若い身そらで禿頭。(1) update ver.

2012年4月12日


近所の桜並木の花びらが、風に舞ってこの庭まで到達しております。ひらひらしているのは花びらばかりではありませんで、この春初めて蝶々らしい蝶々が庭の中をひらひらしておりまして、去年も見た種類でありますが、念のため調べてみると、ああ、ありました、アゲハ蝶の定番、ナミアゲハであります。オスかメスかまでは私には分かりませんが、キアゲハと模様が違うと言うことを確かめましたので、間違いないようです。


ナミアゲハの成虫がいるということは?


幼虫もどこかにいたんでしょうか。『はらぺこ青虫』のモデルがどの種類の蝶々の幼虫かは分かりませんが、ナミアゲハの幼虫は大きくて愛らしいわけでありまして、しかし真冬の間どこにもおりませんでしたから、違う幼虫の姿でひっそりと冬をやり過ごしていたのでありましょう。そういえば、縁側というか居間の簀の子の下に、くしゃくしゃの領収書のようなものが二三日見えていましたが、そこがきれいになっておりますから、あれが飛び立ったのかも知れません。誰ぞなもし、領収書を丸めて捨てたのは、と思っておりました。手を出さずにほって置いたのが、今日の蝶の乱舞に結びついたかも知れません。


昨日の雨今朝の風、空を舞いアスファルト道路をすべり、うす桃色の花びらは、短い旅に出かけました。


咲いたと思ったら散るわけでありまして、咲く前と咲いている時と、散った時の落差が激しい花であります。近くで見ると白いような気がするんでありますが、遠目に見ると桃色と言いますか薄紅色でありまして、昨日は普段乗らない路線を利用しましたら、あんな所に桜並木があるのかと気が付いたりしまして、なかなか面白い物であります。散れば青葉になり、秋には紅葉して見せますから、けっこう長い期間楽しめる物でありますが、古典などを読んだら桜の紅葉の話はみじんも出て来ないわけで、それはソメイヨシノではないことも原因でしょうけれど、昔の人はどう感じていたんでありましょう。


この枝ももう散り果てそうです。


葉っぱが出る前につぼみが膨らんで花弁が開いてしまうわけで、どういうメカニズムが働いているのか、気になるところであります。葉っぱとともに花が咲くと言う種類もあるわけで、まだ咲いていない八重桜などは、そういうタイプが多いように思います。ひな人形に付いてくる桜と橘のセットの桜の木は、たぶん花びらだけではなくて葉っぱが付いておりますから、もちろんソメイヨシノではなくて八重桜か山桜のつもりのようであります。


ローズマリーの藪の中からすばっしこい昆虫が飛びたちまして、えええ、どうやらバッタのよう。



初めて見る昆虫でありまして、全身が茶色でありまして、驚いたのでありますが、調べてみるとすぐにわかりまして、どうやら「ツチイナゴ」という種類のようです。土気色をしているわけで、ある意味褐色の昆虫ですが、成虫の形で越冬するタイプということです。ライフサイクルが他のバッタの類とはちょうど反対で、枯れ草の下などで冬の寒さをやり過ごすとウィキペディアにあるんですが、あの寒さでは相当こたえたことでしょう。つらかったのではありませんか? しかし、真冬の間は見かけなかったんであります。


ぴょんと跳んで、サツキの上に着地しました。


こんな昆虫は生まれて始めて見まして、まあ、バッタの一種ということは誰の目にも明らかでありましょうが、しかし私に驚いてサツキの上に移ったのはいいんですが、カメラで撮影する間じっとしているのはちょっとどうかと思います。鳥などに見つかったら一巻の終わりではないのかね。そう心配するわけであります。去年と同じような物を見て、ダラダラとブログ記事を更新しようと思っていたのに、次から次と、新顔が現れまして、思ったよりもこの庭は変化に富むようであります。しかし、いい天気でありますね。残っている灯油を使い切ろうとストーブを焚いてみましたが、もうまったく不要であります。寒い日が来る時があるのでしょうか?


差別語を含む不穏なタイトルですが、私の言葉ではありません。ちゃんとした詩の一節であります。

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