足利将軍撰『新百人一首』を読む(14) 大伴旅人
14 いざやこらかしひのかたに白妙の袖さへぬれて若菜摘てん 大納言旅人
【標註】
※記事なし
【出典】
〇『新勅撰集』巻八・羇旅・巻頭歌494(『新編国歌大観』第一巻)
大宰帥に侍りける時、府官らひきゐて、香椎潟にあそび侍りけるによめる 大納言旅人
いざやこらかしひのかたに白妙のそでさへぬれてあさなつみてむ
※詞書の「香椎潟」を「香椎浦」とする伝本がある。
【語釈】
〇いざやこら 「いざ」は勧誘の言葉。『学研漢和大辞典』によると、観智院本『類聚名義抄』に「去来」に「イサ・ユキキタル」という訓が出てくる。陶淵明の『帰去来辞』の「帰りなんいざ」の訓から来ているとする説もある。『万葉集』には「いざやこら」に相当する表現は6例ある。西本願寺本の表記は、63「去来子等」・280「去来児等」・388「率児等」・962(957)「去来児等」・2173「去来子等」・4487「伊射子等毛」であるが、「イザコドモ」と読むものが63・388・2173・4487の4例。これに対して「イザヤコラ」と読むものが280と962の2例ある。これらとは別に「子等」「児等」という例がたくさんあり、ほとんど「コラ」と読まれているが、まれに「コドモ」と読んでいる例もある。巻五・802・803の山上憶良の歌では、詞書に「思子等歌一首幷序」とあって、この「子等」は西本願寺本に訓がなく(普通は「コラ」と読む)、802の長歌の二句目は「胡藤母意母保由」であるがこれは「コドモオモホユ」と訓が付いている。考えてみると、「子等」「児等」は漢字音ではなく、意味を汲み取っているのだから、「コラ」と読むべきで、63は「イザヤコラ」、388は「イザヤコラ」、2173は「イザヤコラ」、そして4487は「イザコラモ」と読むべきなのではないか。『新勅撰集』の初句のような表現は、平安時代から伝わる読み方で、案外正しいという可能性がある。〇かしひのかた 香椎は、現在の福岡県福岡市東区付近。神功皇后がこの地で急逝した仲哀天皇を弔うために祠を建てたのが起源となって、香椎宮として今も遺っている。かつては海に面していたが、現在は海から遠ざかっている。『万葉集』の詞書には、香椎廟に参拝後に香椎浦で述懐の歌として詠んだと記されている。『新勅撰集』の詞書では「香椎潟にあそび侍りける」と、『万葉集』とは詠作事情のニュアンスが相違している。〇白妙の 枕詞。ここは「袖」を導き、強調している。『万葉集』巻一・28(持統天皇)「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山」は、『新古今集』に採られ『百人秀歌』『百人一首』に入った。ちなみに、この「衣」は人が身にまとう衣服ではなく、「春霞」の比喩であり、「干したり」は夏の到来で霞が立たないことを言うのではないか。〇さへ いわゆる添加の副助詞であるから、通常は「Aに加えてBまでも」と、「さへ」の直前の名詞が、前提になったものに更に加わったことを表す。ただし、仮定条件や意志・推量表現などに使われた時には、極限や最上級・最低限などを示すのではないか。よって「袖さへ濡れて」というのは、「袖を濡らしてでも」「たとえ袖が濡れても」というような強調表現になる。〇若菜 底本佐々木信綱の『標註七種百人一首』では「若菜」となっているが、版本などには「あさな」とするもの「わかな」とするものがある。出典を考えると「朝菜」を採用するのがよい。「菜」は野菜や海藻など、食事に供する副菜を指す。ここは朝食のたしになるような海藻の意。〇つみてむ 「て」は強意の助動詞「つ」の未然形。「つ」は意志的・意図的動作につく助動詞。「む」は、注釈書類では意志をふくむ勧誘と解するが、帥の言葉としては、許可をふくむ命令で「朝菜を摘んでもよい・朝菜を摘むがよい・朝菜を摘め摘め」と、あおっている。
【作者】
〇大伴旅人(おほとものたびと) 父を大伴安麻呂、母を巨勢郎女として天智天皇4年(665)に生まれた。和銅3年(710)に左将軍となり、養老4年(720)隼人の反乱を鎮圧するため、征隼人持節大将軍として遠征している。翌年従三位になり、神亀元年(724)聖武天皇の即位の際には正三位になった。神亀五年(728)妻の大伴郎女を伴って太宰府に赴任し、大宰府で山上憶良や満誓らと歌を詠み交わしている。赴任直後に妻を亡くしたことが『万葉集』巻五によって分かる。天平2年(730)大納言となり帰朝するが、翌年67歳で亡くなった。大宰帥となって以後の歌が多く、『万葉集』には80首近く、勅撰集には13首入集している。大伴家持・書持兄弟の父。
【訳】
さあ、さあ、若者たちよ。堅苦しい参拝の儀式は無事終了したのだよ。大宰府に帰って酒を飲もう。この香椎の浜辺で、そなたらの一張羅の服の袖までがぬれてもいいから、酒の肴になるような海藻を、朝一番摘み採るのがよいぞ。ほれほれ、帥殿の命令じゃぞ、行け行け。波間に行くのだ。
【参考】
〇『万葉集』巻六962(957) (『新編国歌大観』第二編)
冬十一月大宰官人等、奉拝香椎廟、訖退帰之時、馬駐于香椎浦、各述懐作歌
帥大伴卿歌一首
イザヤコラ カシヒノカタニ シロタヘノ ソデサヘヌレテ アサナツミテム
去来児等 香椎乃滷尓 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六
いざこども かしひのかたに しろたへの そでさへぬれて あさなつみてむ
※初句の訓が西本願寺本(底本)では「イザヤコラ」だが、「いざこども」と変更になっている。
※『学研漢和大辞典』によると、観智院本『類聚名義抄』の「採」には、「トル」「ツム」「ヒロフ」などの訓がある。
〇仲哀天皇 第14代の天皇。日本武尊(ヤマトタケル)の第二子で、母は垂仁天皇の皇女。熊襲の反乱を地鎮圧に九州・筑紫に向かったが、香椎の地で崩御した。妻は神功皇后。皇后が「熊襲を制圧するのではなく、新羅に侵出せよ」とする神の宣託を伝えたが、それを信じなかったため神の怒りに触れて急死したと伝えられている。実在を疑う研究者もいる。
【蛇足】
これまた将軍の歌でありまして、大伴家持の御父上が九州に何度も出かけて武人として朝廷に名前が響き渡っていたなどということは、今回初めて意識しました。そういうことなら、室町幕府の第九代将軍だった足利義尚公が注目して歌を自分の秀歌撰に入れるというのも、非常に納得のゆくことです。大伴旅人には、『万葉集』の巻三338~350にかけて「大宰帥大伴卿の酒を讚むるの歌十三首」という歌がありまして、非常に興味深いわけですけれども、少々紹介すると、
338 験なき物を思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし
344 なかなかに人とあらずは酒壺になりてしかも酒に染みなむ
348 この世にし楽しくあらば来む世には鳥にも虫にもわれはなりなむ
酔っぱらいの戯言ではありますけれども、古代の社会で60を過ぎた老人が、都から赴任して大宰府の官人相手に宴会を開くわけですから、これくらいの洒脱な歌でも歌わないことには、その場は盛り上がらないことでしょう。ちなみに、『万葉集』の巻三において、この十三首の直前の歌と直後の歌を並べたら、何か和歌の歴史において奇跡のようなことが生じていたと分かるのではないでしょうか。
337 憶良らは今はまからむ子泣くらむそのかの母も吾を待つらむそ(山上憶良)
351 世の中を何に譬へむ朝びらき漕ぎ去にし船の跡なきがごと(沙弥満誓)
後の沙弥満誓の歌は語句に異同はありますが、この後『新百人一首』に出てくるものです。
それにしても、気になりますのは、旅人の歌の初句の「いざやこら」の異同でありまして、指摘はしましたけれども「子等」という表記は漢字音を利用した表記ではありませんので、「こども」と読むような余地はないように感じます。どうしてこんなことが生じているのか、あれこれ考えまして、インターネットで色々検索して少しだけ分かったところがあります。
明治時代に『万葉集』の需要が高まったところで、佐佐木信綱と橋本進吉という碩学が、『校本万葉集』というようなものを思い立ったのであります。ここに、武田祐吉という俊秀も加わりまして、完成に向けて事は順調に進んでいたそうなのであります。実は、このころの『万葉集』の研究者というのは、寛永二十年(1643)刊行の『萬葉和歌集』という版本を読んで『万葉集』に親しんでいたわけで、それに飽き足らなくなって諸本を集めに集め、遂には仙覚の西本願寺本が善本ではないかというような結論まで出ていたようです。
さて、そこで何が起きたか。大正12年(1923)東京周辺を関東大震災が襲いまして、何と『校本万葉集』の印刷原版や集めた諸本は灰燼に帰してしまったというのであります。とりあえず残っていたゲラ刷りか何かを使って、出版には漕ぎつけたということです。さて、善本は西本願寺本なんですが、ここからどうやらギクシャクが始まったと見てよいでしょう。善本ではあっても個々別々の歌に関して検討すると、修正した方がいいかもというようなことになりまして、研究者は西本願寺本の字句をいじります。その結果、世間に出回っている注釈書は、基本的には西本願寺本を底本にしていると言っているにもかかわらず、解釈は別の表現を訳しているというようなことになりまして、それが今回の「いざやこら」「いざこども」の揺れの原因なのであります。
4500首もあれば、当然ながら一人の研究者が隅々まで目を光らせて高水準の解釈を提示するというところまで行かないのは仕方ないのであります。同じようなことは『源氏物語』にも『枕草子』にもありまして、善本を定めてから研究に入っても、注釈を完遂することは不可能ではないでしょうか。その結果、『源氏物語』では六条の御息所の年齢が本文中に明記されているのに、研究者はそれを否定して恣意的な意見を述べていたり、『枕草子』の研究者は「さしもぐさ」が「草」の項目に存在しないなどとうっかり書き記したり、それはそれは驚くような状況が発生しているんですが、世間には内緒です。
若い時に『今昔物語集』の授業というのに出ましたら、ご担当はその作品の一番優れた注釈書の著者でしたけれども、このテキストの読み方は間違っているので、古辞書を使って正しい読み方をリポートするというのが授業の方針でした。本当にその通り。つまり、芥川龍之介が片寄正義という友人から教えられて読んでいた『今昔物語集』のテキストは、実は杜撰なものだったわけで、しかしながらより正しいと思われるテキストは、いまだに世間には出てきていないかもしれません。
正直なことを言うと、より正しい『万葉集』『源氏物語』『枕草子』『今昔物語集』のテキストが制定されても、それらはやはり古文ですから、いくら正しくてもこちらはどっちみち正しく読めはしないかもしれません。一本5000円の高級な伊達巻と、同じ重さの500円の廉価の伊達巻の違いが、私にわからないように。
帰りなむ いざ故郷へ 白妙の 袖さへぬれて 筑紫離れむ
かへりなむ いざふるさとへ しろたへの そでさへぬれて ちくしはなれむ
【訳】さあ故郷の奈良へ帰ろう。妻を亡くして枕を濡らした日々もあったが、今は別れのために袖まで濡れに濡れてしまっても、大宰帥として思い出の詰まった筑紫を去る事にしよう。
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