足利将軍撰『新百人一首』を読む(13) 八代女王
13 御秡するならの小川の川風にいのりぞわたる下にたえじと 八代女王
※初句「御秡する」は「みそぎする」と読ませるか。二文字目「秡」は禾部(のぎへん)の漢字で、音は「ハツ」、意味は「稲が傷む。穀物が傷む」。人名としては「秡川」(はらいかわ)、「綿秡」(わたぬき)などに使われる。(辞典オンライン 漢字辞典ONLINEによる)。全国に「祓川」(はらいかわ)という名字や河川も存在するので、「祓」と「秡」は異体字のように扱うものかもしれない。
【標註】
〇「下にたえじ」は、忍びつつ思ひたえぬやうに祈りわたるとなり。
【出典】
〇『新古今集』巻十五・恋五1376(『新編国歌大観』第一巻)
(題しらず) 八代女王
みそぎするならのをがはのかはかぜにいのりぞわたるしたにたえじと
【語釈】
〇御秡・御祓(みそぎ) 『岩波古語辞典』は、「みそぎ(禊ぎ)」を「潔身」と漢字表記したうえで「身の罪やけがれを、川や海の水につかって洗いすてること。多く三月三日の行事としておこない、また除服の際に行う」と説明するが、「はらへ(祓へ)」の項目で、「相応の物をそなえて神に祈り、災や罪・けがれなどを除くこと。また、その行事。本来禊(みそぎ)とは別であるが、平安時代以降は混同されるようになった」とする。つまり、禊は本来身を濯ぐことであり、祓は供物を捧げることで、共通点は罪やけがれを排除する点となる。『万葉集』巻十一・正述心緒歌2403「玉久世の清き川原に身祓(みそぎ)していはふ命は妹が為こそ」。〇ならの小川 「楢の小川」は賀茂別雷神社(上賀茂社)の御手洗川のこと。昔この川で陰暦六月末に夏越の祓が行われたという。『古今集』巻十一・恋一501(読人不知)「恋せじと御手洗川にせしみそぎ神はうけずぞなりにけらしも」。〇川風 川を吹く風。または、川から吹いてくる風。『万葉集』では、巻三425「川風の寒きはつせを嘆きつつ君が歩くに似る人もあへや」の一例のみ。『古今集』でも、巻四・秋上170「川風の涼しくもあるかうちよする波とともにや秋は立つらむ」と巻九・羇旅408「都出でて今日みかの原いつみ川川風寒し衣かせ山」の二例のみ。〇いのりぞわたる 日本古典文学全集『新古今和歌集』(峯村文人)頭注は、「神に祈りつづけることだ。「わたる」は「川風」の縁語」とする。「わたる」は四段動詞の連体形で、係助詞「ぞ」の結び。四句切れ。〇下にたえじと 「と」は格助詞で、心内語の引用を表す。「下に絶えじ」は、「上はともかく、下は絶えじ」の意で、「表面的には恋が絶えていると見えても、内面では恋が絶えずに相通じるように」ということか。「下に絶え」は「わたる」とともに「小川」の縁語と見るべきではないか。
【作者】
〇八代女王(やしろのおほきみ) 講談社文庫『万葉集事典』によると、『続日本紀』に八代女王についての記事があり、天平九年(737)二月、無位より正五位となり、その後従四位下となったが、天平宝字二年(758)十二月、「先帝との志を改めたとして位記を除かれる」とされている。この「先帝」は、旺文社文庫『万葉集(上)』によると聖武天皇。生没年や系譜については未詳とされている。『万葉集』には、巻四626番歌を聖武天皇に献上したとあるのみ。講談社文庫『万葉集(一)』の脚注は、この歌に関して、「伝誦歌を女王が献上したもの。伝誦過程に地名の入れかえの行われるのは常態」とするが、前掲旺文社文庫は「噂によって身を穢されたので禊に行くという退出の口実かとする説もある」と指摘している。
【訳】
恋の噂を立てられて、名前を穢されて、もうくじけそうになっている私ですが、身を清めようとして、御手洗川に身を浸したら、ひんやりと吹き寄せる川風に迷いも吹き切れました。たとえどのような障害が立ちはだかろうと、この川の流れのように心の奥底では恋心が絶えないように頑張ろうと、賀茂の神様に私は祈願し続けました。そんな私のことをあなたも応援してね。
【参考】
〇『古今六帖』第一・歳時部・夏「なごしのはらへ」
八代女王
117 きみによりことのしげきにふるさとのあすかのかはにみそぎしにゆく
118 みそぎするならのをがはのかはかぜにいのりぞわたるしたにたえじと
119 たつたがはたきのせきりにはらへつついはひくらすはきみがためとぞ
〇『岩波古語辞典』「なごしのはらへ(夏越の祓)」
六月の晦日(みそか)に民間や朝廷で行った大祓(おほはらへ)の行事。菅や茅で作った輪をくぐったり、人形(ひとかた)を作って身体をなで、それを川に流したりして、浄めた。「六月の夏越の祓する人は千年の命延ぶとこそ聞け」〈皇太神宮年中行事〉
※『世界大百科事典』によると、初見は『古事記』仲哀天皇の段で、律令制確立後は六月・十二月の晦日に恒例となり、臨時でも行われた。「大祓(おほはらへ)」とも呼ばれ、祝詞を読み、祓物を撒いて儀式を終えるとする。応仁の乱以降は、他の朝儀と同様廃絶し、再興したのは明治四年(1871)といい、宮中ならびに伊勢神宮で行われるようになったとする。「六月の(みなづきの)」の和歌は、『拾遺集』巻五・賀292ならびに『古今和歌六帖』第一「なごしのはらへ」109に見える。
〇『万葉集』巻四・626(国文研蔵本・慶長元年書写奥書)
八代女王の天皇に献れる歌一首
君により言の繁きを古郷の明日香の川に潔身しに行く
一尾に云はく、龍田越え三津の浜辺に潔身しにゆく
八代女王献天皇歌一首
君爾因言之繁乎古郷之明日香乃河爾潔身為爾去
きみによりことのしげきをふるさとのあすかのかはにみそぎしにゆく
一尾云龍田超三津之濱邊爾潔身四二由久
たつたこえみつのはまべにみそぎしにゆく
〇日本史小百科『神社』(岡田米夫著・近藤出版社1977年)49ページ
(前略)伊勢の斎宮に准じて、王城鎮護の神とされた上下賀茂神社にも斎王が置かれ、この居所は斎院と称された。一般には伊勢斎宮・賀茂斎院と対称的に呼ばれる。斎院はこれもまたイツキノミヤとも訓み、山城国愛宕郡の紫野(現京都市北区)にあったもので一に紫野院とも呼ばれた。弘仁元年(810)嵯峨天皇の皇女有智子内親王が初めて斎院となり、歴代相伝えたが、後鳥羽天皇の皇女礼子内親王を最後として廃絶した。
〇日本史小百科『神社』(岡田米夫著・近藤出版社1977年)73ページ
禊祓(みそぎはらえ) 神社に参詣するに先立って禊祓をすることが古くから行われた。禊とは身すすぎで、古くは海浜または川端で着衣を脱ぎ、水草を手につかんで、水につかり、水の中で水草を左、右、左の順で身にふれて清めをしたのである。伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)尊が日向の檍原で禊祓をしたことが神話に知られ、万葉集以下の文献にも見える。
【蛇足】
『新古今集』にこの八代女王の「みそぎする」の歌が出てまいりますけれども、岩波の日本古典文学大系によると、この歌を撰んだのは定家と家隆ということです。家隆はこの歌を後年本歌取りして「風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりけり」と詠みまして、それを『新勅撰集』や『百人秀歌』に選抜したのは定家です。『百人一首』にも入っておりますから、八代女王の歌というのは、実は脈々と生き残っているわけですけれども、どうやら本当は八代女王とは何の関係もない歌なのです。『古今六帖』で八代女王の「君により」の歌の次に配列されていたため、定家や家隆は作者名表記が次の歌にも掛かると間違えたのか、それともそんなことは百も承知の上で、わざと八代女王という古代の皇族の女性の歌として残してみたくなったのか、真相は藪の中に埋もれているわけです。『古今六帖』撰者がどこかから見出した「楢の小川」すなわち御手洗川の異称を詠み込んだ歌は、新古今時代の良き相棒だった定家と家隆の二人によって大舞台に引っ張り出されたようです。ただ、『百人一首の現在』(青簡舎2022年)の中川博夫氏の『百人秀歌』の「風そよぐ」の注釈では、院政期末からこの八代女王が詠んだとされる「みそぎする」の歌は盛んに本歌取りの対象になっていたようで、隠れた人気作品だったようなのです。それを、「読人しらず」ではなくて、八代女王の詠歌であると作者名を指定することは、『新古今集』撰者の二人が共謀しなくてはできないことだろうと思います。そして、誰の作品か分からない歌を勅撰集の作者名表記に従って秀歌選に入れるという悪癖を、室町幕府第九代将軍であった足利義尚公も踏襲したわけですが、これも意図的に撰入した可能性は高いのではないでしょうか。奈良時代の八代女王が、平安時代になってから表舞台に登場した賀茂神社の御手洗川で禊祓をするはずはなく、その程度のことは若干二十歳にも満たない将軍でも分かっていたはずです。
そもそも、『万葉集』巻四626「君により」の歌は、「夏越の祓」の歌ではないわけで、それが『古今六帖』の夏の「なごしのはらへ」にあることも問題ですから、いろいろと手違いや間違いを繰り返したあげくの『百人一首』や『新百人一首』への撰入ということになるのでしょう。
連鎖する 和歌の撰者の 一工夫 受け継ぎ渡る 永遠に絶えじと
れんさする わかのせんじやの ひとくふう うけつぎわたる とはにたえじと
【訳】過去の私撰集の杜撰な作者名表記を利用して、詠み人知らずの和歌にもっともらしい作者名を加えてしまうというような、勅撰撰者のさりげない工夫というものを、和歌の伝統がいつまでも絶えないようにと私もちゃっかりと受け継いで撰歌を続けることよ。
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