若い身そらで禿頭。(9) update ver.

2012年4月15日


まだ綿毛のタンポポが見つかりませんでしたので、同じ禿頭でも桜の枝の禿頭をご覧いただくわけであります。バックをご覧いただくと、これは桜の花びらの絨毯でありまして、ほのかな桃色、いや桜色をしているのがお分かりいただけます。いかがでございましょう、桜色の絨毯を敷いたグラウンドで、ボールをけったりする愉しさは、これは味わったなら大満足、そうでございましょう? 皆様どなたも、「大満足」とそうおっしゃいます。


こうして桜の季節は一瞬にして終わりました。

柳も生えそろってしまえば、春が来たのは疑いようもないのでありますが、実はこれが春などと言う代物ではございませんで、猛暑・酷暑の夏の到来であります。さきほど、道具を手にしましてドクダミの芽を摘んでおりましたら、後頭部から背中にかけてじんじんと暑いのでありまして、さてはこれが紫外線かと思うわけですが、直射日光にあぶられて、思いの外暑いのであります。


朝晩がしのぎやすくなると、昼間は今度は耐え難い熱さというなら、これは初夏の到来でありまして、日本に春がないという言説には一票を投じたいと思います。そう考えれば、秋もなく、冬と夏が交替で襲いかかってくる国土ということなのであります。それは、実は関東以西の太平洋沿岸の話でありますね。


私の故郷は、ちょっぴりの春と、10日の夏、ちょっぴりの秋に、約半年の冬でありました。寒冷地。


どうやら、カナヘビさんたちが大喜びのハーブの名前が分かりまして、これはレモンバームということでよろしいでしょうか。特徴としては耐寒性にすぐれていると言うことでありまして、それならまさしくあの冬の厳しさをものともしなかったことからみて、間違いないと言うことでしょう。英語の名前はMelissaでありまして、シソ科のセイヨウヤマハッカ属なんだそうです。アルツハイマー病に有効性があるようで、さらには口唇ヘルペスに対して非常に有効のようですから、ほとんど医療用といってよい効能があるわけです。


緑の濃さが、なんだか安心感を醸します。

要するに口の周りが荒れちゃったというのに有効なら、何らかの免疫不全に対して免疫を高める働きをすると言うことでありますね。アルツハイマー病が、ひょっとすると免疫系の不全なら、こうした鎮静効果のあるハーブの働きが病気の有り様を教えてくれる可能性があるわけです。実は先日、大昔お世話になった方と話す機会が有りまして、どうやら母上を故郷から引き取っていらっしゃるんですが、様子がおかしいというか、はっきり言ってアルツハイマー病そのもので、パジャマを着て地下鉄に乗っちゃうらしいんであります。都県境を越えた終点のあたりから連絡があったりして身柄を受け取りに行ったというようなことですが、私もなるでしょうか?って真顔でおっしゃっていまして、お気持ちは痛いほど分かりました。


そう言えば、私の四人いる祖父母というのは、誰一人ぼけませんでしたから、身近な年寄りの困った話はないのであります。それ一つだけでも幸福な子供時代だったのかも知れませんね。特に二人の祖母は90を超えても元気でしたから、会えば会話が弾んだわけで、物心ついた時からおばあさんであり、西に困った孫がいればあやしに行き、東に親をなくした孫がいれば母代わりとなり、彼女になった女の子を連れて行けば、こんなきれいな人は見たことが無いとお世辞を言い、近所の人がいると、これが一番出来のいい孫だと紹介してくれたんでした。そう言う年寄りに私はなりたい。


誰かの詩に似ているが、誰の詩か思い出せないのであります。忘れようとしても思い出せない。


それは冗談でありまして、宮沢賢治さんの詩でありました。あの詩というのは、宮沢賢治の手帳か何かにあった詩でありまして、しかし子供の頃にちゃんと習った記憶が無いのであります。


今は、どこかで習うようでありますが、最近話題になったのは「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」という一節の「ヒデリ」が手帳では「ヒドリ」とあることでありました。「日照り(=旱)」というのは干ばつのことでありまして、これなら下に来る「サムサノナツハオロオロアルキ」というのと対句になると言うので、昔はそう紹介していたものです。しかし、本来の「ヒドリ」なら「日取り(=日傭取り)」の可能性が出てきて、いわゆる日雇いの土方の類ということになって、それはそれで意味を成すと言うことでした。何となく、岩手県の発音ということを考えると「ヒデリ」が、表記上「ヒドリ」とあってもいいような感じでありまして、そう言う説もきっとあるでしょうね。


写真で、桜の最後の雄姿をご覧下さい。

ところで、今試しに「ヒデリ」を小学館の『日本国大辞典』(第二版)でひいてみましたが、それが「ヒドリ」の類に変化するとか、方言の語形に存在すると言うことはありませんから、これはやはり宮沢賢治自身が誤字をしたのでなければ、「ヒデリ」に改訂するのは無理な感じがいたします。まあ、原稿というものはもちろん、手書きの手帳であれば、ついつい誤記を犯すことはあるでしょう。


ただし、ここが誤字であると断定するのは、証明がとてもできないからこそ後で問題化したんでしょうね。「日・照り」という語源が結構意識しやすい言葉ですから、宮沢賢治に「デ」を「ド」に誤る癖があったのなら致し方ないが、そうでないと改訂は無駄であります。ところで、「日取り」のほうは、これは『日本国語大辞典』には載っていないわけで、古典なら「火取り」というのは、小道具としてよく見る言葉ですが、どうも旗色が悪いような気がします。「日傭取り」の「日取り」だと言われてしまって、そう言う言葉があると思い込みますが、さて、もしかしてそんな言葉はないのでは? 「ひやとい」という言葉なら耳に馴染みまして、「日雇い・日傭い」と当て字するんであります。


愚案を一つ出してよろしいでしょうか。「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」というのは「独りの時は涙を流し」ではいけないのでありましょうか。上から「雨にも負けず」の詩を見ていくと、人のために頑張る人の様子なんですが、それらに対して「独り」の時はダメな人ということではないでしょうか。「独り」なら、これを「ひどり」と発することは、東北地方なら例外なくみんな経験のあることで、大方の賛同はいただけるかも知れません。ただし、そんな風に濁音化する言葉が他にもあるのにここだけ?って言われたら、あっさり脱帽であります。


「日取り」が一般的な言葉ならまだしも、文脈上もかなり無理があるから「ヒデリ」とするんでしょうね。

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