埠頭を渡る風を見たのは。(2) update ver.
2011年の11月の頃に書いたブログ記事を、再掲載しております。情報が古いことはどうかご容赦ください。
2011年11月10日
昭和53年(1978)10月5日に発売されたシングル『埠頭を渡る風』という曲について考えております。歌の中の主人公たちが、二人で埠頭に来る「悲しい夜」とは、一体どういうことでしょう?
この男性は運転する人でありますから、18歳以上でありまして、そうするととりあえず一人前の男子でありまして、昭和53年以前なら大学生は大人扱いでありまして、もちろん成人していて仕事を持っていてもいいわけですね。「私」と名のる主人公はユーミンの分身でいいわけで、だとしたら昭和29年(1954年)生まれのユーミンはこの時24歳くらいでありまして、結婚適齢期というか、この時はすでに既婚者でありますから案外大人の歌であると考えるべきなのでしょう。昭和29年生まれというと、いわゆる団塊の世代の後半くらいの人でありまして、だったらデートの相手は団塊の世代の前半くらいの人かもしれません。
結婚適齢期の男女にとって、何があると「悲しい夜」と言えるのか、たくさんあり過ぎて何も見えてこないような気がいたします。さてさて、どのように考えたら答えが見つかるのでしょうか。
メロディーとか、アレンジが最高にシックで、畳みかけるように迫って来るもんですから、歌詞に破綻がない以上、享受している側としてはそこに描かれている「埠頭」「街の灯り」「ほうき星」「倉庫」「闇の中」「ゆるいカーブ」と言った印象的な言葉によって、それまで歌謡曲では出てこなかったような風景を頭に浮かべてしまいます。その結果、たぶんほとんどの人がそうだと思うのですが、悲しみの実態には思い至らないわけです。どちらかと言えば、晴海埠頭なんかの隣のカップルの様子をちらちら見ている感じがしまして、あんまりよその二人の関係に立ち入らないようにするのがマナーです。というか、こっちはこっちで、ここまで連れ立って来たデートの仕上げに余念がない、余裕がない、という事ではないでしょうか。
つまり、二人の関係を、主人公当事者の視点から離れて、他者の視点で眺めるつもりになると、歌詞の別のところが目に付きます。
たとえば、「何もいわずに私のそばにいて」というからには、女の子が男に密着しまして、とても熱心な感じですよね。「もうそれ以上やさしくなんてしなくていいのよ」っていうからには、男のほうもエスコートすることに慣れた、照れなんてない、洗練された男子であります。どう見ても相思相愛のカップルに見えまして、それにしては歌詞の内容は必ずしも一心同体ではなくて、あとでカーブを利用して彼のほうへ倒れ込んでみようなんて狙っておりますから、二人は友達以上恋人未満、今夜が勝負の夜なのかも知れないことはうすうす分かります。
段々分かってくるんですけれども、この男性は普段は強気の男性ですが、膝を抱えて母性本能をくすぐる少年のような一面をデートの現場で見せるんですね。デート先で、膝を抱えるポーズというのは、少々おかしいわけで、冷静に考えると、妙な動作です。主人公の女の子が、「やさしくしなくていいのよ」というのは、これまでというか、普段めちゃめちゃやさしいことに常々感激しているんだけれども、そんなことよりあなたの当面の課題のほうを解決してねというようなメッセージであります。ただ、このメッセージが、実際に口に出して言葉で発しているのか、それとも彼女の心の叫びなのか、歌の中ではたぶん判然といたしません。
実は、こうやって整理しているうちに「悲しい夜」の正体は分かってきているんですが、頭を冷やして、つまらない憶測でないかどうか考えてみたいと思います。ご存知の方は、「うたまっぷ」などに出て来る歌詞を出して、youtubeで曲を検索してカラオケを出して、誰かとデュエットするのもいいかもしれません。
コンサートのラストで歌うことが多いという情報があるんですが、ということは、ユーミンにとって非常に大事な歌ということであります。あるいは、コアなファンに非常に受けがいいという歌なのかもしれません。ラストで歌うって本当なんでしょうか。ほんとに?
作詞はもちろんユーミンでありまして、このかたの作詞というのは、イメージの喚起力が抜群でありまして、ご本人にとっては当たり前の光景を切り取ったものなのかも知れませんが、東京・横浜などの豊かな生活をバックにして時代の先端を走っていたのであります。『ベルベットイースター』という曲が、若い頃の私のお気に入りの歌だったのでありますが、都会の女の子はそういうものだという印象が私の脳みそにはすり込まれてしまいました。東京に出る以前から、この歌によって想像して作った都会の女の子のイメージが、確固として脳内に君臨しているくらいであります。実際に見たこともないのに、記憶が作られてしまったようです。つまり、小雨の朝にママのブーツを履いて外出している、キュートな女の子でありますね。それが向こうから、天使のように歩いてきたりするんであります。
『埠頭を渡る風』もまた、動かしがたいイメージに溢れていると思います。
メロディーに乗って流れるユーミンの歌声を聞いていたら、この『埠頭を渡る風』は完璧な歌詞でありますが、毛を吹いて疵を求めたところに、実は秘密が隠されているのではないかと思うのです。『百人一首』でもそうですが、一度完成版として味わってしまうと、もう手出しができないような、ケチの付けようがないものという思い込みをしますけれども、歌詞だけを丁寧に眺めてみると、問題点が見付かるものなのであります。そして、そこから真実と言いましょうか、もうちょっと上等な解釈の可能性がほの見える時があるんですね。破綻しているように見える所に、作詞者の思いであるとか、新たな表現が盛り込まれているのではないか、と言うようなことであります。気になる所を三つ提示してみます。
①「悲しい夜は私をとなりに乗せて」の「悲しい夜」はどんな夜? そして「乗せて」は、
命令?おねだり?
②「埠頭を渡る風をみたのは」の「埠頭」はどこ? そして、「風をみた」という表現は、
語法的に大丈夫?
③「それは失くした写真にするみたいに」の「失くした写真」に対して、どうやってどのように
キスはできるの?
ウィキペディアの『流線型'80』には、曲ごとの解説が付いておりまして、これが非常に親切なのであります。ただし典拠がありませんから、アルバムなどの解説文からの引用なのか、それとも記事を寄せたかたの独自見解なのか、そこが私などには見分けることができないのであります。
しかし、埠頭は晴海埠頭のことである、ユーミンがコンサートの最後に必ず歌う、花火を打ち上げるとあると、これはもう分かる人には分かる、そして私のような門外漢には永久に分からない秘密が隠されておりまして、しかし素直にグーグルで検索を掛けたら、謎はあっという間に解けてしまいました。
で、何を検索したかというと晴海で開催されていたイベントは何かと言うことなんであります。そうすると、これは「東京モーターショー」と出てきまして、要するに晴海の国際見本市会場で長らくお馴染みであった、人気イベントにすぐたどり着いたのであります。要するに、このイベントに参加したことのある人は、ユーミンの『埠頭を渡る風』を聞いたら、即座にこのイベントと会場を思い浮かべまして、あれやこれや青春の日々が浮かぶという仕掛けなのであります。もちろん私は何も浮かびませんから、ちょっとお勉強するしかないわけであります。いつ気が付いたのかって言うと、ほんの2時間くらい前ですから、よくご存じの方がいたら驚くでしょうね。耳にしたことはあっても、気にも止めていないものであります。
第22回の東京モーターショーは、昭和52年(1977)10月28日から11月7日まで、203社の704台。
すごい出品数でありまして、見に行った人の数が、99万2100人と言うのですけれども、実はオイルショックの後でブームは下火でありまして、隔年開催になっていた頃なんでありますね。それまでだと、150万人くらい参加者を集めていた時もありまして、経済の動向をもろに反映していて、変遷があるようなのであります。
これを友人や知人と見に行ったり、恋人とデートに使うなら、季節から言っても「白い吐息が闇の中へ消えてゆく」という寒い頃のことでありまして、埠頭を渡る木枯らしがいろんなものを揺らし、コートの裾をはためかして、「風をみた」と言えるでしょうし、もちろんモータリゼーションという「時代の風」を見ることもできるわけであります。
なるほど、どうもおしゃれな歌だと思ったら、国際的なイベントのにぎやかさを背景にしていたのか。単なる思い込みとも言えるのでありますが、とりあえずこの思い込みに従って考えて参ります。
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