は、どうも手入れの仕方が違っているようなのであります。 せっかくの庭師の仕事に口出しするほど庭いじりのキャリアがありませんから、黙ってみているだけ、お任せなんですけれども、さて、このまま見守るともう少し咲く花が増えるものでしょうか。葉っぱが芽を出さないので、心配なのであります。 本格的に春らしい陽気になりましたが、もう桜は花吹雪となり、週末は見頃を過ぎました。 先週末の五分咲きくらいで花見をした人が大正解でありまして、こうなるとお重をつつくも何も、花びらと埃が舞いまして、大変ですね。運動会なんかもレジャーシートやらむしろを敷いて見物するんですが、地べたに一枚敷くだけで座り込むのが、なんとなく嫌なんですがいかがなもんなんでしょう。 子供時代の運動会は九月のことでしたが、寒冷地のことですから、秋風が心地よく、葡萄やなしの香りがうれしくて、のりまき・おいなりさんに込められた母の愛情も格別でしたから、うっとりするような記憶ばかりであります。 写真は鈴なりのオオキバナカタバミ。春爛漫。 かけっこは入賞のおぼつかない鈍足でしたから、同級生の後ろをただ走るだけでしたが、障害物競走やらチャンスレースになると、これは一等は無かったものの、二等や三等は取りまし...

若い身そらで禿頭。(4) update ver.

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2014年4月13日 ツツジの枝にくっついているのは、おそらくハラビロカマキリというカマキリの卵でありまして、昨年の初頭にカマキリ姉妹の最期を見届けましたので、気になってしょうがないのであります。二度の積雪の際に、ツツジにはどっさり雪がかぶりましたけれど、こういう形状ですから、問題なく無事に冬を乗り切ったようであります。何度撮影してもピントが合わないのですが、今日はたまたまピンとが合いまして、何の変化もないのに掲載となりました。 まもなくカマキリが生まれてくるでしょう。 地球が誕生して、気の遠くなるような年月でありますが、ある時生命体が生まれたんでありましょう。それは最初からだったかも知れませんが、原始生命体は徐々に地球環境の中で増殖しまして、いろんな適応を見せて、多様な動物・植物になったのだろうなと想像いたします。人間の場合には、祖先を辿って行くと、何人かのおおもとに収斂されて行くというような話を聞いたことがありまして、一個体からの派生とまでは言ってないんですけれども、あなたも私も祖先の祖先の祖先の、そのまたずっと先の祖先は同じ人だったかも知れないということでありますが、人とカマキリがどこかで同じ生命体を先祖として持つなんてこともあり得るんでありましょうか?素人としては、それもあるんだろうなあと思うのであります。     なんとなく、ことの成り行きで『徒然草』の第137段冒頭の一文の解釈にこだわっております。     「花は 盛りに 、月は隈なきをのみ見るものかは」というのが、それであります。 杓子定規にものを考えるということがありまして、決まりは決まりだから、例外はダメというようなことを世間で言われたりいたします。「規則だからダメ」って言う立場でありますね。これはつまり、規則というような架空のものに責任を負わせるわけでありまして、規則はその場面では固定されておりますから、ダメなものはダメなんですね。ところが、規則にはそれを定めた狙いがありまして、定めた人がここにいたら、規則を変えてしまったりいたします。 このことは、『ハリー・ポッター』のなかで、ホグワーツ魔法魔術学校の校長であるダンブルドアが「それは私が決めた規則じゃがのう」と言うシーンがありまして、この人は権力志向ではありませんから自分勝手なのではなくて、生徒のためというような観点から規則を弾力運用しようとす...

若い身そらで禿頭。(3) update ver.

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2012年4月13日 いい天気だったものですから、昨日は私としてはまあまあの写真がたくさん撮れまして、紹介し足りないなあと思っていたので、今日も使っちゃおうということです。絞りであるとかシャッター速度とか、もうそんなことは考えていないわけで、デジカメ任せでありまして、どうせ昨日と同じアングルの写真を撮るつもりですから、どっちみち同じと言うことであります。まったくこだわりがないのが、私のこだわりであります。 写真は、散り始め青葉も見える桜。 いいなあ、桜は盛りだけを見るものでは無いのであります。本邦初の見解だと思うんですが、特許を取っていいでしょうか。桜は散り始めた姿、散り果てようとする姿、それが一番いいので、そこでまじまじ見る、という特許でありまして、それを実践する時は、課金しまして私が莫大な料金を収納するという特許であります。 私の叔父に、あることで特許を取るぞと鼻息荒く説明してくれた人がいまして、それはたぶん印刷の組み版を保存する巨大な収納システムの話でありました。簡単に言うと、タワー駐車場のシステムと同じものを考えていたようでありまして、すごいねと話をあわせましたが、胸の中で変だなあと思っていたのであります。 もうあの頃、コンピューターによるデータシステムの話は印刷業者も考えていて、雑誌の校正で訪れると、さかんに就職しないかと声を掛けられたのであります。実際、コンピューターによるデータ管理の現場も見せられましたが、いやはやそれは今考えると大変なアナクロであります。 幅5㎝くらいの記録用の紙の帯に、1㎜くらいの穴が無数に空いているという、記憶媒体であります。 だから、たぶん本一冊のデーターを残すのに、消防自動車のホースを巻き取ったような記録用の紙が必要でありまして、それでも組み版をそのまま残すよりは収納量が格段に減るというようなものだったのであります。オペレーターが印刷物の情報を打ち込みまして、そうすると記録用の紙に穴がパンチされて行くものだったはずであります。 それを見学した後で、熟練の植字工さんの技を見物させてくれまして、この技術ももうお終いですよというような話でありました。就職は引く手あまた、学生サークルの校正の際に、大手印刷会社が社長さん直々で採用活動していたのであります。そのまま就職していたら、きっと今頃は左うちわでありまして、右手でカジノのスロット・...

若い身そらで禿頭。(2) update ver.

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2012年4月12日 自然の営みという物は、移り変わりの激しい物であります。四季折々、刻々と変化をして行きまして、留まる所がないのであります。ある時は、変化が表面的に感じられなくなりまして、停滞していると見えるのですけれども、実は大きな変化が兆しているはずでありまして、桜の咲く十日くらい前の桜の枝は、春など永遠に来ないのではないかというような様子をしておりましたのに、一輪が咲き始めると、次から次とつぼみがふくらみ、それが花弁を開いて、そしてあっという間に散って行っております。 写真は、芝生の上に吹きだまった桜の花びら。 漢詩の世界では、人事と自然を対比しまして、人事は転変を繰り返し、自然は不変の物だということになっておりまして、学校でもそう習ったのであります。人事というのは、中国の場合は王朝の交代でありまして、戦乱の覇者が皇帝となって君臨するんですが、そう何代も続かずにまた別の王朝に取って代わられるのであります。 それに比べて、自然は時が来れば花が咲き鳥が鳴き、山はそびえ川は流れ、草木は芽生えて枯れるのであります。なるほどなるほど、子供心には感服しまして、中国の漢詩は偉いなあ、世の中の道理を詩にして、理性的であるし雄大であるし情感もたっぷりであると思っておりました。 思っておりましたが、私はこのところ、昔習ったこと、自分が賢そうに理解できたと思ったこと、耳に心地よい解釈・注釈・論考・随想と言った物を、疑り始めております。うたぐりはじめてみると、疑わしいことこの上ないのでありまして、やはりこの世は早熟な秀才の作っている物であって、そういう人は従来の説を吸収するにたけてはいるんですが、実は少しも自分で考えない人でありまして、そのことは『百人一首』の解釈を見れば明らかなのであります。 まるで、散り敷いた桜の花びらのようでありまして、これらはもはや役に立たなくなっているのであります。あくまでも、桜のことを言っているに過ぎないと思っていただきたいと思います。 自然こそ、転変を繰り返し留まることがない物でありましょう。漢詩は嘘を詠むものなのであります。 つらつら考えて見ると、どうやら漢詩というのは、人材登用試験である科挙の試験の一つだったようでありまして、それができると進士になることができるものだったのではないでしょうか。 宮崎市定さんの名著であった『科挙』(中公新書、1963...

若い身そらで禿頭。(1) update ver.

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2012年4月12日 近所の桜並木の花びらが、風に舞ってこの庭まで到達しております。ひらひらしているのは花びらばかりではありませんで、この春初めて蝶々らしい蝶々が庭の中をひらひらしておりまして、去年も見た種類でありますが、念のため調べてみると、ああ、ありました、アゲハ蝶の定番、ナミアゲハであります。オスかメスかまでは私には分かりませんが、キアゲハと模様が違うと言うことを確かめましたので、間違いないようです。 ナミアゲハの成虫がいるということは? 幼虫もどこかにいたんでしょうか。『はらぺこ青虫』のモデルがどの種類の蝶々の幼虫かは分かりませんが、ナミアゲハの幼虫は大きくて愛らしいわけでありまして、しかし真冬の間どこにもおりませんでしたから、違う幼虫の姿でひっそりと冬をやり過ごしていたのでありましょう。そういえば、縁側というか居間の簀の子の下に、くしゃくしゃの領収書のようなものが二三日見えていましたが、そこがきれいになっておりますから、あれが飛び立ったのかも知れません。誰ぞなもし、領収書を丸めて捨てたのは、と思っておりました。手を出さずにほって置いたのが、今日の蝶の乱舞に結びついたかも知れません。 昨日の雨今朝の風、空を舞いアスファルト道路をすべり、うす桃色の花びらは、短い旅に出かけました。 咲いたと思ったら散るわけでありまして、咲く前と咲いている時と、散った時の落差が激しい花であります。近くで見ると白いような気がするんでありますが、遠目に見ると桃色と言いますか薄紅色でありまして、昨日は普段乗らない路線を利用しましたら、あんな所に桜並木があるのかと気が付いたりしまして、なかなか面白い物であります。散れば青葉になり、秋には紅葉して見せますから、けっこう長い期間楽しめる物でありますが、古典などを読んだら桜の紅葉の話はみじんも出て来ないわけで、それはソメイヨシノではないことも原因でしょうけれど、昔の人はどう感じていたんでありましょう。 この枝ももう散り果てそうです。 葉っぱが出る前につぼみが膨らんで花弁が開いてしまうわけで、どういうメカニズムが働いているのか、気になるところであります。葉っぱとともに花が咲くと言う種類もあるわけで、まだ咲いていない八重桜などは、そういうタイプが多いように思います。ひな人形に付いてくる桜と橘のセットの桜の木は、たぶん花びらだけではなくて葉っぱが付い...