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足利将軍撰『新百人一首』を読む(16) 源信明

16 ほのぼのと有明の月の月影にもみぢ吹きおろす山おろしの風  源信明朝臣       【標註】 (記事なし) 【出典】 〇『新古今集』巻六・冬591(『新編国歌大観』第一巻)   題しらず      源信明朝臣 ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしのかぜ  【語釈】 〇ほのぼのと あけぼのの夜が次第に明けてくる様子を表す副詞。「明け」に掛かってゆくか、もしくは「有明の月」を導く枕詞的用法とも言えるだろう。この表現は『万葉集』にはない。『古今集』では、巻九・羇旅409(一説柿本人麻呂)「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く船をしぞ思ふ」一例のみ。『新古今集』ではこの歌を含め三例あり、残る二例は巻一・春上2(後鳥羽院)と37(藤原家隆)である。〇有明の月 満月以降、特に二十日前後の月を言う。真夜中過ぎに南中し、明方に西の空に残る月を指して言うことが多い。『万葉集』では2229「在明之月夜」・2300「在明能月夜」・2671「在開月夜」と三例にみられ、「ありあけのつくよ」または「ありあけのつきよ」と読んでいる。『古今集』には二例、巻六・冬332(坂上是則)「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」、巻十四・恋四691(素性法師)「今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」。『新古今集』にはこの歌を含めて25首「有明の月」の歌があり、そのうちこの歌を含め6首が字余り。〇月影 月の光、もしくは月そのものも指す。月に照らされた人の姿を指すこともある。『万葉集』には、「月影」は一例のみ。1714「月影所見」を「月の影見ゆ」と読んでいる。『古今集』には5例ある。巻五・秋下281(読人不知)「佐保山のははその黄葉散りぬべみ夜さへ見よと照らす月影」は、「もみぢ」と「月影」の取り合わせの歌で、注目される。〇もみぢ 秋に露や霜に当たって色変わりしたと考えられていた木の葉。赤や黄色の枯葉。『新古今集』では「紅葉」とするが、「黄葉」の可能性も考慮する必要がある。『後撰集』巻七・秋下401(読人不知)「もみぢ葉の散り来る見れば長月の有明の月の桂なるらし」。〇山おろしの風 山から吹き下ろす風。烈風をイメージするべきか。『古今集』巻五・秋下285(読人不知)「恋しくは見てもしのはむ紅葉はを吹きな散らしそ山おろしの風」。『千載集』巻十二・恋二707(源俊頼)「憂か...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(15) 玄賓

15 山田もるそほづの身こそ悲しけれ秋はてぬれば訪人もなし  僧都言賓       【標註】 〇「そほづの身」は、案山子の如き身の意なり。 【出典】 〇『続古今集』巻十七・雑上1608(『新編国歌大観』第一巻)    備中国湯河といふ山寺にて   僧都玄賓     やまだもるそほづの身こそあはれなれあきはてぬればとふ人もなし ※作者名が、標註は「僧都言賓」だが、『続古今集』は「僧都玄賓」となっている。三句目、標註は「悲しけれ」だが、『続古今集』は「あはれなれ」となっている。永禄九年奥書の『新百人一首』版本では、「僧都玄賓」「かなしけれ」とある。なお、たとえば岡山大学附属図書館蔵の写本『続古今和歌集』では、「そほづ」が「僧づ」と表記されている。 【語釈】 〇山田もる 「山田」は山間にある田んぼ。鳥獣の害にさらされるので、人が監視をする必要がある。『万葉集』巻十一2649「あしひきの山田守る翁が置く鹿火(かひ)の下焦がれのみ我が恋ひ居らく」、『古今集』巻五・秋下306(忠岑)「山田守る秋の仮庵に置く露は稲負鳥の涙なりけり」。〇そほづ 「案山子(かかし)」で、『古事記』には「そほど」とある。『古今集』巻十九・雑躰・誹諧歌「あしひきの山田のそほづ己さへ我をほしてふうれはしきこと」。奥義抄に「そほづとは、田に驚かしに立てたる人形(ひとかた)なり」とある。ここは、音の類似を生かして「僧都(そうづ)」と掛けた。〇僧都 大寺院を管理する僧官である僧綱の一つが僧都。僧綱には僧正・僧都・律師があり、さらに僧都にも大僧都・権大僧都・少僧都・権少僧都の四階級がある。『岩波古語辞典』は「僧都」の項で、玄賓の歌の影響で、「僧都」が「案山子(かかし)」の意を帯びたことを指摘している。猪苗代兼載『古今私秘聞』には、「そほずと云ふは山階寺玄賓僧都より起れり。かがしの類也」とある。〇悲しけれ 『続古今集』では「あはれなれ」 「こそ」の結びで形容詞「悲し」の已然形。「悲し」も「あはれなり」も、自らの心情を言うときは悲哀・悲嘆を表す。他者について述べる時は賞讃・慈愛を表す。訪問者のいない案山子・僧都の心境なので、「つらい・悲しい」の意である。〇あきはて 案山子の歌としては「秋果て」であるが、僧都の歌としては「飽き果て」で、僧侶として尊崇の対象でなくなることを意味するか。〇訪人もなし 『万葉集』にもこの表現...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(14) 大伴旅人

14 いざやこらかしひのかたに白妙の袖さへぬれて若菜摘てん  大納言旅人      【標註】 ※記事なし 【出典】 〇『新勅撰集』巻八・羇旅・巻頭歌494(『新編国歌大観』第一巻)    大宰帥に侍りける時、府官らひきゐて、香椎潟にあそび侍りけるによめる 大納言旅人     いざやこらかしひのかたに白妙のそでさへぬれてあさなつみてむ ※詞書の「香椎潟」を「香椎浦」とする伝本がある。 【語釈】 〇いざやこら 「いざ」は勧誘の言葉。『学研漢和大辞典』によると、観智院本『類聚名義抄』に「去来」に「イサ・ユキキタル」という訓が出てくる。陶淵明の『帰去来辞』の「帰りなんいざ」の訓から来ているとする説もある。『万葉集』には「いざやこら」に相当する表現は6例ある。西本願寺本の表記は、63「去来子等」・280「去来児等」・388「率児等」・962(957)「去来児等」・2173「去来子等」・4487「伊射子等毛」であるが、「イザコドモ」と読むものが63・388・2173・4487の4例。これに対して「イザヤコラ」と読むものが280と962の2例ある。これらとは別に「子等」「児等」という例がたくさんあり、ほとんど「コラ」と読まれているが、まれに「コドモ」と読んでいる例もある。巻五・802・803の山上憶良の歌では、詞書に「思子等歌一首幷序」とあって、この「子等」は西本願寺本に訓がなく(普通は「コラ」と読む)、802の長歌の二句目は「胡藤母意母保由」であるがこれは「コドモオモホユ」と訓が付いている。考えてみると、「子等」「児等」は漢字音ではなく、意味を汲み取っているのだから、「コラ」と読むべきで、63は「イザヤコラ」、388は「イザヤコラ」、2173は「イザヤコラ」、そして4487は「イザコラモ」と読むべきなのではないか。『新勅撰集』の初句のような表現は、平安時代から伝わる読み方で、案外正しいという可能性がある。〇かしひのかた 香椎は、現在の福岡県福岡市東区付近。神功皇后がこの地で急逝した仲哀天皇を弔うために祠を建てたのが起源となって、香椎宮として今も遺っている。かつては海に面していたが、現在は海から遠ざかっている。『万葉集』の詞書には、香椎廟に参拝後に香椎浦で述懐の歌として詠んだと記されている。『新勅撰集』の詞書では「香椎潟にあそび侍りける」と、『万葉集』とは詠作事情のニュアンスが相...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(13) 八代女王

13 御秡するならの小川の川風にいのりぞわたる下にたえじと  八代女王       ※初句「御秡する」は「みそぎする」と読ませるか。二文字目「秡」は禾部(のぎへん)の漢字で、音は「ハツ」、意味は「稲が傷む。穀物が傷む」。人名としては「秡川」(はらいかわ)、「綿秡」(わたぬき)などに使われる。(辞典オンライン 漢字辞典ONLINEによる)。全国に「祓川」(はらいかわ)という名字や河川も存在するので、「祓」と「秡」は異体字のように扱うものかもしれない。 【標註】 〇「下にたえじ」は、忍びつつ思ひたえぬやうに祈りわたるとなり。 【出典】 〇『新古今集』巻十五・恋五1376(『新編国歌大観』第一巻)    (題しらず)   八代女王    みそぎするならのをがはのかはかぜにいのりぞわたるしたにたえじと 【語釈】 〇御秡・御祓(みそぎ) 『岩波古語辞典』は、「みそぎ(禊ぎ)」を「潔身」と漢字表記したうえで「身の罪やけがれを、川や海の水につかって洗いすてること。多く三月三日の行事としておこない、また除服の際に行う」と説明するが、「はらへ(祓へ)」の項目で、「相応の物をそなえて神に祈り、災や罪・けがれなどを除くこと。また、その行事。本来禊(みそぎ)とは別であるが、平安時代以降は混同されるようになった」とする。つまり、禊は本来身を濯ぐことであり、祓は供物を捧げることで、共通点は罪やけがれを排除する点となる。『万葉集』巻十一・正述心緒歌2403「玉久世の清き川原に身祓(みそぎ)していはふ命は妹が為こそ」。〇ならの小川 「楢の小川」は賀茂別雷神社(上賀茂社)の御手洗川のこと。昔この川で陰暦六月末に夏越の祓が行われたという。『古今集』巻十一・恋一501(読人不知)「恋せじと御手洗川にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも」。〇川風 川を吹く風。または、川から吹いてくる風。『万葉集』では、巻三425「川風の寒きはつせを嘆きつつ君が歩くに似る人もあへや」の一例のみ。『古今集』でも、巻四・秋上170「川風の涼しくもあるかうちよする波とともにや秋は立つらむ」と巻九・羇旅408「都出でて今日みかの原いつみ川川風寒し衣かせ山」の二例のみ。〇いのりぞわたる 日本古典文学全集『新古今和歌集』(峯村文人)頭注は、「神に祈りつづけることだ。「わたる」は「川風」の縁語」とする。「わたる」は四段動詞の連体形で、係...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(12) 大伴池主

12 神無月時雨にあへぬもみぢ葉のふかば散りなん風のまにまに  大伴池主 【標註】 〇「時雨にあへぬ」は、時雨の雨に堪へぬの意なり。新勅撰には時雨にあへるとあり。 ※明暦三年刊本(永禄九年奥書)『新百人一首』(九州大学附属図書館蔵相見文庫W105などは、二句目「時雨にあへる」とする。 【出典】 〇『新勅撰集』巻六・冬362(『新編国歌大観』第一巻)    題しらず   大伴池主 神な月しぐれにあへるもみぢ葉はふかばちりなむ風のまにまに 〇『万葉集』巻八・秋雑歌1594(1590) かむなづき しぐれにあへる もみぢばの ふかばちりなむ かぜのまにまに    右の一首は、大伴宿祢池主 〇『万葉集』巻八(西本願寺本)    橘朝臣奈良麿結集宴歌十一首 十月 鐘礼尓相有 黄葉乃 吹者将落 風之随 カミナツキ シクレニアヘル モミチハノ フカハチリナム カセノマニマニ     右一首大伴宿祢池主    以前冬十月十七日集於右大臣橘卿之旧宅宴飲也 ※二句目「鐘」を講談社文庫版などは「鍾」に改める。どちらも呉音「シュ」、漢音「ショウ」である。「鍾」は「鍾乳石(ショウニュウセキ)」で使われる字。「鐘」も「鍾」も時雨とは無関係。 ※四句目「将落」は、1621「ちりなむ」2317「ふりなむ」などと読まれている。『学研漢和大辞典』によると『類聚名義抄』には、「オツ」「シヌ」「フル」などはあるが「チル」は出てこない。「ふりなむ」または、「落葉」を「おちば」と読むので「おちなむ」と読むべきか。  【語釈】 〇神無月(かみなづき) 陰暦十月の呼称。「かむなづき」「かんなづき」とも言う。『岩波古語辞典』は、「中世の俗説に、十月は諸国の神神が出雲大社に集まって不在となるからという」と付け加えている。他に「雷の月、酒を醸す醸成月」などが『広辞苑』第四版に載る。『万葉集』4例、『古今集』7例は1例を除いて「しぐれ」が詠み込まれ、残る1例も「雨間」とある。季節としては初冬に当たるが、『古今集』巻五・秋下253「神無月時雨もいまだ降らなくにかねてうつろふ神奈備の森」のように秋に配置されることがあった。『万葉集』1594の池主の歌も左注は「冬十月」と断っているが、巻八編者は秋雑歌に配した。巻八の冬雑歌は主に雪と梅の歌で占められている。〇時雨  秋から冬にかけて、降ったり止んだりする通り雨。『後撰集...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(11) 紀長谷雄

11 我為は見るかひもなし忘草わするばかりの恋にしあらねば  中納言長谷雄 【標註】 〇「我為は」云々、後撰に「いひかはしたる女の今は思ひ忘れねといひ侍りければ」とあり。 【出典】 〇『後撰集』巻十一・恋三789(『新編国歌大観』第一巻)    いひかはしける女の、いまは思ひわすれねといひ侍りければ、はせをの朝臣 わがためは見るかひもなし忘草わするばかりのこひにしあらねば ※「いまは思ひわすれね」 交際していた女の別れを切り出した言葉。「もう私への愛情は忘れてしまいなさい」ということ。「ね」は強意の助動詞「ぬ」の命令形。現代なら「忘れてよ」という言い方に当たる。  【語釈】 〇我為は 「わがためは」は、「私にとっては」「私に関しては」の意で、他者との比較・対照を前提とする言い方。「ほかの人にとっては見る甲斐がある」のに対して「私にとっては見る甲斐もない」と、効果が自分には及ばないという認識を打ち出している。『後撰集』巻十一・恋三784(読人不知)「我が為はいとど浅くやなりぬらむ野中の清水深さまされば」。〇忘草 「忘れ草」は、ワスレグサ(ヘメロカリス)属の多年草。ニッコウキスゲやユウスゲなどの近縁種。花が一日限りで終わることが多いので、英語ではDaylily、ドイツ語でもTaglilieと呼ばれる。『岩波古語辞典』は「萱草〈くわんざう〉の異名。それを身につけると物思いを忘れるというので、恋の苦しみなどを忘れるために、下着の紐に付けたりまた植えたりした。恋忘れ草」と説明する。〇わするばかりの 「忘れる程度の」の意。「わする」は、下二段動詞の終止形。「ばかり」は終止形に付いて程度を表す助詞。〇し 強調を表す副助詞または係助詞。『岩波古語辞典』「基本助詞解説」は次のように解説する。「し」は確定的・積極的な肯定的判断を強調する語ではない。むしろ基本的には、不確実・不明であるとする話し手の判断を表明する語と考えられる。従って、話し手の遠慮・卑下・謙退の気持ちを表すところがあり、話し手が判断をきめつけずに、ゆるくやわらげて、婉曲に控え目に述べる態度を表明する語と思われる。(以下略) 【作者】 〇中納言長谷雄 平安時代初期の公卿であった紀長谷雄。父の紀貞範が長谷寺の観音に文才のある子供を願って生まれたため、長谷雄と名付けたという伝承がある。承和12年(845)生まれ。貞観18年(8...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(10) 藤原良房

10 年ふれば齢は老ぬしかはあれど花をしみればもの思ひもなし  忠仁公 【標註】 〇「花をし見れば」は、花を忠仁公の御女染殿の后にそへてよめり。古今に「染殿の后の御前に花瓶に桜の花をささせ給へるを見てよめる」とあり。 【出典】 〇『古今集』巻一・春上52(『新編国歌大観』第一巻)     そめどののきさきのおまへに、花がめにさくらの花をささせ給へるを見てよめる                   さきのおほきおほいまうちぎみ  年ふればよはひはおいぬしかはあれど花をし見ればもの思ひもなし ※「さきのおほきおほいまうちぎみ」は「前太政大臣」をいう。「さきの」が「前」、「おほい・まうちぎみ」が大臣をいう。「まうちぎみ」は「まへ・つ・きみ」で天皇に仕える人を敬って言う言葉で、「公卿」を指す言葉。 【語釈】 〇年ふれば 「ふれ」は下二段動詞「経(ふ)」の已然形。『岩波古語辞典』は「場所とか月日とかを順次、欠かすことなく経過して行く意」と説明する。『万葉集』巻十九4173(大伴家持)「妹を見ず越の国辺に年ふれば我が心どの和くる日もなし」。〇よはひ 『岩波古語辞典』は「ヨ(一生)ハヒ(延)の意か。多く人間の、重ね経た年齢にいう。類義語トシ(年)は、イネのみのりの意から、一年の意。『古今集』巻十七・雑上(読人不知)「留め敢へずむべもとしとは言はれけりしかもつれなく過ぐる齢か」※「年」に「疾し」を掛ける。〇しかはあれど 似た表現の「しかれども」は『万葉集』に14例(雖然8例・之可礼杼毛2例・然有十方・然鞆・之可礼登毛・之加礼騰母各1例)見えるが、『古今集』にはない。どういう事情があるのか分からないが、『岩波古語辞典』は「しかれども」について、「シカアレドモの約。平安時代漢文訓読系の用語」と解説し、奈良時代の例を失念している。良房が使った時には、老人めいた古い言い回しとして、効果を上げたかもしれない。〇花をしみれば 佐々木信綱の標註は、「花をし見ればは、花を忠仁公の御女染殿の后にそへてよめり」とする。 〇もの思ひ 心配や悩みをいう。『万葉集』巻三296(田口益人)「廬原の清見の崎の三保の浦の寛けき見つつ物思ひもなし」。 【作者】 〇忠仁公 藤原良房。延暦23年(804)藤原冬嗣の次男として生まれる。弘仁14年(823)嵯峨天皇の皇女源潔姫と結婚。天長6年(829)娘の明子が生まれてい...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(9) 藤原実頼

9 池水にくにさかえける巻もくのたまきの風は今ものこれり  清慎公 【標註】 〇たまきの風は珠城宮の遺風なり 【出典】 〇『続古今集』巻二十・賀1908(『新編国歌大観』第一巻)     日本紀竟宴歌、活目入彦五十狭茅天皇   清慎公  いけ水にくにさかえけるまきもくのたまきのかぜはいまものこれり ※「活目入彦五十狭茅天皇」は「いくめいりひこいさちのすめらみこと」と読む。写本などでは「いくめ」を「いきめ」とする。第十一代天皇である、垂仁天皇(すいにんてんのう)のことである。なお、垂仁と言うのは奈良時代に淡海三船が漢風に諡名したもの。 【語釈】 〇池水 「池」は、『岩波古語辞典』によると「生け」の意で、「魚などを生かしておくところ、養魚や灌漑用、のちには観賞用などに作られた」とする。『日本紀竟宴和歌』の左注には「いけをつかしむ(令作池溝)とあるので、ここは灌漑用に作られた池。現在の狭山池(大阪狭山市)を指すか。「池水」は、その池に水が溜められた状態をいう。『万葉集』巻二十4512(大伴家持)「池水に影さへ見えて咲き匂ふ馬酔木の花を袖に扱き入れな」。〇くにさかえ 『日本紀竟宴和歌』の左注には「御宝富み豊かにして(百姓富裕)」とある。『万葉集』巻七・雑歌「月を詠める歌十八首」1086「靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし」。〇まきもくの 「まきもく」は「まきむく」とも言い、「巻向山」付近。巻向山は奈良県桜井市、垂仁天皇の珠城宮が置かれた土地を言う。『万葉集』巻七・雑歌「雲を詠める歌三首」1087「あなし川河波立ちぬまきもくのゆつきが岳に雲居立てるらし」。〇たまき 垂仁天皇の皇居は、『日本書紀』では「纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)」とあり、現在の桜井市穴師付近にあったとされる。〇かぜ 佐々木信綱の標註は、これを「遺風」と解説している。「風」は本来大気の流れのことであるが、そこから人や時代に影響を与える風習や伝統・思想信条・教条などを言う。灌漑用の土木工事によって国家の繁栄を企図した政策を、ここでは表現している。『新勅撰集』巻二十・雑五1342(藤原俊成)「しきしまや やまとしまねの かぜとして 吹き伝へたる 言の葉は 神の御世より……」。 【作者】 〇清慎公 藤原実頼。藤原忠平を父として宇多天皇の皇女源順子を母として昌泰三年(900)に生まれ、蔵人頭・参議を...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(8) 藤原兼通

8 身のうさを思ひしりぬるものならばつらき心を何か恨みん  忠義公 【標註】 〇身のうさを云々 我身のうき事を知らば人のつれなきを恨む事はあらじとなり 【出典】 〇『続古今集』巻十四・恋四1229(『新編国歌大観』第一巻     かよひける女、ほどとほくまかりけるをなげきけるに、ほどをへておとづれたりける返事に 忠義公  みのうさをおもひしりぬるものならばつらきこころをなにかうらみむ ※巻十五・恋五1370に本院侍従の詠として重出する。「みのうしと」「つらきこころも」と異同がある。 【語釈】 〇身の憂さ 「身」は、自分自身の身体や境遇を指す。「憂さ」は、不満の晴れない心境や境遇。「身の憂さ」は、事の成り行きに対応できずに困惑していることを表す。ここは、「我が身の情けなさ」か。早い例は『後撰集』巻十八・雑四1269「涙のみ知る身の憂さも語るべく嘆く心を枕にもがな」か。〇思ひしり 「思ひ知る」は、事の成り行きや実情を悟ることや、実感を持つことを言う。ここでは、主語は歌を送ってきた相手の女。『古今集』巻五・秋下310(藤原興風)「み山より落ち来る水の色見てぞ秋は限りと思ひ知りぬる」。〇ものならば 仮にそういうものであったら、と慣例や常識ではないことを想像する表現。『古今集』巻八・離別387(白女)「命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし」。〇つらき心 「つらし」は相手の仕打ちを苦しいと思う心情を表す場合と、そうした仕打ちをする相手を薄情だ・冷淡だと非難する場合がある。ここは疎遠になっている兼通の態度を相手の女が「薄情な気持ち」と責めている。『拾遺集』巻十四・恋四884に「津の国の生田の池の幾度かつらき心を我に見すらむ」(読人不知)とある。〇何か恨みむ 「何か~む」は、「どうして~だろうか、いや~ない」という反語表現。「恨み」は、上二段動詞「恨む」の未然形。「恨む」は、古語には不満を言う・文句を言う・愚痴を言うなどの場合がある。ここは、相手の女が歌で兼道の疎遠を責めたことを言うので、主語は女。『古今集』巻二・春下112「散る花を何か恨みむ世の中に我が身もともにあらむものかは」(読人不知)。 【作者】 〇忠義公 藤原兼通。父は右大臣師輔、母は藤原盛子。延長三年(925)生まれ。天慶六年(943)19歳で叙爵し、天暦二年(948)左兵衛佐となるが、弟の兼家に出世が遅れ...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(7) 宇多天皇

7 立かへり千鳥なくなりはまゆふの心へだてておもふ物かは  亭子院 【標註】 〇立かへり云々 新拾遺に「亭子院歌合に左方にうへの御心よせありとて右頭の女の恨み給ふよしきこえければ」とあり 〇浜木綿のは隔ててといはん為なり 【出典】 〇『新拾遺集』巻十八・雑上1703(『新編国歌大観』第一巻 ※二句目「なくなる」と異同がある)     亭子院歌合に左方にうへの御心よせありとて右頭の女七のみこうらみ給ふよし     きこしめして    亭子院御製   立帰りちどり鳴くなるはまゆふの心へだてておもふものかは 〇『亭子院歌合』(『新編国歌大観』第五巻 歌番号60番と61番の間 ※初句・二句に異同がある)   かくてひだりかたにうへの御こころよりたりとて、みぎかたのみこうらみきこえさせたまふときこしめして 院     ゆきかへりちどりなくなるはまゆふのこころへだてておもふものかは   ひだりもみぎもこれはあはせずなりぬ。     【語釈】 〇立かへり 「立ちかへる」は「すぐに戻る」意の動詞。「たちかへり」で副詞となり、「何度も」「繰り返し」などの意となる。『古今集』474(題知らず・元方)「立帰りあはれとぞ思ふよそにても人に心をおきつ白波」。〇千鳥 チドリ科の鳥。海や河の水辺に棲息し、「チチ」と聞こえる鳴き声を発し、群を成して飛ぶ鳥。ここは、宇多天皇の勅判に対する右方の不満の声を例えている。『百人一首』78番・源兼昌「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいくよ寝ざめぬ須磨の関守」。〇なくなり このままだと二句切れの歌となる。『新拾遺集』や『亭子院歌合』では「なくなる」で、三句目の「はまゆふ」に掛かる。「なり」「なる」は伝聞推定の助動詞で、「~が聞こえる」「~の声や音がする」の意。〇はまゆふ 元禄七年(1694)刊行の貝原益軒『花譜下巻』(明治43年1910『益軒全集』所収)には、「浜木綿」として、「葉は芭蕉ににて小く、厚くして堅し。海浜に生ず。葉の本幾重にもかさなれり。故に万葉第四巻柿本人丸の歌に、みくまののうらのはまゆふ百重なる、心はおもへど只にあはぬかな。葉のかさなれる事を、百重なるとよめり。いにしへは、大饗のとき、鳥の足つかむ料に、伊勢国みくまのの浜ゆふをめすといふ。童蒙抄に曰、此三熊野は伊勢の国にあり。一説志摩国にありと云。紀伊国熊野にはあらず」と考証している。大饗の鳥の足とい...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(6) 藤原菅根

6 秋風に声を帆にあげてくる舟は天の戸わたる雁にぞありける  藤原菅根朝臣 【標註】 声を帆にあげては声をたつるをいふ 【出典】 〇古今集・巻四・秋上212     寛平御時きさいの宮の歌合のうた  藤原菅根朝臣   秋風にこゑをほにあげてくる舟はあまのとわたるかりにぞありける 〇寛平御時后宮歌合 (秋歌二十番)     左     藤原菅根朝臣 110 あきかぜにこゑをほにあげてゆくふねはあまのとわたるかりにざりける    ※伝宗尊親王筆では三句目「ゆく」に「くる」の異文を傍書。五句目「ざりける」。 【語釈】 〇こゑ 「声」と「音」は古語と現代語で用法が入れ替わっていることがある。『岩波古語辞典』は、特に「こゑ」の解説で、漢字「声」の用法の影響があると見ている。「鳴き声」は「鳴く音」と表現したりする。「浪の音」が現代では普通だが、「浪の声」と表現したりする。ここは、舟を漕ぐ櫓の音が第一義的に表現されていると見るべきだろう。〇ほにあげて 「ほ」は掛詞とされている。「舟」「わたる」の縁語である「帆」が掛けてある。これに対して、「ほにあげて」というイディオムの「ほ」は、「穂」または「秀」と漢字を当てるもので、「穂」は秋になると実るイネ科の植物の実が集まった部分、「秀」は他よりも目立ったものを指す抽象的な言葉。「声を秀に挙げる」で、「声を高らかに張り上げて」の意か。〇ふね 雁は列をなして空を渡るので、これを雁行と呼ぶ。その集団を舟に見立てた。〇あまのと 天の門。ここは空の通り道。天の門を指すこともある。「門(と)」は水の出入り口、瀬戸。「由良の門を渡る船人かぢをたえゆくへも知らぬ恋の道かな」(曽祢好忠・百人一首46番)。〇かり 雁はカモ科の水鳥。「がん」とも言う。冬を日本で過ごす渡り鳥で、春には北方へ去り、秋に戻って来る。秋になって初めて戻って来る雁を「はつかり」と呼び、その声を「はつかりがね」と称する。『白氏文集』「河亭晴望』の四句目に「秋雁櫓声来」とあるので、これにヒントを得た表現と考えられる。〇にぞありける 「AはBなりけり」という、断定の助動詞に詠嘆の助動詞を使った表現に、係助詞が絡んだもの。『万葉集』にも、「なりけり」「なりける」「にぞありける」「にこそありけれ」という表現は数例ずつあるが、『古今集』では70例ちかくあるので、爆増したと言えるだろう。これもその中...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(5) 源当純

5 たに風にとくる氷のひまごとにうちいづる浪や春のはつ花  源当純 【標註】 (頭注なし) 【出典】 〇古今集・巻一・春上12     寛平御時きさいの宮のうたあはせのうた  源まさずみ   谷風にとくるこほりのひまごとにうちいづる浪や春のはつ花 〇寛平御時后宮歌合 (春歌二十番)     左  紀友則 01 花の香を風のたよりにたぐへてぞうぐひすさそふしるべにはやる    右  源まさずみ 02 たにかぜにとくるこほりのひまごとにうちいづるなみやはるのはつはな       ※定家筆本、初句「やまかぜに」とある。 【語釈】 〇たに風 「谷風」は『万葉集』に例がなく、古い『広辞苑(第四版)』には「谷を吹き通る風」とあり、そのあとに「昼の間に山腹近くの空気が熱せられて、山腹に沿い山頂に向かって吹き上げる風」と説明して、反対語として「山風」が挙げてある。「山風」については、「夜間に、山里から平地に向かって吹き下ろす風。夜、山腹が放射のため冷却する結果生ずる」として、それとは別に「山に吹く風、またやまおろし」と述べて百人一首にも採られている『古今集』の「吹くからに」の歌を掲示する。学研の『漢和大辞典』は、「谷」の熟語として「谷風」を挙げて、「万物を成長させる風。東風のこと」として、『詩経・邶風・谷風』の一節「習習谷風、以陰以雨」を引く。注があって「東風謂之谷風」とすることを、岩波新日本古典大系『古今和歌集』が指摘する。これは「谷から東風がさわさわと吹き、雲が出て陰り雨が降る」という意味らしいが、この詩は夫の浮気で妻が悲しむというような内容の詩として知られている。それとは別に、『漢和大辞典』は「谷から吹き上げる風」という解説をするが、これには例がない。平安京を前提にして考えると、都に最も近い谷は鹿ケ谷で、東にある大文字山(標高465メートル)から哲学の道のあるあたりまでの範囲。足利義尚の父義政(第八代将軍)の慈照寺銀閣は、鹿ケ谷よりは北に位置するが、大文字山の麓に当たる。〇こほり 直下に「ひまごと」下の句に「うちいづる浪」とあるので、池に張った氷を考えているか。谷川の光景とは思われない。内裏の神泉苑は平安遷都から造営され、平安時代末までその面影をとどめていたようだ。貴族の邸宅にも、寝殿造りの場合は池があったとされるので、大寒の頃に張った氷と考えるの...

足利将軍撰『新百人一首』を読む(4) 藤原宇合

4 山城のいはたの小野のははそ原みつつや君が山路こゆらん  式部卿宇合 【標註】 (頭注なし) 【出典】 〇新古今集・巻十七・雑中1589     題しらず       式部卿宇合   山城のいは田のをののははそはらみつつや君が山ぢこゆらむ 〇万葉集・巻九(国立国会図書館デジタルコレクション・西本願寺本)    (宇合卿歌三首)    1731 山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武    ヤマシナノ イハタノヲノノ ハハソハラ ミツツヤキミカ ヤマチコユラム 【語釈】 〇山城 律令制で定められた国の一つ。現在の京都府南部の地域。古くは「山代」「山背」であったが、平安京を命名する際に桓武天皇が「山城」と改称した。万葉集での表記には「山代」「山背」のほかに「開木代」などもある。原歌は初句は「山品の」。『万葉集』で「やましろのいはた」と続けた例には、巻十二・2856「山代石田社心鈍田向為在妹相難」(ヤマシロノイワタノモリニココロオソクタムケシタレヤイモニアヒカタシ)がある。〇いは田のをの 「石田」を「いはた」と読む。現在、京都府伏見区には「石田」を冠する町名が複数あるが、読み方は「いしだ」。「石田の杜」は伏見区石田森西町に鎮座する天穂日命神社と、京都府によって明治10年(1977)比定された。奈良から近江に向かう際に経由する場所で、宇治の北、山科の南に位置している。『枕草子』には「森は」の段は二つあるが、二つ目に「森は、うえ木の森、石田の森、木枯の森、うたた寝の森、岩瀬の森、大荒木の森、たれその森、くるべきの森、立聞の森。(以下略)」とある。〇ははそはら 「柞(ははそ)」はブナ科の樹木。ナラやクヌギなどを指し、大木となることが多く、ドングリを付ける。一般的には落葉樹。『古今六帖』1048「やましろのいはたのもりのははそ原いはねど秋は色づきにけり」。〇みつつや 『万葉集』の訓読では「みつつか」とする。『万葉集』巻十二3192「草陰之荒藺之埼之笠島乎見乍可君之山道超良無」(草陰の荒藺のさきの笠島を見つつか君がやまぢこゆらむ)という下の句がほぼ同じ歌がある。    【作者】 〇藤原宇合(ふじわらのうまかい)持統天皇8年(694)藤原不比等の三男として生まれる。奈良時代の公卿で、主に聖武天皇時代の人。初名は馬養。霊亀2年(716)に第9次遣唐使の遣唐副使に任ぜられ...